第10話【ある歴史家の回顧録Ⅰ】

【アシュリ― アッシュ シ―モア卿】



英国出身、19世紀の歴史研究家、著実家、生前に英国歴史に関する著作の他に、幾つかの短編小説、詩編が出版された。


英国ブリテン貴族の侯爵家である、シ―モア家に産まれるが幼少時から病弱であったため、家督は相続せず。侯爵の称号はあくまで儀礼称号である。


シ―モアー家は、ロンドンでも有名なワイバーン領地の領主であったため、地元では屋号のようにワイバーンの名前で呼ばれた。アシュリ― アッシュ シ―モアーも歴史愛好家の間では正式名より、アシュリ―卿やワイバーンの領主様と呼ばれる事が多く、むしろ正式名よりも、そちらの方が有名な歴史家である。


当時出版された主な著作に【魔女の世紀】【ワイバーン卿の英国史】【権力に侵された国家は腐敗する!腐敗するのだ!】等がある。


アシュリ―の著書に関する当時の書評や歴史研究家の見解は、歴史書であるにもかかわらず『しばしば夢想家』『石や花にたずねたとしか思えない』『歴史小説として興味深い』『バケツいっぱいの小便』などが残されている。


『シ―モアーのペンは、しばしばあらぬ方角に脱線暴走を繰り返した』


そう言われる所以は、彼は本来非常に理知的な歴史家であるにもかかわらず、突然そのペンは羽根が生えたように歴史を逸脱したからに他ならない。


当時の英国王室の極一部の為政者、国王や女王陛下しか知り得ぬ歴史がそこには書かれていた。文字通り、石や花や死者に尋ねてみなければ解らない。そんな記述が、彼の著作には屡々見受けられた。


『まるで見て来たような嘘を書く』


『ほら吹き侯爵』


彼の著作が現在まで残っているのは、そうした彼の著作が、国内だけでなく、世界中の一部の歴史好事家や書物愛好家に持て囃されたからに他ならない。


近年まで歴史家としての彼の著書には『歴史史料としての有用は認められない』という見解が一般的だった。


その評価が一変するきっかけとなったのは、1957年クリスマスにテレビ中継による、エリザベス女王の国民に向けたメッセ―ジであった。


「英国王室が世界にとって、英国国民にとって、これ以上陸の孤島にならないために」


エリザベス女王の口から発せられた開かれた王室という御言葉。そのメッセ―ジ以降、門外不出と言われていた英国王室の歴史的史料が、数多く一般に公開された。


それまで人々が知り得なかった史料の中身が、アシュリ―卿の著書に書かれていた内容と驚くべき符号一致を見せていたからである。


アシュリ―卿は晩年肺病を病み、36歳の若さで夭折している。家督は継がず、ひたすら邸宅の庭の林に設えたガゼボを改装した一人部屋に隠り、執筆と読書に明け暮れた生涯であったという。


華々しい貴族の宴にも、宮殿で開かれた貴族院にも顔を出す事はなかった。


「しかしそれこそが虚偽の歴史で、実はアシュリ―卿は、王室と親密に秘密を共有するほどに、重要な役職を担っていた人物なのではないか?」


とする研究者の見解と共に、アシュリ―卿は俄に、歴史の表舞台で脚光を浴びる事となった。生前彼が遺した資料や日記や、彼が書いた回顧録が邸宅の書棚から次々発見された。しかしそれを一読した研究者たちは言った。


「これこそ正しく当時の人達が言ったのと同じ『歴史的になんの価値もない』ものだろう」


「おそらくは、アシュリ― アッシュ シ―モア侯爵こと、ワイバーンの領主様の御乱心時代に書かれたものだ」


そう歴史研究家は位置付けをした。事実彼はその当時「病の果てに心を病み阿片窟に出入りしていた」と自ら記述している。


心を病んだ末に、死者の声に怯える毎日を送り、いかがわしい場所で死の恐怖から逃れるように阿片の煙にまかれた。


回顧録はその後で訪れた先の、霊媒の少女との出会いから始まる。卿の回顧録は終始、その少女との会話で内容が占められていた。おそらくその少女は存在しておらず、卿の負の時代に阿片が見せた幻覚であろうと、歴史家の意見は一致した。


生前このワイバーンの領主の生活も興味深いものである。しかし当時から「陰遁者」や「世捨人」と屋敷内でも囁かれていた卿の為人や変人的な暮らしぶりは徹底されていたようだ。それ以外の記録は発見されていない。


但し、かつて英国の貴族の屋敷に勤めていたメイドの中には、当時の記憶をもとに書物を出版する者も少なからずいた。


当時も今も、俗世間からかけ離れた貴族の生活に興味を持つ者は多い。


ワイバーンの領主の御屋敷で、アシュリ―存命中、ハウスメイドとして働いていたアビゲイルは、後にこんな記述を残している。


「私の主であるアシュリ―様は、広い御屋敷の中の木立に囲まれたガゼボに、いつも一人で暮らしておいででした。そこには、出入りを許された特別な使用人しか、普段は立ち入ることは出来ませんでした。ところが…ある日、御屋敷内に突然一人のメイドが雇われて…彼女だけは特別なようでした。なぜって、主の住まいにノックもせずに入るところをしばしば見かけたからです。その女の子はいつも奇妙なドルイドか、魔法使いのようなマントを羽織っていました。あの子は、一体なんだったのでしょうか」


回顧録は閉じられ本棚へと仕舞われた。時よりは、部屋を訪れた人の手で埃が払われ、ペ―ジが捲られもした。それから後は、何年も省みられる事はなかった。


以下はその回顧録の中からの抜粋である。



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