第7話 誕生日

 ーーーそれは、ある火曜日の昼下がり。1日の内で太陽が最も高く上っている時間帯のことだった。


「ーーー千歳ちとせ。お前、今日僕に言うことはないか?」


 家の中の全て、計4台のエアコンの修理がついに完了し、涼しさという概念を取り戻した千歳の家で、毎度のごとく、いつものように勉強会を開いているこの状況で、僕は出し抜けにそう口にした。


 すると、千歳はきょとんと首を45度傾けながら、


「……馬鹿?」


「それはいつも言ってることだろうが」


 反射的に突っ込んだが、客観的に考えてみれば、いつも馬鹿って言われてるってどうなの? 酷くない?


「酷いのはあなたの頭でしょ」


「いや、今はそういうのはいいから」


 何か上手いこと(?)言い出した千歳はさておき、僕は話を続ける。


「そういうことじゃなくってさ、何というかこう、今日だからこそ言うべき、むしろ今日以外は言わなくてもいい、みたいな」


 小っ恥ずかしく、あまり自分から答えは言いたくないので、ついこのようなぼかした、まどろっこしい表現になってしまったが、千歳はさらに首を曲げて、


「……寝癖が酷いってこと?」


「違うわ。でも教えてくれてありがとう」


 いやさぁ、登校日ならまだしも、夏休みとか、そうでなくても土日の休日とかになると、朝に鏡を見ることって無くなるよな。起きるのも大分遅くなるし。

 アウトドアな人間なら、それでも身嗜みチェックは怠らないのだろうが、生憎僕はバッキバキのインドア派なのである。

 インドアなのにバッキバキという言い回しも、矛盾しているようでおかしいけれど。


「本当、すごいことになっているわよ。それでインスタ映え狙えるんじゃないかしら」


「たかが寝癖1つでインスタは映えねぇよ」


 それから、千歳が渡してきた手鏡で自分の頭の状態ーーーいや、髪の毛の状態を確認する僕。と、そこで、


「……て、いつのまにか寝癖トークに脱線しているぞ。違う違う、そうじゃないって。……ちなみに千歳、今日が何月何日なのかはわかってるか?」


 その質問に、千歳は鼻で笑うことで返事とした。


「ハッ、馬鹿にしないでもらえるかしら。私が今日の日付も覚えていないだなんて、そんなことあるわけないじゃない」


「大した自信だな。なら、今すぐ真っ直ぐ前だけを見て、テーブルの下で弄ろうとしているスマホを、電源を入れずに僕に渡せ」


「……チッ」


 右手を差し出して命令すると、千歳は露骨に舌打ちしてから渋々といった感じで両手を膝の上に置いて俯いた。

 うんうん、まぁその感覚はわからなくもない。

 これも長期休暇あるあるだが、何も予定を立てずに何日も家の中で過ごしていると、ついつい今日が何日なのか忘れちゃうんだよな。

 夏休みの課題を、休みが終わる直前になって急いで片付けなきゃいけなくなるのは、こういった意識の問題も絡んでいるように思う。

 日付を忘れているから、休暇の終わりも同時に頭の中から飛んでしまうわけで。


 親に言われてからカレンダーを確認して、『え!? もう明日から学校なの!?』という経験をした、もとい現在進行形でしている学生も多いことだろう。

 ……え? こういう人たち、結構いるよね? 僕だけじゃないよね?


 夏の学生あるあると称して、ただの自分個人の恥ずかしい体験を語っているだけかもしれないという不安がよぎる。


「っと、危ねぇ危ねぇ。またもや脱線するところだったぜ」


 いや、どんだけ脱線すんだよ。戦国時代かよ。それ合戦か。

 と、1人漫才をしている場合ではない。

 ことは急を要するのだ。


「8月14日……この日付を聞けば、もうわかるな?」


 ものの見事に日付を忘却していた千歳に代わり、僕が教えてやった。意味ありげな雰囲気を漂わせて。


 すると、千歳は得心がいったようで、「あぁ」と1つ頷いてみせた。

 そして、今僕がテーブルの上に広げている、日本史の問題集のある部分、具体的にはゴシック体で強調されたある語句を指差して、


「そうだった。今日は、日本で『ポツダム宣言』が受諾された日ね」 


「そうだけど違う!」


 何で僕がこのタイミングでお前にポツダム宣言受諾の日付を説くんだよ!

 え、何これ、今回そういう真面目な話なの?

 いくら無い無い尽くしを自称している僕でも、いつもの感じでコミカルに、それでもって戦争の話をするとか、そんな無謹慎で無分別で無思慮な真似はできないぞ。

 ……無謹慎って何だ。正しくは不謹慎だ。

 無謹慎って、ただの優等生じゃねぇか。


「そうじゃなくて!……いや、それも大事なことなんだけど、僕が言いたいのは、ほら、さ……」


 できないので、無理やり違う方向に、できる方向にもっていくことにした。やっぱできないことはするもんじゃあないな。

 『適材適所』って素晴らしい言葉だと思う今日この頃である。


「何て言うか……アニバーサリー、みたいな……」


「……もしかして、私たちの結婚記念予定日」


「もういいよ誕生日だよ!」


 いよいよ我慢の限界に達した僕は、とんでもなく恥ずかしいことを真顔で言い出そうとした千歳を遮り、先の恥も忘れて声高に答えを叫んだ。

 何だよ、結婚記念予定日って! そんな単語聞いたことねぇよ!


 僕の悲痛な叫びを聞き、千歳は顎に手を当てると、


「誕生日……あっ、わかった。そういうことね」


 と、納得したように頷いた。


「やっとわかってくれたか」


「えぇ、すっかり忘れていたわ。そういえば今日は、同じクラスの交換留学生、アーチ・オブフット君の誕生日だったわね」


「アーチ・オブフット君って誰だよ!」


 アーチ・オブフット。

 日本語に訳したら『土踏まず』じゃねぇか。

 土踏まず君って。

 ……いやまぁ、そもそも外国人の名前を何故日本語訳したのかという話ではあるけれども。


「ていうか、そもそもそんなわけわからん外国人、僕らのクラスにいねぇよ! お前、わざとすっとぼけてるだろ!」


「あら、では一体全体誰の誕生日なのかしら。皆目見当もつかないわね」


「見当がつかないんじゃなくて、お前は検討していないだけだ」


「早く答えを教えてくれる? 誰の誕生日なの? ねぇ? ねぇ?」


「こいつ……」


 傍目にはわかりづらいが、長い付き合いの僕にはわかる満面の笑みでこれ見よがしに耳をこっちに向けてくる千歳に、僕は渋い顔をする。


 そして、


「……僕のだよ」


 何処から出たのか自分でもわからないくらいのか細い声で、そう呟いた。


「え、何々? 聞こえなかった。もう1回言ってくれる?」


「うぜぇ……」


 こいつ、絶対に確信犯だ。

 もうどうにでもなれと、ヤケクソの思いで僕は今度ははっきりと聞こえるように言った。


「今日は僕の誕生日なんだよ!」


「あらそう」


 唾を飛ばす勢いで(もちろん比喩だ。本当に飛ばすわけはない)告白した僕に対し、千歳の反応はあっさりしたものだった。

 なーにが『あらそう』だ。知っててとぼけてたくせに。こっちはもう少しで争う勢いだったっての。


「そういえば、8月14日だったわね。あなたが生まれてしまった日」


「そうだよ! それなんだよ!」


 内心の興奮がそのまま口に乗っかり、ついリズミカルな口調になってしまった。具体的には、アニメ『◯月は◯の◯』のオープニング曲のサビの部分みたいな。……具体的過ぎましたごめんなさい。


 と、ここで、遅れて千歳の言の違和感に気づく。


「おい、ちょっと待て。しまったとか言うな。それじゃあまるで僕が生まれてきたのが間違いだったみたいじゃないか」


 言い回しをちょっと弄るだけで、こうも印象が変わるものなのか。日本語って不思議。


「あなたは、テスト前に既に間違いを犯していたのね」


「あのさ、僕そろそろキレていい?」


 何だか、この前のゲーム云々での一悶着があって以来、千歳の壮絶な舌鋒、略して壮舌鋒の威力が従来より数倍増しているような気がする。

 どうか気のせいであって欲しいところだが。

 このままではもちそうにない。主に僕の精神が。


 生まれてきたのが間違いだなんて、僕を産んでくれた母親への冒涜だ。是が非にも今すぐ謝罪して欲しいところなのだが、何故か僕の母ちゃん、もとい親父も、千歳に甘々なんだよな。

 逆に、千歳の両親は僕に対して結構甘やかしてくれるところがある。何この歪な親子関係。


「さてさて千歳ちゃん。今日がどういう日なのかわかったところで、改めて最初の質問に戻るけれど、何か僕に言うことはないかい?」


 大分遠回りしてしまったが、それでも何とか結論に辿り着かせることができた僕は、期待の目で千歳を見つめた。


「……はぁ」


 そんな僕を見て、千歳は露骨にため息を吐いた。


「あなたのご両親も、自分の誕生日をここまで自慢する息子に育てた覚えはないでしょうね」


「うちは子育てについては昔から大分諦めてる」


 流石に高校生ともなると、子育てというより教育と言った方が正しいだろうが。


「一般的には、生まれてきた赤ちゃんが最初に覚える言葉は『パパ』とか『ママ』とかなんだろうけど、僕の場合は何だったと思う?」


「おっぱい」


「僕を生粋の変態に仕立て上げようとするな」


 生粋、あるいは生来と言ってもいい。いや良くないけれど。


「流石にそんなど下ネタじゃない」


「おっぱいはどちらかと言うと上ネタだと思うけれど。上品なネタという面から見てもいいし、人間の上半身……女性の上半身にあるんだし」


「何故言い直した。そういう屈理屁はいいんだよ」


 あとこいつ、さらっとおっぱいを上品とか言わなかったか? どうか聞き間違いであってくれ。


「上半身なのに屁理屈というのも面白いわね。ところでかず、『屁理屈』って、『屁』と『屈』を入れ替えて、『屈理屁』にしていても誰も気づかないと思わない?」


「面白くないし、後半に関しては心底どうでもいいよ。それと、勝手に僕のセリフを弄るのもやめて。いいからさっさと僕のクイズに答えろ」


 柄にもなくアホなことを言い出した千歳に対し、若干苛立ちながらそう言った。


「うーんそうねぇ……多目的ホール」


「いやそ」


「マンホール」


「ちが」


「マチュピチュ」


「だからそ」


「エラシコ」


「いやだか」


「まっこり」


「ちょっとま」


「新妻」


「ちょっと待って!」


 怒涛の解答ラッシュを仕掛けてきた千歳を遮った。

 すると千歳は明らかに不機嫌な顔になり、


「……何?」


 とこちらを鋭く睨みつけながら眉を吊り上げた。

 おい、それ間違っても花の女子高生がするような表情じゃないぞ。


「いや、何? じゃねぇよ! お前それ、一瞬エロそうに聞こえる普通の単語を言ってるだけだろ!」


「え? 今ってそういう話をしているんじゃなかった?」


「全くもってしてなかったわ!」


 しかも、何か最後の方凄いのが聞こえたぞ!

 新妻って! レベルが高くてちょっとドキッとしちゃったわ!


 荒い息を吐く僕とは対照的に、千歳は静かに深く嘆息した。


「はぁ……全く、興が削がれるわ。折角、『しこふみ』だったり、『マンドリル』だったり、『一樹』だったりも用意していたのに。あなたの邪魔のせいで台無しじゃない」


「邪魔できて良かったと心から思うよ。ていうか、僕の名前は一瞬足りともエロ用語になったりはしない」


「ちなみに私レベルともなると、『エチケット』も完全なるエロ用語として認識しているわ」


「聞いてねぇよ……って言いたいところだけど、それは僕も思った」


 というか、そもそもそっち方面のエチケットとやらも存在するのでは……いやいや、何を思案しているんだ僕は。


 雑念と煩悩にまみれた頭を振り、気を取り直す意図を込めてこほんとわざとらしく咳払いし、僕は話を戻した。


「えーっと、何だったっけな……あ、そうだ。僕が初めて覚えた言葉だよ。……まぁ、何年か前に母ちゃんに言われただけの情報だから、本当のことなのかは知らないけれど」


「全然わからないわ。早く答えを教えてちょうだい」


「お前、曲がりなりにも僕に勉強を教えている立場なのに、そうやってすぐに答えを知ろうとする姿勢を見せていいものなのか?」


 まぁこれ以上解答のチャンスを与えてもどうせロクな答えが返ってこないだろうし、ここらで締め切るとしよう。


「……はぁ」


「ちょっと、ため息なんて吐いてないで、早く教えてよ」


「いや、だから今のが答えだよ」


 顔を近づけて急かしてくる千歳に、僕はそう告げた。


「は?」


 何を言っているのか、何を言われているのかわからないという風に、千歳は口を開けて呆けている。

 そんな様子を新鮮に感じながら、僕はさらに続けた。


「いやだから、『はぁ』っていうため息が、僕が最初に覚えた言葉なんだと」


 それが言葉と言えるのかどうかはさておき、母親曰く、僕が最初にまともに喋ったのは、というより表現したのはそれらしい。


「えっとそれって……あれ? そもそも、何でこんな話になったんだっけ?」


 眉間に皺を寄せ、数分前のやり取りを思い出そうとしている千歳。

 ……こいつ、返しに夢中になって、やっぱり元を覚えていなかったか。


「えっと確か……あなたのご両親が教育を諦めたって……あ」


 そこは流石は秀才といったところか。

 持ち前の記憶力でしっかりと思い出し、そして得心がいったとばかりに千歳は手を打った。


「ーーーつまり、あなたがアホすぎて、ご両親が教育過程で何度もため息をついていたから、それを最初に覚えてしまったというわけね」


「お前の理解力すげぇな。まぁ、そういうこと。それから、あの人たちは僕の教育を諦めたんだとよ」


 厳密に言えば諦めたわけではないだろうが、まぁそれでも自分たちの息子に対して過度な期待はしないようになったとは言える。

 酷い話だ。今となっては笑い話にもなるし、別にいいけれど。


 と、ふとここで重要な見落としに気づいた。


「……あれ? 何だか、また話がすり替わっている気がするんだけど」


「言っておくけれど、今回に限っては私に非は全くないわよ。あなたが勝手に恥ずかしい過去を赤裸々に語り出しただけだから」


 どうやら、まーたいつのまにか脱線していたようだ。労働委員会かよ。それ斡旋か。

 ……流石に2回目ともなると大分寒いな。


「こりゃあ、早く本題に入らないと皆に飽きられちゃうな」


「もしくは呆れられるとも言えるわね」


「諦められないようにしないとな、流石に」


 というわけで、まぁどういうわけなのかはいまいちよくわからないが、紆余曲折を経てそれでもようやく今回のテーマである。


「でもさ、元々の話、お前が僕の誕生日を祝ってくれていたらもうそれで万事オーケーだったんだよな」


 冒頭でせめて『おめでとう』の一言さえあればここまで話題が行ったり来たり枝分かれすることもなかったはずである。

 まぁ、この幼馴染が素直に言うわけないだろうなぁというのは薄々、いや濃厚に感じてはいたが。


 すると千歳は頭痛がしているかのようにこめかみに手を添えながら、


「あなた、どれだけ祝いの言葉に飢えているのよ。たかだか誕生日で何もそこまで舞い上がらなくても」


「はぁー、わかってないなーお前は。8月に生まれた者にとって、誕生日がどれだけ屈辱的なことか」


 そう言って両の拳を握り締める僕。


「何やらとてつもなく馬鹿な話をされそうな気がするけど、まぁ聞いてあげるわ」


 諦めたような表情で、千歳は続きを促した。


「まず大前提として、8月生まれの人間は他人に誕生日を祝われることがない」


「……それ、断言しちゃって大丈夫? ちゃんと『多分』ってつけておかないと後々面倒じゃない?」


 変な方向に心配をし出した千歳は無視することにした。


「というか、それってそもそもあなたに誕生日を祝ってもらえるほど関係が深い友達が1人もいないからだと思うけれど」


 よくわからない、わかりたくもない指摘も聞かなかったことにした。


「よくさ、高校なんかだと、誕生日だからってお菓子をもらったりして祝われてることってあるじゃん」


「そうなの?」


 基本的に他人に興味がない千歳は気づいていないが、僕たちの学校でもそういう、何というか学生ならではのノリというのが存在していて、女子同士ではもちろんのこと、男子の間でもお菓子とは言わないまでも、自動販売機のジュースを奢ったりなどはやっているのを目にする。


「別にそういうのが無くてもさ、学校にいれば『おめでとう』の一言くらいは言ってもらえるわけだ」


「えぇ、まぁ」


 真剣に聞く価値がない話と判断したのか、千歳はそんな生返事を返してくる。僕はそれに構わず、


「でもさ、絶賛夏休み中である8月が誕生日だった場合、祝われる機会なんて無いんだよ。『おめでとう』さえ言ってもらえないんだ」


「1つ確認していいかしら。あなたの目の前にあるそれは何?」


 突然そう言って千歳が指差したのは、


「……何って、ただのスマホだけど」


 勉強している間、テーブルの隅に追いやっていた僕のスマートフォンだった。


「私はやったこともないしされたこともないからよく知らないけれど、それがあれば、俗に言う『バースデーメール』が来るものなんじゃないの?」


 それなら『おめでとう』ぐらい、夏休み中だろうが何だろうが、簡単に言ってもらえるじゃない、と千歳。


 だが、その指摘を僕は否定する。


「いやさ、バースデーメールってのも、僕からしてみればあんまりって感じなんだよな」


「どういうこと?」


「そりゃあ文面だけ見れば祝われてるのかもしれないけど、もしかしたら形式的に、事務的に送っているだけで、めでたいと思う気持ちなんて微塵もないかもしれないだろ」


「あなたどんだけ卑屈なのよ」


 千歳は呆れているが、でもさ、メールだと顔は見えないわけだから、真顔で無感情で打っている可能性もあるわけで。


「要は、言って『もらえる』だけじゃ駄目ってことね」


「そういうこった」


 こいつは理解が早くて助かる。

 だが、理解はできても納得はできなかったようで。


「……面倒くさ。女々しすぎて気持ち悪いし」


 吐き捨て、切り捨てるようにそう言った。

 加えて、汚物を見るかのような視線を投げかけてくる。

 だがしかし、今更千歳のそんな視線に怯むような僕ではないので、気にせずに続けることにする。


「しかもさ、しかもだよ? 14日ってことはさ、夏休みの中でも特にイベント著しい、お盆真っ只中なわけだよ。だから、そもそも僕の誕生日なんて忘れて皆が皆お盆休みを満喫しているってのがデフォなんだよな」


「そうやって何だかんだ理由をつけつつも、結局はそれってあなたに誕生日を祝われるほどの、誕生日を覚えているほどの友達がいないってことよね」


「ここまで引っ張った結論をただの悲しい現実に落ち着けるのをやめてください千歳さん」


 僕の灰色の人間関係が明らかになった瞬間だった。

 あっれー? おかしいなー。

 確か当初の予定では、友達が多い僕に対し、苛烈な性格のせいで万年ぼっちの千歳という対比的な設定……いや、パーソナリティーだったはずなんだけどな……。


 ……何でも計画通りにいくことはない、人生の教訓と受け取っておこうか。というか受け取ってくれ。


「あーあ、こんなことになるんなら、1日遅く生まれたかったなぁ」


 天井を仰ぎ、蛍光灯の白い光に目を細めながら、不満も露わにそう零した。


「どうして?」


「だってさ、さっきのポツダム宣言の話ではないけれど、8月15日ってことは終戦記念日じゃん?」


「まぁ、そうね」


 千歳はこくりと頷いて、一応の理解を示した。


「ということはだよ、15日は世界平和の日ってわけだ。そんな日に生まれてたら、それはもう僕の生誕=世界平和の象徴みたいなもんじゃん」


「ごめんなさい。あなたが何を言っているのかよくわからないし、わかりたくもないわ」


 ふるふると首を振り、信じられないものを前にしたように僕を見つめる千歳。

 何だろう、何かおかしなことを言っただろうか。


「ちょっと待て? もし15日生まれなら、僕は全国民から誕生日を祝われるってことになるのか」


「なるわけないでしょ。祈ると祝うを履き違えている頭ガバガバな馬鹿は黙っていてもらえるかしら」


 何で平和祈念と生誕祭を同列に語ってるのよ、と千歳は呆れ混じりに付け加えた。


 それにしても、『頭ガバガバな馬鹿』って早口言葉みたいだな。

 『頭ガバガバな馬鹿』×3回。

 是非皆も暇な時にチャレンジしてみて欲しい。


 他にも更なる暴論を披露したい気持ちがないわけでもなかったが、何だかこのまま発展させていくとあらゆる方向からクレームをぶつけられそうな匂いがプンプンするので、ここら辺で止めておこう。


「まぁ、色々言ったけど、結局僕は、お前に祝ってもらえればそれでいいんだよ」


 体面を慮って話を打ち止め、僕はこれまでの自分の主張を総括することにした。


「いや、そんな人間ができている優男みたいな言い方しないで」


 しかし千歳はお気に召さなかったようで、若干僕から身を離しつつ、こっちを睨めつけてそんな辛辣なことを言ってきた。鳥肌が立った肌を抱くように肩をさすり、完全に不審者扱いだった。


「なー、千歳頼むよー。せめて『おめでとう』ぐらい言ってくれよー」


 ゲームの一件からだだ下がっている僕の好感度が、さらに加速度を増して急降下している気配をビンビンに感じるが、ここは1つ誕生日ということで大目に見て欲しい。

 誕生日には何をやってもいいんだ、多分!


 僕の気持ち悪いじゃなくて気持ちの込もった願いを、腐れ縁でも一応長い付き合いである千歳は無下にはできなかったのか、深々と長いため息を吐いた後で、仕方なさそうに言った。


「……オメー、DEAD」


「お前それ死ねって意味だろ」


「いえ、もう既に死んでいるのよ」


「過去形!?」


 それから、何とか千歳に祝ってもらおうと試みたものの、頑なになっている千歳を動かすことは容易にはいかず、そのまましばらくの間お互いに睨み合う時間が続いた。


「……はぁ」


 僕は諦めの吐息をこぼすと、緊張の糸が切れた反動からかトイレに行きたくなり、全く進んでいないノートもそのままに席を立った。


「ちょっとトイレ行ってくるわ」


「男の子なんだから我慢しなさい」


「尿意に男女差は関係ねぇよ」


「大きい棒? 小さい棒?」


「意味が変わるから、方に濁点をつけるな!」


 いや、そもそも方にしたところで人に聞くことじゃないだろ。

 トイレに行くだけでも一苦労な僕は、肩を落としながらトボトボと階段を下りていったのだった。




*****




「ふぅー……それにしても、千歳攻略は至難の業だな」


 用を足し終えた僕は、渇いた喉を潤そうとキッチンへと向かう途中でそう呟いた。

 この場合、攻略の意味を誤解しているが、僕はそのことに気づかないまま冷蔵庫を開ける。


 するとそこにはーーーー、


「えーっと、お茶お茶ーーーーーあ」


 ーーーそこには、一際目を引く、大きな白い箱が1つ置かれていた。

 それは、そう。ちょうど、1家族分のホールケーキが入っているような箱で。

 側面に記載されている日付は、ちょうど今日の日付だった。


「ーーーー」


 ゆっくりと慎重に箱を開けると、そこには、案の定というか、予想通りに、ごく一般的なホールケーキが入っていた。

 真っ白な舞台の上で、綺麗に円を描く真っ赤なイチゴがこの上なく映えている。


 シンプル・イズ・ベスト。


 だがしかし、そこには、バースデーケーキにはお決まりの、あのチョコレートでできたプレートは存在しなかった。


 『ハッピーバースデー』の文字もーーーー『おめでとう』の一言も。


 そこに、このケーキを隠し切れていなかった、あの何処かおっちょこちょいで、頑固な幼馴染のささやかな抵抗が見られて。


「あ、一樹、冷蔵庫は絶対に開けちゃ駄目よー!」


 遅ればせながら2階からそんな大声が聞こえてきたので、僕はそっと、音を立てないように冷蔵庫を閉じた。



 ーーーー選手交代。いや、攻守交代か。


 どうやら、今度は僕がすっとぼけなければならない番のようである。

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