第4話 読書
「今日は国語のお勉強回……お勉強会です。場所はここ、
「いきなりどうした。変なものでも食ったか?」
急にいかにもな説明口調で場面を解説し始めた
まぁ、今流行りの水でほぐすだけの簡易的なものだったので、あまり毒の入る余地はないとは思うけれど。
だが、そんな僕の心配は杞憂だったようで、千歳は首を横に振った。
「いえ、物語冒頭のシーンって、どうしても場面説明が必要じゃない? でも、どうすれば粋な入りになるのか、作者がいまいちよくわからないから、思い切って直截的に入ってしまおうかと思ったみたいで」
「作者って何だ。そして、お前は何でそんなに他人事みたいな口調なんだ」
そういうこと言うのやめてくれる?
あと、ついでに自己の悩みをキャラクターに乗せるのもやめろ、誰かとは言わないけれど。
僕が見えない誰かに怒りを覚えていると、千歳は気を取り直してこほんと1つ咳払いをした。
「では、もう普通に始めていきましょうか」
「そういう言い方をすると、まるで僕たちが今から芝居をするみたいじゃないか」
セオリーというか、お決まりを堂々と無視するな。
「いや、だってこういった私たちのやり取りって、結局は予定調和で」
「お前それ以上はマジでやめろ!」
こいつ、僕たちの日常を予定調和とかぬかしやがった!
物語の根幹を揺るがす発言をしようとした千歳を、若干強い口調で遮った。危ねぇ、これはさっさと本題に入った方が良さそうだ。でないと色々と破綻してしまう。
「いやー、こういう小説チックな会話は、いかにも国語っぽいな。お、そういえば今日は国語の勉強からだったな。よぉーし、早速始めるかー」
「リカバリーが絶望的に下手ね」
「……」
どうやら、僕に軌道修正の能力はないようだった。もし僕が宇宙飛行士だったなら、帰還途中に重大なミスを犯し、大事件を引き起こしていたに違いない。
良かったー、宇宙飛行士目指してなくて。
「て、てなわけでもう始めていくけれど、でもぶっちゃけ、こと国語に関して言えば、僕は別にお前の助けは要らないんだよな」
いつだかも言った気がするが、教科別に見てみれば、国語に関しては僕はそれなりの成績を取っている。定期テストでも20位以内は当然のこと、高くて10位以内にランクインしたこともあるくらいだ。
校内の順位では学力は測れないと言う人もいるだろうが、それなりに国語に特化した文系総合10位以内というのは、誇ってもいい成績だと個人的には思うのだが。
……ただ、それ以外の教科が壊滅的なので、総合的に見れば完全に落ちこぼれの部類に入ってしまうのが悲しいところである。
人間バランスが大事、出る杭は打たれる、ということか。全然意味違うけど。
とまぁ、こんな風に、僕は別に国語の心配はしていない。なので、今日は1人で国語の受験勉強でもしていようと思っていたのだが(5教科を毎日順繰りで勉強しているため、今日は国語の日なのである)、そう電話口で千歳に話した途端、僕の家に向かうと言われた次第である。
「なぁ、何でわざわざ僕の家に来る必要があったんだ?」
「……なんとなく、よ」
「お前はなんとなく異性の部屋に上がるのか」
なんとなくのノリで部屋に上がるとか何処のリア充だよ。もしかして僕たち、いつのまにかリア充に仲間入りしてたの? やだ何それ初耳学なんだけど。
……そんなことはもちろんなく、これはただの幼馴染クオリティーである。付き合いが長いと、別に用はなくともなんとなく家に来ちゃう、なんてことがまぁまぁよくある。
この場合、来ちゃったのではなく、半ば無理やり来られたのだけれど。
まぁ、これも前に言ったことではあるが、この勉強会は、ただ単に勉強を教えるだけではなく、僕がちゃんと勉強をしているのか、サボっていないか監視する目的も含まれているようだし。
それなら、今日もこうして僕の部屋に来たのにも納得できなくもない。
もう少し信用して欲しい、というのが本音ではあるけれど。
「放っておくと、あなたはいつ怠け出すか分かったものじゃないからね。いっそのこと、あなたの家に監視カメラでも付けられれば、私も楽で良いのだけれど」
「知ってっか? 世間ではそれを犯罪って言うんだぜ?」
幼馴染を犯罪者にしてまで学力を上げたいとは、僕は思っていない。
それに、そんな強制監視体制のもとでも、僕はあらゆる手を尽くしてサボろうとするだろう。むしろ、そういう状況だからこそ、どうやって監視者を欺いてやろうか、あるいは出し抜いてやろうか、なんて思考に落ちる未来が透けて見えるようだ。
「その思考は落ちているというより、堕ちているわね。『堕落』って、あなたのために作られた言葉だとさえ思うわ」
……いや、なんかさ、こう、逆境に立たされれば立たされるほど燃えることってあるじゃん?
だってほら、僕も男の子なわけだし。
王道なバトル漫画に熱中し、憧れた時代もあった。
男の中の男。
Man in man.
それが僕である。
……『男の中の男』を『Man in man』と訳すかは微妙なところだけれど。ていうか、絶対違うけれど。
まぁまぁそこはご愛嬌。僕の英語力の限界だと思って欲しい。
「それは男なんじゃなくてただのクズだけどね。まぁ、男という生き物は皆往々にしてそうなのだし、あながち間違いではないのかもしれないけれど」
「お前今、全人類の約半数を一斉に敵に回したな」
相変わらずの肝の太さ。いやはや、恐れ入る。
慄く僕をよそに、千歳は話を続けた。
「そろそろ話を戻すわね。まず、カメラをあなたの部屋の何処に隠すかだけど」
「いや、隠しカメラの話に戻ろうとするな。戻すべき話は、僕の国語の成績についてだろうが」
あと、仮にカメラの話題を引き継ぐとして、何故監視対象とカメラの隠し場所の相談をしようとしてんだ、こいつは。
そういうのは秘密裏にやるから意味があるのであってだな……いや、これ以上はやめておこう。また話が横へ横へと逸れてしまう。
千歳と話していると、ついついどうでもいい余計なことにまで話が及んじゃうんだよな。
僕の、というよりは僕たち2人の悪癖である。
「とにかく、国語に関しては僕はお前に教えてもらうことは何もない。勉強はちゃんとするから、邪魔だけはしないでくれよ」
さっきは逆境に立たされれば立たされるほど燃える、なんて少年漫画の主人公っぽいことを言った僕ではあるが、さすがに目の前に監視者がいるこの状況でサボろうとは思わない。
僕が千歳にお願い、もとい忠告すると、千歳は胸を張ってドヤ顔で答えた。
「あなたに勉強させようとしている私が、どうしてあなたの勉強を邪魔しなければならないのかしら。そんなことをする意味も、する理由もないじゃない」
……あ、こいつ絶対に何か企んでるわ。
長年を共にした幼馴染の勘が、間違いないと告げていた。
これが以心伝心、テレパシーってやつか。……嫌なテレパシーだなぁ。
大体、千歳ときたら、僕をいじめるためならどんなにめちゃくちゃで支離滅裂なことでも平然と、それこそ呼吸をするように自然にやっちゃうんだからなぁ。
数年前までは、好きな子に対して強く当たっちゃう小学生みたいな感じなのかな、なんておめでたい勘違いをしていたけれど、それを言ったら当時の千歳に、石どころか氷像にされるんじゃないかってぐらい物凄い冷ややかな視線を食らった。
なんなら本当に数秒間動けなかったまである。
僕が底冷えするほど嫌な思い出に意識を割いていると、千歳がなんか言ってきた。
「私は別にあなたをいじめてなんかいないわ。……そう、いじっているのよ」
「それ、いじめっ子の常套句なんだよなぁ」
1文字抜いただけで表現がマイルドになるんだから、日本語って難しいよな。ちなみに、『お前、〇〇いじめてるのか?』って質問に『俺はいじってるだけです!』なんて抜かす奴はほぼ確でいじめていると個人的には思います。
もしくはその自覚がないかだが、どちらかというとこっちの方が厄介で……あぁ、いかんいかん。またもや脱線しそうになってしまった。
こういう話は教育評論家に任せておけばいい。
僕は教育される側である。
「でも、本当に不思議よね。何故あなたのような脳なし落ちこぼれ高校生が、国語だけはそれなりにできているのか」
「ひでぇこと言うな。それと、脳の漢字間違ってるぞ」
脳はあるわ。正しくは能なし、な。
……いや、直したところで酷い言い草には変わりねぇな。能もあるわ、多分、メイビー。
こういうことに一々反応しているといつまで経っても終わりが見えないので、話を先に進めることにした。
「読解問題って、やってて楽しいんだよな。物語とか読んでると、結構すんなり頭に入ってくるし」
現代文は言うまでもなく、古文、漢文に至っても、割と面白い文章が多い。勉強度外視に、話や論だけ読んでも良いくらいだ。
「これも、僕の想像力の豊かさの賜物なのかねー」
つい調子に乗って僕がそう言うと、千歳は鼻で笑ってきた。
「あら、あなたが普段しているのは妄想でしょう? あなたが高いのは妄想力でしょう?」
「……それは否定しないが」
人間生きていれば、あることないこと妄想してしまうのは致し方ない。誰だって、授業中教室にテロリストが入ってきたらどうやって追っ払おう、とか、空から美少女が降ってきたらどう受け止めよう、とか、妄想したりするだろう。……するよね? 僕だけじゃないよね?
それにしても、妄想=エロい想像ってイメージがいつまで経っても拭えないのはどうしてなんだろうな。
やっぱりあれだろうか。
妄想してる時って顔がにやけちゃうことが多いから、周囲からすれば変態に見えるからなのだろうか。
「大学行ったら、そこんとこ調べて論文作ろうかな……」
「一樹、インターネットで調べれば一発で分かりそうなことを研究するのはやめなさい」
強い語調で諭されてしまった。
うーん、結構本気だったのだが。
仕方ない、あとでインターネットで検索するとしよう。
そう結論づけ、国語の話に戻ることにした。
「よくさ、国語力を鍛えるためには本を読むことが大事って言うじゃん?」
「……まぁ、そうね」
僕が突然まともなことを言い出したので戸惑い反応が遅れたが、僕の言葉に千歳も同意する。
学校で先生に国語の成績UPのための秘訣を教えてもらおうとすると、ほとんどの場合『たくさん本を読め』という回答が返ってくるだろう。
「あれもあながち馬鹿にはできないのかもしれない、と僕は思うんだ。まぁそうは言っても、ただ闇雲に読めばいいってわけじゃあないんだろうけど」
本にも読み方というものがあるのだ。
読書の習慣のない者がただ国語力を上げる目的で本を読み始めても、なかなか続かず三日坊主で終わるなんてのはざらにあるだろう。
まぁその辺の詳しい説明は専門家様に丸投げするとして。
「確かに一理あるわね。あなたも私も結構本読んでるし」
「……まぁな」
さりげなく自分も入れてきたところからもお気づきになったかとは思うが、ここで明らかにしてしまおう。
さっきから僕の成績ばかりに目が行きがちだが、千歳はもちろん国語の分野でも成績はトップクラス。
ーーーー否、トップクラスどころか、トップである。
トップ、つまり1番だ。ナンバーワンとも言う。
僕の記憶している限りではあるが、おそらく高校に入学してからこの方、国語に関してはその座を譲ったことはないのではなかったか。
もはや1位を取ることが基礎代謝と変わらないレベルの領域に達している。何それ、何の世代だよ。
とにかく、10位程度で誇らしげにしていた自分が恥ずかしくなるくらいの国語力を、こいつは有しているのである。
……改めて考えてみると、本当こいつとんでもねぇな。限定的ではあるが、チートにもほどがある。
僕が幼馴染との格差に打ちひしがれていることに気づくことなく、千歳は話を続けた。
「読書ができる人って、行間を読む力が自然とついているからね。学校の国語の問題なんかはそれで結構解けるものだし。そういう意味でも、読書は有効な方法だとは思うわ」
この話題を持ち出した僕よりも深い考察を千歳が披露していく。
そして、千歳は僕の部屋の本棚へと視線を移した。そこには上段の方から下段の方まで、結構な数の蔵書が並べられている。
「お前本好きだもんなぁ」
読書の話題になってからというもの、千歳の舌からいつもより毒が抜けている気がする。
よく、自己紹介の趣味の欄に、特に書くことがないからとりあえず読書って書いとこう、なんて輩がいるが、そういう人たちとは千歳は違う。
本当に、純粋な意味で読書が趣味なのだ。
その趣を味わっているのである。
かく言う僕も、読書は好きな方だ。本棚の蔵書数を見ればわかると思うが、元々アウトドア派というよりはインドア派だし、それに何より本を読む楽しさも理解している。
ーーーー本を読んでいる間は。
その時だけは、嫌なこと、煩わしいこと、その全てを忘れて創作物の世界に没頭することができる。現実の苦しみを、ただの紙に印刷された文字列が救ってくれる。
ーーーそう、勉強という苦しみからも。
「何やらあなたの闇の部分が明らかにされる展開かと思ったら、ただの馬鹿の現実逃避だったわね」
「苦行の程度なんて人それぞれだろ。僕にとっては何よりの苦痛なんだよ」
苦痛も慣れれば無痛になる、なんてよく言わないけれど、僕にとってはいくら積み重ねたところで勉強は痛みでしかない。
知識欲がないとは言わないが、僕が欲するのは教科書に載っているそれとは違う気がする。
しかし、こんなことを言っても千歳には言い訳にしか聞こえないらしく、さっきまでの穏やかな表情は何処へやら、射抜くような視線を投げかけてきた。
ーーーあぁ、それもそうか。
わざわざ僕から頼んで始めた勉強会なのに、それをつらいなんて言われちゃあ、頼まれた側の千歳としてはたまったもんじゃない。教えるモチベーションもだだ下がり、むしろ見放されることがないだけありがたいと思うべきだ。
そう考えると、千歳への申し訳なさと、自分の不甲斐なさが自覚され、自然と殊勝な気持ちになっていく僕だった。
大学受験用の国語の参考書と、ノートを開く。
思えば、千歳に邪魔をしないよう注意してからだいぶ時間が経ってしまっている。そろそろ本腰を入れなくてはならない頃合いだろう。
「……さてと、じゃあ始めるか」
「そう。……ところで一樹、この本のことなのだけれど」
「お前やっぱり邪魔する気満々だろ!」
頼むから、少しでもお前に申し訳ないと思った僕の気持ちを返してくれ!
声を荒らげる僕を意に介することなく、千歳は1冊の本を本棚から抜き取った。
それは、至って普通のーーーー否、僕にとっては至って普通の文庫本だった。
だがしかし、千歳には異様に映っただろう。
何故なら、その文庫本にはーーーー厳密に言うとその表紙には、豊かな胸を持った女の子が、煽情的なポーズで描かれていたのだから。
おそらく千歳はその本の背表紙に目を惹かれたのだろうが、手に取ってその表紙を目にした途端、冷水をぶっかけるような視線を僕に向けてきた。
今日も今日とて夏真っ盛り、冷水は本来ありがたいものなのだが、残念ながら比喩上の水にそんなありがたみはなかった。
「……何、これ?」
いやいや、だからお前のその笑顔恐いんだって。
「千歳、早まるな。それはだな……」
まるで犯人に人質をとられた警察の気分だった。この場合、人質ではなくて
「確かにあなたの言った通りね。あの時はまさか、小説の列に潜ませているとは思わなかったけれど」
千歳が言うあの時とは、前に同じく僕の部屋に来た時のことだ。どういう流れからだったかは忘れたが何故かエロ本の話になり、僕がエロ本の隠し場所についてあれこれ講釈垂れた記憶がある。
その時は、千歳は本棚の下段の方、雑誌が並んでいるところだけを漁っていたので、上段の方の小説には目がいかなかったのだ。
そうして数日前のことを思い出している間にも、千歳の凄みは増していく。……いや、確かお前、あの時結構嬉々としてエロ本探してたじゃん! なのに何で今こんな状況になってんの!?
かつてないほどに焦る僕だが、ここであることに気づいた。
……そういえば、別に何も僕がこんなに焦る理由はないじゃん。
つい雰囲気に流されてしまったが、だってその本はーーーー
「千歳、お前は勘違いしている。ーーーそれは、エロ本じゃない」
「エロ本じゃ……ない? そんなはずは……だってこんなに巨乳な女の子が、こんなにエッチなポーズで、こんなにエッチな表情をしてるじゃない!」
「……」
少しは恥じらいというものを持てよ、千歳。
そういうことを堂々と言えちゃう女子高生なんて、お前だけだと思うぞ。
あと、誤解がないように一応付け足しておくが、この本の表紙は千歳が言うほどエッチな構図ではない。
雰囲気に当てられて、千歳も若干誇張している節がある。
だがまぁ、この際そんなことはどうでもいい。
僕は軽く息を吸い、再び口を開く。
「千歳。それはなーーーライトノベル、というんだ」
「ライト……ノベル?」
聞きなれない単語に首を傾げる千歳に僕は苦笑する。やっぱり知らないか。
千歳がラノベを読んでいる姿なんて、正直言って想像できない。おそらく本屋さんにそんなコーナーがあることすら知らないだろう。
「ノベルというからには、小説なの?」
「あぁ、そうだ」
ていうか、そんなん開けばわかることだろ。
何だ、開くのもおぞましいってか。
その後、僕は千歳にライトノベルの何たるかを懇切丁寧に熱弁した。
その間、千歳は相槌を打ちながら静かに聞いていたが、やがて僕が話し終えると、1度深く頷いた。
伝わってくれただろうか。
「なるほど……つまり、これは非リアの童貞オタク向け小説ということね」
全然伝わっていなかった。
「違ぇよ! お前は何を聞いていたんだ!」
心底馬鹿にしくさった顔でラノベを掲げる千歳に、僕は激昂する。
それにしても、非リア童貞オタクって辛辣すぎる。
身近に似たような存在でもいるのだろうか。
「お前も実際に読んでみればわかるよ、ラノベの良さが」
僕もラノベ全般を肯定する気はないが、面白い作品は結構ある。僕が揃えている作品はそこそこ人気も高いものだし、千歳にも理解できるだろう……多分。
「……まぁ確かに、百聞は一見に如かず、という言葉もあるわね。ではちょっと読んでみて、改めて酷評するとしましょうか」
「あっ、酷評することは確定なんだ」
持っていた本を棚に戻し、そのシリーズの1巻を取り出した千歳は、部屋のベッドに寝そべって読書を開始した。
それを横目に見やりつつ、僕はやっとの思いで勉強を始める。
ーーー初めの口絵イラストを見て顔をしかめた様子は見なかったことにしておこう。
*****
ーーーーそれから、どれだけの時間が経っただろうか。壁に掛けられた時計に目をやれば、針は夕刻を指し示していた。
僕にしては結構、いやかなり長い時間集中できたのではないだろうか。得意な国語ならば、嫌な勉強でもそれなりに続けられるようだ。
前傾姿勢のまま固まった身体をほぐそうと軽く伸びをする。すると、ベッドで横たわったまま読書を続けている千歳が目に入った。
「おー、お前も結構長い時間本読んでたんだな……って、は?!」
その驚きの光景に、僕は目を丸くして素っ頓狂な声を上げてしまった。
ーーー僕のベッドの上では、そこかしこにラノベの山が出来上がっていた。その山は、最初に手に取ったラノベのシリーズで構成されている。
そして、数ある山の中心に千歳がおり、今も一心不乱にラノベに読み耽っているのだった。
よくよく見てみれば、千歳が今読んでいるのは、初めに読んでいたシリーズの、現時点での最新巻である。
つまりそれは、この時間で10冊以上ものラノベを読破していたことを意味する。
目の前の現実に僕が戦慄していると、千歳は読んでいた本をぱたんと閉じた。どうやら最新巻も読み終わったらしい。
あれだけボロクソ言っていたラノベに触れた今、果たして、千歳は何を思っているのだろうか……。
俯いていて表情が窺い知れないので、こちらから直接聞くことにする。
「で……どうだった?」
読む前の酷評が思い出され、つい声が震えてしまう。そんな僕の情けない声を聞き届け、千歳はようやく顔を上げた。
ーーーー静かな興奮を、その表情に宿して。
「……面白いわね、これ」
声色は努めて冷静だが、若干頰が紅潮しているのがわかる。
その様子を見て、徐々に緊張が氷解していった。
「だ、だろ? 面白いだろ?」
「何だか癪だけれど、そうね」
一言余計なことを加えつつも、千歳は賞賛の言葉を口にした。好きな読書のこととなると、自分に嘘はつけないらしい。
そして、千歳は周囲の山の中から読み終えた本を1冊抜き出した。
「まずここのシーンなのだけれど……」
読後感はそのまま、早速感想の共有に走ろうとする千歳。
わかる、わかるぞその気持ち。
「あとはこのシーンのヒロインといったらもう……」
その後、千歳の具体的なレビューは小一時間続いた。
ーーーーどうやら僕は、幼馴染の新しい扉を開けてしまったようである。
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