第10話 夏祭り (中編)
ーーーーその日の夜。
『……え? 夜なら別に勉強とか関係ないじゃん! 前回の件は何だったんだよ!』なんて無粋で野暮だがごもっともな突っ込みが今にも聞こえてきそうな、そんな頃。
僕と
祭りは既に始まっているようで、中央にそびえ立つ大きな櫓や、上下左右あちこちに点在する提灯には祭りならではの穏やかな灯りがともり、其処彼処に立ち並ぶ屋台から、食欲をそそる良い香り、そして町人の活気に満ち溢れた声がこちらまで届いていた。
「ーーーさて。早速だけど、記念にプリクラでも撮りましょうか」
「いや、何でカップルがゲームセンターに来た時のノリなんだよ」
脈絡も文脈も関係なくわけのわからないことを言い出した千歳にそう突っ込んだ。
そもそもこんなところにプリクラ機なんかねぇよ。
あるとしても証明写真機ぐらいだよ。いやそれもこんな広場にあるはずもないけど。
ところで、ゲームセンターのプリクラコーナーって何で女性のみの客かカップルしか入れない仕様になっているんだろうな。別に僕にはプリクラを撮りたいなんて欲は微塵もないし、何ならあのゴッテゴテの写真を撮るためだけに400円を差し出さなければならないなんてのは、高校生の懐事情からしてみれば驚愕に値する事実なのだけれど、それでもあの真っピンクに染まった空間の中にはどんな世界が広がっているんだろうと、思春期真っ只中の男の子なりに色々と想像してしまうものがある。
そんな僕の悶々とした悩みもお構いなしに、千歳は軽く頬を膨らませると、ジト目で口を尖らせた。
「何よ、せっかく『浴衣なう』って落書きをしようと思っていたのに」
「浴衣なのはお前だけだけどな」
ーーーーそう。
今夜の千歳は、ご本人が仰る通りの浴衣姿である。
濃紺色に包まれた浴衣には、ところどころに小さく、だがしっかりと存在感を醸し出す花々が華やかに咲き、白金の帯との絶妙なコントラストにより、
普段は下ろしている長い黒髪も、今は大胆にもアップに纏め上げており、その艶やかなうなじが惜しげもなく披露されていた。
ーーーーふむ。
こうして、あくまでも客観的に観察してみるとーーーーほんと、こいつって美人なんだよなぁ。普段の言動が言動なので僕みたいな間柄の人間にとっては眉根を寄せたくなるような、決して認めたくないような事実なのだが、本性を知らない人たちからしてみればーーーまぁクラスの奴らなんかは周知ではあるがーーー文字通り、高嶺の花のような。
決してそこらの凡俗には手を差し出すことも、手を伸ばすことでさえおこがましい程の、圧倒的な美の顕現。
……まぁ、現在進行形で本人の隣に並んでいる僕が、その凡愚の中に含まれるべき人間であることは疑いようもないけれど。
だが、手を出すことはできなくとも、見るだけならば個の自由だ。
普段から学校内を、例えば廊下なんかを歩く度に男女問わず熱烈な、ともすれば鬱陶しく思う程の視線を浴びている千歳であるが、今夜は制服からは打って変わり、目も眩むような浴衣姿である。
見ているだけで、その者を惑わせる色香があるのだろうかーーーー現に、祭り会場にいる何人かの男どもが、色めきだった顔でこっちをちらちら見ている。
「……」
………まぁ、何だ。
そういう不躾な視線に対して、一応は隣を歩く者として、多少は思うことがないでもない。
分不相応だということは自他共に認めざるを得ないが、これでも十数年間共に生きている身だ。
普段から七面倒くさい言い合いを繰り広げていて、互いにいけ好かないところもあるけれど。
だがまぁ、そういった男たちの甘くて淡い幻想もーーーーー
「
「如何わしいからフランクフルトをオスと表現するな。あと、『匂い』な」
ーーーーこの淑女らしさの欠片もない破天荒な言動を見聞きすれば、一瞬にして粉々に砕け散るのだろうが。
それにしても、こいつがこの場この状況でオスって言っただけでそれがフランクフルトを指しているってわかってしまう自分も、我ながら何だか嫌だなぁ。
幼馴染特有の謎の以心伝心。要らなさ過ぎる。
「……ほんと、お前って勿体無いよな」
「ん? 何か言った?」
ウキウキ顔でフランクフルトを売っている屋台に一直線に向かう千歳の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、僕はため息混じりにそうこぼした。
*****
それから僕らは、お目当ての『スペシャル』な時間になるまで、数ある屋台を2人で回ることにした。
それなりに規模の大きい祭りである上に、地域住民がこぞって参加しているため、場内は結構混雑している。
人混みが苦手な僕らではあるが、つい先日似たような時間を大学で過ごしていたこともあり、どうやら混雑に対してそこそこ耐性がついているようだ。
大勢の人の波に酔うこともなく、手を繋ぐまでは流石にいかないまでも、気持ち普段歩くよりも距離を縮めて、煌びやかな屋台を眺め歩いていた。
「ちょっと一樹、近いんだけど。私からは少なくとも1万3,000キロメートルは離れるようにっていつも言ってるじゃない」
「その数値だと、僕はいつも地球にいないことになるんだが」
たとえ僕が地球の裏側、ブラジルにいたとしても、だ。
地球の半径は約6400キロメートル。
最近やった地学の勉強で身につけた知識である。
相変わらず酷いことを平気で言うなぁと、あんまりな恒例行事にいっそのこと感慨深さを感じていた僕だったのだが、そこで、思いがけず気づくことがあった。
あ……なるほど。
さっきの突っ込みは、呼吸をするように自然と出たものだったのだが、一昔前の僕なら、地学の知識が著しく欠如していた僕なら、あんな突っ込みはできなかったに違いない。
自分で評するのは恥ずかしくて赤面する限りなのだけれど、先の軽妙な会話は、勉強の甲斐あって得た知識で初めて成立したやり取りである。
ーーーー勉強なんていつでもできるじゃない。
家を出る前、昼にそうめんを食べていた時に千歳が言っていた通り、彼女はこういう些細なことでも、僕の勉強のための時間と捉えてくれているのか。
ーーー頭の良い奴は何処でも勉強場所にしてしまえる。
千歳は、こうして2人で賑やかな祭りに参加している間も、それを無駄な時間にはさせまいと僕の知識の確認をーーーーー
「あれ? 何であなたがこの星にいるの? 火星にいるんじゃなかったの?」
そんなわけがなかった。
ただ純粋に僕をいたぶって楽しんでいるだけだった。
こいつにそんな慈悲深さというか、気遣いがあるはずもなかった。
余計なことかもしれないけれど、察するに、火星発言は某作品の忌まわしき存在で僕を揶揄しているに違いない。
「ちょっとでもお前に期待した僕が馬鹿だったよ」
筋違いだということは重々承知しつつも、それでも堪えきれず恨みがましい視線を投げかける僕に千歳は得意顔で、
「私相手に簡単にフラグが立つと思ったら大間違いよ」
と言ってきた。
「いや、別にそういう意味の期待じゃあなかったんだが……」
大間違いをしているのはお前だ。
お前相手にフラグを立たせる気も予定もねぇよ。
すると一転、千歳は愕然とした顔になり、
「そんな……間が悪いと言われている私だけれど、間を違えるなんてことは……」
「お前、そんなこと言われてるのか……」
こいつに友達はいないから、ご両親にでも言われたのだろうか。
いやでも、どっちかと言えばこいつは間が悪いんじゃなくて、ただ単にマイペースに間を無視して突進してきているだけだと思うのだが……。
ていうか、よくプロフィール紹介で自身の性格の欄に、とりあえず無難なところで『マイペース』って書く奴がいやがるけれど、あれっておっとりしていてどこか抜けているところがあるって意味じゃなくて、ただ単に自己中で我が強い、関わると面倒くさい奴って自ら暴露しているのと何ら大差ないって個人的には思う。
……のは、流石に斜めに見過ぎだろうか。
それも捉え方によって変わってくるんだろうけど……まぁ間違いなく、目の前のこいつは後者に当てはまるだろうな。
ほんと、幼馴染だから、腐れ縁だからって理由を差し引いても、こいつの顔が可愛くなかったら殴ーーーーー凄い目に遭わせている自信がある。っていうか自身がいる。
「可愛いだけにそんなことをしたら可愛そうってね」
「いきなり地の文外から失礼するな。しょうもないし、そもそも漢字違うし」
可哀想、である。
話を戻すが、それは逆説的に言えば、僕にそうさせるのを躊躇させてしまうだけの美貌をこいつが有しているということに他ならないのだがーーーーーこれは本人には絶対に言うまい。
世の中には言っていいことと悪いことがあるのだ。
それにしてもこいつ、ここに来る前、今回の私はデレデレのデレインなんて言ってなかったっけ。
全然全くその片鱗すら見せないのだが。
まぁ、この様子だと、家で言っていた今回の設定というのも、その場で思いついたただの冗談だったということだろう。
……べ、別に何かを期待していたわけではないから構わないけれど。
……いや、でも普段と比べると、若干表情が豊かになっている気がする。こいつも祭りの空気にあてられているのだろうか。
そう思うと、ついつい隣に並ぶ彼女の横顔をまじまじと見つめてしまった。
あまりにガン見し過ぎたので、その視線に気づいた千歳はプフッとわざとらしく微笑みながら、
「あらあら? 一樹君ってば、そんなに私のうなじに興味シャンシャンなのかしら?」
「違うわって……ん?」
興味シャンシャン?
「間違えたわ。えっと……リンリン……カンカンじゃなくて……ランラン……フェイフェイ?」
「いや、フェイフェイはありえないだろ」
何でそこまで来てシンシンが出てこないんだよ。
興味津々。いや、だから津々じゃないんだけど。
「……ん?」
そんなくだらない会話をしていると、何処からかソースっぽい良い香りが漂ってきた。鼻腔をくすぐる匂いにつられて歩みを進めると、それは祭りではお馴染み、焼きそばの屋台からのものであった。
「ーーーー」
と、そこで僕ら2人、どちらからともなく盛大に腹が鳴った。腕時計を確認すれば、そろそろ19時を回るところだ。夕食を食べるには丁度いい頃合いだろう。
「千歳、焼きそば食うか?」
聞くと、千歳は僕の方は見ず、目の前の屋台を見据えながら厳かに言った。
「……焼きそばって、別に焼きうどんのうどんみたいにあの蕎麦色の麺を焼いているってわけでもないのに、何故焼きそばって呼ばれているのかしら」
「すいません、焼きそば2つで」
神妙な面持ちで何か言っている千歳は無視することにした。
そんなん知るか。インターネット先生にでも訊け。
額にタオルを巻き、汗だくになりながら巨大な鉄板の上で焼きそばを踊らせる褐色のおっちゃんに注文すると、「毎度あり!」とこれまた威勢のいい返事が返ってきた。
どうでもいいことだが、なんで注文する時って頭に『すいません』とか、そういう謝罪文句をつけちゃうんだろうな。あと、『あっ』とかも思わず言っちゃう。何でなんだろうな、あれ。
まぁ『すいません』の方は、『Excuse』と『Sorry』の意味合いの違いということで簡単に片がつく話ではあるのだろうが。
どちらにしても今は本当にどうでもいい疑問なので、掘り下げずにここは一旦放置しておくことにしよう。寝れば忘れるような些細な問題である。
そんなことよりも今は、目の前のこの素晴らしき麺料理に舌鼓を打つ方が先決だ。
焼きそばをゲットした後は、いくつか出店を回ってたこ焼きやら何やら、お祭りならではの名物料理を千歳のリクエストに応えながら買っていき、広場内に設置されているベンチに2人並んで腰掛けた。
「流石に買い過ぎたか……?」
理由は歴然としているのだが、僕自身のちっぽけな矜持のためにあまり大っぴらにはしたくはないけれど、歩いていると屋台のおっちゃんやにいちゃんたちに主に千歳が声を掛けられまくっていたため、ついつい勧められるがままに色々と買ってしまったのだが、果たして食べきれるのだろうか。
フードパックで一杯になったビニール袋を2つ両手に持っていた僕は、それをベンチの上に置いた後でそうこぼした。
ちなみに千歳は何かよくわからん小さい巾着みたいなものを持っていたため、そのお手が煩うことはなかった。
浴衣を着た女子が手に持っているあの巾着って中に一体何が入っているんだろう。どう考えても携帯電話と財布を入れたらそれで一杯になりそうなくらいの大きさしかないのだが。
ひょっとして、予想した通り本当にその2つしか入っていないのだろうか。
気になるが、女子の持ち物を詮索するのもあまり良くない行為な気がしたので、その疑問は頭の中だけに留めておくことにした。
一息吐いた反動からか、また大きな鳴き声を上げる腹に耐え切れなくなり、僕らは2人して一斉に焼きそばに手をつけた。いや、口をつけた。
もし余ったら、家で待っている両親への土産にでもするか。
そうして心配を落ち着け、上手い具合に割れた割り箸を使って麺を啜ると、
「ーーー旨っ!」
と、稚拙極まりないがこれ以上ないくらいの旨味への賛美の言葉が口をついて出ていた。
隣を見れば、千歳も僕のように幼稚な真似こそしていなかったが、口腔内に広がる濃厚なソースの旨味に口元を綻ばせていた。
中学生になってからは、気恥ずかしさもあってお祭りに参加してこなかった僕だけれど、それこそ小学生の頃なんかはよく千歳の家と家族ぐるみで仲良く来ていたものだ。
その時から思っていたことなのだが、屋台の鉄板で作る焼きそばは、普段母親が作ったり、コンビニで買ったりする焼きそばとは一線を画する美味しさがある。
いや、別に母親の手料理やコンビニ弁当を低く評価しているわけではもちろんないのだが、何て言うのだろう、屋台の焼きそばには何処か懐かしさのようなものを感じるのだ。
もちろん屋台のおっちゃんは全くの赤の他人なのだけれど、そう思えてしまうのが昔から不思議だったという話である。
焼きそばを夢中になって平らげた後はたこ焼きやら焼き鳥やらを2人でシェアして片付け、気がついた時には全てのフードパックが空になっていた。
ここに着いて早々にフランクフルトを食べていた千歳は例外として、僕の方は昼にそうめんを食べて以来何も口にしていなかったため、自覚していた以上に腹が空いていたようだ。
「それにしても、随分久し振りに来たけれど、この祭りも昔と全然変わってないわね」
ふと、千歳が感慨に耽った様子でほうっと嘆息した。その横顔には今まで忘れていたノスタルジーが湛えられていて、その物憂げな感情がひしひしと伝わってくる。
「あぁ、そうだな」
だから僕も、茶化すことなく素直に答えた。
久々に屋台という特別な場所で作ってもらった料理を口にしたことももちろんあるだろうが、千歳が思うのはそれだけではなく、祭り全体の雰囲気でもあるのだろう。
前にも言った通り独自の文化はないけれど、地域行事の廃れというのは道徳の授業なんかではしばしば取り上げられる題材ではある。
そんな現状の中で、こうして衰退することなく、相も変わらずーーーー愛も変わらず活気のある住民たちで盛り上がっているこの状況は、中々筆舌に尽くしがたいものがある。
何処かから聴こえてくる勇ましい和楽器の音色、威勢のいい男どもの掛け声、女のたおやかな浴衣姿、お目当ての屋台目掛けて広場を走り回る子供たちーーーー。
リア充が幅を利かせるイベントと一笑に付していた僕らだったが、付されるべきはむしろ自分たちの方だったのかもしれない。
それきり黙って目の前を行き交う人々に視線を向ける僕と千歳だったが、その雑踏の中に見たことのある顔がちらほらいることに気がついた。
「やっぱ地元の祭りなだけあって、同じ高校の奴らもいるんだな」
無論、顔を見たことがあるというだけで、話しかけるような、ましてや話しかけられるような仲ではない。何なら名前すら知らない。せいぜい知っているのは性ぐらいだ。
「同級生の性事情だけを把握している変態がここにいるのだけれど」
「言っておくが、性別の性だからな」
そんな台無しなやり取りを終えたところで、満たされていたお腹もいい具合になっていた。
「ーーーよし。そろそろ行くか」
「交番ならここを出て左よ」
「いや、自首しに行くんじゃねぇよ」
「じゃあ、三途の川?」
「急に僕を殺めるな」
いつもの軽口というか、辛口を交換した後で、僕たちは続いて皆大好きーーーーー遊びの屋台へと足を運ぶことにしたのだった。
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