18話.変化

 健と瑞穂、そして優はアカデミー2階の閲覧室に入って、隅っこのテーブルに座った。


「それでは『スタディグループ』の活動を始めます!」


 瑞穂が意欲のある声で宣言した。でも実際に頑張って勉強するのは彼女を除く二人だ。


「コマちゃん、お手!」


 30分後、集中力が切れた瑞穂はコマちゃんと遊び始める。


「……私に向かって何を言っているんだ、瑞穂」

「今貴方を訓練しているの! お手!」


 猫がため息をつく。


「お前さ、健と人狼のガキは頑張って勉強しているんだぞ。少し見習ってはどうだ?」

「うん……でも……やっぱり……勉強はつまらないし」


 瑞穂とコマちゃんの会話を聞いていた少年二人は内心苦笑した。こうなることは最初から予想済みだ。

 しかし次の瞬間、瑞穂が目を輝かせる。


「そうだ! 真田君からプロの活動について聞こう!」

「……は?」


 優は驚いて瑞穂を見つめた。何かの冗談……ではなさそうだ。


「だって、先輩の経験を聞くのも立派な勉強なんでしょう?」

「いや、でも……」


 優が首を横に振ったが、健は頷いた。


「確かにそうかもしれない。プロが実際にどんな風に仕事をするのか、僕もちょっと興味がある」

「樫山、お前まで……」


 こうなると自動的に多数決だ。優は話を始めるしかなかった。


「しかし俺もまだ新米だし……大した経験なんてないよ。だから何から話せばいいのかよく分からない」

「じゃ、今まで戦った魔物の中で一番手強かった相手は?」


 瑞穂が即座にインタビューを開始する。


「それは……魔犬、かな」

「魔犬? その……ワンちゃん?」

「うん、人の顔をした犬みたいな魔物だけど……」


 優は魔犬との戦いについて簡単に説明した。


「あの時は本当に危なかったよ。術の展開が少しでも遅かったら、俺はその場で死んだはずだ」

「へえ……」


 瑞穂は少し驚いたようだ。


「その後、真田君はどうしたの?」

「その後?」

「うん、本当に怖い経験だったんでしょう? 仕事を辞めたいとか思わなかったの?」

「いや、俺は……傷を治して、また仕事に行ったけど」

「へえ、真田君って本当に勇敢だね! 私だったら怖くて何日も休んじゃうかも」


 そう、それが普通だ。戦闘術者だって結局は人間だ。命をかけて戦うことに疲れて、心が傷ついてしまうことも普通にある。詩織もそう言っていた。


「……別に俺が勇敢なわけではないよ」


 ただ喧嘩好きで、乱暴なだけ。これはやっぱり『呪われた一族』だから、人狼だからなんだろうか。


「ふん、そういうところは本当に瑞穂も見習ってほしいな」


 そう言ったのはコマちゃんだった。


「戦闘術者は命をかけて戦うのが仕事だ。瑞穂、お前のような臆病者は一人前になれないんだよ」

「コマちゃん!」


 瑞穂はわざと怒ったような顔をしたが、猫は無視する。


「まあ、でも魔犬くらいに苦戦するのか。人狼のガキもまだまだだな」

「え? コマちゃん、魔犬について知っているの?」

「もちろんだ。私を誰だと思っているんだ、瑞穂。大妖怪様なんだぞ」

「へえ、そうなんですか?」

「そうだ。私が本気を出せば、お前らが3人でかかってきても一瞬で終わりだ」


 コマちゃんが傲慢な態度で笑った。小さい猫なのに気はやたら大きい。


「じゃあ、大妖怪様、これはどうですか?」

「な、何をするんだ、瑞穂」


 瑞穂が猫の脇腹をくすぐる。


「何が大妖怪様だ、可愛い猫のくせに。えいっ、えいっ」

「や、止めろ!」

「えいっ、えいっ」


 そうやって大妖怪様は女子高生に負けた。


---


 2時間くらい勉強した後、優たちは休憩時間を取ることにした。

 アカデミー1階のレストランで飲み物を頼み、雑談を始める。別に特別じゃないけど楽しい時間だ。


「……ところで、二人に一つ聞きたいものがあるんだけど」


 雑談がちょっと途切れた瞬間、優がそう言い出した。


「こんな質問をするのはちょっと失礼かもしれないが……」

「言ってみて」

「二人が戦闘術者目指している理由が知りたいんだ」

「理由……?」


 瑞穂が首を傾げる。


「それが……樫山は頭がいいからさ、戦闘術者よりアカデミーの研究員の方が似合うと思うし、瑞穂は……性格的に戦うのが嫌いそうだし」


 以前からそれが疑問だった。戦闘術者は難しくて危険な仕事だ。なのに友達二人は何故この道を選んだんだろう。


「僕は……早くお金を稼ぎたくてさ」


 健が恥ずかしそうに答え始めた。


「うちはあまり余裕がないんだ。だから大学とか研究室に入って勉強するより、少しでも早く役に立ちたい」

「なるほど」


 その気持ちは理解できる。優自身も早く自立したいから戦闘術者になった。まあ、優の場合は戦闘術者の他にできることなんてないけど。


「私は……強いて言えばかっこいい、からかな」


 瑞穂もちょっと恥ずかしそうに答えた。


「かっこいい? 戦闘術者が?」

「うん!」

「そんなにかっこいい仕事では……ないと思うけど」


 魔物たちに散々やられた日々を思い出した優は、自然と苦笑いをした。


「ううん、かっこいいよ! だって、お爺ちゃんが凄くかっこよかったんだから!」

「お爺ちゃん?」

「うん、うちのお爺ちゃん、戦闘術者だったんだ。それもたくさんの人々を救って、いつも周りから尊敬できる人だと言われたの」


 瑞穂が彼女に抱かれている猫を撫でる。


「コマちゃんも元々はお爺ちゃんの使い魔だったんだけど……お爺ちゃんが亡くなる前に、私に任せてくれたんだ」

「なるほど」


 つまり瑞穂はお爺ちゃんに憧れて戦闘術者を目指しているのだ。その気持ちも理解できる。優も自分の父に少し憧れているから。

 同じアカデミーの生徒でもいろんな事情と思いがある。その当然なすぎることが、今の優には何故か新鮮に感じられた。


「最後はちょっと違うな」


 コマちゃんが喋り出す。


「お前に私を任せたんじゃなく、私にお前を任せたのさ」

「何言ってるの? 可愛い猫のくせに」

「や、やめろ!」


 そうやって大妖怪様は2連敗した。


---


「……結局のところ、スタディグループって半分は遊びだったんですね?」


 月曜日の朝から、詩織が痛いところを突いてきた。


「それは……そうだけど」


 優が視線を逸らす。結局週末は勉強2時間、雑談2時間、カラオケ2時間、そして食事……そういう感じだった。おかげで瑞穂や健とはより仲良くなったけど、これではスタディグループというより遊びグループだ。


「まあ、それでいいんですよ」

「……何が?」

「ストレス解消も集中力を維持するために大事です。あまりオーバーワークしても効率が下がるだけですよ」

「それは……そうかも」


 このアカデミー4階の空き教室は、もうすっかり優と詩織の専用空間だ。二人は少し離れて座って、自分の勉強を始める。


「……そう言えばさ、詩織」

「はい?」

「お前も週末にはストレス解消とかするの?」

「何故そんなことを聞くんですか?」

「いや、お前はいつも頑張っているからさ……遊んでいるところがちょっと想像できなくて」

「私もたまには息抜きくらいしますよ」

「そう? じゃ、息抜きの時間には何をするの?」

「それは勝手に想像してください」


 何だよ、趣味くらい教えてくれてもいいじゃん……と思ったが、実は優も詩織に向かって趣味の話をするのはちょっと場違いな感じがする。

 詩織と会話をする時の話題は、『勉強』、『鍛錬』、そして『仕事』だ。つまりいつも『実用的な会話』ばかりしている。お互いの趣味は何なのか、好きな色は何色か、好きな歌とかはあるのか……そういう私的なことは全然分からないし、話題になることもない。


「……優さん」

「ん?」

「先週の金曜日に、優さんのお父さんと私の父が相談しましたよね」

「そうだけど」

「その相談の内容は知っていますか」

「いや、具体的な内容までは知らない。でも大した話ではなかったらしいよ」

「そうですか」


 詩織は何かを考えている様子だ。


「……時期が時期だから、私たちの婚約の件について相談したんじゃないかと思いましたが」

「ああ、婚約が『保留』になったからか」


 一理ある。真田家と藤間家の同盟は、優と詩織の婚約で結ばれている。その婚約が『保留』になったから、両家の当主が相談してもおかしくない。


「でもさ……保留とか何とか言っても、同盟が維持されている以上……結局は婚約することになるんじゃないかな」

「そうでしょうね」


 逆に言えば、同盟が破棄されたらそこで詩織との関係は終わりだ。いや、万が一の場合は……詩織と敵対することもあり得る。

 いや、まさかそこまで極端な事態が起こるはずは……でも……。


「……ゲームです」

「ん?」


 いきなり聞こえてきた詩織の言葉を、優は理解できなかった。


「私は息抜きの時間にゲームをします」

「それは……ちょっと意外だな」

「駄目ですか? 私がゲームするのは」

「いや、駄目がわけがあるか」


 優は何かちょっと笑えてきた。豪邸の部屋に座って、熱心にゲームをしている詩織の姿を想像してしまったからだ。


---


 その日は詩織が書類仕事で忙しかったから、式神との鍛錬はできなかった。代わりに優は実習室の隅で一人で精霊術を練習した。

 練習の後、ちょっと休んでから『戦闘基礎』クラスの教室に入った。するともう席に座っていた瑞穂と健が、明るい顔で挨拶してくる。


「あ、真田君! こんにちは!」

「こんにちは、真田君」


 二人の挨拶に優も珍しく明るい顔で「こんにちは」と返して、彼らの傍に座る。


「ね、今週の週末、花見に行くつもりだけど、真田君も一緒に行きましょう!」

「花見? いいよ」


 瑞穂の提案に優は即答した。花見に行きたいという気持ちもあるけど、何より友達と一緒に喋ったり遊んだりしたい。


「よし、決まりね! ところで、今日の真田君はご機嫌だね」

「そう見える?」


 優自身にはよく分からない話だ。でも確かに気持ちは悪くない。

 そのまましばらく花見について話していると、詩織が教室に入ってきた。それで今日の授業が始まる。


「安倍晴明は魔物たちと交渉し、一時的に休戦を……」


 月曜日の1時限目は歴史、2時限目は魔物学だ。正直どっちもあまり好きな授業ではないけど、今日の優は楽しく勉強した。


「今日の授業はここまでです。皆さん、復習をおろそかにしないように」


 いつの間にか2時間が経って授業が終わった。


「じゃ、一緒にご飯食べましょう! その後はもちろんカラオケ!」


 授業が終わると生き返る瑞穂が、いつも通りの提案をしてきた。しかし優は困った顔で首を横に振る。


「あ、ごめん。今日は仕事に行かなければならないんだ」

「え? そうなの?」

「うん、食事もその……仕事仲間と一緒にする予定だ」


 優は自分でお金を稼いで生活しているから、あまり長く狩りを休むわけにはいかない。それで今日は詩織と一緒に食事をして、ルシードドリームに行くつもりだ。


「真田君の仕事仲間ってどういう人なの?」


 瑞穂の唐突な質問に優は慌てる。


「あいつは……いいやつだ。意地っ張りで、冷たい一面もあるけど……ちょっと面白いところもある」

「へえ……よかったら後で私たちにも紹介してね!」

「うん」


 今はいろんな事情が絡んでいるから、詩織との関係について話すことはできない。でもいつかは瑞穂と健に何もかも打ち明ける日が来るだろう。その時はちゃんと謝らなければならない。


「じゃ、真田君、また明日!」


 明るい声で挨拶する瑞穂、そして優しい顔で手を振る健。優は彼らと別れて詩織との待ち合わせ場所に向かった。


「アカデミーも……悪くないな」


 無意識的に鼻歌を歌いながら、独り言を言った。最初は正直面倒くさかったけど……授業も有益だし、いろんな資料も閲覧できる。詩織との鍛錬も、厳しいけど本当に役に立つ。

 そして何よりもいい友達ができた。それだけでもアカデミーに通っている甲斐がある。できればこれからも瑞穂や健とはずっといい友達でいたい。


「ん?」


 急に携帯が鳴った。知らない番号からの電話だ。


「誰だ……?」


 いつもの優なら無視したかもしれない。しかし妙な予感がして、優はその電話に出る。


「もしもし」

「真田君だね?」


 知らない中年男性の声だ。


「はい、そうですけど……」

「私は瑞穂の父親だ」


 瑞穂のお父さん……? 優は少し驚いた。


「君にぜひ言っておきたいことがあってな」

「はい、何でしょうか」

「うちの娘とこれ以上親しくするのはやめてもらいたい」


 その言葉に、優は何もかも理解した。


「……分かりました。ご迷惑をかけてしまってすみません」


 優が沈んだ声で答えた。


「その……自分は明日からアカデミーを辞めます」

「そこまでする必要はないけど、そうしてくれると助かる。では、これで」


 電話が切られた後も、優はしばらく携帯に耳を当てたまま何もない空間を見つめた。


「優さん?」

「……詩織」


 いつの間にか詩織が目の前に立っていた。


「どうしたんですか? 待っていても現れないから探しにきたんですよ」

「すまん。その……電話をしていたところだ」


 優は携帯をポケットにしまった。


「そうですか? とにかく何か食べて、狩りに行きましょう」

「いや、その……すまないけど今日の狩りは休みたい」


 詩織が優の顔を凝視する。


「どうしてですか? 何かあったんですか?」

「いや、別に。ただ……疲れただけだ」


 人狼の優の体がそう簡単に疲れるわけがない。つまり疲れたのは体の方じゃなくて精神の方……詩織はそう判断した。


「すまん、詩織。お前にも迷惑をかけてしまったな」

「はい?」

「じゃ、俺は帰るよ」


 優は疲れた足取りで、アカデミーのロビーに向かった。

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