第11話【ある歴史家の回顧録Ⅱ】
「あのマレキフィムという存在に対してのみ、私たちは向かい風となる。天敵、対立概念、カウンター、呼び方は何でも構わないさ。彼女の存在があって、この世界に生まれたマレキフィム…私は」
彼女は彼に言った。
「その魂を受け継ぐ者だ」
かつて、神の存在証明、神性、善性を強硬なものとするために。悪魔や魔女の存在は不可欠であった。
「魔女という言葉が、人の歴史上に誕生する以前から、人間はその存在に気づいていた」と彼女は言う。
「垣根の上の女たち」
「垣根とは」
「あの世とこの世の境界線という意味だよ」
「魔女は性別に関係なく魔女であると聞きました」
「性別に関係なく魂自体が魔女である。…という意味に於いて、それは概ね正しいと思うよ」
それでも魔女という呼び方には違和感を感じると彼女は言う。
「そもそもロンドンという街は、壁一枚隔てた場所で薔薇十字や黄金の夜明け、魔女宗といった連中が根城にしている、サバトの街だ」
「異端審問もとうに廃止され、最近は思想の自由を訴え、彼らの活動を擁護する知識人もいるとか」
「私から言わせれば、彼らは熱心なカソリック教徒と何ら変わらない…聖書に記された悪魔や魔術を熱心に信仰しているのだから、私たちは自然界に存在するものを、神や魔法と見なしている…真のアンチクライストとはそういうものだ」
「アンチクライストが魔女を殺すとは、なんと皮肉な…」
そう言いかけて、男の口は淀む。
「魔女という呼び名は適切ではないのですね」
「構わないさ、異能であり怪異であり怪物である事に違いはない」
「ノ-ラの中の魔女は、貴女が来なければ目覚めていた」
「15になったノ-ラは目覚めの時を迎えていた」
「年齢が関係してると?」
「単純に、あれの特性として子供の存在を好まないのさ。か細い肉体も、予測不能で儘ならない精神も苦手…ただ苦手というだけで、それを倒す切り札には成り得ないがね」
「子供のうちはノ-ラの中で眠っていたと」
「肉体も精神も成熟に向かう15を境に孵化が始まる、特にあいつの場合はそうだ」
「やがて、もう一つの魂に導かれるままに、両親や兄弟等の近親者を殺す。最初の生け贄だ。その時点でノ-ラの魂は健在だから、正気を取り戻したノ-ラの精神はその時に崩壊するだろう」
「ノ-ラは両親を殺す寸前だったと…もし貴女の到着が遅れていたら」
「ヤドリギは寄生した宿主の魂を喰らいつくして表に出る、悲しみや絶望が糧になり、最後に孵化する力を与えるのさ」
「ノ-ラは魂を喰われて魔女に…いや!今貴女は確か表に出ると…」
「ヤドリギの契約者は、やつの苟の衣に過ぎない。そこから自分に相応しいと思う肉体に乗り移る」
「まさか」
「そう…それが私だ。私はマレキフィキウムに現世での新しい応身にと、御指名を受けたのさ」
彼女の話では、ヤドリギの契約者として寄生された人間は、幼年期より異能であり、不可視のものが見えたり音を聞いたりするのだという。
「もしも自分の子供が社会生活も儘ならない状況で、医者からも見放されたら、どうするね?」
「貴女のような方にお願いする他に手はありません」
「そうして、何人かの霊媒師が家に呼ばれた。ノ-ラの両親は子供のためなら、どんな努力も出費も厭わない。そんな人たちさ。そういう家をわざわざ選んで生まれた。やつは私がこの時代に生まれ、この街に住む事も知っていた。やつが好む最上の衣装は私たち、向かい風の女の体に他ならない。…まったく天敵同士とはよく言ったものだ」
「天敵である貴女の肉体を奪って」
「魔力の源である魂を喰らってさらに力を増す。もう、そうなったら誰も止められない」
「ヤドリギの契約者であるノ-ラや、貴女たち…肉体を奪われた後はどうなるのでしょう…死んだ訳ではないのでしょう?」
「全員行方不明だ」
記録も残っていないし、それまで生きて来た歴史の舞台から霞のように消えてしまうのだ…暴風や高波に呑まれて消えた人々のように。
「貴女はノ-ラ・オブライエンという気の毒な女の子を救うために」
「まんまと邪悪な魂に導かれた」
「ノ-ラ・オブライエンは貴女を信頼し姉のように慕った」
「あの子が私の事を慕うには理由があって、邪悪な魂が私の肉体を求めるからだ」
「過酷な運命の中にあっても、前向きで笑顔を絶やさない女の子だったのでは」
「-は絶望や悲しみを喰って育つから、悲しみは長く続かない…ヤドリギに寄生された者は皆そうなるんだ」
そんな自問自答と葛藤を繰り返しながら彼女はロンドンの街をノ-ラを連れ歩いた。
「私の師は書物が好きでね、ルナティックと言っていい程本ばかり読んでいた」
「聞きました」
「そんな彼女がある日私に言ったんだ」
「詩人は何故詩人になるのか、お前は分かるかい?」
「さあ、分かりません。なりたいから…ではないですか?」
「なりたいからか…確かにそうかも知れないね」
「師よ、貴女はどう思われるのですか?」
「私は魂と、体に流れる血が人を詩人にするのだと思うよ。絵描きも、音楽家も、魔法使いも皆そうさ」
分かっていた事だが、分からないようにしていた。
「ノ-ラの魂と、魔女と呼ばれる者の魂は別なのだと、分からないふりをして始末するつもりだったのに」
彼女は紅も差さぬ桜色の唇を強く噛んだ。
「私はノ-ラの魂が、目を閉じて、口元から美しい詩を謳うのを聞いてしまった。自分や親のためでなく、懐に剣を忍ばせて彼女を殺そうとしているこの私のためにだ!」
後に彼女は、ノ-ラから聞いた。学校に通えぬノ-ラに読み書きを教えたのは両親で、ノ-ラが諳じた詩は母親の大好きな詩であったと。
昔、英国の湖水地帯に療養に訪れた詩人は病を抱え、遂にそこで生涯を終えた。
彼は水仙が咲き誇る湖水地帯の風景をこよなく愛し、療養所の帰り道最愛の妹と歩いたその風景を詩として残した。
「剣が力を発揮し、マレキフィキウムを滅ぼせるのは目覚めまでの間、期を逃したら討ち果たせるという保証はない」
それが別れ際に聞いた師の言葉。
「伝えて行くべき魂と命を持って生まれた。人として生涯を終える権利がノ-ラにはあると私は思ったのだ」
「結果ノ-ラは彼女自身のまま人生を送り、貴女はノ-ラを殺さなかった」
「理由は2つ」
1つは彼女が持つ短剣。
「これが私の守りともなる。これがある限り、やつは目覚めても私の体を奪えない」
「他の人間では駄目なのですか?」
「強い魔力を持ってはいるが、取り分け傲慢でプライドが高い女だ、自分が気に行った服しか着ない」」
異端審問や魔女狩りが最も盛んに行われた15世紀から近代まで、マレキフィキウムは姿を現さなかった。ヤドリギの契約者の中で眠る魂は、静かに魂の揺り籠の中で、この世界の動向に耳をすませていた。自分の身代わりに火の中で焼かれる女たちの叫びを夢枕に子守唄として聞きながら。
「子供のうちに怪しまれ、異端審問にかけられ火刑にされたら、堪らないからね」
「多くの女性が捉えられ、火炙りにされた魔女狩りの時代に、真の魔女は眠っていたと」
「真の魔女が人の手で易々と火炙りになど、あり得ない話さ」
「貴女は、魔女は生まれる時代を選ぶ。今がその時だと言うのですか!?」
「私の師は今の英国を見て言った。『人は時を経る毎に、神ではなく彼女の姿に近づくようだ』と」
「貴女の師の真意が浅薄な私には読めません」
「気位の高い魔女様は、自分の気に行った衣装と観劇の舞台が揃わないと、御出座しにならないのさ」
「舞台とは」
「王公貴族の支配する、厳格な身分制度に貧富の格差、発達して乱熟した文明と疲弊し汚染した国土、入り乱れた人種と差別、無秩序に崩壊したモラル…軋轢の狭間で軋む人々の悲鳴が聞こえる…そんな場所は何処かにないかね?」
「ロンドンが魔女に選ばれた街になると」
「テムズ川のプールに鼻先を列べる巨大な鉄の戦艦たち、あれはまるで貴族が狩りに使うグレイハウンドやフォックスハウンドに見えて仕方ないよ、あの船に乗り込んだ男たちは一体何処で何をしてるんだい?」
「それは…」
「まさかスナ-ク狩りって訳でもないだろうに」
「英国の東南アジア地区における遠征と植民地化政策の一端で、私の曾祖父もその功績により、王室の末端の血筋でしかなかったにもかかわらず、女王陛下から最初に僕爵の位を賜りました」
「植民地政策とは、具体的に他所の国にまで出向いて何をするんだい?」
「書庫に遺された曾祖父の回顧録によれば」
最新鋭の蒸気タ-ビンを積んだ英国の戦艦は、彼らからすれば未開の地に到着するや否や、挨拶代わりに戦艦の砲門を開き威嚇攻撃をする。
「しかる後に本土に上陸し、戦意があるなしに関わらず殺戮と破壊と略奪行為を繰り返し、異教の寺院があれば焼き払い、王族はすべて殺害、政府関係者は残らず幽閉したと…」
「本当にそんな風に書かれていたのかい?」
「いえ、美辞麗句と雄壮な武勇伝として記されておりました…」
「だろうね」
「英国の植民地支配が、それ以前のスペインやポルトガルのそれと違っていたのは、国土の支配を近隣の俗国に委ねた事です…例えば金融はインド人に、貿易は華僑にと言った具合にです」
単一民族の国家であれば、一部の部族に兵器を与え、国民と国土の警護という名目で植民地を監視させた。部族間の対立を煽り、国民の反抗や結束を削ぎ、少数民族に対する差別意識を植えつけた。
「自国の歴史をそこまで冷徹に見ている貴族様は中々いないよ、大したもんだ」
「恭悦ですが、しかし手放しでは喜べません…貴女の師の言葉が今ようやく理解出来ました。英国は世界においても魔女そのものだと」
「ロンドンは今ではすっかり魔都の様相だ…ヴィクトリアともエリザベスともマレキフィキウムはさぞかし話が合うだろうね」
「目覚めた魔女は、英国議会や王室の中枢にまで影響を及ぼすと…その様に魔物に取り憑かれた国家の命運は如何なるものとなり果てるのか」
「砂の中の楼閣、瓦礫の柱が僅かに残る荒れ地、人の歴史が証明済みさ」
「貴女の言葉を借りるなら、魔女は英国女王の衣装を求めるでしょうか」
彼女は男の言葉を静かに否定した。
「エリザベスI世ならば可能性はあったが…王室の家系というのは器量はどうなんだい?」
「私の口からは何とも…」
「まあ、昔からやつがヤドリギに選んだのは、その身を捧げた神官や巫、若い未婚の女性と大体相場が決まっている」
「英国が他所の国にまで出向いての所業を、ここロンドンの地で」
「あくまでも観劇の余興さ」
「しかし疑問が残ります、貴女に魔女が手出し出来ないのは分かりましたが」
「ノ-ラの身に何も起きなかったのは何故なのか…かい?」
「その懐の短剣が、貴女の守りになったとは先程伺いました。では、ノ-ラの中に眠る魔女が目覚めなかった理由は何故なのか」
「散々話したつもりだが…分からないかね」
「皆目見当がつきかねます」
「あんた、やっぱり作家には…」
「作家の夢は捨てました」
「おや、随分といさぎがいいね」
「しかし歴史学者の夢は捨てません!フィールドワ-クの末に私は、どうやら金脈を堀当てたようなのです」
「そいつは良かった」
「貴女と出会えたのは←私にとって正に行幸と言えます」
「私と出会ったノ-ラは、どうだったんだろうね」
森を渡る風がオ-クの梢を揺らす。
「どうやら報せが届いたようだ」
「何のです?」
「ノ-ラ・オブライエンの命が今終わりの時を向かえたと風が報せてくれた」
「では、魔女の魂は」
「ノ-ラの肉体と共に滅んだ、他所に渡れずね」
彼女の顔は宿敵が滅んだにも関わらず晴れなかった
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