第5話 クーラー

 扉を開けて外に出ると、射抜くような強い日差しが僕の肌を襲った。まだまだ夏も序盤。暑さは止まることを知らず、今日も太陽さんは絶好調だ。


「……あっちぃー」


 後ろ手に扉を閉めた僕は、開口一番そう言った。

 言ったというよりも、それはつい漏れ出たような声だった。

 あまりの暑さに、このまま引き返して家に引っ込もうとも思ったが、まぁ目的地は目と鼻の先、どころか両目の先なので、どうにか我慢して家を出る。


 そのまま隣の家ーーー千歳ちとせの家まで歩いた。

 その時間、わずか30秒。

 本音を言えば、漫画なんかでよくある幼馴染よろしく、2階の僕の部屋の窓から千歳の部屋までひとっ飛びで行きたいところだったが、残念ながら小さい頃それをやろうとして痛い目に遭って以来、結構なトラウマになっている僕である。

 いや、マジであれおっかないんだよ。

 本気で死ぬかと思ったレベル。

 痛い思いと共にイタい思いをしたのも苦い記憶である。


 そういうわけで、空中に描くラインを諦めて普通に地上から玄関まで行き、インターホンを押した。幼馴染とはいえ、最低限の礼儀は大事。

 僕は千歳とは違うのだ。


 だが、インターホンを押してからしばらく経っても、家の中から応答がない。

 もう一度押すも、いっこうに出てくる気配がなかった。

 ……おかしいな。

 今は午前9時。共働きの千歳の両親はもう仕事に行っているだろうが、それでも千歳は家の中にいるはずだ。


 何処かに出かけているのだろうか。

 そう思ってしばらく待ったのだが、その時間も容赦なく僕を痛めつける夏の日差しに耐えられなくなり、僕は玄関のドアに手を掛けた。


 すると、ドアには鍵はかかっておらず、そっと開けると、隙間からは千歳がいつも履いている靴が目に入った。

 なんだ、やっぱりいるんじゃん。


 その他にも、耳を澄ませば、わずかにリビングの方からテレビの音が聞こえてくる。

 どうやら千歳がいるのは間違いないようだ。


「お邪魔しまーす」


 そう言ってから家に上がり、リビングへと続く扉を開けると、そこは、


「ーーーあっちぃ!」


 ーーーーそこは、灼熱のサウナと化していた。


 なんだこれ。暑さが外と大して変わんねぇぞ。

 そんな地獄の中で、果たして千歳の姿はすぐに見つかった。

 ーーーーソファにだらしなく座り、首だけをこちらに向ける千歳の姿が。


「……あ、かず。おはよう」


 千歳は、覇気がない表情で挨拶をしてきた。

 かいた汗で額に前髪が張り付き、その隙間から覗く目は虚ろで、なんかもう、ありもしない死相が浮かんで見えるようだった。

 着ている白いワンピースがはだけ、服の白に匹敵するほどの純白の柔肌が露わになっており、目のやり場に困る。


 だが、幼馴染のあられもない姿に興奮していられるほど、僕も冷静ではなかった。

 そもそも、興奮なのに冷静っていうのがおかしいのだけれど、そんな矛盾にも気が回らないくらいに脳が炎症を起こしている。


 この部屋、暑いっ!

 某ちゃん(上手くない)も参ってしまうほどの熱が、千歳家のリビングを満たしていた。


 なんだなんだ、何でこんなに暑いんだこの部屋は。

 原因を探ろうと辺りを見回してみると、室内のエアコンが稼働していないのがわかった。


「おい千歳、こんなクソ暑い日にエアコンもつけないとかどういうつもりだ!」


 肌を蒸される不快感から、ついつい大声を上げてしまう。だが、千歳はそんな僕に一切目もくれず、ただぼぉーっと天井を眺めているだけだった。

 まるで、意識がここに存在しないかのように。


 ……こいつはもう駄目だ。

 骸になってしまった千歳はさておき、僕はエアコンのリモコンを探す。目当てのものはテーブルの上にすぐに見つかり、僕は急いで冷房のスイッチを入れた。


「ーーーー」


 これで、この極熱地獄から解放されるーーーー


「無駄よ、一樹。そのエアコン、故障してるから」


 ーーーことはなかった。


 スイッチをいくら押しても、エアコンから冷たい風が送られてくることはなかった。いくら連打しても、方向を変えて押してみても、終いには指ではなく足で踏んでみてもーーーー


「ーーーマジで故障してやがる」


「最後のは絶対に要らなかったけれどね」


 現実を受け入れられずにあの手この手でエアコンを稼働させようとした僕は、しかしうんともすんとも言わないエアコンを前にし、とうとう折れてリモコンを投げ放った。

 そもそもエアコンはしゃべらないよー、なんて揚げ足取りは、今はなしだ。ブチ切れるぞ。


「だからそう言ったじゃない。赤らめが悪い男は嫌われるわよ」


「ただの熱中症じゃねぇか」


 正しくは諦め、な。

 思わずツッコんだが、そのボケはこの場合あまり笑い飛ばせないのが皮肉である。事実、この暑さでは熱中症になる危険性が大いにあるし、千歳も、若干顔が赤らんでおり、側から見れば熱があるのではと疑いたくなるくらいだ。


「お前、大丈夫か? さっきからこの世の終わりみたいな顔してるけど」


 心配になって尋ねると、千歳はゆっくりと居住まいを正した。乱れていた服を整え、そしてフッと乾いた笑みを浮かべる。


「心配いらないわ。別に具合が悪いわけではないから」


 どうやら体調に問題はないようだ。ただ暑さにやられてただけか。いや、それも十分問題ではあるんだが。


「昨日までは動いていたんだけれど、朝起きたら壊れててね。今、修理業者を呼ぶか新しいものに買い換えるかで、絶賛家族会議中なのよ」


 そう言うと、千歳は深々とため息をついた。

 その様子だと、今日の朝だけでは結論は出なかったらしい。まぁ、金銭が絡む問題だし、その他にも色々と考えることがあるのだろう、大人には。


 そして、千歳は辟易とした表情のまま、


「案外、エアコンもこの猛暑にやられてしまったのかもしれないわね」


「暑さ対策のためのエアコンが暑さにやられるとか、笑えなさすぎるな」


 こうしてどうでもいいことでも喋っていないと、ふとした瞬間に意識が飛んでしまいそうだ。

 倒れたくなるのを何とか堪えて、僕は千歳の隣に座った。

 そして、またもや放心状態に戻った千歳を横目に、ある提案をする。


「なぁ、お前の部屋に行かないか?」


 すると千歳は、顔は下を向いたまま、目線だけをこちらに向けてきた。


「急にベッドに誘うなんて、あなたも随分積極的になったものね。汚らしい、見損なったわ」


「ベッドなんて単語1度も出てきてなかったし、そもそもいかがわしい意味も全くなかったんだが」


 お前の中では私室=寝床なのか。独房かよ。


「え? いかがわしい目的以外で、あなたが私の部屋に入る理由なんてある?」


「あるに決まってんだろ。お前は僕を何だと思ってんだ」


 本気でわからないような顔をする千歳に、ため息をつきながらそう答えた。


「そうじゃなくって、ただここが暑いからだよ。お前の部屋に行ってエアコンつければ、ここよりは全然マシだろ」


 リビングのエアコンが故障しているのなら、故障していないエアコンがある部屋に場所を移せばいい。

 至極簡単な発想である。むしろ、故障しているとわかった時点で早急に行動に出なかった自分がアホらしいくらいだ。

 そんな、名案とも言えない案を提示した僕だったが、しかし、いくらか気にかかることがあった。


 果たしてこの違和感は何だろうかと、その正体に思い当たる前に、千歳が口を開く。


「それは無理ねーーーーというより、無駄ね」


 無理ではなく、無駄。その真意を問いただすより先に、千歳が言葉を続けた。


「だって、私の部屋のエアコンも壊れているんだもの」


「ーーーは?」


 唖然とする僕に、さらに千歳は畳み掛けた。


「それだけじゃない。この家のエアコン全部が、現在故障中なのよ」




*****




 ーーー現状を理解するのに、たっぷり数十秒を要した。熱気で鈍る頭を必死に回し、千歳の言葉を反芻、それから咀嚼する。

 そしてーーーー、


「ーーーー嘘だよな? またいつもの冗談だよな?」


 僕の口から出たのは、そんな陳腐で幼稚な現実逃避の言葉だった。だが、僕の脆弱な抵抗虚しく、千歳は首を横に振ってそれを否定した。


「嘘じゃないわ、残念ながら」


 その返事を聞くと同時、僕はロケットスタートで千歳宅を走り回り始める。リビングに隣接する和室、それから2階に上がり、全ての部屋でエアコンをつけようとする。

 ーーーーだが、そのどれもが空振りに終わった。


 全エアコンが使えない絶望と、暑い中走り回った徒労とでヘトヘトになりながら、僕は1階に下りて行き、そのままソファに倒れこんだ。


「……まさか、本当に全滅しているとは……」


「だからそう言ったじゃない」


 千歳の返事には呆れが混じっており、僕の滑稽さを嘲笑っているようにも感じた。


 と、ここで、先程感じた違和感の正体に遅れてようやく気づく。


「ーーーそもそも、エアコン使える部屋があるなら、お前はこんなとこに居て死体になってないよな」


 リビングに入って千歳の姿を見つけた時から、何となく感じていたことではあった。

 家を出る前の僕ではないが、リビングが暑いのなら涼しい部屋に引っ込んでいるのが千歳にとっては当たり前の状況だ。


 それをしていなかった理由。

 ーーー否、できなかった理由。


 何ということのない、そもそも現在この家に涼しい場所など存在していないだけの話だった。


「今にして思えば、家族会議がまとまっていないのもそれが理由か」


 冷静に考えてみれば、1つのエアコンのことなら、今後の対応を決めるのに大して時間はかからないだろう。しかし、事は家の中全てのエアコンに派生している。そりゃ、今日の朝だけで話し合われるわけないよな。


 僕が1人でうんうん納得していると、千歳も頷いて同意した。


「そういうこと。だから、少しでも涼しくなれるように1階にいるわけ」


「あー、なるほどな」


 確かに、夏の2階の暑さは尋常じゃあないよな。

 僕も、夏は私室よりもリビングで過ごす方が多い気がする。

 と、今はそんなことはどうでもいい。

 問題は、この現状をどうするかだ。

 理解はした。納得もした。だが、受け入れられるかと言えばそうではない。


「まさか、今日になって家中のエアコンが一斉に壊れるなんて思いもしなかったけれどね」


 そう言う千歳は、どこか投げやりになっている感がある。それに僕も続いた。


「確かに。ありえない話じゃないのかもしれないけれど、ちょっと出来過ぎだよな」


「えぇ、おそらくこれは何かの伏線に違いないわね。あと何話かかけてじっくり回収していきましょう」


「いや、これ日常系だし、エアコンの故障が伏線になんてならねぇよ」


 多分次回では何事もなかったかのように元に戻ってるよ、このエアコン。ギャグ漫画のお決まり的なアレである。


「そんなのわからないじゃない。千歳家から始まり、この町の家庭のありとあらゆるエアコンが機能停止に追い込まれていくホラーサスペンスにシフトチェンジする未来だってあるはずよ」


「もう打ち切った方がいいよ、その物語」


 そんなアホな設定で書き続けるとか、シフトじゃなくてジョブをチェンジするべきだと思います。


「それにしても、お前はこれから何日間かはエアコンなしの生活を強いられるわけか。お前ん家、扇風機とかないの?」


「どこかにはあるはずだけれど、大分使っていないからそっちも壊れている可能性大でしょうね」


「まさに、文明の利器に頼りすぎた人間の末路って感じだな」


 扇風機がありがたいともてはやされた時代もあったはずである。


「仕方ない。エアコンはさすがに無理だけど、扇風機ぐらいなら、僕の家から持ってきてやるよ」


「別にそんなことしなくても大丈夫よ」


 僕の申し出を拒否する千歳。その訳を問うと、


「私、これから数日間はあなたの家に入り浸るつもりだから」


「僕の幼馴染が図々しすぎる」


 別に構わないけどよ。

 何故か僕の両親、千歳が家に来るとすげー喜ぶし。


 あと涼むための道具と言えば……


「団扇とかは持ってないのか?」


「私は……うちは団扇持ってないのよ」


「うん、それ狙って言ってるなら寒すぎるし、天然ならそれはそれで寒いからな」


 ていうか、絶対に狙ったろ。言い直してるし。

 使い古された駄洒落ほど寒いものもない。

 気持ちいくらか暑さが軽減されたように感じた。

 僕がぶるぶる震えるジェスチャーをしていると、千歳が深く嘆息した。


「この私がこの程度の駄洒落を口にするなんて……暑さとは恐ろしいものね」


「いや、何やら深刻そうな顔してるけど、お前案外そういうの言ってるとこあると思うぞ」


 僕の指摘も難なく受け流す千歳。それから、


「そんなことより、早くこの暑さをどうにかしましょうよ。もう『人間はどの程度暑さに耐えられるのか実験してみよう!』のコーナーはやめにするから」


「お前、僕が来る前1人でそんな馬鹿なことやってたのか」


「ちなみに、結果は5分だったわ」


「人間弱ぇ!」


 ということは、僕が来た時には、本当にこいつは危ない状況だったのか。

 無意識下に僕は人命を救っていたのかもしれない。

 これ以上本格的に千歳がやばくなる前に、どうにかした方が良さそうだ。

 エアコンどころか千歳までぶっ壊れてしまう。


 それから、千歳は暑い中喋っていた疲れからか、深々とソファにへたり込んだ。長い髪が鬱陶しそうである。


「と言ってもな……そうだ」


 あることを思いついた僕はキッチンに行き、冷凍庫を開けた。千歳の家は小さい頃から結構来ているので、どこに何があるかは熟知している。

 それはあるものを探しての行為だったのだが、


「ーーーないのかよ」


 冷凍庫を覗き込んだ僕は、そう口の中で呟いた。

 その様子を怪訝に思った千歳が、首だけをこちらに巡らせて聞いてくる。


「何をしているの?」


「ん、アイスでも食おうと思ったんだけど、お前ん家アイス切らしてたんだな」


 残念感を滲ませてそう言うと、千歳がガバッと立ち上がった。


「アイス! それよ!」


 叫ぶと同時、千歳は人差し指を僕に突きつけた。

 勢い余ってワンピースの肩紐が若干ズレ落ちたので、慌てて目を逸らすことなくしかとこの目に焼き付けた。


 だが、そんな不躾な視線も気にせず、千歳は目を輝かせて宣言した。


「アイスを買いに行くわよ、一樹」


「……おぉ」


 そのあまりの気迫に、僕はそう答えるしかないのだった。




*****




 ーーーー数分かけて、近所のコンビニに辿り着いた。扉を引くと、程よく効いた冷房が僕たちを出迎えてくれた。


「……そうか、ここが天国だったのか」


「馬鹿なこと言ってないで早く扉を閉めなさい」


 ぺしっと、軽く頭を叩かれてしまった。

 いや、さっきまでいたあの家に比べれば、冷房ガンガンのコンビニは天国と錯覚しても致し方ない。

 恨みがましい視線を向けるが、その時にはすでに千歳は店内に入っている。

 遅れて僕もついて行くと、千歳はアイスが大量に入ったボックスの前で血眼になっていた。


「どのアイスにしようかしら……」


 未だ嘗て、こんなに必死にアイスを物色している女子高生がいただろうか。見ているこっちが恥ずかしくなり、つい周りの目を気にしてキョロキョロしてしまう。

 それから、そっと千歳に耳打ちした。


「おい千歳、みっともないから間近でアイスを睨みつけるのをやめろ。さっきからそこの小学生くらいの女の子がお前を奇異なものを見る目で見てるぞ」


 お母さんと思われる人が「見ちゃダメ!」と慌てて女の子を連れて行く様子が、そしてそんな風に思われる千歳が、見ていて悲しくなってくる。


 だが、当の千歳はそんなことは気に留めず、


「ちょっと、今真剣に選んでいるんだから、邪魔しないでもらえるかしら」


 なんて言うもんだから、取り付く島もない。

 いやお前、自分じゃわからないだろうけれど、前傾姿勢でいるせいで長い黒髪が垂れ、その上白いワンピースを着ているから、客観的に見るとなんかもう貞子みたいになってるんだよ。

 何も知らない子供が見たら若干のホラーだぞ、この絵面。


 そんなことを言っても今の千歳には無意味なので、僕は仕方なくコンビニ内を歩いて回ることにする。

 気分はさながら、子供のお菓子選びを待つ親のようだ。


 炭酸飲料と、幾ばくかのお菓子を持って(お菓子を選んだのは僕だった)、アイス売り場に戻ってくる。


 果たして、千歳は未だにそこにいた。


「いや、お前どんだけいんだよ。悩みすぎだろ」


「どれも美味しそうで決めかねているのよ。一樹はどれがいいと思う?」


「どうでもいいよ」


 どれでもいい、ではなくそう答えた。

 言ったとしてもそれは僕の好みだし、だからといって千歳のアイスの好みまでは知らん。

 こういうのは結局のところ、自分でピンときたものを選べばいいのである。

 それから、僕は自分が好きなアイスを1つ手に取り、あとは千歳を待つのみとなった。


 僕の返事を聞いた千歳は、頬を膨らませてこちらを睨みつけてくる。おいやめろ、お前そんな可愛らしい仕草をするような奴じゃなかっただろうが。


 不意打ちの可愛さに思わずドキッとしてしまった僕は、内心の動揺を悟られないように矢継ぎ早に畳み掛ける。


「どうでもいいけど、商品名は出すなよ。何か面倒くさいから」


「何が面倒くさいのかいまいちよくわからないのだけれど、確か前々回あたりでハーゲンダッツって言ってたと思うから、今更のような気もするわね」


「おいやめろ、僕もちょっとビビってるんだから」


 大丈夫だろうか。

 まぁ駄目なら指摘が飛んでくるだろう。

 ……来るよね? 来て欲しい。お願いだから来て! 違反を放置とかやめて! 胸が痛むから!


 顔に心情が出ていたのか、千歳がフォローを入れてくる。


「まぁその場合は、上手いこと伏せて『ハーゲん脱』とでも言っておくわ」


「なんかそれ、中年男性が見たらキレられそうなネーミングだな」


 上手いこと伏せられてないし。


「そこにさらにモウを付け足せば、あら不思議、『ハーゲ脱も…』」


「やめろ言うな」


 こいつは1度キレられた方が良いのかもしれない。

 言ってる側から新たなアイス追加してるし。


 度を越した暑さのせいなのかは定かではないが、今回、千歳の知能指数が大分下がっている気がする。

 どうか気のせいであって欲しい。イメージが崩壊してしまっては堪らない。


「確かに、気温は35度を越しているものね」


「ほら、そういうとこを言ってるんだよ」


 暑さは人を馬鹿にする。新発見である。

 夏休みの自由研究に使えるのではないだろうか。

 高校生に自由研究なんてないけれど。


 と、そんなくだらない会話をしている間にも千歳はアイスを物色していたのだが、まだ決められないようで、終いには「ど・れ・に・し・よ・う・か・な……」などと天の神様の言う通りにしようとしていた。


 おかしいな、こいつは基本的に即断即決タイプの人間なんだが。ファミレスとか行った時も、メニューを見たら僕よりも先に決めていることが多い。

 そんな千歳がこんなに悩んでいる姿が珍しく、ついつい急かすような口ぶりになってしまった。


「そんなに悩むんなら、いっそ食いたいの全部買えば良いんじゃないか?」


 そう言うと、千歳は意外に思ったような表情で振り向いた。


「いいの? でもそれじゃ、あなたの財布がピンチにならない?」


「なんで僕が払うこと前提で選んでたんだよ」


 それから数十分後、ようやく買うアイスを決めた千歳は、それを僕に渡してきた。あまりに自然な動作だったので、ついつい僕も受け取ってしまい、そのまま会計に通してしまった。

 ……おい、結局僕が払うことになってんじゃねぇか。まぁ、いいけどね? 何日か前に掃除を手伝ってもらったし、それがなくても勉強に付き合ってもらってるし、別にいいんだけどね?


 で、どうでもいい情報だが、千歳が最終的に選んだのは、僕が真っ先に選んだものと同じ商品だった。

 ……いや、それも別にいいんだけどね?

 ただ、こういう時って、大体違うやつを選ぶもんなんじゃないのかなーなんて、思ったり思わなかったりするだけで。


 思いのほかコンビニに長居してしまったため、アイスと、まぁその他諸々を買った後はそそくさとその場を立ち去ることにする。


 トイレに寄ったわけでもあるまいに、なんでこんなにコンビニに居なきゃいけなかったのか。涼しいから良かったものの、僕としては大分暇な時間を過ごした感が否めない。

 案外、即決の千歳がああして悩んでいたのは、クーラーが効いた場所に少しでも長く留まっていたかったからなのかもしれない。

 それならそうと言ってくれればいいのに、回りくどい奴だ。


 隣を並んで歩く千歳は、暑い外では長い髪が鬱陶しかったらしく、持っていたヘアゴムで髪を結び、ポニーテイルにまとめていた。そして、普段はあまり感情を表に出さないのだが、今は幾分嬉しそうな顔で買ったばかりのアイスを頬張っている。


 それを横目にしつつ、僕も自分のアイスにかじりついた。……うん、やっぱり暑い日のアイスは最高だな。


 しばらくそうして帰路についていると、千歳が話しかけてきた。


「ねぇ一樹。あなたのそのアイス、私も一口食べてみてもいいかしら」


「いいか千歳。それはお互いに違う食べ物を注文した際に発生するイベントだ。この状況では、ただ同じアイスをお前が僕より多く食べるという、何とも僕に不利益しかないイベントになる」


 リアルが充実したイベントについて講釈を垂れる僕。そんな謂に千歳もふむと頷き、


「なるほど。確かに、この前読んだラノベにそんなシーンがあったわね」


 なんて偏った納得をするのだった。

 ……それにしても、あれから大分こいつもラノベ色に染まったなぁ。こちらとしては、お気に召したようでなによりだが。


 益体もないやり取りを交わしていると、千歳の家が見えてきた。正確には、隣同士なので一緒に僕の家も見えているわけだが。


「さ、早く開けてくれよ千歳」


 手前にある千歳の家の前でそう言うと、千歳はきょとんと首を傾げた。まるで『何を言っているの?』とでも言いたげに。


「今から入るのはあなたの家よ?」


「……え? どうした急に」


 わけがわからない、という風に頭に疑問符を浮かべる僕に、千歳は呆れた様子でため息をついた。


「外出する前に言ったじゃない。私、これから数日間はあなたの家に棲むことにするって」


「あれ本気だったのか!?」


 当時は別に構わないなんて嘯いた僕だけれど、てっきり冗談だと思っていた。何か細部がすり替わっている気がするし。


 だがしかし、千歳はそんな僕を鼻で笑った。


「本気も本気よ。私は今まで本気じゃなかった時なんてない」


「すげぇこと言うな、お前」


「何よ、私を熱中症にするつもり? もしそんなことで私が死んだら、化けて出て、毎晩どころか四六時中あなたの耳元で、ゲップを我慢しながら円周率を永遠に呟き続けるから」


「ささ、千歳さん。いや、千歳様! 我が家だと思って、どうぞご自由におくつろぎくださいませ!」


 そう言って、勢いよく自宅のドアを開いた。

 そんな酷いことをやられたら、とてもじゃないが生きていけない。何が恐いって、いつ耳元でゲップを聞かされるかわからない状況下というのが1番恐い。


 千歳は満足そうな表情で、それこそ我が家のように僕の家の敷居をまたいでいった。


「ところで一樹、ふと思ったのだけれど、熱中症ってゆっくり言うと、『ね、チューしよう』に聞こえるわよね。くだらないけれど、これ、今後小学校とかで流行りそうじゃない?」


「お前の時は止まってんのか」


 大分前にすでに流行ったネタを、たった今、さも自分が最初に思いついたように言うな。

 そのネタ、もう廃れて風化してかなり経つぞ。


 数秒前に本気じゃなかった時なんてないと言いながら、早速息を吐くように冗談をぶっ込んでくる千歳に苦笑しながら、僕も後に続く。


 燦々と照りつける太陽の下、コンビニから歩いてきて汗ばんだ2人を、クーラーがガンガンに効いた天国が迎えてくれた。



 ーーーーあぁ。この世に夏が来る限り、クーラーは永久に不滅だと、そんなことを思う僕なのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る