第18話 海 (後編)
小生意気な小学生ーーー
禍根というか、思い違いというか。
重い違いというか。
「そういうことだったのね。理解したわ、ロリコン」
「お前、さては1つも理解してないな」
母娘が足早に僕の元を離れていった直後。
見知らぬ小学生女子と戯れていたところを見事に目撃されていた僕は、そのまま
やましいことなど何もなかったし、何ならいちいち棘のある切り返しをしてくる百音ちゃんに対しては、やましいよりも喧しいと思っていたところでもあるのだけれど、尋問は熾烈を極めた。
熾烈を極めたというか、まあ彼女たちの苛烈さが極まっていたと言った方が正しいかもしれないが。
本当、尋問が拷問に変わらなかっただけめっけもんだと言えるだろう。
人間、一度抱いてしまった固定観念を崩すことは容易ではないーーーー尋問開始時から千歳に「一体何があったの、ロリコン」と切り出された僕の心中を慮って欲しいものである。
もっと言えば、彼女たちが波打ち際に駆けていってから数分後、百音ちゃんに話しかけられてから別れの瞬間までの全てを、馬鹿な僕の頓珍漢な勘違いに至るまで赤裸々に、委曲を尽くして語って聞かせたのにもかかわらず、2人の相槌が「そうなの、ロリコン」や「なるほど、ロリコン」だったのだ。
する必要もない弁明をする気も失せよう。
……でもまあ、そんな彼女たちの思い違いも理解できなくはない。
その主たるところは、彼女の母親が最後に叫んだあの言葉ーーーー「あなた、うちの子に何してるの!」
あの怒鳴り声を聞いたんじゃあ、僕が見知らぬ小学生女児にちょっかいをかけたロリコンだと思われても、納得はできなくとも理解はできる。
それくらい、彼女のあの怒号には、有無を言わさぬ迫力があった。
まさか高校2年生にもなって、成人女性に面と向かって怒鳴られることになるとは思わなかった……。
今思い出すだけでも、あの修羅の表情は忘れられない………多分あと数日間は夢に見ることだろう。
とまあ、そんな流れを経て、見事に僕こと
その時刻、午後1時12分。
一之瀬一樹という一介の高校生がロリータ・コンプレックスだと勘違いも甚だしい沙汰を下された、記念すべき時刻である。
と、その時。
お昼時を少しばかり過ぎたそのタイミングで、千歳と一緒に僕を詰っていた一華の腹の虫が鳴く音がした。
まあ、結構激しく動き回っていた(転んでいた)し、そろそろお腹も空いてくる頃合いだろう。
「………ちょうど良い時間だし、お昼ご飯にしましょうか」
音を聞きつけた千歳が、気を遣って提案すると、
「うん。そうしよっか」
若干照れ臭そうにしながらも、一華は元気に頷いた。
「それじゃあ行きましょうか、ロリコン」
「早く行こうよ、ロリいちゃん」
「一華、実の兄をロリいちゃんと呼ぶのはやめてくれ」
突っ込みを入れつつ、追い詰められる恐怖で震えていた足に力を入れ、立ち上がった。
緩く不安定な砂に、久方ぶりに足をとられながら、先を並んで歩く2人を追う。
ーーーそこで、数分前の自分が脳裏を過ぎった。
百音ちゃんとのひと時の暇潰しを、僕は包み隠さず全て2人に語ったと言ったけれどーーーー1つだけ。
1つだけ、伝えていないことがあった。
ーーー「………つかぬ事をお伺いしますが、おじさんは、その幼馴染さんのことが好きなんですか?」
お年頃な小学生からのませた質問から始まった、最後のやり取りを。
僕は2人にーーー千歳に、伝えていないのだった。
*****
僕としたことが、海の情景やレジャーばかりに気を取られて、肝心のフードについて言及するのを忘れていた。
海で食べるものと言えば。
この問いならば、それこそ無限の連想が可能となるだろう。
魚や貝などの海鮮類を始めとして、かき氷やソフトクリーム、さらにはスイカや焼きトウモロコシなど、真夏のビーチでこそ光り輝くフードは枚挙に暇がない。
そして、それらが一堂に会する場所と言えば、そう、言わずと知れた海の家である。
だから、海で昼食をとるということはてっきり海の家に行くものだとばかり思っていたけれど、前を行く彼女たちが向かった先は海の家ではなかった。
いや、正確に言うと、海の家ではある。
海の家ではあるのだけれど、彼女たちが向かったのは、海の家と聞いて皆が想像する飲食スペースではなくーーーーその中に設置された更衣室だった。
荷物置き場としても利用される更衣室。
「………?」
頭に疑問符を浮かべる僕を置き去りに、2人は更衣室の中に消えていった。
「何故昼飯で更衣室?」
疑問がそのまま口をついて出る。
何だろう、あなたを食べちゃう的な展開だろうか。
今この狭い部屋の中で、妹と幼馴染の百合な展開が繰り広げられているのだろうか。
もしそうだとすれば、幼馴染の魔の手から、何としても妹の貞操を守らなければならない。
………なるほど、わかってきたぞ。
昨日試着室でお約束が起こらなかったから、今日ここで中に突撃するというラブコメ展開なのか。
「それならベタもいいところだが……」
だがしかし、ベタを馬鹿にはできないのもまた事実。
ベタがベタたらしめるのは、それが世代を超えて愛され続けていることの証左なのだから。
「………ふう、やれやれ」
そうとなれば、僕も覚悟を決めよう。
多分数秒後には頰に紅葉模様がつくことになるだろうけれど、それも甘んじて受け入れよう。
僕は意志のこもった漢の表情で、目の前の更衣室に向けて足を踏み出したーーーーー
*****
「………僕は漢にはなれなかった」
「どうしたの、お兄ちゃん。そんなに遠い目をして」
「多分、さっきまで馬鹿なことでも考えてたのよ」
試着室ならばいざ知らず、僕らの日常において更衣室の中で2人の美少女による百合展開などあるはずもなく、そして仮にあったとしても僕が介入できるはずもなく。
僕がまさに突入しようかというタイミングで、更衣室から姿を現した彼女たちが持っていたのはお弁当だった。
どうやら、海の家が混雑するだろうと予想して、事前に2人で昼飯を手作りしてくれていたらしい。
お弁当を持った僕たちは、砂浜に敷いたレジャーシートの上で、3人並んでおにぎりを食べていた。
「言ってくれれば僕も手伝ったのに」
手のひらサイズのおにぎりを頬張りながら、1人だけ除け者扱いされたことに不満を漏らす。
「いくら僕だって、流石におにぎりくらい作れるぞ」
「それじゃあ、あなたを仲間外れにできないじゃない」
「マジでそれが目的だったのか」
ジト目を向けるも、千歳は全く悪びれる様子がない。
隣の一華は僕らの会話などどこ吹く風で、それはそれは幸せそうな表情で、口いっぱいにおにぎりを詰め込んでいた。
その笑顔を見ていれば、僕の不満なんて些細なことのように思えてくる。
まあまあ、捉えようによっては、これは女の子2人のサプライズ手料理だ………おにぎりだけど。
そう思えばむしろご褒美だと言えるし、ここは細かいことは気にせず、存分に堪能するとしよう。
波の音を聞き、海風を肌で感じながら、普段よりもゆっくりとおにぎりを口に運ぶ。
流石、料理上手の2人が手ずから作ったおにぎりは、文句のつけようもなく美味しい。
咀嚼する度に程良い塩味が口いっぱいに広がり、明太子の塩辛さと絶妙にマッチしている。
加えて、海で食べているという今の状況が、美味さをより一層引き立てていた。
「どう? 美味しい?」
やはり自分が作った料理の味は気になるものなのか、千歳が訊いてくる。
「ああ。正直、僕が作らなくて良かったと思ったくらいだ」
「そう。もし塩味が足りないなら、丁度目の前に海があるから」
「そんな破天荒な味付けがあるか」
塩もない……おっと、しょうもない掛け合いもそこそこに、おにぎりを完食した僕たちが食休みがてら海を眺めていると、
「よし、じゃあそろそろ遊ぼう!」
と、唐突に一華が言ってきた。
「ちゃんと夕飯までには帰ってくるんだぞー」
勢い良く立ち上がった一華に気の抜けた返事を返すと、一華はぷくっと頰を膨らませた。
「いや、お兄ちゃんも一緒に遊ぼうよ」
「そんな〜、私はいいって〜」
「控えめな女子高生みたいなこと言ってないで、ほら、早く行くよ」
強引に腕を掴まれ、波打ち際へと引っ張られる。
数歩遅れて千歳もついてきた。
穏やかな波が脛に打ち付けては、ゆっくりと引いていく。
「でも、何して遊ぶんだ?」
プールとは違い海には自然の波があるので、泳ぐというのも難しい。
だからと言って、カップルよろしく水の掛け合いをするのも気恥ずかしいというか、そういうキラキラリアリアした空気は苦手というか。
「だから、やっぱり僕らは大人しく言葉の掛け合いをするべきじゃないか?」
「海に来たのに何でそうなるの」
「悪口の掛け合いなら望むところだけれど」
疲れた顔で突っ込む一華に、いやに好戦的な千歳。
ただでさえ先程ロリコンロリコン言われまくったのに、ここでさらなる罵詈雑言は勘弁して欲しい。
「あ、お兄ちゃん、あれなんかどう?」
一華が指差した先は、海の中腹あたり。
僕たちがいる場所からは幾分波が高く、危険度も高いその場所で、1人の男が海面に立っていた。
いや、正確には立っていたのは海面ではなくーーーーサーフボード。
「……サーフィンか」
金髪色黒で、見た目からしてイケイケな大学生くらいの男が、器用に大きな波に乗り、海面を颯爽と駆け抜けていた。
「サーフィン、格好良くない?」
サーファーを眺める一華は、キラキラと顔を輝かせている。
確かに、陽の光を浴びながら不安定なサーフボードを自在に操っている様は、思わず嫉妬しそうなほどに眩しい。
「お兄ちゃんもやったら?」
「無茶言うな。サーフィンなんてやったことない」
いくら眩しかろうと、それで自分がやるかどうかは別問題だ。
「初心者大歓迎! 私たちも初心者からのスタートでした!」
「大学のサークル勧誘みたいに言うな」
「そんなこと言わずにやってみなよー。モテるかもよ?」
「サーフィンできたくらいでモテてたまるか」
「私の友達、前にサーフィンできることが彼氏の必須条件だって言ってたよ?」
「大分歪んだ価値観をお持ちのようだな、お前の友達」
大体、こういうのはサーフィンができるからモテるのではなく、モテる奴がサーフィンをやるからモテ度に拍車がかかるのだ。
要はバンドと同じ理屈。
高校でモテたい一心で軽音部に入った、中学時代の数少ない友人が言ってたもん。
「僕がサーフィンできるようになったところで、『へえー、一之瀬ってサーフィンできるんだー、いがーい………ところで
「何故最後に私の名前が出てきたのかしら……?」
千歳は眉根を寄せるが、クラスで僕に話しかけてくる奴の大半は千歳目的なのだ。
本人に話しかけるのは気が引けるから、まずは距離が近い僕からアプローチを仕掛けているのだろう。
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。
大物を釣り上げるためには、先ずは周りをうろつく小物をどうにかしなければならない。
小物、つまりは僕である。
「だから僕はサーフィンはやらん。波には乗らん」
「調子にはよく乗るけどね」
横合いから千歳が茶々を入れると、一華は不満げな表情で、
「えー、サーフィンやらないお兄ちゃんに何の魅力があるの?」
「さりげなく酷いな。いいか一華、見てくれに騙されるな」
「どういうこと?」
真剣な表情で人差し指を立てた僕に、訝しげな視線を送る一華。
僕は一華に優しく語って聞かせるように、
「サーファーっていう連中は往々にして、波に乗れてる自分の姿で悦に浸ってるんだ」
「何でここにきてお兄ちゃんはヘイトを集めてるの?」
「どうせ夜になったら、『今は波じゃなくてお前に乗りたい……』なんて言って女の子を落としてるんだ」
「もしそれがお兄ちゃんの思うキザな台詞なら、価値観が歪んでるのはお兄ちゃんだよ」
せっかく親切に教えてあげたのに、一華から返ってきたのは疲れたようなため息だった。
「はあ……まったく、そんなんだから友達できないんだよ?」
「違う。僕は友達ができないんじゃない。作れないんだ」
「ニヒルかと思ったらただの内気な子供だった……」
がくりと項垂れる一華を尻目に、僕は改めてビーチに視線を巡らせる。
打ち付けられる波に騒ぐ若者に、パラソルの下で優雅に昼寝をしている大人。
カンカン照りの中、日焼けに講じている者もいる。
快晴の空の下、海を満喫する大人たちに混じって聞こえてくるのは、波の衝撃に驚く子供の声。
それに何より、夏を楽しむ皆の笑い声だ。
「……よし、じゃあ砂浜で遊ぶか」
海と戯れる人々を見ていると、自然とそんな提案が浮かんだ。
それにいち早く反応したのは一華だ。
「いいね! じゃあ砂浜でお城を作ろう!」
ガバッと顔を上げ、満面の笑みで跳び上がる。
その姿を微笑ましく見守りながら、隣の千歳は、
「お城を作るのはいいけれど、ただ作るのも味気なくない?」
「それは確かに………よし、じゃあこうしよう」
しばらく考えた後、僕はポンと手を打つと、
「3人でそれぞれ、砂で作品を作ろう。30分後、作品が一番ショボかった奴が2人にかき氷を奢る……ってのはどうだ?」
要はどれだけ芸術的で凄い作品が作れるかの勝負だ………季節はまだ夏だけれど。
「やろうやろう!」
僕の提案に、やる気を見せる一華。
そして、勝負と聞いて黙っていられないのは。
「……いいでしょう」
いつだって好戦的な我が幼馴染は、そう言って不敵な笑みを浮かべた。
*****
「ーーー人のお金で食べるかき氷の味………楽しみね、一華ちゃん」
「だね!」
「…………」
ここまでくると、最早予想の範囲内だったかもしれないけれど、それでも一応伝えておかねばなるまい。
砂浜アート勝負の結果は、僕のぶっちぎりの最下位だった。
事あるごとに千歳に勝負を挑んでは、地べたの土を舐めさせられている僕だけれど、今回もその例に漏れず。
勝負が始まる前、千歳の提案で1つのテーマを決めることになり、話し合いの末、『世界遺産』をテーマに作品を作ることになった。
砂で作る世界遺産。
イカサマを防ぐため、制作前に、それぞれ自分で作る世界遺産を明示していたのだが、千歳が作ったのはなんと『サグラダ・ファミリア』だった。
その出来栄えは見事と言うほかなく、日本の田舎のビーチに、スペインバルセロナの荘厳なる世界遺産が爆誕した。
恐るべし千ノ宮千歳。
芸術性も兼ね備えた才女は、自身の才を遺憾なく発揮する結果となった。
そして我が妹、一華。
一華が作ったのは、『エアーズロック』である。
「……え? 砂浜でエアーズロック?」
と誰もが思うだろうけれど、まあ現に僕も思ったけれど、果たしてその出来栄えはーーーー、
「………これ、ただの砂山じゃね?」
「どう見てもエアーズロックだよ!」
「どう見てもエアーズロックでしょう」
自身の作品を砂山呼ばわりされ憤慨する一華に、見事に援護射撃を加える千歳。
僕としては、ただ砂を固めて岩の形にしたようにしか見えないけれど、まあそう言われると、エアーズロックに見えなくもない。
………いや、冷静に考えれば、やっぱりエアーズロックは卑怯だろ。
絶対こいつ楽な方に逃げやがっただろ。
どんだけ人の金でかき氷食いたいんだよ。
だがまあ、この場合は一華のしたたかさは関係ない。
これは、一番ショボい奴を決める勝負だ。
エアーズロックだろうがただの砂山だろうが、作品が完成されていれば、あとは芸術性の問題。
そうーーーーー完成さえしていれば。
「………」
無言のまま、僕は目の前、自らが制作した『富士山』を見やる。
ーーー正確には、富士山の残骸を見やる。
「綺麗に粉砕されているわね……あなたの富士山」
込み上げてくる笑いを堪えながら、隣の千歳がボソリと呟いた。
サグラダ・ファミリアにエアーズロック、スペインにオーストラリアと、女性陣2人が異国の世界遺産を作っていく中、「僕は日本人だ!」という謎のサムライ魂を発揮した僕は、日本が誇る世界文化遺産、富士山を作ることにした。
一華の発想と大差ないだろ、なんて野暮な突っ込みはさて置くとして、順調にただの砂山ならぬ富士山を、数寄を凝らして作っていたのだが。
「……まさか、最後の最後で波に足を掬われるとはね……」
千歳と同じように笑いを堪えつつ、一華も言葉を投げかける。
僕の富士山は、もう30分が経とうかというところでやってきた一際激しい波によって、その大半が攫われていった。
それだけ激しい波なら、千歳と一華の作品もひとたまりもなかったはずなのだが、勝敗を分けたのは、彼女たちと僕の頭の出来の違い。
富士山のみに注力していた僕に対しーーーー2人はあらかじめ、作品の周りに窪みを作っていた。
窪みーーーー遺産を守る、お堀。
それによって、2人の作品は波の衝撃に見事耐え抜いたのだ。
「波のこと、全く考えてなかったな……」
少し考えればわかりそうなものなのに。
馬鹿もここに極まれり。
逆に言えば、始まってすぐに波の影響を考慮した2人は賞賛に値するだろう。
まさに、勝つべくして何とやらだ。
とまあ、兎にも角にも、先に富士山を作ると宣言してしまっている以上、この半壊の砂山を作品と言うこともできまい。
海で波風を立てるのも格好がつかないし、ここは素直に負けを認めよう。
かくして、僕が失格という形でぶっちぎりの最下位になった砂浜アート勝負は幕を下ろし、僕の奢りでかき氷を食べるために、僕らは海の家へとやってきた。
かき氷の店まで行くと、店先には多種多彩なシロップが並べられていた。
定番のイチゴやメロン、ブルーハワイに加えて、ちょっと変わり種のものや、今まで見たことのないような味まである。
多様なシロップを眺めながら、前の女性陣2人は頭を悩ませていた。
「どれにしようかしら……?」
顎に手を添えて唸っていた千歳は、くるりとこちらを振り返ると、
「ねえ一樹、どの味が良いと思う?」
「無難にオーソドックスなのでいいんじゃないか?」
「そんな、流石にガソリンをかけるのはちょっと……」
「オートバックスじゃねえよ」
確かに語感は似てるけど。
悩み抜いた末、結局千歳と一華はそれぞれ、レモン味とイチゴ味を注文した。
どちらも定番も定番、ド定番である。
かく言う僕も、波には乗らずとも流れには乗っかり、定番かつ愛してやまないメロン味を注文した。
こういう場面で調子に乗って変わり種を注文すると、得てして「出しゃばらなければ良かった……」と後悔すること請け合い。
人生に冒険は必要だとは思うが、別に海賊王になる予定はないし、ここは堅実に行こう。
4人掛けのテーブルに座り、一斉にかき氷を頬張る。
太陽照りつける暑い夏に、冷たいかき氷は格別な美味さだ。
ヒンヤリとした甘味が口の中に広がっては、余韻を残して瞬く間に消えていく。
対面の千歳は、隣に座る一華と時折シェアし合いながら、満足そうな表情で食べ進めていた。
人のお金で食うかき氷を存分に堪能しているようだ。
その微笑ましい光景を眺めながら、しかし僕はどこか上の空だった。
舌を赤く染めて笑う一華も。
苦笑しながらそれを見つめる千歳も。
数センチの距離にいるはずなのに、遠い風景のように思える。
見ているようで見ていないーーーその原因はたった1つ。
「………」
昼飯を食べている時も、砂山を作っている時も、そして今、かき氷を食べている時も。
ーーー百音ちゃんのあの言葉が、頭にこびりついて離れない。
*****
はるばる海までやって来て、全く海に入らないのも流石にどうかと思ったので、かき氷を平らげた後は海で遊ぶことにした。
浮き輪でぷかぷか浮かびながらスカイウォッチングをしたり、比較的波の穏やかなところで軽く泳いだり、恥を忍んで水の掛け合いをしたり……。
一華に誘われるまでは海に行く気なんてさらさらなかったけれど、そんな初期の自分も忘れるくらい、それなりに楽しんだと思う。
ちゃんと勉強漬けの日々の息抜きにもなった。
そしてあっという間に時間は過ぎ、日が傾きかけてきた頃。
「………綺麗ね」
隣に座る千歳が、前を向いたままでポツリと呟いた。
「………だな」
少し遅れて、僕も頷きを返す。
夕方に差し掛かったビーチは、昼間とは違った顔を見せていた。
群青色から打って変わり、夕陽に染め上げられた紅い海は心の奥底に深く染み込んできて、僕たちを自然の神秘へと誘っていく。
昼の混雑が嘘のように人はまばらになり、聞こえてくるのは穏やかな波と風の音、そして。
「………すぅ」
右肩から発せられる、一華の寝息だけだ。
たくさん遊んで疲れたのだろう、僕の肩に身体を預けながら、幸せそうな表情で船を漕いでいる。
妹の微笑ましい寝顔を尻目に、逆側へと視線を向ける。
夕暮れの海を見つめる千歳は、艶やかな黒髪を風になびかせていた。
その美しい横顔を見ていると、どうしても意識してしまう。
ーーー千歳のことが好きなのか。
百音ちゃんの言葉が、頭に届いては反響していく。
幼稚園から今まで十数年の時を共に過ごし、初めて出会った大きな疑問。
昔から友達を作るのが苦手だった僕と千歳は、周囲からそういう類の質問をされたり、あるいは子供らしくからかわれたりする経験がなかった。
しかし、今日。
一期一会の小学生によって、一期一会の小学生だからこそ、遠慮も気兼ねもなく、純粋な疑問をぶつけられた。
今まで意識したことがなかった。
考えたことがなかった。
あるいは彼女風に言うなら、疑ったことがなかった。
信頼していたーーーー何を?
あの小学生の最後の呟きの意味は、未だによくわからない。
わからないけれど、あの瞬間、彼女の中で答は出ていたのだろうか。
最後の最後に愛くるしい笑顔を向けたあの子には。
全てがわかっていたのだろうか。
「………なあ、千歳」
思考の出口が見つからず、パンクしそうになる頭を振り切るように、顔を逸らして彼女の名前を呼んだ。
「お前は……」
と、そこまで言いかけたところで、ふと左肩に柔らかい感触がした。
「ーーーー」
再び視線を向ければ、右の一華と同じように千歳が肩口に寄りかかっていた。
静かに目を閉じ、安らかな寝息を立てている。
「………いや、お前も寝るのかよ」
悩んでいる僕をそっちのけで眠るマイペースさには、呆れを通り越して感心してしまう。
でも、その無防備な寝顔を見ていたら、難しく考えている自分がどうでも良く思えてきた。
「………まあ、いいか」
長い睫毛にちょっとだけ開いた形の良い桜色の唇、そして女の子特有の柔らかい感触を肌に感じながら、僕はそう独りごちた。
この問題への答は、いずれ導き出さなければいけないんだろうけれど、それは多分今じゃない。
来たるべき時はやって来る。
それこそテストの難問を解くように、ゆっくりと着実に、一歩ずつ自分の感情と向き合っていけば良い。
海がいくら
「そういう
潮の匂いに混じって鼻孔をくすぐる甘い香りを両側から感じつつ、僕は夕陽沈む紅の水平線を眺め続けた。
ーーー馬鹿で愚鈍な僕にも、いつかわかる日が来るのだろうかと。
そんな青臭いことを想いながら。
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