第19話 子供たち

 世の中に不変なものなどない。


 季節が巡るように、時代が移ろうように、人生が浮き沈みするように、世界は変化に満ち満ちている。


 死してさえ、生まれ変わりなんて概念があるくらいだーーーー人は変化とともに生きていく。


 生きていき、死んでいく。


 万物流転。生々流転。諸行無常。


 こう言葉を並べるとどこか哲学的な話になってしまうけれど、如何せん僕の人生も変化の連続だった。


 この世に舞い降りてから高校2年生に至るまで。

 約17年というちっぽけな時間でさえ、僕の人生はめまぐるしい変化と隣り合わせだった。


 いやーーー僕と彼女の人生か。


 僕と彼女の人生の変化。


 環境の変化ーーー人間関係の変化。


 幼稚園から高校まで、十数年の時を共に過ごした幼馴染。


 いつも僕の隣には彼女がいて、彼女の隣には僕がいて。


 それが当たり前だった。

 それが日常だった。

 それがずっと続くものだとばかり思っていた。


 ーーーたとえ世界が終わろうとも、僕と彼女が離れ離れになることはないと。


 そうだとばかり思っていた。


 だがしかし、繰り返しになるけれど、世の中に不変などあり得ない。


 変化を受容し、あるいは拒絶し、上手く折り合いをつけながら、人は一生を歩んでいく。


 今でこそ言いたい放題言われたい放題、口八丁手八丁、どうしようもないウィットに富んだやり取りばかりを繰り広げている僕と彼女だけれど、そこに至るまでにも変わったものがあった。


 変え、変わり、変わられ、変えさせられ。


 大小様々な変化を経て、僕らは今のこの関係に落ち着いたのだ。


 だからこそ、僕たちの日常を詳らかに語るならば、かつての僕たちが経験した、数年前のある大きな変化についてお話しなければなるまい。


 いつも一緒で、それが当たり前で、それがずっと続くと思っていた、幼き日の僕たちの話。


 一応ここで断っておきたいのは、これからお送りする物語は決して美談ではないということだ。


 美談ではなく、どちらかと言うと、言うまでもなく失敗談。


 幼い僕らの、幼さゆえの愚かしくも浅ましい、救いもなければ憂いしかないイタい物語。


 どうか聞き終えた後は、大いに笑ってあげて欲しい所存である。


 さてさて、お立ち会い。


 過去話を始めるにあたっては、あのお決まりの文句から入るとしよう。



 むかーしむかし、あるところにーーーーー




*****




 記憶力の悪さに定評がある僕だけれど、この時期のことはよく覚えている。


 忘れられるはずがないーーーそれは、およそ6年前の出来事だ。


 朝、僕が学校へ行く準備をしていると、インターフォンが鳴る音がした。


「ーーーあ、もう来ちゃった」


 しまった、とでも言いたげな顔をして、玄関へと続く扉脇に備え付けられたモニターへと急ぐ。


 精一杯背伸びして画面を覗き込むと、そこには見知った小さな女の子が仏頂面で映っていた。


「かずくん、まだー?」


 仏頂面を崩さぬまま、カメラに顔を近づけた少女がこちらに呼びかける。


 かずくんとは、当時の僕の呼び名だ。


 いちかずの名前を取って、かずくん。


 あだ名とも言えない安易な呼び名だけれど、まあ、小学生のネーミングセンスなんてそんなものだろう。


 今の僕なら、「『き』くらい頑張って言えよ!」と突っ込んでいるところである。


 そしてこの当時、僕のことをかずくんと呼んでいた奴は1人しかいない。


「もう少しで行くよ、ちーちゃん」


 画面に向かってそう告げると、僕は準備をする手を幾分早めた。


 ちーちゃんと呼ばれた少女は、「早くしないと置いていくからねー」と言って、ドアを隔てた向こう側で腕を組み始めた。


 これは、早く行かないと本当に置いていかれそうだ。


「行ってきまーす」


 黒いランドセルを背負い、学校指定の黄色い帽子を被った僕は、返事も待たずに家を飛び出す。


 目の前には、不機嫌そうな顔をした先程の少女が仁王立ちをしていた。


 同色の帽子の下、さらりと流れる黒髪、今よりも幾分大きな丸い瞳、小柄ながら小学生にしては発育の良い体つき。


 幼子特有のいじらしさを残しつつも、可憐さと麗しさが見事に同居したその顔には、将来の美貌を期待せずにはいられない。


 先程ちーちゃんと呼ばれた少女ーーーー小学5年生のゆきみや千歳ちとせが立っていた。


「かずくん、遅い」


 ぷくっと可愛らしく頰を膨らませ、不満げな視線を向けてくる。


 腰に手を当てるその仕草は、今よりも感情表現が豊かだったことの証左だ。


「ごめん、ちょっと寝坊しちゃって」


「もー、またそれ」


 僕が言い訳にもならない言い訳をしている間もなく、千歳は鼻を鳴らして先に行ってしまった。


「あ、待ってよー」


 情けない声を漏らしながら、遠くなる赤いランドセルを追いかける。


「まったく、遅刻しちゃったらどうするの」


 隣に並ぶやいなや、千歳が前を向いたままで言ってきた。


 不満を隠そうともしていない。

 昔から開けっぴろげな奴だった。


「その時は一緒に土下座してあげるからさ」


「何でかずくんが付き添う側になってるの」


 そんな年相応の語彙が低下した他愛ないやり取りを交わしつつ、2人で通学路を歩いていく。


 幼稚園からの付き合いとは言っても、住む地区が違えば通う小学校は変わってしまうものだけれど、生まれた時から、いや生まれる前から僕と千歳の家は隣同士だったので、必然的に小学校は同じだった。


 近くに住む同い年の子供ということもあり、幼稚園で常に一緒にいた僕たちは、そのままなし崩し的に小学生になっても一緒に過ごしていた。


 今朝のように、一足先に準備を終えた千歳が、僕を呼びに僕の家を訪ねてくるのは日常茶飯事である。


 鈍臭いという意味でのマイペースだった僕は、結構な頻度で寝坊をしていたため、何なら部屋まで来て無理矢理叩き起こされたこともあるくらいだ。


 高校2年生にもなった今となっては、流石にちゃんと自分で起きるようにはなったけれど………長期休暇を除いて。


「まったく、かずくんはもし私がいなかったらどうするの?」


 呆れた吐息をこぼしつつ、千歳が言ってくる。


「ちーちゃんがいなかったら………」


 呟き、しばらく考える。


 もし千歳がいなかったら、僕は一体どうなってしまうのだろう。


 あるいは、どうなってしまっていたのだろう。


「……うーん、わかんないや」


「………はあ」


 大して深く考えることもなく、間抜けな笑顔でそう答える僕に、千歳は頭痛を堪えるかのように額に手を添えた。


 何気ない日常のやり取り。いつも通りの時間。


 そんな通学路を、僕と千歳は5年弱、毎日のように2人並んで歩いていたのだ。


 雨の日も風の日も。

 邪な風が吹かぬ限り。




*****




 僕と千歳の共生は、何も登校時だけのことではない。


 小学校で生活する中でも、僕たちは常に一緒だったーーーワンセットだった。


 僕がいるところには千歳がいて。

 千歳がいるところには僕がいた。


 それは、2人揃って元が内向的な性格であるがゆえに、クラスメイトと良好な関係を築けなかったというのも大きいだろう。


 だからこそ僕も千歳も、気の置けない、気心の知れた間柄に縋っていたのだ。


 今にして思えば、小学5年生という、異性を意識し、避け始めても何らおかしくない年齢にもかかわらず、四六時中一緒にいる僕と千歳が、周りの子供たちには奇異に映っていたのかもしれない。


 彼らにとって、男女の垣根を越えて仲睦まじく接し合う僕らは異物であり、理解できない存在。


 それゆえに僕と千歳は敬遠され、一向に友達ができなかったとも言えるだろう。


 だがしかし、当時の僕らはーーー否、僕はそれで良いと思っていた。


 それで構わないと思っていた。


 僕の学校生活には、ちーちゃんさえいればいいーーーーそんな幼く歪な、友情とも言えない情が、当時の僕には確かにあった。


 それは恋心とも、ましてや愛情とも違う、もっと酷くておぞましい何かだ。


 心身ともに成長した今だからこそ、そう冷静に分析できる。


 だが、今よりも遥かに脳味噌が足りていなかった少年期の僕は、それを疑問に思うことも、恥ずかしいと思うこともなく千歳と関わり続け、そして彼女もまた、そんな僕を受容し続けた。


 授業でわからないところがあれば、教科書片手に千歳の元へ行く。


 先生ではなく、千歳の元へ。


 読み方がわからない漢字があれば、


「ちーちゃん、これってどう読むの?」


 算数の計算が間違っていれば、


「ちーちゃん、これってどう計算するの?」


 小学生の頃から頭脳明晰で、成績もトップクラスだった千歳は、厚かましい僕にも律儀に、真摯に教えてくれた。


 僕があまりにも阿呆すぎて、呆れられることも多かったけれど。


「……ほんと、かずくんには私がいなくちゃ駄目ね」


「そうだねー」


 根気良く教える傍ら、苦笑を漏らす千歳に、僕はたははーと笑いながら答える。


 いつからか、それが僕らのお決まりのやり取りになっていた。




*****




 小学5年生ーーー小学校高学年ともなると、ちょっとばかり大人の仲間入りをしてみたくなるものだ。


 俗に言う思春期の始まり。


 僕と千歳に関しては、思春期とは言っても、異性関係でのしがらみは全くと言って良いほどなかったので、これは男女交際を意味しない。


 かと言って酒や煙草、ましてや悪い先輩とつるみ始めたわけでもない。


 果たして、成長もとい性徴に抗わざる僕らの背伸びとはーーーー、


「ちょっと遊んで行こうか」


「うん」


 ーーーそう、健全も健全、単なる『放課後遊び』である。


 これまでの日々、僕と千歳は毎日一緒に下校していたけれど、放課後に寄り道をして遊ぶ経験はなかった。


 帰りの会で「さようなら」を言い、その足で真っ直ぐ帰路につき、家の前で別れる。


 それが僕たちの放課後だった。


 あるいは、友達がいればまた違ったのかもしれない。


 けれども、2人で過ごすことを是とする僕たちは、


「なんか、学校帰りに遊ぶのって高校生みたいだね」


「だね。何だか大人になった気分」


 なんて、今の僕らが聞いたら抱腹絶倒ーーーー否、顔厚忸怩間違いなしの暢気な会話をしつつ、放課後遊びの舞台ーーーー公園へと足を踏み入れた。


 通学路の途中に位置する、こじんまりとした公園である。


 数種類の遊具の他には、小さい砂場と長ベンチが置かれているだけの質素な公園。


 そこで僕たちは、ジャングルジムで鬼ごっこをし、2人でシーソーに乗り、滑り台を滑り、鉄棒で逆上がりをしたりした。


 遊び疲れた後は、前後にゆっくりとブランコを揺らしながら、色々な話をした。


 昨日見たテレビのこと。

 最近ハマっていること。

 今日学校であった面白いこと。


「今日さー、かいどう君が給食の時間にね」


「これはみつちゃんが言ってたんだけど」


 もちろん二階堂君や三井ちゃんは友達ではないので、あくまで学校の話題は小耳に挟んだ程度のものだ。


 クラス内でも目立つ子の話は、同じ教室の中にいるというだけで、僕たちみたいなぼっちの耳にも自然と入ってくる。


 その他、小学生らしいとりとめのなさや支離滅裂さはあったものの、それもこれも全部含めて、楽しいやり取りを交わした。


「楽しかったねー」


「うん」


 その日以来、僕と千歳は定期的に放課後に2人で遊ぶようになった。


 場所は決まってあの公園。


 時間を忘れて話し込んでいると、ちょっとどころか、日が沈んで夜がすぐそこまで迫っていたり、なんてこともしょっちゅうで。


「明日もあそこで遊ぼうね」


「うん」


 暗い夜空の下、家の前で別れる僕たちは、気がつけば毎日そう約束を交わすようになっていた。


 朝、寝坊を叱られることもあるけれど。

 昼、勉強で呆れられることもあるけれど。


 夜、彼女と一緒に公園で過ごす時間は、僕にとって何物にも代え難い、かけがえのない時間になっていった。


 何気ないやり取り。ただ遊び、喋るだけの時間。


 充実していた。満足していた。


 だから気がつかなかったのだ。


 ーーー放課後、公園で遊ぶ度、徐々に、徐々に、千歳の可憐な表情が陰っていたことに。


 愚鈍な僕は、気がつかなかったのだ。



 ーーーそして、『変化』は突然やってくる。

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