第12話【アルカナと浸入者】



「貴女はノ-ラのために一体何を…貴女が何かをしたから、彼女は今日まで人として生きられたのではないですか?」


「アルカナさ」


「アルカナ…貴女がノ-ラに贈ったという…」


「あれは一枚一枚が精霊の力を封じ込めた、強力な護符だったのさ」


「魔女を閉じ込めるための護符ですか」


「ノ-ラに渡した絵札は、大アルカナの22枚。月、星、太陽…それぞれに絵札には、謂れのある精霊が棲みついている。謂わば小宇宙を形成している。描かれた精霊の防壁を破壊すれば、外に出る事は可能だ。しかしいくら大古のマレキフィムと言えど、全て突破する事はまず不可能。もし無理に抗えば、力を使い果たし消滅するだろう」


「それで…貴女は彼女に占い師の仕事を後押ししたのですね」


「絵札が生活の糧ともなれば、手放す事もないだろうし、アルカナが主と認めた以上、あれは捨てても手元に戻ってしまうだろう。ノ-ラが絵札を大切にすれば守りも上がる」


「まさに鉄壁の護符という訳ですね」


「いや、一点に於いては脆い、それは魔法全般に言える事なのだけれど…絵札は川に流したら効果が無くなる。魔法というのは本来、流れる水には弱いものだ。魔法に携わるものは川辺を嫌う。流れる水には魔法を浄化する力があるからね」


「橋の近くで商いをするのを勧めたのも」


「少しでも、あの娘の中に潜むやつの力を抑えるためさ」


「貴女が橋を嫌うのも」


「それは…通行料をふんだくられるのが嫌だからさ」


「貴女は西ロンドンの一角に半世紀近く魔女の魂を封印された…なんて偉大なお方だ!」


「正確に言うとロンドン全域なのだがね」


彼女は悪びれる様子もなく言った。


「ロンドン…全域…ですか」


森の出口を顧みて男は思う。


「生きて出られぬかも知れぬ」


しかし、またそれも一興と思えば口元に自然と静かな笑みが浮かぶ。



とうに夜半を過ぎた時刻ともなれば、風切り羽を切り落とされたワタリガラスたちも濠の中に姿を見せない。


イ-スト・エンド、テムズ川の陲。20の塔からなる塔の中心であるホワイトタワー。


『女王陛下の城壁にして宮殿』


それが、この塔の正式な呼び名だ。


昔も今も王室が所有するロンドン塔は、現在は王室の住まいとはなっていない。


彼女が立っている塔の天守閣に当たる場所は現在は天文台として使われていた。


この場所からロンドンの街が一望出来る。


昼間の賑わいも消え失せ、工場の排煙が街全体を覆っている。新設されたばかりのガス灯の灯りが胞子のように揺れて見えた。


建物全体に灯りはなく、ブラッドタワーと呼ばれる右側の塔の窓から1人の婦人が彼女に手を振って見せた。


右手にぶら下げているのはランタンではなく、自身の首なのだが、書物にも歴史にも興味がない。彼女は婦人が誰だか分からなかった。


膝を少し曲げ婦人に挨拶を返す。


そして彼女は掌に55枚のアルカナをのせて命じた。


「人より長く魔女と同じく永らう石に身を隠せ」


風に命じた。


「彼らを運べ」


石に命じた。


「衛士の褥となるべく彼らを隠せ」


掌から絵札は離れ、騎手や聖杯やワンズは、ロンドンの至る所に身を潜めて来るべき戦の時を待った。


本来ならば使い方が違う絵札。絵札に込められた力により、古の魔女を封じ込め懐の短剣で止めをさすものだ。


短剣にはマレキフィムの反抗魔法者の魂たちが込められている。


孵化する前に指し貫けば、その禍々しい魂は元素に還り二度と再び再生は叶わぬはずだ。


禍の魂が眠り耽る歳月を研鑽と研究に費やした、剣と絵札は彼女達の叡知の結晶であった。


しかし彼女はそれを教え通りに使わなかった。


その報いは受けるつもりでいた。


彼女は曾て、両親とともに海を渡りこの国に流れ着いた。


どこの国であろうと、何も持たない他国の移民には差別や迫害はついて回る。


元より彼女の一族は母国での弾圧や迫害を逃れ、この国に来たのだから。


彼女の第二の故郷であるウェールズも例外ではなかった。


彼女の両親はそこを安住の地と決め必死で地域に溶け込もうと努力した。


子供である自分や幼い妹や弟のため、と分かっていた。


しかし彼女は、そんな両親や暮らしが嫌だった。


自分がまだ何も成し得ていない子供だから不当に扱われるのではなく、差別を受けていると分かっていた。いつも家や土地を出て、自由に生きてみたいと思っていた。


そんな時に師は彼女の目の前に現れた。


「お前を迎えに来た」


師は彼女に言った。


「迎えに来てなんて頼んでないわ」


彼女は師に向かって舌を出した。


すると師は柔和な笑顔を見せて彼女の頭を撫でた。


「お前自身は呼ばなくても、私はお前の魂に呼ばれて来たのだよ」


「魂」


「お前の魂は古くから私たちの仲間」


肌や髪や生まれた国など関係ない。魂が同じ仲間だと。


彼女は師の後を追い町を出た。本当は彼女が盗賊であろうと、何であろうと一向に構わなかった。


師の家に着くまでの間には、彼女が魔女であり、自分は魔女になるために呼ばれたのだと知った。


魔女の家で寝起きを共にし、魔女の家で魔女の食べる食べ物を食べた。


僅か1年の間に修行らしい事など何もしなかった。


彼女は1年で17歳の娘になった。マレキフィムのように、人の魂に寄生して生き永らえる事を彼女の一族はしない。


それでも見えない魔法の庇護を受けた彼女たちの寿命は永い。


その夜彼女がロンドンの街に仕掛けた術式は魔女の力を減退させ、この地に封じ込めるものである。


それは彼女とて例外ではない。その夜彼女は自らの力の大半を失った。


市井の人々と同じように年を重ね老いて死んで行く。彼女は魔女ではなくなった。


それが仲間や師に背いた自分に、自らが課した報いであった。


もはや魔法と名のつくものは、このロンドンの街から出る事も、入り込む事も不可能となった。


こうしてロンドンの街は、若い魔女の手により古き魔女の魂と、その魂を授かった少女と、彼女自身さえも閉じ込める禁忌の森となったのである。


その森に苦もなく入り込んだ者がいた。若い魔女はその時には未だ、それを知らずにいた。





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