19話.真心

 今から8年前の話だ。

 当時9歳だった優は、煙幕術などの簡単な術が使えるようになり、正式に『術者登録』を行うこととなった。

 『術者登録』とは、術者が全国各地の術者集会所で自分の情報を登録することを意味する。この『術者登録』は日本中の術者を管理するために義務化された制度であり、たとえプロの術者ではなくても、術が使える術者は必ず登録を行わなければならない。

 一般的に術者一族の子供は10歳くらいで簡単な術が使えるようになるから、術者登録も大体それくらいの歳で行う。そして術者集会所ではそんな子供たちに術者としての基本的な義務を教育する。

 それで9歳の優も母と一緒に術者集会所で情報を登録した後、教育を受けた。そして優はそこで自分と同じ理由で集まっていた子供たちに出会った。

 優は彼らとすぐ友達になった。現在では想像もできないことだけど、9歳の優は明るくて社交的な子供だったのだ。そんな優は新しい友達、しかも術者の友達ができたことに喜んだ。

 しかし数日後、仲良くしていた彼らからの連絡が途切れた。それで優が集会所の部屋で慌てていると、二人の男女が近づいてきた。

 優はその二人が友達の両親だということに気付いた。


「すまないけど」


 友達の父親が口を開いた。


「もうこれ以上うちの子とは遊ばないでほしい」


 優はその言葉に驚いて、自分が何か悪いことでもしたのか聞いた。


「いや、君が悪いわけではないけど……君の一族がね」


 友達の父親はできるだけ優しい声で説明した。


 「君の一族が嫌いな人はたくさんいるんだ。だから君と一緒にいると、うちの子までイジメに遭うかもしれない。そういうことだから……本当にすまないけど理解してくれ」


 友達が両親が去った後も、優はその場に立ち止まったまま何もない空間を見つめた。


---


 静原瑞穂は最近機嫌がいい。学校もアカデミーも楽しいし、週末もスターディグループで楽しんだ。とにかく勉強以外は何もかも満足だ。勉強以外は。


「ただいま」


 そして月曜日の夜……瑞穂は何が起きているのかまったく知らないまま、笑顔で帰宅した。


「あら?」


 しかし次の瞬間、瑞穂はちょっと首を傾げる。いつも深夜に帰宅する瑞穂の父親が、今日は何故かもう帰ってきていたのだ。


「お父さん、もう帰ってきていたんだ」


 瑞穂の父親は強張った顔でリビングルームのソファーに座っていて、その隣には瑞穂の母親もいる。母親はちょっと暗い顔だった。


「瑞穂、ちょっとこっちに来い。話したいことがある」


 父が固い声で言った。いつもとは明らかに雰囲気が違う。


「何の話?」

「とにかく来い」


 瑞穂は父親と母親の反対側に座って、抱えていたコマちゃんを床の上に置いた。


「瑞穂、お前……真田というやつと友達になったって言ったな」

「うん、真田優君。それがどうしたの?」


 週末のスターディグループに行く前に、樫山君や真田君と一緒に勉強するつもりだと両親に報告した。そして両親の反応はまったく気にせず、家を出かけたのだ。


「そいつの正体は知っているのか?」

「正体? 真田君は真田君だよ」

「あいつは人狼だ。知らなかったのか?」

「もちろん知っている。でもそれがどうしたって言うの?」


 娘の反応に父の声が大きくなる。


「お前、人狼一族がどういうやつらなのか、歴史の時間に学ばなかったのか?」

「それと真田君は関係ないでしょう……?」


 父と娘の声がちょっと大きくなる。母と猫は沈黙を保つ。


「とにかくそいつと一緒に行動するのはやめろ」

「嫌、絶対嫌」

「知り合ってからそんなに時間も経っていないだろう。一体何が問題なんだ?」

「時間なんて関係ないの! 私たちはもう友達なんだから!」

「お前がそう言ったって無駄だ。そいつにももう連絡しておいた。明日からアカデミーを辞めるらしい」


 瑞穂が目を大きくして、口を手で覆った。


「どうしてそんなことをするの……?」

「ここまでしなきゃお前が言うことを聞かないからだ」

「信じられない……」


 瑞穂の目から涙が落ちた。その姿を見て母親が何か言おうとしたが……瑞穂はそのまま走り出して、靴も履かず家を出て行ってしまった。


---


 瑞穂は公園のベンチに座って、涙を流した。


「どうして……」


 どうしてそんなことをするんだろう。一体何で私の友達に酷いことをするんだろう。瑞穂には理解できなかった。だからこそ涙が止まらなかった。

 いや、今は泣いている場合ではない。


「真田君に謝らなきゃ……」


 幸い携帯は持っている。真田君に電話して、ちゃんと謝ろう……瑞穂はそう思った。


「でも……」


 でも真田君は今頃大変怒っているに違いない。電話したらむしろ逆効果になるんじゃないかな……いつもわがままな瑞穂だが、今は必死に相手の気持ちを考えた。


「どうすれば……」


 こういう時にどう対応すればいいのか、彼女には正直分からない。


「健……」


 いつも助けてくれる人の顔を思い出した瑞穂は、立ち上がって足を運んだ。そして10分後……彼女は友達の家に着いて、玄関のベルを鳴らす。


「静原……?」


 素早く玄関に出た樫山健が、相当驚いた顔で瑞穂を見つめる。


「とにかく入ってきて。家には僕しかいない」


 彼はまず瑞穂を落ち着かせて、ゆっくり事情を聴いた。


「まさかそんなことが……」


 しかし頭のいい健でも、こういう事態は想像もしていなかった。


「樫山君、私……どうすればいいの……?」


 瑞穂の目からまた涙が落ちる。


「泣くなよ、静原」


 健が瑞穂の肩を掴んだ。


「真田君は僕たちの友達だ。だから僕が静原のお父さんを説得してみる」


 彼の揺るぎない声に瑞穂も少し勇気をもらって、涙を止めた。


「これから君の家に行くけど……足の方はどうだ? 大丈夫か?」

「大丈夫」


 瑞穂の答えに健は頷いた後、玄関の靴棚から一足の靴を探し出す。


「ちょっと古いけど……女性用の靴はこれくらいしかないんだ。使ってくれ」

「ありがとう」


 やがて二人は一緒に歩き始めた。そして道の途中、健は時々振り向いて瑞穂の顔を確認した。そんな健の姿に瑞穂は心が温まった。


---


 健と瑞穂は、瑞穂の父親と母親の反対側に座った。

 沈黙が流れた。両側とも相手が発言するのを待った。


「樫山君……」


 結局先に沈黙を破ったのは瑞穂の父親だった。


「君ならよく知っているだろう。真田一族……つまり人狼たちがどんなことをしてきたのかを」

「はい、大体の歴史は知っています」

「なら人狼一族の後継者が人々から嫌われるのは仕方のないことだと思わないのか?」

「確かにそれは仕方のないことかもしれません。しかし表現方法が間違っていると思います」

「表現方法?」

「はい。本当に人狼に不満があるのなら、人狼一族の当主に正式に抗議すればいいだけのことです。そうしなくて裏でこそこそと、しかも抵抗できない相手を責めるのはイジメの以外の何ものでもありません」

「……君は私がイジメをしていると言っているのかね?」

「はい」


 健が揺るぎない声で答えた。それでまたしばらく沈黙が流れた。


「私も……」


 今度も瑞穂の父親が沈黙を破った。


「私も子供まで責めたりしたくはない。しかし……瑞穂のためにはそうするしかないんだ」


 瑞穂と父親の視線が一瞬だけ交差する。


「君は世代が違うから実感できないだろうけど、真田一族に……人狼に憎悪や嫌悪を抱いている人はたくさんいる。そして実際に『人狼狩り』を行った人もたくさんいる。君や瑞穂が真田一族と一緒にいると、その憎悪に巻き込まれてしまう」


 瑞穂の父親は人々の憎悪による悲惨な事件を何度も目撃した。だからこそ本気で恐れている。


 「『人狼狩り』が禁止になり、暴力を振るう時代は終わったけど……人々の心の中で憎悪が消えたわけではない。きっかけさえあればまた悲惨なことが起こる。『闘争の時代』を生きてきた術者なら誰もが知っていることだ。だから皆あの呪われた一族と……人狼たちと関わろうとしないのだ」


 健がゆっくりと頷く。


「おっしゃることは良く分かりました。僕は『闘争の時代』を経験して世代ではありませんが、そんな悲劇を繰り返させたくないという気持ちは理解できます。でも悲劇を繰り返させないためには、問題を見て見ぬふりをして関わろうとしないより、暴力以外にも何か方法があるということを示した方がいいと思います」

「その役目を君や瑞穂が担う必要はないと言っているんだ……!」


 瑞穂の父親が首を横に振る。


「君の言っていることは人間として正しいかもしれない。しかし正しいことのために自分を犠牲にしたところで、結局誰からも褒められることはない。むしろ馬鹿だと嘲笑うやつらがほとんどだ……!」

「僕と瑞穂は……誰かから褒められるために行動しているわけではありません。自分たちがそうしたいからしているだけです」


 健の声に感情がこもる。


「それに、ここで自分自身のために友達を見捨てたら……将来には自分自身のために家族をも見捨てるようになるかもしれません。それだけは……避けたいと思います」

「……そうよ」


 ずっと黙っていた瑞穂が口を開いた。


「私は頭が悪いから……樫山君のように考えていることをちゃんと話すことはできない。でも……周りの人々を大事にしたい。たとえ馬鹿だと嘲笑われても、周りの人々を大事にする人になりたい……!」


 瑞穂の目から涙が流れ落ちた。


「……この辺にしておけ」


 そう言ったのは猫のコマちゃんだった。


「人狼だろうが人狼狩りだろうが、瑞穂を虐めようとするやつらは皆私がぶっ倒す。だから今は……瑞穂の好きにさせてやれ」


 皆の視線が瑞穂の父親に集まる。瑞穂の父親はため息をついて、肩を落とす。


「……弘道さんがそうおっしゃるなら……分かりました」


 その言葉に瑞穂と健の顔が明るくなる。


「じゃ、私は……真田君に謝りに行く」


 瑞穂が涙を拭いて席から立つと、健も席から立って、二人は一緒に家を出た。


---


 真田優は自分の部屋の隅でしゃがみ込んでいた。

 いつかはこんなことになるかもしれないと最初から予想はしていた。しかしいくら予想していたとは言え、落胆してしまうのは仕方がない。

 優は瑞穂と健のことが本当に好きだ。あの二人と一緒にいると、別に大したことをしなくても楽しい。できればこれからもずっと友達でいて欲しかった。

 いや、これでいい。人狼の俺が傍にいたら、あの二人に何か悪いことが起きるかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。だから……これでいい。優はそう思った。

 詩織は……権力者の娘だし、お金持ちだからまだいい方だ。でも優と本当に結婚すれば後ろでいろいろ言われるだろう。できればそんな迷惑はかけたくないけど、一族の事情が絡んでいるから仕方がない。


「実家に……帰ろうか」


 アカデミーを辞めて実家に帰る。もうそれしか選択肢がない。このまま東京にいてもどうしようもない。実家に帰って、なるべく人と関わらないようにしよう。

 泣きたい。ひたすら泣きたい。しかし泣くわけにはいかない。ここで泣いてしまうと、また崩れちまいそうだから。今の優にそれは許されない。

 それで優が必死に涙を我慢していた時、いきなり玄関のベルが鳴る。こんな時間に誰なんだろう? 父さん? 詩織? 優はちょっと驚いて玄関に近づく。


「お前たち……?」


 訪問者の正体を確認した優は急いで扉を開く。


「どうしてここに……」


 玄関の外には、瑞穂と健が立っていた。


「ごめんなさい……!」


 瑞穂が深く頭を下げる。


「うちの父が酷いことを言ってしまって……私がもっと気を使うべきだったのに……本当にごめんなさい!」


 瑞穂は必死に謝りながら、涙を落とす。


「父は樫山君が説得してくれたから……だから……できればこれからも私たちの友達でいてください!」

「いや、俺は……」


 優は言葉を探す。


「……静原が謝ることなんてない。悪いのは……俺だ。俺と一緒にいればお前たちまで……」

「そんな心配はいらないよ、真田君」


 健が口を開いた。


「僕たちはいずれ戦闘術者になって、毎日誰かのために怖い魔物と戦わなければならない。つまり今ここで友達を見捨てて逃げるようでは、まともな戦闘術者にはなれない」


 健の揺るぎない声が周りに響く。


「自己保身のために真田君を見捨てるという選択肢は、最初から存在しないんだ。だから……もし真田君が嫌だと言っても、僕は友達でいるつもりだよ」

「うん、本当樫山君の言う通り……ずっと私たちの友達でいて……お願い!」


 健と瑞穂の真心が、優の心を揺るがす。


「俺は……一人で……」


 『俺は一人でいた方がいい』……そう言いたかった。しかしそれはできない。友達が見せたくれた真心に、優も真心で答えなければならない。


「……ありがとう」


 その言葉と共に、優は我慢していた涙を流した。そして泣きながら頭を下げる。


「俺の方こそ……お願いだ……! これからもずっと……俺の友達でいてくれ……!」

「もちろん!」


 瑞穂が笑いながら、泣きながら答えた。そしていつも冷静沈着な健も、眼鏡を外して涙を拭きながら頷いた。

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