15話.狼を見る目(後)
「真田君!」
「こんにちは」
優は瑞穂の左隣に座った。もうここが優の指定席だ。
「今日は一緒にご飯食べようね! その後はカラオケ!」
「カ、カラオケ!?」
「うん、私、カラオケ大好きなんだ!」
いくら友達になったとはいえ、まだ知り合って三日目だ。いきなりカラオケは困る。しかし瑞穂はそんな優の気持ちなんかまったく考慮しない。
「静原、真田君を困らせてはいけないよ」
健が瑞穂の暴走を制止してくれた。
「え? そうなの? 困るの?」
瑞穂が目を丸くして優を見つめる。
「い、いや……俺は歌が下手くそだから……」
「大丈夫! 楽しければそれでいいの!」
目を輝かせている瑞穂に『NO』と答えることはできない。
「じゃ、俺も……行こうかな……」
「そうこなくちゃ!」
瑞穂はもうカラオケにいるような楽しい顔だ。
「静原、カラオケもいいけど、勉強にもちょっとやる気を出してくれ」
健が苦笑しながら忠告すると、瑞穂が急激に暗くなる。
「ま、まだ4月だし……まだ時間あるし……まだ……」
その時、扉が開いて詩織が教室に入ってきた。生徒たちは雑談を辞めて、先生に注目する。
「授業を始めます」
詩織の宣言にみんな教科書を開いた。水曜日の1限目は『術の理論』だ。
「ではまず復習からしてみましょうか。静原さん」
詩織がいきなり瑞穂を指名した。
「は、はい!? 私ですか!?」
「はい、そうです。術の施行においての4段階の名称を話してください」
緊急事態に瑞穂は必死に頭を回転させる。
「そ、それが……理解、具現……そして……制御……そして……そして……」
「解消」
隣の健が小さな声で言った。
「……そして解消です」
「正解です。『理解』、『具現』、『制御』、『解消』……どんな術でもこの4段階で構成されます」
瑞穂が安堵の溜息を漏らす。
「各段階について簡単に説明すると、まず一番目の『理解』は術そのものについて理解する段階です。この段階では術を使うための様々な原理を身に着けて、体内の術力をどう活用すればいいのか勉強します。4段階の中で一番才能に左右される段階でもあり、才能のある術者はより容易く術を理解し、より容易く習得します」
この1段階での才能の有無こそがプロ術者になれるかどうかの分岐点である。10代にもうプロとして活躍する場合があれば、いくら時間をかけてもプロになれない場合もある。
優はちょっと特別なケースで、人狼の力が使える代わりに精霊術以外の術は習得しにくい。いくら頑張っても他の人々とは体の中の術力を流れが全然違うからだ。
「二番目の『具現』は理解した術を実際に具現する段階です。正確に理解していれば具現自体は比較的簡単ですが、術によってそれ相応の術力は必要で、術力が足りなけげれば失敗します。そして三番目の『制御』は具現した術を制御して安定化する段階で、この段階は熟練度に大きく左右されます。いくら才能のある術者だとしても初めて使う術を上手く制御することは困難で、威力が落ちたり術力が更に消耗したりします。故に練習と鍛錬を重ねて熟練度を高める必要があります」
生徒たちは詩織の説明を真面目に聞いた。一応瑞穂を除けば皆知っている話だけど。
「最後は『解消』……その言葉の通り、前の段階で消耗した術力の反動を解消する段階です。消耗した術力が大きければ大きいほど反動も強くなり、反動が自力で解消できる範囲を超えれば生命力が削られ危険にさらされます。術力が強くなればその分反動の解消も容易になるので、術者なら術力を高めるために鍛錬するのが基本です」
優が小さく頷いた。優自身は人狼に変身して戦うだけで数時間くらい苦しみを味わう。しかし父の京志郎は強力な精霊術まで使っても何ともない。絶対的な術力の差があるからだ。
「結局のところ、術は才能と努力の両方が必要です。才能のある術者は難しい術も容易く理解し、先天的に強い術力を持ちますが……それだけでは足りません。精進を重ねて、熟練度と術力を高める努力があってこそ一人前の術者になれます」
詩織は生徒たちの顔を見回した。
「皆さんは才能を認められてここに集まった人材たちです。しかし精進を疎かにしてはなりません。そのことを忘れないでください」
誰よりも頑張っている先生からの言葉だ。重さが違う。
「では実際に簡単な術から『理解』してみましょうか。まずは防御術の一つ、『円の壁』です」
詩織が術の説明を始めた。『円の壁』は透明な壁で自分の身を守る、防御術の中でも一番簡単なものだ。優だって使えるから、たぶんここにいる全員が使えるだろう。
しかし詩織はその簡単な術を体系的かつ詳細に分析して、生徒たちにその原理を理解させた。それは優にとって新鮮な経験だった。ただ術を習得するだけではなく、『術への理解力』そのものを高める授業だ。
優は自分の婚約者の顔を見つめながら、彼女の声に集中した。
---
「次の授業は地下の実習室で進行します。皆さん、遅れないように」
詩織がそう言って教室から出ると、みんな動き始める。
「実習室?」
「うん、真田君も早く行こう」
優は瑞穂や健と一緒に教室を出て、地下に続く階段へと向かった。
「実習室があるのか。どんな場所なんだ?」
「このアカデミーでは術や魔物の研究も行っている。つまり安全に術を試す場所、そして安全に魔物を観察する場所が必要で、その一つが実習室ってわけだ」
健が親切に説明してくれたが、新しい疑問が湧く。
「魔物を……観察? 魔物は全部消滅させるんじゃなかったの?」
「『魔物隔離原則』にはいくつか例外があるよ。実験対象や、今瑞穂が抱いている猫のようにね」
「あ、そう言えばこいつも魔物だった」
優が目を丸くして、瑞穂に抱かれている猫を見つめる。
「言葉に気を付けろ、子犬。こいつが何だよ、こいつが」
猫が優を睨んだ。本当に生意気なペットだ。
「じゃ、どう呼べばいいんだよ」
「コマちゃんと呼べばいいよ」
瑞穂が猫の代わりに答える。
「コマちゃん?」
「うん、猫又だからコマちゃん」
猫がしかめっ面になる。
「瑞穂、私には弘道(ひろみち)という立派な名前が……」
「おじさんっぽくて嫌。コマちゃんはコマちゃんだよ」
瑞穂は猫の反発を軽く無視した。猫は何か言いだそうとしたが、結局目を瞑る。
「と、とにかく……この猫も魔物なのにどうしてここにいられるんだ?」
「それが数少ない例外さ。コマちゃんは元々静原のお爺さんの使い魔だったけど、その時期の活躍が認められて隔離されなかったんだ。でもその代り、力を抑える首輪をつけている」
よく見ると確かに猫の首輪には奇妙な模様が描かれている。いわゆる封印だ。
「私が今まで何人の命を助けたと思っているんだ。恩知らずな人間どもめ……」
猫が目を瞑ったまま愚痴った。
「あの首輪のせいで、今はただ静原の喋るペットだ。本当は相当強い魔物のはずなのにね」
健が苦笑する。ちょっと同情しているようだ。
「私はそんなの嫌。コマちゃんはこのままの方が可愛いし」
「使い魔を戦わせたくないというなら、最初から戦闘術者なんか目指すなよ」
猫がまた愚痴った。確かに一理ある言葉だが、また無視された。
そんな話をしているうちに、優たちは地下1階に着いた。薄暗い廊下を少し歩くと『実習室』と書かれている扉が見える。
「おお」
扉を開いた瞬間、優は思わず声を出した。薄暗くて広い部屋の真ん中には強力な封印が描かれていて、隅々には封印道具が置かれている。魔物は絶対逃げられない構造だ。
ところが実習室の中に一歩踏み入った途端、優は自分の体がちょっと重くなったような感じがした。人狼の力が封印に影響を受けているのだ。大した影響ではないが、人狼に変身でもしたら術力の損耗がいつもより激しくなるだろう。
「ここに座ろう!」
瑞穂の提案で、3人は中央の封印から一番近い椅子に並んで座る。
「これは……」
各々の椅子の下には、円形状の複雑な模様が描かれている。これはたぶん生徒たちの安全のために設置された『防御陣』なんだろう。
なるほど、この実習室なら多少危険な術を使っても安全そうだ。優は納得した。
やがて生徒たちが全員揃った時、詩織が実習室に入ってきた。詩織は中央の封印の真ん中に立って、生徒たちを姿を確認する。
「全員揃ったようですね。それでは『術の実習』の授業を始めます」
生徒たちは椅子に座ったまま詩織を注目する。
「今日はついさっき勉強した『防御術』を実習しますが……その前に、樫山さん」
詩織はいきなり健を指名した。
「はい」
「『防御術』を優先して取得しなければならない理由について話してください」
「自分の身を守ることも、戦闘術者の義務の一つだからです」
健が落ち着いて答えると、詩織が頷く。
「正解です。もちろん戦闘術者は民間人を守るために命をかけて戦わなければなりませんが、皆さんは全員大事な人材です。危険な状況で自分の身をしっかり守ることも義務の内です。それゆえに防御術を優先的に取得する必要があります」
詩織が一歩前へ出て、生徒たちに近づく。
「では皆さん、各々の防御陣の真ん中に立ってください」
生徒たちは立ち上がって、各々の椅子の下に描かれている防御陣の真ん中に立った。優も彼らの行動を真似した。
「私が『展開』と宣言すれば、皆さんは『円の壁』を展開して、自分の身を守ってください」
生徒たちはみんな余裕のある顔だった。『円の壁』は極めて簡単な術だからだ。
「皆さんの顔に余裕がありますね。しかしこの授業は単に『円の壁』を実習するだけの授業ではありません」
詩織が微かに笑う。
「術を展開した後は、私が『解除』と宣言するまで『円の壁』を解除してはなりません」
その説明に生徒たちが緊張し始める。やっとこの授業の意味が分かったのだ。
「理解できましたか? これは皆さんの術力の持久力を高めるための訓練でもあります。実戦では防御術を展開したまま戦わなければならない場合が多々あります。そんな状況に備えて、防御術を維持するコツを身に着けなければなりません」
優はちょっと恥ずかしくなった。そんなコツなんか知らなかったおかげで、危うく命を失いかけたこともあったのだ。
「説明はこの辺にしましょう。では……『展開』!」
詩織が宣言すると、生徒たち、そして詩織自身も『円の壁』を展開した。それで目に見えない透明な壁が実習室の中の全員の身を覆う。
「私が再び宣言するまで耐えてください」
『円の壁』を具現するために必要な術力は大きくない。筋力に例えると、せいぜい『少し重いものを持ち上げるくらいの力』が必要だ。しかしその力をずっと維持するためには、当然にも持久力がいる。
10秒……30秒……1分……3分……生徒たちの額に汗がにじむ。
「『解除』!」
詩織が宣言すると、全員『円の壁』を解除した。たった3分の辛抱……しかし生徒たちはその3分の間に消耗した術力の反動でもう疲れ始めていた。
「ふう……」
もちろん優もだ。優の『円の壁』は、この『戦闘基礎』クラスの誰よりも粗末だ。防御力は低く、術力の消耗は激しい。いくら頑張っても人狼の優は普通の術が苦手だから仕方がない。
しかし優には人狼特有の生命力と回復力がある。もし他の生徒が優と同じくらいの術力を消耗したならもう相当疲れているはずだが、優は生命力と回復力で反動を抑えている。
「反動の解消は終わりましたか? それではまた行きます。『展開』!」
生徒たちが十分に休んだと判断した詩織がまた『展開』を宣言した。それで全員がまた『円の壁』を展開する。
詩織は実習室の中を歩き回りながら、生徒たちの状態をチェックした。あまり無理な訓練はかえって害になるだけだ。生徒たちの能力を限界まで出させて、かつ無理をさせないのが教師の任務だ。
「『解除』!」
詩織の宣言に優がほっとする。正直もうちょっと長く『円の壁』を維持したら相当きつかったはずだ。もしかしたら詩織はそれに気づいて、優を配慮して『解除』を宣言したのかもしれない。
「うっ……」
しかし実を言うと、詩織が配慮したのは優ではない。このクラスにたった一人……優の次に術が下手で、しかも人狼の生命力や回復力を持っていない生徒がいる。
「静原さん」
詩織が瑞穂の前に立ち止まって、彼女に話しかけた。瑞穂の顔は真っ赤で、額からは汗が流れている。もう限界に違いない。猫のコマちゃんもそんな瑞穂の姿を床の上から心配げに見ている。
「は、はい……先生……」
「静原さんは残りの時間、休みを取ってください」
「でも……」
「貴方の術力はもう限界です。これ以上無理したら明日の朝には動くことすらできなくなります」
「わ……分かりました」
瑞穂は椅子に座ってため息をつく。最初に脱落して落ち込んでいるようだ。
瑞穂以外の全員がまた訓練に入る。そして4回目の『解除』が宣言された時、二人目の脱落者が出る。
「真田さん、座って休みを取ってください」
ついに人狼の生命力と回復力が術力を消耗に追いつけなくなったのだ。悔しいけど仕方がない。
「くっそ……」
優は椅子に座って、同じく脱落した瑞穂の方を振り向く。瑞穂はこっちを見つめながらニヤニヤしていた。自分以外の脱落者が出て安心したんだろう。優は思わず苦笑する。
優と瑞穂以外の生徒たちは、みんな脱落せず30分以上耐えた。しかし訓練が30分を越えると、次々と脱落者が出る。このクラスの平均は大体その程度なのだ。残りの生徒たちももうすぐ脱落するだろう。
しかしたった一人だけ、授業の最後まで耐えた生徒がいる。
「……凄いな」
優は友達の健に感心した。健の術力と制御の精密さはクラスの中でずば抜けている。詩織すらちょっと意外そうな顔だ。
「今日の訓練はこれくらいにしましょう。『解除』」
健と詩織が『円の壁』を解除した。みんなが注目している中、健は疲れたようにため息をつく。流石に詩織にはまだ及ばないみたいだ。
「皆さん、術力を維持するコツを掴みましたか? まあ、たった一日の訓練ではまだまだでしょうね。今夜は無理せずしっかり休んでください。では、また明日に」
生徒たちの顔が明るくなる。訓練はこれからだんだん厳しくなるだろうけど、とにかく今日は帰って休めるから。
---
瑞穂と健、そして優はアカデミーの1階のレストランで食事を始めた。
「樫山君は本当に凄いね!」
オムライスを一口食べながら、瑞穂が目を輝かせる。
「うちのクラスで樫山君がトップってことでしょう!? 凄すぎない!?」
「静原、ちょっと声を下げてくれ」
健はちょっと恥ずかしがっていた。しかし瑞穂だけではなく、優も健を褒め始める。
「でも本当に凄かったよ。先生すらちょっと意外そうな顔だったから」
「うん、まるでプロみたいだったよ! いや、樫山君はもうプロになってもいいんじゃない?」
二人の褒め言葉に健が困惑する。
「流石にそれは買いかぶりすぎだよ。本当のプロから見れば、僕なんて大したことないはずだから」
その瞬間、優はいい機会だと思った。今の会話の流れなら、話せなかったことを自然に話すことができる。
「あの……実は二人に話したいことがあるんだけど……」
優は懐から一枚のカードを持ち出して、瑞穂と健に渡す。
「……え!? 真田君……プロだったの!?」
瑞穂が目を丸くする。
「すまん、隠すつもりはなかったけど……話す機会がなくて」
「凄い!」
瑞穂はもちろん、健も驚いたようだ。
「そうか……真田君はもう人狼の力を制御できるのか。それなら確かにプロとして活躍できる」
健の評価に優は内心感心する。本当に物知りだ。
「そう言えば、真田君って高校も飛び級したって言ったでしょう? もしかして隠れた天才!?」
瑞穂がまた目を輝かせると、優が首を横に振る。
「いや、そんなことないよ。俺はまだ新米だし、等級も平均以下のC+だから」
「でも最初からC以上は普通に凄いんじゃない?」
「え? そうなの?」
瑞穂の言葉に優が首を傾げる。C+って平均以下だから、別に凄いことではないんじゃないか? 優が疑問に思っていると、健が説明を始める。
「多くの場合、新米の戦闘術者は等級Dを取ることになる。そして等級Dの術者は先輩たちと一緒に行動しながら、現場で仕事を学ぶことが義務付けられている」
「そうなんだ……」
全然知らなかった事実だ。
「最初からC以上の等級を取る術者は少ない。つまり真田君は、統合会議からその才能を認められたってことだ。本当に凄いと思う」
今度は優が恥ずかしがった。優としては健の方が凄いと思っていたのに、逆に褒められたからだ。
「でも……もうプロの真田君が何でアカデミーに通っているの?」
「それが……俺は人狼の力で何とかプロにはなったけど、まだ知らないものがいっぱいあるから……他の術者からしっかり勉強しておくように、と言われて……」
「へえ、そうなんだ」
瑞穂と健が頷く。
「でも、それじゃもしかして……」
瑞穂の顔がいきなり暗くなる。
「もしかして……この中で……落ちこぼれは私だけ!?」
優と健が慌てる。二人ともどう反応すればいいのかまったく分からないのだ。そしてその時、瑞穂の膝の上で目を瞑っていた猫が決定打を打つ。
「当然なことだ。瑞穂、お前は勉強が大嫌いだからな。何を期待したんだ?」
「コマちゃんまで……」
瑞穂はもう泣きそうな顔になる。
「い、いや! 静原にはその猫がいるじゃないか!」
優が大声を出す。それで健もはっと気づく。
「そうだよ、この猫又は凄く強い使い魔だから……当然その主の静原も強いってことだよ!」
二人の必死なセリフで瑞穂の顔が明るくなる。
「そ、そうだよね! 私にはコマちゃんがいるもんね!」
瑞穂は猫を両手で上げて、その顔を見つめながら嬉しそうに笑った。そんな彼女の急激な変化に猫は苦笑する。
「お前、私を戦わせる気はないんじゃなかったのか?」
猫が皮肉ったが、平和と秩序のために無視された。
「こ、ここのオムライスは美味しいね!」
「でしょでしょ? 私と樫山君はもうすっかり常連なんだ!」
その後、優たちはいろいろ話ながら食事を楽しんだ。一族の呪い、強いられた婚約、精霊術の謎……優はその全てを一瞬だけ忘れることが出来た。
---
食事後、優たちはアカデミーを出て夜の街を歩き始めた。
「じゃ、カラオケに行きましょう!」
本当に行くのかよ……優は緊張で汗をかく。
はっきり言って、優はカラオケに行ったことがない。どういう場所なのかは大体知っているが、実際に行ったことがないのだ。
もちろん優だって好きな歌くらいはあるけど、全部昔のものだ。流行りの歌なんて全然知らない。しかも歌が上手なわけでもない。瑞穂は楽しければそれでいいって言ったけど、本当に楽しくなるかな……。
「真田君はびっくりするかもしれないけど、樫山君って実は歌も上手なんだよ!」
「へ、へえ……そうなんだ」
ますますまずいことになっていく。このままだと健と比較されるはずに違いない。くっそ、何かいい方法は……と優は思ったが、いい方法なんてあるはずがない。
「真田君はどんな歌が好きなの?」
どう答えれたらいいのかな、と優が思っていたその瞬間だった。いきなり瑞穂がふらつく。
「……あら?」
「静原、どうした?」
健が素早く瑞穂の肩を掴んで、支える。
「い、いや……急に目眩が……」
「……たぶん反動のせいだ。今日はもう休んだ方がいい」
「でも、カラオケ……」
瑞穂が残念そうに地面を見つめる。
「樫山の言ったとおりだよ! カラオケはまた今度行こう!」
優までそう言うと、瑞穂が頷く。
「じゃ、明日は絶対に行こうね」
「あ、ああ……」
瑞穂が立ち直って、優に手を振る。
「真田君、また明日ね」
「僕は静原を家まで送るよ」
「うん、二人ともまた明日な」
優は二人の友達と別れて、駅に向かった。
静原には悪いけど、カラオケに行かなくなってよかったな。でも明日はどうするんだ……。優は真剣に悩んだ。
しばらく暗い道を一人で歩いていると、何かちょっと寂しくなった。家に帰っても待っているのは誰もいない空間だと思うと、尚更だ。
俺ってこんなに寂しがり屋だったのか? 優は自分を嘲笑った。
「ん?」
急に術力が感じられる。後ろからだ。ちょっと驚いて振り向くと、人気のない夜道の真ん中に……一匹の猫がいた。
「お前は……」
術力の正体は瑞穂がいつも抱いている猫、コマちゃんだった。コマちゃんは暗い道の真ん中からこっちを見つめている。
「どうしてお前がここに……静原は?」
コマちゃんはいつもと同じく、眠そうな半開きの目をしていた。しかしいつもとは何か雰囲気が違う。そう思った瞬間、目の前の猫は虎になっていた。
「お前に言っておきたいことがある」
巨大な虎が、強烈な威圧感を出しながら口を開いた。
「瑞穂は後先考えずに行動するやつで、健は誰にも優しいやつだ。だから二人ともお前に対して疑いの目を持っていない」
優は動かなかった。
「でも……私は違う。人狼たちが人を食い殺して、血の雨を降らせながら笑っていた光景を……私はこの目でしっかりと目撃した」
虎が淡々と言った。しかしその瞳は敵意に満ちている。
「お前がどんなやつなのか、どんな考えをしているのか……そんなものには興味ない。しかし……これだけは言っておく」
虎は一歩近づいて、小さい人狼を見下ろした。
「もし瑞穂の身に何か起こったら、真っ先にお前を殺してやる」
その言葉を言い残して、虎は夜の闇の中に姿を消した。
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