第6話 ゲーム

 急な話で大変申し訳ないのだけれど、第6話に差し掛かったこの段階で、ついに僕らのフルネームを明かそうかと思う。

 『ついに』なんて、まるで今まで隠されていた重要な秘密がそのベールを脱ぐ、物語のクライマックスみたいな言い方になってしまったが、別に深い意味なんてないし、前回の話ではないが、これが伏線になるなんてことももちろんない。

 ただ単にフルネームがあった方が何かと都合が良いんじゃないかと、そんな安直なことをふと思った次第である。


 そもそもどうでもいいわんなもん、なんてクレームが今にも聞こえてきそうだが、まぁ戯言だと思って見逃してほしい。そもそも僕たちって、いつも戯言しか言ってないしね。


 前置きというか、お断りが長くなってしまったが、てなわけで、ここで僕らの名字を明らかにしよう。


 僕の名字は一(いち)之(の)瀬(せ)。フルネームで一之瀬一樹という。

 そして、我がヒロイン(?)千歳の名字は千(ゆき)ノ宮(みや)。フルネームだと千ノ宮千歳である。


 以上、これにて終了。質疑応答はなしだ。学生にとっては有り難かろう。


 残り5分程度の質疑応答の時間とか、ぶっちゃけた話、多くの者にとっては苦痛の時間に違いない。

 特に、何も質問が出なかった場合の、あの何とも居た堪れない空気といったらもう……。


 最近では、初めから質疑をする生徒が決まっており、質問の内容も作成済みの場合もあるというのだから恐ろしいったらありゃしない。まぁ真偽の方は定かではないが。


 ……いや、僕はこんな学生あるあるを言いたいわけじゃあない。最後まで溜める必要もなし、さっさと本題に入るとしよう。




*****




 ーーー僕、一之瀬一樹は落ちこぼれの高校生である。この『落ちこぼれ』という烙印は、何も僕の頭の悪さを表しているだけに留まらない。

 何というかーーーーぱっとしない、というのが一番しっくりくる表現のように思う。

 顔立ちもイケてるというわけではないが、それでもそれなりに整っているとは思う。

 身長は高校生男子の平均値より少し低いくらい。

 特に太っているわけでもなく、かといって身体を鍛えているということもない、中肉中背。

 オシャレに気を使っているわけでもないので、髪を染めたり他の何処かをいじったりもしておらず、生まれつきの日本人らしい黒髪黒目のまま。


 その普通さは、何も見た目の話だけじゃあない。

 運動神経も良いわけでも悪いわけでもない、贔屓目に見ても中の上くらい。


 学校の友達も、決して多いとは言えないが、それなりにはいる程度。だからといって、休日に皆で遊びに行くほどの仲かといったら、実はそうでもない。


 もうね、ないない尽くし過ぎて僕1人だけで冠番組持てるレベル。美味しい高級料理食べたりとか、その値段予想したりとかね。あとは自腹で……何この話。


 とまぁ、このあまりの凡庸さは、人間の『落ちこぼれ』と言われるにふさわしかろう。


 ……いや、勢いで『ふさわしかろう』なんて言ったが、自分でこんなことを言ってしまうと結構、いやかなり心にクるものがあるな……何だか悲しくなってきた。もうやめようかな、この話。


 一番楽な自殺方法は何だろうかと、ぽちぽちスマホをいじり出した自分の手を何とか止めた。

 いかんいかん、卑屈になってはいけない。

 まだ話を終わらせるわけにはいかないのだ。


 というわけで、僕の凡人さが改めて認識されたところで、かたや僕の幼馴染の方はというとーーーー



 ーーー千ノ宮千歳は、完璧超人の女子高生である。

 目鼻立ちは高校生離れしていると言っても過言ではないくらい整っており、スタイルも、出るところは出て、かつ引っ込むところも引っ込んでおり、思わず男女問わず目が釘付けになるほどである。

 その類稀なる容姿は、まさに芸術作品と見紛うほど洗練されていて、幼馴染である僕も、度々隣を歩くのがおこがましいのではないかと軽く疑うこともあるくらいだ。


 さらに、我が高校の校訓である『文武両道』も体現しており、成績はどの教科も常にトップクラス。

 この前苦手な教科を聞いたら、「私、ピーマンを苦いと思ったことってないのよね」なんてわけのわからないことを言っていた。

 部活動に入っていたり、それ以外にも何か運動をしていた経験もないにもかかわらず、運動神経は抜群。体育の授業なんかでは、よく歓声を上げられているのを目にする。


 唯一の欠点といえば、友達がいないことなのだが……でも、それもこいつの場合は欠点とは言えないと思う。

 いかんせん、千歳を見る周りの視線は、忌避しているというよりも、遠巻きに憧れの対象を見ているような視線なのだ。何というか、周りの人間が、尊敬する千歳と友達になるなんて恐れ多い、と感じている様子である。


 そもそも、友達が少ないことは別に欠点ではないしな。どちらかと言うと、そのことを恥ずかしいと、みっともないと思うことの方が欠点だと個人的には思う。


 幾度となく披露している、僕に対する舌鋒も、学校の者、特に女子には、その歯に衣着せぬ物言いは、他人に迎合してしまう自分たちとは一線を画していて、一周回って憧れる要素となるようだ。


 というわけで、千ノ宮千歳という人間には、実質的にはおよそ欠点と呼べるようなものが存在しないのである。


 こんなことを本人に言うと、「あら、欠点ならあるわよ。あなたと幼馴染だっていう致命的な欠点がね」とか何とか言い出すんだろうなぁあいつ……。


 和らぐことを知らない口の悪さを思い出して辟易しつつ、僕は改めて、千歳の人間としての『出来っぷり』を思い知る。

 ……何か、どうしてこんな奴が存在するんだろうなぁ。しかも、何でそんな奴が僕なんかの幼馴染やってんのかなぁ。


 僕は、一番楽な自殺方法は何だろうかと、ぽちぽちスマホをいじり出した(以下略)。


 で、ここからが重要なことなのだが、やはり幼馴染ともなると、家族絡みの付き合いというのも昔っからあるわけで。

 すると、昔っから同年代の子供は何かにつけて比べられ、評価されるのが必然なわけで。

 さらに、僕と千歳を比べれば、不等号がそのままくの字になるのも当然なわけで。


 ーーーはっきり言ってしまえば、僕が千歳に優っている部分というのが見当たらないということである。

 RPGよろしく個人のステータスを可視化してみれば、おそらく千歳は綺麗な図形を描くことだろう。

 それに比べて僕は……悲惨な結果になることは間違いない。


 悔しいという気持ちがないわけではないのだが、もうここまでくるといっそ清々しいというか、諦めもついてくる部分もあるのだけれど。


 ーーーだが、そんな僕にも、千歳に勝てる部分が見つかった、という話をしようと思う。

 器が小さい人間だな、そんなんだから身長も小さいんだよ、と言われれば泣くしかないのだが、それでもどうか聞いて欲しい。


 これが僕の、長年にわたって溜まり続けた劣等感からの、下剋上ジャイアントキリングなのだから。ルビなっげ。




*****




 ーーーーそれは、ちょうど深夜1時を回った頃だった。


 深夜テンションなるものに侵され、僕と千歳は、僕の部屋の中で、本能の赴くままにーーーーー



「ふぅ……それにしても、ゲームなんて久々だな」



 ーーーーー赴くままに、いたって健全にテレビゲームをしようとしていた。


 日付が変わっても何故だか眠ることができず、気晴らしにゲームでもやろうと僕が提案したことが始まりだ。


「……ていうか、何故そもそも千歳、お前がこんな時間に僕の部屋にいるんだ?」


 僕が聞くと、隣に座る千歳は思いっきり人を馬鹿にし腐った顔で答えた。


「あなた、記憶力をおばさんの胎内に置いてきたの? この前、私の家のエアコンが逝ったから、これからしばらくはあなたの家に泊まるって言ったじゃない」


「あ、その設定まだ生きてんだ」


 すぐに元に戻るなんて都合の良いことが、この現実世界で起こるわけがなかったか。

 ……無数の冷めた視線を感じるのは、多分僕の気のせいだろう。


「それにしても、こんな時間にゲームなんてやったら、気は気でも眠気も晴らしてしまうんじゃないかしら」


「よせ千歳、それを言ったらお終いだ」


 ちっちゃいことは気にすんな。

 千歳のもっともな指摘を封じ込め、僕は着々とゲームの準備を進めていく。


「肝心のゲームは……これでいいか」


 僕は、数あるゲームソフトの中から、比較的手軽に遊べるものをピックアップした。


 用意したゲームは、マリオカート。

 多種多彩なアイテムやギミック、そしてドライビングテクニックを駆使して鎬を削り合い、己の速さを追求する、いたって普通のレーシングゲームである。


 確認の意味合いも込めてパッケージを千歳に見せると、千歳はうんと頷いた。


「別に私は何でも構わないわ」


「でも、お前って確かゲームとかやったことないだろ」


 千歳の家にゲーム機なんてなかったし、小さい頃も一緒にやるというよりは、僕がやっているところを後ろから眺めていたり、隣で邪魔してくるだけだった気がする。


 どうやら僕の記憶は正しかったようで、千歳は、


「えぇ、まぁ、そうなんだけど。……つまり私、その、初めてだから……優しくしてね……?」


「思いついたようにエロティックなセリフをぶっ込んでくるな」


 頰を染めつつ上目遣いでこっちを見るな。

 いくら深夜だからって何でも許されるわけじゃあないからな。


 それから千歳はすぐにいつものフラットな表情に戻ると、


「まぁ、確かにやったことはないけれど、だからって私も何だか眠れないのは同じだし、その辺はあなたに任せるわ」


「そうか、わかった」


 まぁ本人がこう言ってるんだから、別に問題はないだろう。

 隣の部屋で寝ている両親を起こさないように、若干テレビの音量を下げつつ、僕らはマリオカートを起動した。


 ゲーム初心者の千歳に軽く操作説明をしながら、僕はコース選びやその他オプションなど、レースの詳細設定をしていく。


 そして、残すはキャラクターとマシン選びとなった。


「これは、どのキャラクターを選べばいいの?」


 多様なマリオキャラを前にして、千歳がコントローラーを動かしながら聞いてきた。


「別に自分の好きなキャラでいいと思うけど、まぁ初めてだし、無難にマリオあたりでいいんじゃないか?」


 ばちこり主人公なだけあって、オールラウンダーなマリオは全てのステータスが平均値。クセもなく、扱いやすいだろう。

 ……能力が平均並みとか、まるで僕の分身を見ているようだが、一緒くたにしてもらっては困る。

 国民的、いや国際的キャラクターと僕とを同列視するとかマリオに申し訳なさ過ぎて僕がゲーム開始時に真っ先に踏まれに行くまである。それ違うゲームか。


 ……あれ? ていうか、マリオカートってキャラ別のステータスとかってあるんだっけ? 何か重量が違うだけだった気がしないでもない。全然覚えてねぇや。


「そう」


 僕が心中でマリオに謝り、ふと湧いた疑問にうーんうーんと唸っている間に千歳は短く答え、そして数秒考えた後にクッパを選んだ。


 ……いや、まぁ別に全然構わないけどね?

 僕のアドバイスを受け入れるかどうかは千歳の勝手だし、僕がとやかく言うのも筋違いだってわかってるけどね?

 それに、クッパか。この魔王的な感じ、何故か千歳に合っているような気がするのは、普段の行いからだろうか。

 しかも、何も考えずに素で選んだもんだから、余計に……うーん。


 なんだかなぁ、と口の中だけで呟き、続いて僕があらかじめ使おうと決めていたキャラを選択した。


「キノピオ……ね。……何だか、あなたみたいなキャラクターね」


「それは僕の小ささを揶揄してるのか。具体的には身長とか」


 確かにお前には若干、本当に若干負けているが、それでも僕は高校生男子としては普通くらいなんだからな。ただお前がすげぇモデル体型なだけなんだからな。


「それと、さらっと僕のキノピオをディスるのやめてくれる?」


「あの、一樹、ごめんなさい。いくら夜中だからって、そういう直截的な下ネタはちょっと……」


「違う、僕の息子的な意味で言ったんじゃない!」


 僕は、自分の下半身を抑えつつ間違えた押さえつつ、声を荒らげた。

 大体、下ネタに関してはお前にだけは言われたくない!


「大きい声を出さないで。ご両親に聞かれるじゃない」


「聞かれることは別にいい! 問題なのは」


「ご両親を起こしちゃうじゃない」


「……うん、確かにその通りだけど、何か釈然としねぇ……」


 ブツブツ文句を垂れる僕に取り合わず、千歳はさっさとレースの準備を始める。

 モヤモヤした気持ちを抱えたまま、それに続いて僕もスタートボタンを押した。


 こうして、僕らのレースが始まる。

 3回のカウントダウンの後、僕のキノピオは、華麗なロケットスタートを切ったーーーーー


「……僕のキノピオがロケットスタート……ふふっ」


「終わったら話があるからな、千歳」




*****




 レース開始前は、千歳の発言に物申したいと心に決めていた僕だったが、しかし無事にレースが終わると、そんな気も全くもって失せていた。


 いや、無事と言ってしまうと、いささか語弊があるかもしれない。


 ーーー結果から明らかにしてしまえば、僕ら2人のレースは惨憺たるものだった。

 否、正確には、惨憺だったのは千歳のみである。


「まさか、この私が、最下位……一樹にも、負けた……」


 すぐ隣で、コントローラーを床に落とし、わなわなと震えるのは、ぶっちぎりの最下位でレースを終えた千歳である。


 僕らの正面の液晶画面上に映るのは、レースの結果を受けて、それぞれ違ったリアクションをとるキャラクターたちの姿だ。


 画面上、1Pのキャラクター、僕のキノピオは、他を寄せ付けない走りで見事1位を獲得。カート上で飛び跳ね、全身で喜びを表現している。


 対する画面下、2Pのキャラクター、千歳のクッパは、別の意味で他を寄せ付けない走りで圧倒的な最下位で終了。物凄く悔しがっている様子が、何とも見ていて哀れだ。


「………」


 ……どうすんだよこの空気。

 さっきから何も言わずに画面を凝視し続ける千歳を横目に、僕はかける言葉を探して視線を彷徨わせながら、おずおずと口を開いた。


「ま、まぁ、今回が初めてなわけだし、こんなもんだろ。あんま気にすんなって」


 今まで千歳を慰めた経験が少ないから、何とも不恰好な物言いになってしまった。

 だが、それでも千歳は微動だにしない。というか、僕の慰めの言葉も耳に入っていないようだった。


「……千歳?」


 ぽんっと軽く肩を叩いて呼ぶと、ようやく千歳はこちらを向いた。その目は涙に濡れてーーーなどなく、何処か焦点が定まっていない感じだった。


「……ふっ、あなたにしてはなかなかやるじゃない。褒めてつかわす」


「何様なんだお前は」


 混乱しすぎて脈絡がなくなってるぞ。


「別に私全然本気じゃなかったし、何なら本機じゃなかったし」


「お前はアンドロイドか何かなのか」


「だから私は、Xperia」


「いや、そういう意味で言ったんじゃねぇよ」


「あー、もしかして私、下画面の方だった? いっけなーい、ずっと上だと思ってたわー」


「お前が下画面のクッパを殺すような目で見てたの、僕は知ってるからな」


「……この2Pコントローラー、電池切れてるわね。一樹、早く単3電池を買ってきてもらえる?」


「その割にはお前のクッパ、レース中ガハハハ言いながら爆走してたけどな……穴に向かって」


 やばい、この苦し紛れの言い訳を1つずつ潰していく状況、楽しすぎる。

 間にただのボケが挟まっていたような気もするけれど。

 それに、初心者相手ではあるが、それでもあの千歳に勝ったという事実が、僕に僅かな高揚感をもたらしていた。


「……もう1度、勝負しましょう、一樹」


 思わず口元が緩んだ僕を睨みつけ、震える声で、再戦を申し込む千歳。

 心がハイになっている僕が、ここで返す言葉は決まっていた。


「受けて立つ!」



 ーーーーそれから、調子に乗った僕が痛い目に遭う、なんてありきたりな展開を迎えることもなく、僕のドライビングは絶好調。むしろ調子の乗り具合はうなぎ上りだった。


 かたや千歳はというと、試合を重ねていく内に操作には慣れ、何とか最下位からは脱出できたものの、それでも僕にはまだまだ及んでいない。間には幾人ものCPUが立ち塞がっている。


 操作に慣れたとは言ったものの、それは辛うじて見れるくらいの運転ができるようになったということであり、具体的には逆走はしなくなったということだ。


 それ以外は、ダート走行はするわ、ギミックには体当たりするわ、穴に落ちるわ、もう何か見ているこっちが涙が出てくるほどの有様だった。ドリフトもおぼつかず、最下位を脱出できたのは奇跡と言える。


 ここで僕に対して、初心者相手に大人げないと思う方がいるかもしれないが、ていうか絶対にいるだろうが、勘違いしないでいただきたいのは、僕がきっちり操作説明やマップ説明をした上で、それでもこの状況であるということだ。

 このゲーム特有の、各アイテムの使い道や、使うタイミングなども結構細かく教えていたりする。


 つまり、ここから導き出される結論はというと、千歳はゲームがド下手だったということである。


 今、ちょうど9回戦目を終えたところなのだが、未だ画面上の2人のキャラクターは正反対のリアクションを見せている。


 変わっているところは、落ち込んでいるキャラがクッパからマリオになっていることくらいか。


「思い出したように4回戦目あたりでキャラ変えてたけど、あんまり意味なかったな」


 キャラ自体の優劣というよりも、やはりそれを動かす人間の力量が勝敗を分ける。この手のゲームの基本だ。


 それにしても……


「………」


 僕に9連敗した後から何も言わず、俯いて床一点を見つめている千歳から、負のオーラをビンビンに感じる。

 だがしかし、その様子を眺める僕の方には、初戦の時のような不安や同情は綺麗さっぱりなくなっていた。


 ーーーーこの僕が。

 ガキの頃から何かにつけて千歳と比較され、その度に惨めな思いに苛まれてきた、この僕が。

 ぱっとせず、クラスメイトから「何で一之瀬が、あの千ノ宮さんと仲良くできてるの? 一体どんな弱みを握ってるの?」と言われたこともあるこの僕が。


 ーーーその千ノ宮千歳相手に、圧倒的9連勝。


「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……」


 気がつけば口角が釣り上がり、凄惨な笑みを浮かべていた。なるほど、勝者とはこんな風に笑うものなのか。


「ふははははははは! 千歳! 見たかこの差を!」


 馬鹿笑い……高笑いを続けながら僕は立ち上がり、目下、項垂れて意気消沈している千歳に指を突きつける。表情を伺えないのがちと残念だが、まぁ、この喜びに比べれば、そんなのは些細なことだ。


「これからは僕に対して暴言なんて言わせないぞ! からかわれるのももうやめだ!」


 比較による劣等感だけでなく、これまで浴びせられてきた罵詈雑言の分も乗せて、僕は声を張り上げる。


 ーーーあぁ、実に愉快、愉悦、何と甘美な瞬間か。

 そうか、僕が生きる道はゲーマー道だったのか。

 井の中の蛙、という言葉も忘れているアホがここにいるが、そんなことは気にならなかった。

 僕の好感度がだだ下がっている気もするが、それも気にならなかった。

 好感度なんか知るか!

 大事なのは、僕が千歳に勝ち星を挙げたという事実、それだけだ!

 

 その後も、しばらく僕は笑い続けた。

 その声は聞こえているはずだが、しかし千歳は全くもって無反応。何だよ、これじゃあ張り合いがないじゃあないか。


「………なさい」


 その千歳の小さな声は、自身の笑い声に掻き消されて僕の耳にははっきりと届かなかった。


「え? 今何か言ったか?」


 聞き返す僕に、千歳はゆらりと立ち上がると、さっきの僕と同じように、人差し指を突きつけてきた。


「黙りなさい、と言ったのよ。このピーピーうるさい雛鳥が。今日のところは、私の負けを認めてあげる……今日のところは、ね」


 そう告げる千歳の語気は、怒り猛っているわけでも、悔しさに打ち震えているわけでもなくーーーーただ、静かだった。まるで、波紋1つ見当たらない水面のように。


「……ほう。そりゃ一体、どういう意味だ?」


 静かな闘志を双眸に宿す千歳に真正面から堂々と相対し、僕はその真意を問う。すると千歳は、壁に掛けられた時計を見ながら、


「これから1日かけて、私はこのゲームを極めてみせる。……だから、明日のこの時間、10戦目をしましょう。それで最後、これまでの戦果も清算、勝っても負けても恨みっこなし……どう?」


 そう提案してきた。

 へぇ、面白い。

 だが、それだけでは何処か味気ない。


「……なら、次の10戦目では、負けた方が罰ゲームってのはどうだ? 内容はそれぞれ勝った方が決められるってことで」


 だから、僕は提案を受け入れる代わりに、そう条件を付け足した。


「……いいでしょう」


 少し逡巡した後、同意した千歳に対して僕も頷きをもって返した。


「ちなみに僕からの罰ゲームは、これまで吐いてきた暴言の数々を謝罪してもらうことだ」


「それなら、私の方からは……様付けで、私の命令には絶対服従、ということで」


「ぜっ……あぁ、いいぜ」


 予想を上回る罰ゲームの内容に一瞬怯むも、気を取り直して嫌な笑みを返す。大丈夫、ゲームに関して僕が千歳に負けることはない。負けなければ、その罰ゲームは意味をなさない。


「それではまた深夜に……そこで、最終決戦よ」


「あぁ、望むところだ!」


 赤い炎と青い炎、性質の違う2種類の炎が、僕の部屋で燃え盛り、激突する。


「「決闘デュエル!!」」


「あんたたち、さっさと寝なさい!」


 僕と千歳の決闘宣言と、馬鹿騒ぎを聞きつけた僕の母親が部屋に飛び込んできたのはほぼ同時だった。




*****




 ーーーー散々説教を受けた後、僕らが眠りについたのは午前3時のことだった。母親の怒鳴り声でいくらか興奮していた心がクールダウンした僕たちは、案外すんなりと眠りに入ることができた。あるいは、それはゲームによる疲労感からかもしれない。


 それから、目覚まし時計が午前9時を指し示したところで、僕たちはどちらからともなく目を覚ました。

 家族はすでにそれぞれ出かけているようで、1階のリビングに下りても人は誰もおらず、適当に朝食を作って2人で食べた。


「……じゃあ、あなたの部屋とゲーム、借りるわね」


「あぁ」


 そして、千歳は再び2階に上がっていった。

 これから1日を費やして、ゲームの練習である。


 対する僕はというと、邪魔するのも悪いと思い、今日はダイニングで1人で勉強を進めることにした。


「さぁ、どこまでいけるかな、千歳の奴」


 人の悪い笑みをこぼしつつ、静かな空気の中シャーペンを握る僕。


 ーーーそれから、刻々と1日は過ぎていき、あっという間に約束の時間を迎えた。


 朝からゲームを続けていた千歳だったが、この時間に至るまで、2階からは大きな物音や人の苛立つ声が聞こえていたのを僕は知っている。


 その音源は千歳以外にはありえない。

 やはり、たった1日では上達は見込めなかったか。


 昼食の時も夕食の時も、顔を合わせてもお互い何も言葉を交わさなかったので本当のところはわからないが、何かが僕にそう確信させていた。

 あるいはそれは、強者の余裕か。


「ふふっ……」


 相変わらずの笑みを浮かべたまま、色々を済ませてあとは寝るだけの状態になった僕は、堂々とした足取りで2階の部屋に向かった。


 扉を開け放つと、こちらも用意を済ませた千歳がすでにレースの設定を終えており、僕の方を見もせずに画面に集中していた。

 だが、その横顔が緊張で硬くなっているのが、僕にはわかる。


 だから僕も何も言わずに隣に並び、コントローラーを手に取った。

 カーソルを動かし、もうお馴染みになったキャラクターを選択する。

 ーーーー僕と千歳。そして、キノピオと、クッパ。

 役者は出揃い、あとは運命のレースの開始を待つだけだ。


「……ねぇ、一樹」


 ふと、千歳が口を開いた。


「何だ? 千歳」


「社会の窓、開いてるわよ」


「ステテコに社会の窓はねぇよ」


「あなたのキノピオが元気に挨拶してるわよ」


「下ネタが止まることを知らないなお前は?!」


 千歳の揺さぶりに若干動揺する僕。

 ……ほーう、そうやって僕の気をそらす作戦というわけか。ゲームの腕じゃ勝てないから、今度は口八丁手八丁で妨害工作に出ようと。

 ーーーだとしたら随分とお粗末だぜ、千歳!


 そんなことで集中力を乱される僕ではない。


 ーーーこの勝負、もらった。 


 レース開始前から姑息な手を打ってくる千歳からゲームの未上達ぶりを悟った僕は、ボタンを長押ししていた親指をその場から離した。


 その指は、勝利に近づくロケットスタートを決めるための指で。


 まぁ、ここで僕がロケットスタートなんてしちゃったら勝負は一瞬にして決まっちゃうだろうし、そしたら見ている側も退屈だろう。

 今の僕は演出家。デッドヒートを演じる道化になってあげようではないか。


 そして、3回のカウントダウンが始まった。

 ジュゲムの持つランプが1つずつ点灯していく。

 強者の余裕から、僕がちらりと隣を見るとーーー


「……え?」


 ーーーーさっきまで緊張で強張っていた千歳が、薄くこちらに微笑みかけていてーーーーそして。


「ーーーお先に」


 その小さな、ともすれば聞き逃してしまいそうな呟きと共に、画面のクッパが完璧なロケットスタートを決め、ゴールに向かって爆走していったーーーー






「ーーーお前、全然できるようにならなかったんじゃなかったのか!?」


「あなたが勝手にそう思い込んで、勝手に油断して、勝手に自滅しただけじゃない」


 運命の10戦目、その結果は千歳が1位、次いで僕が2位となった。表彰台の上では、僕らのキャラがそれぞれ同じように喜びを露わにしているが、対する現実の僕らはというと、片方は喜色満面、もう片方は残念無念の表情である。


 ーーーロケットスタートで一気に飛び出した千歳は、通常のスタートで出遅れた僕を置き去りにして、そのまま1度も誰にも抜かれることなく、圧倒的な首位でゴールした。


 その走りには昨日までの未熟さは微塵もなく、アイテムの有効活用、ドリフト技術、そして僕も覚えていないショートカット利用と、どれを取っても一級品。むしろ、その走りに圧倒された僕が次々とミスをしまくる結果となった。

 それでも何とか2位にまで漕ぎ着けたのだから、自分で言うのも何だが大したものだと思う。

 というか、こうでもして自分を褒めてやらないと心が折れてしまいそうだ、この状況に。


 ーーー今の僕は、勝負に負けた罰ゲームを敢行され、床にうつ伏せになっていたーーーーその背中に、千歳を乗せて。

 

「……まぁ、そこに至るまでにいくつか布石を打っていたのは認めるけれど」


 そう言う千歳に、僕は背中に感じるお尻の感触を楽しみ……味わい……屈辱に思いながら、試合開始までの経緯を振り返る。


 ーーー今にして思えば、2階から聞こえてきた、何かに当たったかのような大きな物音も、苛立ったような声も、緊張しているかのような表情も、妨害工作と見せかけたあの冗談も、全ては僕の油断を誘うための演技ブラフだったのだ。


 事実、僕は完全に千歳の掌の上で踊らされ、何とも間抜けな道化ピエロを演じてしまった。

 レース前から、すでに勝負は始まっていたのだ。


「といっても、結構賭けの部分も大きかったけれどね……あなたが馬鹿で助かったわ」


 そう言う千歳の声は嫌な嬉しさで溢れていて、聞いているこっちがげんなりしてしまう。

 その通りだ。僕が何も気にせずに普通に戦っていれば、勝敗はまだわからなかっただろう。千歳の上達ぶりへの驚きや、その他諸々の驕りーーーそれらが絡まった上での、この結果。


 ……いやでも、どうだろう。たとえ普通に勝負していたところで、あのテクニックの前では、それこそ普通に僕が負けていたかもしれない。

 全てが終わってしまった今となっては、そんな仮定に意味はないけれど。

 後の祭り、である。


「さて、裏話も済んだところで、どうしてくれましょうかねぇ、鼻の長〜いピノキオ君?」


「ピ、ピノキオじゃなくてキノピオだ!」


 おそらく、今までの僕の天狗っぷりを指しているのだろうが、そもそもピノキオの鼻が長いのは嘘をついたからであって、天狗になったからでは……。


「随分とまぁはしゃいでいたようだけれど……えっと、何だったかしら。あなた、確か私に謝って欲しかったんだっけ?」


「うっ……」


「そもそも、『こういうのも悪くない』なんて独りごちてたのは、何処のM男だったのかしらねぇ」


「そ、それは言うな! そして僕はMじゃないっていだだだだだだ!?」


 ぐりぐりと尻を押し付けられ、背骨が軋む音が部屋に響き渡る。

 それに混ざり、滅多に笑わない千歳の貴重な高笑いが聞こえてきた。


「あははは。やはり世の中、最終的には正義が勝ち、悪は滅ぶ運命というわけね」


 勧善懲悪とは一体何なのだろうかと、本気で考え込む僕だった。


 そして、そのついでと言っては何だが、ここである勘違いに思い至る。


 ーーーーあぁ、そうか。

 僕は、千ノ宮千歳を語るにおいて、大事なことを忘れていた。


 ーーー千ノ宮千歳という人間は、生来の天才なんかではない。彼女は、努力ができる人間なのだ。

 先述を振り返ってみれば、『武』については天賦の才というしかないのだろうが、その他、『美』や『学』に関しては、日々の努力の賜物だ。

 普段のケアや勉強の積み重ねの上に、今の千ノ宮千歳の完璧さは成り立っているのである。


 ーーーそして、今回も。

 僕を負かしたいがために、1日かけて『努力』し、あそこまでの上達ぶりを発揮した。

 その方向性がゲームというのはアレだが、そう野暮なことは言うまい。


 こうして、僕の自慢の幼馴染は、『努力は必ず報われる』ということを、たった1日をもって証明してみせたのだったーーーーー



「さぁて、これからどんな恥ずかしい命令をしましょうかねぇ。深夜だし、私は何にも規制されないわよ」


「せっかくお前にとって良いようにオチをつけたんだから、台無しにしないでよ千歳様ぁ〜〜〜!!」



 ーーーなお、冒頭と話の趣旨が逆転していることを、僕はまだ知らない。

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