第2話 キャラ

「平安京は794年でしょ。『鳴くようぐいす平安京』って小学校で習わなかった? 694年は藤原京よ。こんな初歩的な知識も持ってないの? ここまでくると、もはや私に構ってもらうためにわざと馬鹿を演じているとしか思えないわね」


「ちょっと待て。初手から結構な罵詈雑言じゃないか」


 問題『694年に、中国の都城にならって遷都された宮都を何というか答えよ』


 僕のノートに書かれた『平安京』という解答を見て、千歳ちとせがフルスロットルで捲し立てた。

 目線は同じ高さなのにもかかわらず、ものすごい上からの物言いに、僕は思わず待ったをかける。

 本日は、僕の部屋で、社会、ひいては日本史の勉強である。うちの学校では、2年進級時に、社会分野では日本史と世界史のどちらかを選択することになっており、僕と千歳は両方とも日本史選択なのだ。


 僕の理由は単純明快、カタカナの単語が覚えられないからだ。1年生で初めて世界史の教科書を見た時、そのあまりのカタカナ用語の多さに戦慄し、即漢字に逃げた僕である。

 ちなみに、どちらの成績も優秀な千歳が日本史を選んだ理由は不明である。聞いても教えてくれなかった。


「いやでもさ、国際関係に興味があるから世界史を選ぶっていう輩がいるけどさ、実際問題それってどうなのよって話だよな。国際的に活動したいなら、より日本のことを知っていないといけないだろ。自国をプレゼンすることだってあるだろうし」


 自国のことも理解していない奴が、世界に羽ばたいていけるとは思えない。まずは身の回りのことから。基本である。


 僕が我ながらなかなかの理論だと自己満足に浸っていると、千歳も顎に手を当ててコクリと頷いた。


「確かに一理あるわね。あら、あなたにしては結構な意見じゃない。で、それって誰のパクリ?」


「パクリじゃねぇよ!」


 一応自分で思いついたよ! まぁ、僕なんかが考えつくような意見は既に誰かが提唱していて、それも完膚なきまでに論破された後なのかもしれないけれど!


「まぁ、そもそもあなたがそんなことを考えて科目を選んだとは到底思えないけれどね。どうせアレでしょう? カタカナじゃなくて漢字なら、崩し字で採点者の目を何とか誤魔化せるかもしれないとか、そんな姑息で卑怯で矮小な考えだったんでしょう?」


「いや違うから。本当に違うから」


 かず君はそんな姑息で卑怯で矮小な人間では決してない。もっと堂々としたキャラで売っているつもりだ。


「そうね。小学生レベルの歴史問題を堂々と間違えているものね。男前だわ」


「……」


 言い訳をさせてくれ。

 もちろん僕だって『鳴くようぐいす平安京』なんて有名すぎる語呂合わせくらい知っていたさ。知っていたとも。でもさ、『藤原京』という用語が思いつかなかったんだよ。だから、むしろこれは問題集側のミスで、794年が694年と誤表記されちゃってるんじゃないの? なら、平安京で正解じゃん!

 と、そんなことを考えてしまったわけなのである。


「藤原京を知っていれば良かった話じゃない」


 ど正論。

 毒舌も皮肉も何もなく、何のひねりもないど正論を叩きつけられた。


 何か言い返してやりたいと思ったが、ノートに記された『平安京』の三文字を見て、何も言えなくなる僕だった。今すぐ消しゴムで消し去りたい。ついでに数分前、自信を持ってこれを書いた自分も消し去りたかった。


「せっかく覚えやすいように語呂合わせを考えてくれたのに、これじゃあ桓武天皇が浮かばれないわ」


「いや、前回も似たような感じのがあった気がするけど、別に桓武天皇が語呂合わせを考えたわけじゃあないからな」


 そんなやり取りを挟みながら、残りの問題を丸つけしていく。


「まぁ、丸つけとは言いつつ、丸なんてほとんどついていないんだけれどね」


「やめろ。言うな」


 半ばヤケクソ気味に赤ペンをテーブルに放り投げ、頭を抱えながら僕は言った。


「何故だ……用語は知っているはずなのに、なんでわからない……」


「典型的なパターンね。日本史は用語よりもまず、流れを理解しないと。初めに骨格を作ってから、用語で知識を肉付けしていくのよ」


「なるほど。わからん」


 相変わらずこいつの言うことは全然理解できん。僕を困らせて楽しむためにわざと言っているとしか思えない。


「駄目だ……このままだと僕は、頭が悪いこと以外に取り柄のない、ただのアホキャラとして定着してしまう……」


「そもそも馬鹿なことは取り柄ではないけれどね」


 むしろ恥部の部類よ、と千歳は付け足した。

 それから続けて、


「でも、確かにあなたって頭の弱さ以外に目立った特徴ないわよね。顔普通、スタイル普通、運動普通、中身も中途半端………ねぇ、あなたって何のために生まれてきたの?」


「僕が知りてぇよ!」


 あと、描写してなかった僕の特徴をわざわざ細かく挙げるなよ! 多分、描写する価値もなかったってことなんだからさぁ! お前と違ってあらすじに書かれていなかったところで察しろ!

 ……なんか、自分で言っててすごく悲しくなってきた。もう死んじゃおっかな。


「駄目よ一樹。早まってはいけないわ」


 絶望の淵に立たされた僕に、幼馴染から救いの手が差し伸べられた。


「ち、千歳……」


「この前私が立て替えたジュース代、まだ返してもらってないもの」


「たった150円ぽっちのために自殺を止められた!」


 そんなもん今すぐ返すわ!

 リュックから財布を取り出し、150円を千歳に手渡した。


「うむ。150円、確かに」


「高額な裏取引みたいな言い方をするな」


 いつにも増してノリがいい千歳にそう突っ込んで、僕は深い深いため息をついた。


「はぁ……なんか、もう今日は勉強やる気が起きないわ。残りは明日に回す」


「明日も同じセリフを言っているのが容易に想像できるわね」


 まぁいいわ、と千歳は続けた。どうやら、僕のあまりの絶望顔を見て、千歳なりに何かを悟ったらしい。


「キャラか……難しい問題ね。私にはどうにもできそうにないわ」


「お前は結構なキャラ要素含んでるけどな」


 頭良くて可愛くてスタイル良くて運動もそれなりにできる。まぁ、こいつの場合性格の悪さがそれらプラス要素を相殺しちまっているが、その性格の悪さもこいつのキャラ、と言えなくもない。

 そう、こいつは性格が……性格が………

 …………………………………


「……今頃気づいた」


「何を?」


「お前って、友達いないよな」


「……」


 重い、重過ぎる沈黙が僕の部屋を支配した。今日は、先週ぐらいから続いていた猛暑が収まり、比較的涼しい日なので、クーラーはつけず、窓を全開に開けている。今この場で聞こえるのは、風になびいたカーテンが揺れる音だけだ。


 さらに、位置的に揺れるカーテンのそばにいた千歳は、一際強く吹いた風によるカーテンの煽りをもろに受け、その顔面が僕から見て完全に覆い隠される。


 風が止み、その顔が露わになった時ーーーーそこには、悪魔のような天使の微笑みがあった。


「一樹。もう一度言ってくれるかしら。ーーー言えるものなら」


「ーーーー」


 こっっっっっわ!

 何あの笑顔!ものすげぇ怖いんだけど!

 アレに比べたら、般若面とかの方がよっぽどマシに見える!


「な、何だよお前、気にしてたのかよ。まぁ、確かにその性格じゃ、友達なんてできるとは思えないが」


「そこから動かないで。もし数ミリでも動こうものなら、ナニをどうするかわからないわよ」


「何がカタカナなところには僕は突っ込まないからな!」


 突っ込んでたまるか。

 それから数分間、僕たちは互いに互いを睨み合い、剣先を向け合った。そして、ふっ、という短いため息と共に、千歳が剣を下ろした。それを見届け、僕も警戒を解いていく。


「今回は見逃してあげる。次はないわよ」


「だったら友達を作る努力をしろ」


 とは言うものの、多分無理だろうなぁ。

 私がこんな態度を取っちゃうのはあんたの前でだけなんだからっ!

 なんて、そんな都合のいいツンデレヒロインみたいな奴では、こいつはないのだ。誰に対しても、いついかなる時も千歳はこんな感じ。これがこいつの自然体。

 相手にできるのは、せいぜい両親か、それこそ長年連れ添ってきた幼馴染くらいのものだろう。

 いやー、慣れって怖いなぁ。


「で、話を元に戻すけれど」


 僕がしみじみと物思いに耽っていると、千歳がそう言ってきた。


「話って? お前に友達がいないって……ごめんなさい」


 今度は笑顔でも何でもなく、ただただ鋭く睨まれた。蛇に睨まれた蛙の気分を味わった。


「そうじゃなくって、あなたの、現時点で存在しないキャラクター性のことよ」


 そう言って千歳は考え込んだ。


「こうなったら、いっそのことお馬鹿キャラとして生きていくしかないのかもしれないわね。一昔前だけれど、テレビでも流行ってたわけだし」


「嫌だよ。そんな不名誉なキャラクター」


 落ちこぼれから脱却したくて、今こうして千歳と一緒にいるのに。それじゃあ本末転倒だ。


「あら。馬鹿なことって、そんなに不名誉なことではないわよ」


「は? そんなわけあるか」


 第一、お前が僕を罵る時の常套句じゃないか。


「いえ、関西圏では『アホ』っていうのは褒め言葉だってことは知ってる?」


「それはまぁ……有名な話ではあるよな」


 何故そうなのか、詳しいところはわからないが。


「でも、それがどうした。ここは関東だぞ」


「いえ、だから、関西で『アホ』が褒め言葉として捉えられているのとは逆に、関東では『馬鹿』は褒め言葉として使われているのよ」


「え? そうなのか?」


 初めて知った。そんな話、聞いたこともないが。


「まぁ、東と西とでは文化がまるっきり真逆というのはよくあるから。言葉の捉え方も対になってたりするわけね」


 へぇー、そうなんだ。また1つ賢くなっちまったぜ。


「……あれ? てことはあれか? お前って、今までずっと僕のことを褒めてくれてたの?」


 ふと思い至って聞いてみると、千歳は頭を押さえて、露骨なため息をついた。まるで、何でそんなことにも気づいてくれなかったの、とでも言いたげに。その悲しそうな顔を見て、僕の中に罪悪感が募る。


「そうだったのか……悪かったな。僕の勉強不足のせいで」


「別に、あなたが気にすることじゃないわ。だって嘘だもの」


「嘘なのかよ!」


 呼吸をするがごとく、流れるような速さで嘘をつかれた。さっきのため息は、どうやら、簡単に騙される目の前の馬鹿を哀れんだ故のものだったらしい。


「なんでそんな嘘つくんだよ。結構本気で信じちゃったぞ」


「いえ、あなたがどの程度の嘘まで信じるのか知りたくて。でも、この調子なら、第2フェーズに移行しても問題なさそうね」


「なんだよ第2フェーズって。僕が知らないところで僕を騙すための計画を立てるなよ」


「? 知ってるところでやったら、騙すことにならないじゃない」


「確かにその通りだが、そもそも計画を立てるなって言ってるんだよ!」


 まぁ、これもこいつなりの冗談だと信じたい。……大丈夫だよね? 本気じゃないよね?

 これからは、千歳の言動の1つ1つに注意を向けなければならないのか……なにそれ面倒くせぇ。


「ちょっと、あなたが面倒くさがったら、ぼっちな私は一体誰とお喋りに講じればいいの?」


「さっきまでそれ関係ですげぇヒステリックになってたのに、急にネタとして扱うな。1話の中で速攻キャラぶれとか笑えないから」


 一度決めたらちゃんと貫こうな。初志貫徹、大事。


「……そうね、キャラぶれは良くないわ。では、私もスパルタ家庭教師キャラを再開しようかしら」


 そう言って、薄く微笑む千歳。


「……やっぱり、嫌なことを後回しにするのは良くないよな。いやぁ、『明日やろうは馬鹿野郎』って良い言葉だなぁ」


 千歳の(冷笑の)おかげで失っていたやる気を取り戻し、僕は今の今まで放ったらかしにし、明日に回そうとしていた課題を今一度やっつけにかかった。

 ノートを覗いてくる千歳の視線を一身に受けながら、日本史の問題集を解き進めていく。


「そういえば、さっきの話だけれど」


 数ページ進んだところで、いきなり千歳が言ってきた。


「あれから、あなたの新たなキャラ、いろいろ考えていたのだけれど」


「あぁ、そのことか。別にもういいよ。あんまり気にしないことにしたから」


 それよりも、僕が勉強している間、千歳が僕のためにそんなことを考えていてくれたのが意外だった。


「でも、聞くだけ聞こうか。どんなの思いついたんだ?」


 シャーペンを動かす手を止めて、僕は向かい側の千歳に目を向けた。


「えぇ。例えば、ドSヒロインからの罵倒に、体面上言い返しながらも、実は内心興奮しまくりの、生粋のドMキャラとか」


「僕はマゾじゃねぇ!」


 これだけははっきり言っておく! 断じてそれはない!


「では、攻略難なツンデレヒロインにいつまでも執着し続ける、身の程知らずな童貞キャラとか」


「喧嘩売ってんだなそうなんだな!」


 第一、お前がデレたところなんて見たことねぇよ!


「あら、別に私のことなんて一言も言ってないじゃない」


「嵌められた!」


 もう嫌だこの子……。肩を落としてわかりやすく落ち込む僕を見て、千歳が最後にボソリと言った。


「ーーーでは、面倒くさい幼馴染の面倒を永遠に見なければならない、幸せな苦労人キャラ、とかね」


「何が幸せだって……え? 永遠?」


 顔を上げた僕の目の前では、千歳が頬杖をついて僕を見詰めていた。


「ふふっ」


 そして、僕が抱いた疑問は、続く千歳の柔らかな微笑みに、瞬時に打ち消されていったーーーーー

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