第15話 水着

 さてさて、毎度も毎度で毎度のごとく、冗長極まりない前座から始めよう。


 皆さん忘れているかもしれないし、そうでなくても一応確認しておかないと僕自身が忘れそうなので、ここで明記しておくけれど、僕は、というか僕たちは、絶賛夏休み中である。


 高校2年生の夏休み。


 ある者はアウトドアでウェイウェイとエンジョイし(笑)、ある者は既に再来年の受験を意識して勉学に励み、またある者はウェイウェイすることも勉学に励むこともなく、インドアでだらだらと、無為に時が過ぎるのを待つだけの時間を過ごす、そんな季節。


 そんな夏休みの真っ只中にある僕たち。


 それもいよいよ半分以上を過ぎ、残すところあと数十日となったわけなのだけれど、はてさて、ここで思い返していただきたい。


 平凡なアホこと、僕、いちかず

 傍若無人にして悪辣非道、それを凌駕する圧倒的ハイスペック女子高生、ゆきみや千歳ちとせ


 僕ら愛しき幼馴染2人が、これまで辿ってきた軌跡を。

 今一度思い返していただきたい。


 夏休み明けの実力テストに向けて、約1ヶ月間、成績優秀な千歳に師事する勉強会という形でスタートした僕らの夏は、なかなかどうして刺激的だったと思う。


 目的を見失うことなく勉学に励み、着々とテストへの準備を進める傍ら、長期休暇らしく、そして高校生らしくゲームをやったり、オープンキャンパスに行ったり。


 オーキャンで行った大学では、直近の実力テストを飛び越え、受験へのモチベーションを高め合った。


 ーーー同じ大学に通うというモチベーションを。


 2人で高め合った。


 時系列は遡るけれど、8月14日。

 僕の誕生日は、不器用なあいつに、不器用な祝い方をされた。

 僕がケーキの存在に気づいたことには最後まで気づかれなかったけれど、あの夏の日に食べたバースデーケーキの味は、例年にも増して美味しく、そして甘かった。


 そして忘れもしない、夏祭り。


 普段の僕たちなら、あんな煌びやかなイベントなんて一笑に付していただろうけれど、ビンゴ大会の景品に目がくらみ、テスト勉強もそっちのけで、満を持して参戦した。


 最終的には、目的の景品の方は、まあ涙を呑む結果と相成ったわけなのだがーーーーー花火。


 夏祭りの最後に見た、華々しく輝かしい色とりどりの花火は、悲しみに暮れる僕の心を、深く、柔らかく、暖かに包み込んでくれた。


 それに何よりーーーーその花火の光に照らし出された、千歳の美しさを。


 僕は一生忘れないだろう。


 あの、1枚の絵画を観ているような、現実離れした美貌を、僕は一生忘れない。


 あの日あの時、あの瞬間、こいつが幼馴染で良かったとーーーーこいつが僕の隣にいて良かったと、そう思わなかったと言えば嘘になる。


 ……まあ、本人には絶対に言わないけれど。


 さてさて、気恥ずかしさもいよいよ極まってきたところで、そして花火の話に及んだところで、ちょっと待って欲しい。


 僕らは1つ、大事な見落としをしてはいないだろうか。


 高校2年の夏。

 思春期真っ只中の夏ーーーー青春真っ盛りの夏。


 勉強をし、ゲームで遊び、誕生日を祝い、オーキャンに行き、そして、夏祭りに大輪の花火。


 何かを忘れている。見落としている。


 そうだ、花火の他に、もう1つあるじゃあないか。

 夏の風物詩と言えば。夏らしさと言えば。


 両目を閉じてみれば、瞼の裏に過るのは、青々としたあの景色。


 照りつける太陽。

 青く澄んだ空。

 光を反射して輝く、美しい水面。

 それらを華麗に隔てる、見事なまでの水平線。



 そうーーーーーー海、である。




*****




「ーーーというわけで、水着を買いに行こう、お兄ちゃん!」


「行かない。おやすみ」


 そう言って僕は、再び微睡みの世界へと足を踏み入れたのだったーーーーー。



「いや、『踏み入れたのだったーーーーー』じゃないよ」


 盛大に引っぺがされた薄手のタオルケットを掻っ攫い、再び夢の世界へと足を踏み入れようとした僕を、誰かの足が盛大に踏みつけた。


「ぐえっ!」


 まさか僕史において、『ぐえっ!』なんてアホみたいな叫び声を上げる日が来るなんてついぞ思っていなかったけれど、そうせざるを得ないほど、その一撃は強烈だった。


 どうやら、足が踏み入ったのは夢の世界じゃあなく、僕の身体らしい。

 というか、踏み抜いたのは、踏み抜かれたのは、身体は身体でも、急所も急所、みぞおちだった。


「うぅ………くっ………」


 じわじわと、さながらボディブローのようにゆっくりとやってくる鈍い痛みに呻きつつ、僕は顔を上げる。


 頭上には、不機嫌そうに鼻を鳴らすひとがいた。


 一之瀬一華。

 僕の妹。

 僕よりも2つ年下の中学3年生。


 その一華は、苦痛に必死に耐える僕を見下ろしつつ、


「へぇー、驚いた。まだ生きてたんだ」


「強キャラみたいな台詞言ってんじゃねえよ……」


 ていうか、殺そうとしてたのかよ。

 命を狙われるようなことをした覚えはないんだが。


「お兄ちゃんが起きないのが悪いんじゃん」


「起こそうと思って殺したら本末転倒だろうが」


 永久に起きなくなっちゃうぞ。


 そんなやり取りを交わしているうちに、みぞおちの痛みも大分引いてきた。加えて、二度寝を誘っていた眠気の方も引いてきたため、仕方なく身体を起こす。


 テーブルの上に置いてある目覚まし時計を確認すると、現在時刻は、ちょうど午前11時を回ったところだった。


 夏休み中の健全な高校生なら、まだ寝ている時間である。


「というわけだから、僕はまた寝るかな」


「いやいや。だから、起きてってば」


 どうやら、僕を踏む前にカーテンも全て開けられていたようで、外から差し込む日光が、部屋全体を明るく照らしていた。


 8月も半ばを過ぎたとは言え、まだまだ日差しは厳しい。

 暑さを自覚してしまえば、タオルケットに包まる気にもならず、僕は背中を向けながら寝転がることで二度寝の意志を表明する。


「ほーら、早く起きて。二度寝は身体に毒だよー」


「え? そうなのか?」


 初耳の知識である。

 反射的に一華の方を向いた僕に対し、一華はうんと頷き、


「そうだよ」


 と、力強く肯定してきた。


「具体的には?」


「みぞおちの辺りが痛くなる」


「原因お前じゃねえか」


 病気の問題ではなく外傷的な、それもこいつ自身による猛毒だった。


 とは言うものの、これ以上の痛みは僕も求めていないので、仕方なく再び上体を起こす。


 ベッドの上に座りつつ、側に立つ一華を見上げた。


「全くもぉ、いくら夏休みだからって、普通11時まで寝てる?」


 腰に手を当て、深々とため息を吐きつつ、一華は言ってきた。


「しょうがないだろ。今日は勉強会ないんだから」


 本来ならば、この時間はとっくに、僕の部屋か千歳の部屋か、あるいは図書館とかでいつも通り勉強会を開いているのだけれど、今日の勉強会はオフになったのだ。


 というのも、昨日の時点で千歳が、


「あんまり根を詰め過ぎても良くないから、明日1日は休みにするわ」


 と言ってきたのである。


 なるほど、ピークを休み明けの実力テストに持ってくるという意味では、たまの息抜きも必要だという理屈はわからなくはないけれど、それを千歳の方から言ってきたのは、正直なところ意外でもあった。


 思い出すのは、夏休み前の終業式の日。

 勉強を教えて欲しいと泣きついた僕に対し、千歳が言ったあの言葉。


『とりあえずは夏休み明けの実力テストね。それまで約1ヶ月間、私が血反吐を吐くまでみっちり教えてあげるわ。感謝なさい』


 今のところ血反吐を吐いてはいないけれど、そこまで言ってのけたあいつが僕に、ある種ご褒美とも取れる休みをくれたのは予想外の僥倖だった。


 まあ、それもこれも全て、あいつが僕のことを真剣に考えてくれた結果だと思えば、微笑ましくもある。


「何だかんだ言って、世話焼きなんだよな、あいつ」


 こぼれた笑みもそのままに、ふと呟いた僕の声は、誰に聞かれるともなく消えていった。


 とまあ、そんなこんながあり、久々のオフ(夏休みにオフがあるというのも何だか矛盾している気がするが)を有意義に、惰眠を貪って満喫しようとしていたのに。


 1人の小うるさい妹によって邪魔されたわけである。


 恨みがましい視線を向けると、一華は呆れた表情で、


「勉強会がなくても、もう昼だし……ていうかお兄ちゃん、私が最初に言ったこと、ちゃんと聞いてた?」


「いや、聞いてない」


 なんか、『〇〇行こう!』とは聞こえた気がした。

 反射的に『行かない』と言ってしまったが。


 きょうだいからの誘いはとりあえず断る。

 きょうだいを持つ者たちの常識だ。


「いや、そんな常識ないから。というかお兄ちゃん、今回あそこで終わらせる気満々だったでしょ」


「ちっ、バレてたか」


「バレバレだよ。『足を踏み入れたのだったーーーーー』って。ダッシュ5つも続けちゃってるし」


「………」


 何も言えない僕に、一華は呆れながら、


「数十文字で終わろうとしないでよ。それに」


「それに?」


「最近、『〜たのだった』ってオチが多いって、クレーム入ってるんだから」


「マジかよ。誰から?」


「私から」


「自己評価じゃねえか」


 語りの評価は置いておくとして、二度寝オチは失敗に終わったことだし、話を元に戻そう。


「で? お前はなんて言ったんだ?」


「だから、水着を買いに行こうって言ったの!」


 ぷくっと頬を膨らませて、一華は迫ってきた。


 言われて見れば、寝間着用の半袖短パン姿の僕とは違い、一華は完全にお出かけ用の格好である。

 家にいる時は縛って上げている前髪も、今は下ろされている。


「何で水着なんて買いに行くんだ?」


「そんなの、海に行くからに決まってんじゃん」


 僕の疑問に、一華は『こいつ何言ってんだぶっ殺すぞ』とでも言いたげな目で答えた。


 一度入ってしまった強キャラスイッチが、まだ切れていないらしい。

 僕を見つめる眼光には、普段にはない鋭さがあった。

 それこそ、あの幼馴染を彷彿とさせるほどの眼光である。


 だがまあ、海に行くのに水着を購入したいというのはわかった。しかし、まだ疑問は残っている。


「いや、何で僕がついていかなきゃいけないんだよ」


 一華の口ぶりは、まるで僕を買い物に誘っているようであった。


「だって、お兄ちゃんがいないと語り部がいなくなっちゃうじゃん」


「そんなメタい理由で僕を連れ出そうとするな」


 というか、それこそ、一緒に海に行く友達と買いに行けばいいじゃないか。

 友達が少ない……いない僕や千歳とは違って、一華は、その溌剌さや人当たりの良さの賜物だろうか、友達は多い方である。


 友達と一緒に何処かに出かけたり、家に遊びに行ったり。

 この家に呼ぶこともあり、基本家から出たがらない僕と一華の友達が顔を合わせる機会も、これまでに何度かあった。


 その度に、『一華ちゃんのお兄さん、フツーだね』なんてこそっと言われているのを耳にしたものだ。

 ちなみに、同じく遊びに来ていた千歳を見た時には、『え!? 何あの人、すっごいキレー!』なんて言っていた。


 こんなところでも月とすっぽん(金魚の糞だったか?)扱いされることに関しては思うところはあるけれど、事実なので仕方がない。


 沈んだ気持ちを誤魔化すように、若干投げやりにその辺のことを告げた僕に、一華は目を逸らして、


「友達は、その、なんていうか……誘いづらいんだよ………ほら、受験だし」


 語尾にいくにつれて声はだんだん萎んでいったが、最後に付け足された言葉は、やけにはっきりと聞こえた。


「あー、なるほどなぁ」


 納得だ。

 寝起きの兄のみぞおちを踏み抜いたり、兄と水着を買いに行こうと駄々をこねたり、なかなかどうしてエキセントリックな幼さを発揮している一華だけれど、こいつは中学3年生。


 立派な受験生なのである。

 再来年どころか、来年の受験を意識して勉学に励まなければならないご身分。

 しかも、今は夏休み中である。

 受験生の夏といえば、『夏の頑張りで勝負が決まる』と口を酸っぱくして言われるほど、大事な時期だ。

 僕らがこうして兄妹トークを繰り広げている間にも、一華の同級生は早起きし、水着だとか海だとかには目もくれず、笑って春を迎えるために、こぞって受験勉強に勤しんでいるのだろう。


 それに比べてこの一華。

 全く切羽詰まった様子を感じさせず、この時期に、あろうことか海に遊びに行くために水着を買いに行くとまで宣った彼女は、果たして誰に似たのだろうか、校内ではなかなか上位に食い込む学力の持ち主である。


 まあ、受験における学力なんてのはあくまでも相対的なものであり、志望する高校のレベルによって良し悪しは変動するものだけれど、なにせ、一華の志望校は、僕と千歳が現在通っている高校なのだ。


 数日前、2人で夜の勉強会を開いた際に、成り行きで教えてもらった。

 何でも、『お兄ちゃんと同じ高校に行きたい』なんていう理由ではなく、千歳を追いかけて決めたのだと、やたらとはっきり言われたのを覚えている。


 まあ、それなら、彼女の学力は、この大事な時期に夏をエンジョイしようと思えるほどのレベルに既に達していると判断できるだろう。

 ソースは僕。

 約2年前、他でもない僕が受かったのだ。

 説得力が半端じゃない。


 それに加えて、先に述べた勉強会で、志望校の合否予想が出る類のテストの結果を、実際に見せてもらっているのだ。

 第1志望、僕らの高校の結果は『S』。

 試験日当日に暴動を起こさなければ合格できると面談で先生が言っていたと、冗談めかして話してくれた。


 だからまあ、夏休みも後半に差し掛かり、そろそろスパートをかけようかと思っているタイミングで、そんな余裕のある奴から『水着買って海行こうぜ!』なんて誘われたら、友達が軽く殺意を覚えても納得できようものである。


「万が一ダメだった時に、『一華ちゃんがあの時誘ってこなければ……』って言われるのも嫌だもんな」


「いや、私の友達にそんな子いないけど。どんだけ卑屈なの、お兄ちゃん」


 可哀想な子を見る目で見られた。


 いや、でも、友達のお兄ちゃんを陰でフツー呼ばわりするような子なら、十分あり得ると思うのだが。


 まあ、それを言うと藪蛇だし、ここは我慢しておこう。

 無意味な兄妹喧嘩ほど、見ていて寒いものもあるまい。


 友達誘えないなら1人で行けよと言いたくなるが、それで妹に何かあったとなっては夢見が悪い。


 こうして目もばっちり覚めてしまったことだし、勉強の気晴らしがてら付き合ってあげよう。


 たまには兄妹水入らず、ショッピングと洒落込むのも、まあまあ悪くはない。


 可愛い妹のために、一肌脱ごうではないか。


「一肌脱ごうと言いつつ、妹の前でおもむろに服を脱ぎ始めるのはやめて」


 やれやれ風な決意とともに、着替えるためにシャツとパンツを脱ぎ始めた僕を、一華が蔑んだ目で見てきた。


「はぁ……」

 

 朝から(昼から)余計な会話でカロリーを消費した影響か、知らず深いため息を漏らした僕はーーーーそこで、ふと気づく。


 これから水着を買いに行く。

 しかし、友達は誘わない。


 ーーーでは、水着を買うのは何のため?


「…………」


 気づかぬうちに、徐々に自らの外堀が埋められていっている感覚を、肌に感じた。


 ーーーそれは、つまり。


「……おい、一華」


「何? お兄ちゃん。まさか脱がせてくれとでも言うつもり? まったくもー、しょうがないんだから」


「いや言ってないし、仕方なくやってあげる雰囲気を出すな」


 さっきの蔑むような目はどうした。

 相変わらず、その場のノリ第一主義の困った奴である。


「そうじゃなくて」


「そうじゃなくて?」


 首を傾げる一華に、僕は額に冷や汗を浮かべながら言った。


「……僕、もしかして、海にもついていかなきゃダメ?」


 僕の疑問ともつかない疑問への答は、縦に振られた一華の首が証明していた。




*****




 ーーー数時間後。


 僕と一華と、そして千歳は、電車で1駅の距離にある大型ショッピングモールに来ていた。


 ーーーー千歳?


「……え? 何でお前がいんの?」


 右隣に立つ幼馴染に、僕が困惑の色を浮かべながら訊くと、応えてくれたのは本人ではなく、左隣に立つ妹だった。


「いやー、久しぶりに千歳ちゃんとお買い物できて、嬉しいなー」


 嘘、全く応えてくれなかった。

 僕の質問を華麗にスルーして、にこぱっと笑顔の花を咲かせている。

 それに対して右の千歳は、僕を通り越して、ちらっと一華の方を見ると、戸惑った表情で、


「……あなた誰?」


「おい、まだその件引っ張るのか。で、何でお前がいんの?」


 諦めずにリトライすると、今度は左の一華が、


「あ、そっか。えーっと、初めまして。私、お兄ちゃんの妹の一之瀬一華です。千歳ちゃんとは友達でした……といっても、千歳ちゃんは覚えてないと思うけど……」


「そっちもそっちで、定期的に記憶をなくす友達と接するみたいな態度をナチュラルにとるな。ちょっとはこいつの反応に狼狽えろよ。面食らえよ。で、何でお前がいんの?」


 左へ右へ、忙しなく視線を動かす僕。

 左右移動どころか、女子中学生と女子高生のくだらない寸劇に、目が回りそうだった。


 三度目の正直、というわけでもないのだろうが、千歳はようやく僕の顔を見ると、


「一華ちゃんに誘われたのよ」


 と言った。


 そこに、昨日のうちに誘っておいたんだ、と一華は付け足す。


 ………ほう。

 どうやら、兄妹水入らずなんて思っていたのは僕だけで、端から水ならぬ千歳を入れた3人で行く気満々だったらしい。


 まあ、僕としても、いい歳(高校生と中学生)した兄妹2人きりでお出かけというのも、しかも妹の水着を買いに行くというのも流石にコンプライアンスに抵触するかもしれないと懸念していたし、そこに仲の知れた幼馴染を交えるのは大いに結構なのだけれど、それ以上に気になることがあった。


 気になって、気がつくことがあった。


「………」


 答え合わせ。


 僕に先んじて、昨日の段階で千歳を誘っていたと、一華は言った。

 そして、僕が千歳に、今日の勉強会は休みにすると告げられたのも昨日である。


「……おい、千歳」


「何? 一樹。そんな、『今日の勉強会が休みになったのは、単純にここにショッピングに来るためだったんだな!』みたいな顔して」


「お前って読心術の使い手か何かなの?」


 一言一句違わず本心を言い当てられたことには驚きを隠せないけれど、裏を返せば、それは彼女にその自覚があるということの証左だ。


 何ということはない。


 今朝、一華に睡眠を邪魔された時、僕は言い訳として、勉強会をオフにするという千歳からの知らせを使ったけれど、そしてそれは、僕のテスト勉強の息抜きというか、ガス抜き的な側面から、つまりは僕を慮ったご褒美として受け取っていたけれど、そんなことはなかった。


 いや、もしかしたら、多少なりはそんな気持ちも何処かにはあったのかもしれない。


 我が家の場面でも述べたが、そして本人も一応言っていたが、根を詰め過ぎるというのもよろしくないのはまた事実。


 ただしそれが全てではないーーー善意100パーセントではない。


 昨日、僕が千歳に休みをもらう前に、既に一華によって手が回されていたのだ。

 始めから、今日の僕のぐうたらは、この2人によって妨害される運命にあったのである。


「………」


 いやまあ、僕も別に睡眠欲が半端じゃない人種というわけではないし、その点に関しては多少イラッとしただけだけれど、それ以上に何よりも腹立たしいのは、先の自分である。


 お粗末過ぎて裏工作とも言えないアメを信じて疑わず、あまつさえこの幼馴染を、『口は悪いけど、何だかんだ陰ではちゃんと僕のことを考えてくれている良い奴』と思ってしまった、数時間前の自分自身である。


 何なら格好つけて苦笑しながら、「何だかんだ言って、世話焼きなんだよな、あいつ」とか言っちゃってたからね、僕。


「うわぁ……」


 改めて自覚すると、恥ずかしさに身悶えしそうになる。


 だが、いつまでもそうしてはいられない。


「さて、そろそろ行きましょうか」


「はーい」


「あっ、ちょっと待って」


 震える僕を置き去りにして、並んで歩いていく千歳と一華を追いかける。


 それから、本題の海にも僕ら3人で行くことになるという事実に、遅れて気がつく愚かな僕なのだった。




*****




 まだ完全に傷が癒えたとは言えないけれど、そろそろ本来の目的である水着を買わないと、いい加減顰蹙を買いかねないので、ここらでようやく本腰を入れて、ショッピングを始めるとしよう。


 夏休み中のショッピングモールは、それなりに混雑していた。


 もう8月も半分を過ぎており、そろそろ夏も終わりに近づいているが、ショッピングモール内の店舗は、未だに其処彼処でサマーフェアだとかで賑わっている。


 言っても今日の同伴者は2人とも女子であるため、中を歩いていれば、ちょっとあそこ寄りたいだとか、ちょっとあそこ見てみたいだとか、水着売り場に着くまでに結構な数のクッションを踏むことを覚悟していたけれど、幸い、そんなことはなかった。


 いつも通りに取り留めのないやり取りを交わしながら、僕らはようやっと水着売り場に到着した。


 その店内は、何というか………ザ・夏って感じだった。

 いたるところに夏っぽい装飾が施され、女性用の水着が所狭しと並べられている。


 女性陣が並んで店内に這入っていく傍ら、僕は入り口手前で立ち止まってしまった。


「………」


 思春期男子あるあるを言いたい。


 目の前の水着コーナーだとか、あとは前に熱い議論を交わしたランジェリーショップもだけれど、そういう類の店に僕みたいな男の客が這入るのは、幾ら女子同伴といえどもやや気恥ずかしく、少々気後れしてしまう嫌いがある。


 かと言って、僕は性欲が枯れているようなラノベ主人公ではないので、実際に這入るのは躊躇うけれども、ついつい気になって、ちらちらと視線を送ってしまうのがタチの悪いところだ。


 何のタチが悪いのかはさて置くとして。


 とまあ、そんな思春期特有の可愛らしい理由から、僕はゲームセンターで時間を潰してようかと思ったのだけれど、残念ながらその申し出は、一華の実に愛らしい『てめぇ絶対逃さねえぞホールド』で阻止されたのだった。


 なるほどなるほど、この分だと、今回の僕の役割は、一華のATMで固定のようだ。


 大分損な役回りなのは否めないけれど、まあ、受験勉強を頑張っている(?)ご褒美だと思えば造作もない。

 財布の中の英世も、女の子の水着のために使われるなら、「ひでーよ(笑)」の一言で寛大に許してくれるだろう。


 いやはや全く、我が妹の兄離れは当分先のようである。


 キメられた腕の関節を押さえながら、あくまで合法的に、仕方なく、やれやれ風に、堂々と女性用水着コーナーへと足を踏み入れる僕。


 それから、ずらりと並べられている水着を、矯めつ眇めつ、具に検分し始める。


 時には目で。時には手で。


「……へぇー、こう見ると、水着っていろんな種類があるんだな……」


 思わずそう呟いてしまった。


 男子の海水浴用の水着は、海パン一択だと個人的には思うが、女子の水着は、男子とは比べるべくもないほど様々な形状のものが並んでいた。


 女性の水着=ビキニなんて浅はかな認識しかなかった僕みたいな凡人にとっては、これはなかなか新鮮な知見である。


 加えて、思わず目がチカチカするくらい色のラインナップも豊富だ。


 へぇー、ほぉー、と感心しながら水着を眺める僕に、女性店員さんから不審者を見るような目が突き刺さってくるが、気にしない。


 フハハハ、残念だったな、こちとら妹の財布という任務を与えられた、崇高なるお客様なんだよ!


 ………何だか無性に虚しくなってきたので、そしていい加減僕の気持ち悪い一人語りが続き過ぎなので、ここらで女子たちの輪に混ざることにしよう。


 女の子との交流は、ラブコメの基本である。


 拘留されないうちに、さっさと彼女らと合流せねば。


 売り場を徘徊していると、2人を見つけた。

 何やら、様々な水着を手に取っては自分に当て、首を捻っては戻す作業を繰り返している。


「おう」


 後ろから軽く声を掛けると、2人が同時に振り返った。


「あ、何してたの? お兄ちゃん」


「試着室ならあっちよ」


「着ねえよ。ちょっといろいろ見てただけだ」


 怪訝な顔を向けてくる2人にそう答え、僕はここに来る前、家を出た時からずっと疑問に思っていたことを訊くことにした。


「ていうか、今更なんだけど、お前ら水着持ってなかったのか?」


 すると一華はこくんと頷き、


「うん、学校の水着しか持ってなくて」


 と、若干ズレた回答をしてきた。


 でも、まあ、言わんとしていることはわからなくもない。


 学校の水着と言ったら、字義通りスクール水着のことだろうか。

 現在では、水泳の授業が廃止されている学校もあると風の噂で聞いたことがあるけれど、一華が通っている中学校、もとい僕と千歳の母校には、未だ健在である。

 ちなみに、僕と千歳が通っている高校、もとい一華の志望校にも、水泳の授業はある。

 わざわざ改まるほどの情報ではないけれど、水泳の授業では、学校指定の露出が少ないかつ紺一色のスクール水着の着用が義務付けられている学校が大半であろう。


 なるほど確かに、そんな地味めなスク水で海水浴というのも如何わしい………失礼、如何なものかと思う。


 てことは千歳も似たような感じだろうか。

 本人に視線を向けると、千歳もこくりと頷き、


「ええ。私も、学校で使ってるニップレスしか持ってなくて」


「ニップレスで受けなきゃいけない水泳の授業なんか、古今東西何処を探してもねえよ」


 兄妹2人で水着を買うのにコンプライアンスがどうとか言ったけれど、こいつを連れてきた方がコンプラ違反だったかもしれない。


 千歳はさらにふっと微笑むと、


「生憎、昔あなたに着てくれと渡されたスクール水着しか持ってないわ」


「お兄ちゃん……?」


「変な枕をつけるな。うちの妹がしてはいけない目をしている」


 とはいえ、要は2人ともスク水しか持ってないってことか。


 スク水なら学校から指定されているし、そんなに悩まずに買うことができるんだろうけれど、プライベートの水着の場合はそうはいかないらしい。


 再び陳列された水着に視線を移した2人は、お互いに何やらアドバイスらしきものを送りつつ、様々な色や形、デザインの水着を手に取っていく。


 やがて、絞りに絞って数着の水着を手に持った2人は、揃って、先程僕に勧めた試着室の方へと歩いていった。


 そして、2人して同じ試着室に這入っていく。


 ーーーー同じ試着室?


「……え、何でお前ら、同じ試着室這入ってんの?」


 今まさにカーテンを閉めようとしていた千歳に慌てて問うと、


「何よ。今から『また胸大きくなったんじゃないこの子ミュニケーション』するんだから、邪魔しないで」


 と、不機嫌そうな顔で言ってきた。


「おい一華。今夜、今後のこいつとの関わり方について家族会議だ」


 僕の突っ込みも邪魔だとばかりに、シャッと勢いよくカーテンが閉められる。


「………あいつも、大分毒されたな」


 勧めた本人としては何とも微妙な気持ちだけれど、しかしこうなってしまっては、男の僕にできることなんて何もない。


 あわよくば、お約束よろしく、一華の悲鳴で僕が突入、なんて展開がありませんようにと祈りながら。


 程なくして、カーテンの向こう側から聞こえてくる、身内の女子2人の戯れ合いの声を背中に受けつつ、


「………ゲーセン行こう」


 と、水着売り場を逃げるように後にした僕なのだった。




*****




 ーーーゲーセンでUFOキャッチャーと格闘した後、涙を呑んで、涙ながらに水着売り場へと帰還した僕を、仏頂面をした千歳と一華が出迎えた。


「お兄ちゃん、何処行ってたの?」


 一華が腕を組みながら、頬を膨らませて訊いてくる。


「ゲーセン」


「ちょっと、私さっき行くなって言って」


「いや、お前のためにぬいぐるみでも取ってやろうと思って」


「………もう、しょうがないなぁ」


「お前チョロ過ぎるだろ」


「で、ぬいぐるみは?」


「英世1枚じゃ手に入らなかった」


「……ふっ」


 結果を報告すると、隣で聞いていた千歳に鼻で笑われた。

 僕が「ひでーよ(泣)」と言いたい気分だった。


 と、そこまで言い合った後で、2人の手に1つずつ、お洒落な袋が収められていることに気づく。


 試着、もとい『また胸大きくなったんじゃないこの子ミュニケーション』を終え、無事お好みの水着を購入したようだ。


 ………って、あれ?


「一華、それ、自分で買ったのか?」


「え? うん、そうだけど」


 驚きに素っ頓狂な声を上げる僕に、一華は戸惑いながらもそう答えた。


 え、今日の僕は、お前の財布要員じゃなかったのか?

 てっきりそうだと思って、1000円だけつぎ込んで、合計12回でUFOキャッチャー諦めてきたんだが。  

 ……いや、思い返してみれば、こいつ、別に「買って」なんて一言も言っていなかったな。

 何だよ、これじゃあ、今日僕が何でここに来たのか本当にわからないじゃないか。


「どうしたの? お兄ちゃん」


「……いや、何でもない」


 怪訝な表情を浮かべる一華にそう告げると、「さ、帰るか」と、1人出口に向けて歩き出す。


 まあまあ、残り少ない英世を守れただけでも、ここは素直に喜んでおくべきだろう。


「ちょっと待ちなさい」


「ちょっと待ってよー」


 これもあのコミュニケーションの賜物だろうか、数歩遅れて、女子2人が声を揃えてついてくる。


「……あ、そういえば、どんな水着を買ったんだ?」


 果たして、長時間悩んだ末に選ばれた珠玉の水着は、一体どんな水着なのだろうか。


 それなりに気になったので、並んだ2人にそう問うも、彼女たちは一言


「「お楽しみ」」


 と、1人は悪戯っぽく、1人は朗らかに、微笑みながら言うだけで、水に流されてしまう。


 真相は藪の中………いや、試着室の中か?

 あるいは、海の中かもしれない。


 まあ、いいさ。

 真夏の海は、すぐそこだ。


 インドア派の高校生である僕としては、正直気乗りも波乗りもしないけれどーーーーこの2人の水着姿を描写できるとなれば、語り部として、多少なりとも無い胸が踊るってものだ。



 さてさて、これにて無事ショッピングも終わったことだし、では、自己評価を活かして、ここは1つ『〜たのだった』以外の小粋なジョークで締めさせてもらうとしよう。


 約12000字に及ぶ冗長極まりない前座も、ここらが潮時のようである。


 海だけにってね。

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