17話.前進

 優は部屋に座って、父と一緒に果物を食べた。


「お前はお肉ばかり食べているはずだから、敢えて果物を買ってきた」

「ありがとう」


 メロンとリンゴ、そしてバナナ。確かにいつもの優なら全然食べないものだ。


「藤間家のお嬢さんとは仲良くしているのか?」

「仲良くも悪くもないよ。仕方がないから一緒にいるだけ」

「そうか。どういう人なんだ? アカデミーの教師だと聞いたか」

「そうだな……頭はいいけど厳しいやつだよ。今日も散々やられたし。この前は……」


 優は詩織について簡単に説明した。


「なるほど、しっかりした人のようだな」

「そうかも。でも俺は優しい子が好きだ」


 息子の反応に京志郎は微笑む。


「アカデミーの方はどうだ? 授業は面白いのか?」

「授業はなかなか有益だと思う。詩織も教師としては有能だし……それに、友達もできたよ」

「友達?」

「うん、静原と樫山。実は今日もカラオケで……」


 今度は瑞穂と健について説明した。


「そうか。いい友達だな」

「うん、二人とも本当にいい友達だ」

「でも、優……」

「分かっているよ」


 優が真面目な顔になる。


「この先どんなことが起こっても、あの二人を恨んだりはしない」

「……そうか。それでいい」

「うん」


 しばらく沈黙が流れる。


「……父さん、家族たちはどうしているんだ?」

「いつも通りだ。お前がいなくなったせいで、美奈がまた寂しがっている以外はな」

「面倒くさいやつ」

「そう言うな。たまには実家に戻って家族たちに顔を見せてやれ」

「まあ、分かったよ」


 確かにたまには実家に戻るのも悪くない。しかし今はこの東京で自分を鍛えたい。


「ところで、父さんは何で急に東京まで来たんだ?」

「実は藤間英治からの呼び出しが来て、明日彼に面会する予定だ」

「そうか」


 優が頷く。


「実は俺もこの前、藤間英治に会って話したよ」

「お前が? 一人で?」

「うん。何故俺と詩織のやつを結婚させようとするのか、その答えが聞きたくて」

「それで答えは聞いたのか?」

「それが……真田京志郎という人物を高く評価しているし、その息子の俺にも期待しているからって……」

「そうか。つまりお前も彼の本音を聞き出すことはできなかった、ということだな」

「そうかな……」


 確かにその答えは建前の可能性が高いだろう。しかし優は、何故かそれが藤間英治の本音のような気がした。それくらい真面目な口調だったのだ。まあ、ただ彼の演技が上手いだけなのかもしれないけど。


「しかし藤間英治を直接見て……その術力の強さに驚いた。氷川修司もそうだけど、規格外術者って本当に強いんだな」

「氷川修司? 彼とも会ったのか?」

「うん」


 優は氷川修司に出会った夜のことを簡単に説明した。


「そうか。そんなことがあったのか」

「今まで父さんくらいに強い術者なんか見たことないのに……あの二人を見て、ちょっと認識を変えたよ。世の中って広いもんだな」

「それはお前が井の中の蛙だからだ。私くらいの術者なんて探せばいくらでもいる」

「いや、流石にそれはないと思うけど。真面目な顔で冗談を言うのは止めてくれ」


 いつも真面目な京志郎が、こんなくだらない冗談を交わすのは息子と話している時だけだ。


「藤間英治と氷川修司は、二人とも現在日本術者界の頂点であり、考え深い人物たちだ。彼らの真意が分からない以上、できるだけ……」

「できるだけ慎重に行動しろ、ってことだろう?」

「ふっ、まさかお前の口から慎重という言葉が出て来るとはな」

「何だよ。父さんも俺をそんな風に考えていたのか。俺だって考えて行動するさ」

「それは分かっている」

「ん?」

「お前は一見無謀に見えるけど、実はお前なりの考えがある。だから私は、いや、私だけではなく家族たちはみんなお前のことを信じている」

「……何だよ、急に」


 優の顔が赤く染まる。父から褒められるのは本当に久しぶりだ。


「……あ!」


 優が急に何かを思い出して、声を上げる。


「そう言えば父さんに聞きたいことがあった」

「聞きたいこと?」

「うん、実は俺、精霊術の改良を考えている」


優は鞄の中からノートを持ち出して、父に見せる。


「アカデミーから学んだ分析方法を応用してさ……でも俺の知識が足りなくて」

「なるほど」


 京志郎が慎重にノートを読みながら頷く。


「だから父さんにいろいろ教えてもらいたいんだ。特に精霊術の根本的な原理について」

「分かった。私が知っていることを教えてやる」


 それから父と息子は、時間が経つのも忘れて夜通し会話をした。それは優にとって予想外の楽しい時間だった。できればこのままずっと父と一緒にいたかった。


---


「何かあったらすぐ連絡しろ。家族には頼ってもいいから」

「うん」

「じゃ、元気でな。優」


 京志郎は朝早く優のアパートを出た。これから詩織の父、藤間英治に会いに行くんだろう。

 優は玄関の前に立って、遠ざかっていく父の姿を見守った。そして父の背中が見えなくなると、アパートに入って外出の支度を始める。


「……よし、俺も頑張ってみるか」


 父の背中を見たおかげなんだろうか、何かやる気が出てきた。これで今日も頑張られる。今日も前に進める。


---


「では、今日の鍛錬を初めてみましょうか」


 午前中、優はアカデミーの実習室で詩織の式神と再び対峙した。


「今日の式神は昨日よりもうちょっと激しく攻撃します。もちろん優さんは変身せず戦ってください」

「ああ、分かった」


 まるで狼のような式神……昨日はこいつに散々やられた。決して強い相手ではないけど、変身せず戦うのは流石に厳しい。

 優が昨日の経験を生かして慎重に防御術を使うと、式神が突進してきた。


「うっ……!」


 式神の攻撃は昨日よりも素早く、激しい。詩織の言った通りだ。優は歯を食いしばって右手の防御術を固めながら、左手で『精霊水流術』を使った。式神は優の術を回避するように動いたが、数秒後、結局精霊の力によって束縛された。


「……よし」


 昨日はこの時点で攻撃手段がないということに気が付いた。しかし今日は違う。優は右手の防御術を解除して、代わりに別の術を駆使した。すると式神の頭上から何かが降り始める。


「……雪?」


 それは真っ白な雪だった。いろんな術を勉強した詩織すら、雪を使う術は見たことがない。

 式神は頭上から降ってくる雪を無視して、精霊術の束縛を突破しようと足掻いた。しかし真っ白な雪に当たれば当たるほど、式神の抵抗が弱くなっていく。そして数秒後……式神はその場に倒れて動けなくなり、やがて姿さえ消えてしまう。


「勝った……」


 優はその場に座り込んだ。大量の術力を消耗したせいで反動がきつい。


「優さん、大丈夫ですか?」


 詩織が冷静な顔で聞く。


「ああ、大丈夫だ」

「そうですか。無理しないでください」


 詩織は優に近づいて、さっきまで雪が積もっていた地面を手で触ってみる。


「それにしても……雪の形状の術は初めて見ました。たぶん雪に触れた相手の術力と体力を奪う術なんでしょうね」

「よく分かるな、その通りだ。『精霊雪花術(せいれいせっかじゅつ)』というものだけど……昨日父に教わったよ」

「昨日?」

「ああ、お前のお父さんに会うため、昨日東京に来たんだ」

「そうでしたか。でも一日で……」


 術に対する理解度が高い術者なら、簡単な術を一日で習得するのは不可能ではない。しかし新しく取得した術を初めて使ったら、熟練度の低さによる『術力の浪費』が生じる。特に新米の術者は『術力の浪費』のせいで生命力まで削られ、倒れることもよくある。しかし優からそんな兆候は見られない。


「……まあ、優さんには似合わない綺麗な術でしたね」

「へ、そうかい」

「とにかく優さんが一匹の式神に勝てるようになりましたから……次回は2匹で行きましょう」

「はあ!?」

「何か不満でも?」


 詩織が凍りつくような冷たい眼差しを送ってきた。どんな言葉も通じそうにない。優は諦めた。


---


 鍛錬が終わった後、優は家に帰って少し休憩を取った。今日の授業は水曜日と同じく実習だから、授業が始まる前にしっかり休んでおくように詩織から言われたのだ。


「真田君!」

「こんにちは」


 そして授業の時間が近づくと、優はいつも通りに『戦闘基礎』クラスの教室で友達と合流する。


「今日の実習は恥をかかないように頑張ろうね!」

「うん」


 そうは言ったけど、結局その日の実習も瑞穂が最下位、優がその次、健が最上位……つまり前回とまったく同じ結果だった。優と瑞穂も頑張ったけど、他の生徒たちも頑張っているから順位は変わらないわけだ。


「まあ、とにかく今日は終わりか」


 繰り返される日々……しかしそれが目標への一番近い道だ。今の優はそれを理解している。


「真田君は週末に何するの?」


 授業の後、瑞穂のいつも通り突発的な質問をしてきた。


「週末? 別に……予定はないけど……」

「じゃ一緒に勉強しましょう!」

「勉強?」

「うん!」


 瑞穂が笑顔を見せる。


「実はね、私は成績が悪いから、樫山君にいろいろ助けてもらっているんだよ!」

「静原、それは大声で言うことじゃないと思う」


 健が苦笑する。


「とにかく、私一人で助けてもらっては恥ずかしいから……真田君も参加してスタディグループを作りましょう!」

「スタディグループ……」


 確かに頭のいい健からいろいろ教えてもらうのは、いいアイデアかもしれない。しかし……瑞穂と健の二人だけの時間を邪魔することになるんじゃないかな? 優の頭の中にそんな疑問が浮かんだ。

 いや、そもそも瑞穂と健は互いをどう思っているんだ? 健は瑞穂のことをまるで妹みたいに気を使ってくれているけど、本当にそれだけなのか?


「僕もいい考えだと思う。真田家の精霊術にはちょっと興味があるし、真田君からいろいろ聞きたい」


 健がそう言ってくれた。優はちょっと考えてから心を決める。


「じゃ、やってみるか……スタディグループ」

「決まりね!」


 実を言うと、週末には詩織に教えてもらう予定だった。しかし詩織に、藤間家にこれ以上借りを作りたくない。それに詩織だって好きでもないやつと無理矢理付き合うのは嫌いなはずだ。優はそう考えた。

 優はちょっと後ろに下がって、健と瑞穂の姿を見つめた。この二人といると自分の周りの状況がまるで嘘みたいだ。 同盟とか婚約とか、全部別世界の話のように感じられる。

 できればこの二人とはいつまでもいい友達でいたいと、優は切に願った。

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