13話.婚約者
面会の後、優と詩織はアカデミー7階の資料室で時間を過ごした。
「流石アカデミーって呼ばれるだけはあるな」
資料室は図書館のような構造で、本棚には世界中のあらゆる術についての資料があった。日本の陰陽術からヨーロッパの黒魔術、アフリカの呪術まで……優は素直に感心した。
「なあ、詩織。外国にもこんな場所があるのか?」
「もちろんです。中国、ヨーロッパ、アメリカ……今は世界各地で互いに交流し合って、新しい術を開発する時代なんですよ」
「なるほど」
優にとって術の勉強とは、真田家伝来の術の書をひたすら解読するだけの地味な作業だった。しかしここは全然違う。規模も方式も違う。
「俺って井の中の蛙だったんだな」
「まあ、真田家の精霊術は現在も高く評価されています。しかし時代は変わるもの……いつまでも昔のままでは、結局時代遅れになりますよ」
「そうだろうな」
「だからこそこのアカデミーでは外国の術も研究して、日本の術界を発展させる役割をしているんです」
優は頷いた。術者を養成することがアカデミーの全てではなかったのだ。
「これは余談ですが、優さんは西洋の黒魔術を日本に初めて導入した人物が誰なのか、知っていますか?」
「いや、俺はその……歴史はあまり好きじゃなくて……」
その答えに詩織が微かに笑う。
「やっぱり知らなかったんですね。その人物は……優さんのご先祖様なんですよ」
「俺の……先祖?」
「はい。術者一族真田家の初代当主……真田正勝こそが、日本に初めて西洋の黒魔術を導入した人物です」
「あ!」
優が思わず声を出した。
「そう言えば……爺からそんな話を聞いた覚えがある。しかしまったく興味がない話だったから、今まですっかり忘れていた」
「駄目ですね。真田正勝は日本術界の歴史に大きな影響を与えた人です。それなのに子孫の貴方がよく知らなくてどうするんですか」
「そうだな。じゃ、先生、真田正勝についてもうちょっと詳しく教えてくれませんか?」
「分かりましたよ。勉学に励む生徒を助力するのは教師としての義務ですから」
二人は資料室のテーブルに座った。
「今から250年以上前、一人の男が北海道から本州に渡来しました。その男は自分の素性を明かさなかったけど、北海道特有の精霊術に精通していたので『名無しの精霊術者』と呼ばれるようになりました」
優は詩織の話に集中した。
「その『名無しの精霊術者』は本州の陰陽師たちも驚くほどの強者でしたが、どうやら自分の力に満足できなかったようです。それで当時としてはまったく新しい知識だった西洋の黒魔術を手に入れようと、ポルトガル商船にこっそり乗り込んでヨーロッパに密航しました」
「なるほど、問題児だったんだな」
「密航後の彼の行動については詳細不明ですが、ヨーロッパの国々を旅したと言われています。そして8年の旅の挙句、彼は黒魔術の中でも最強の一角と呼ばれる『人狼変身』を、自分の精霊術と融合させることに成功しました」
詩織の瞳が優を冷静に見つめる。
「本来、人狼変身は強力だけど様々な副作用のある危険な術……いわば諸刃の剣のようなものでした。しかし『名無しの精霊術者』は精霊の力を持って人狼変身の副作用を最小限に抑えたんです。東洋の術と西洋の術を融合させて新しい力を生み出す……そんな発想を実現させたのは彼が歴史上最初です」
自分の先祖が褒められて、優はちょっと恥ずかしくなった。それに『先祖がそんな凄いやつだったのに、今の俺は何なんだ』という、自虐的な疑問も湧く。
「新しい力を手に入れた『名無しの精霊術者』は、再び商船に乗って日本に帰還しました。そして自分の名前を『真田正勝』と改名し、『術者一族真田家』の初代当主となりました」
優が頷いた。そこから日本の人狼一族の物語が始まるのだ。
「人狼変身と精霊術を極めた真田正勝の力は絶対的なものでした。その力に驚愕した陰陽師たちは、遅ればせながら西洋の黒魔術を研究し始めました。そしてその時から日本の陰陽師たちは『術者』と呼ばれ始めたんです。もう陰陽術だけを使う存在ではなくなったんですから」
「なるほど」
「しかし他の術者たちの牽制にもかかわらず、真田正勝は当代最強の術者として君臨し勢力を伸ばしました。それで歴史の短い真田家は繁栄を誇るようになりました。そして真田正勝は死後も神霊になって真田家を守護し続けたんです。日本の歴史の中でも神霊にまでなった術者はたった3人だけだから、まさに英雄的な人物だったと言えますね」
へえ、あいつがそんなに凄いやつだったのか。優はちょっと感心した。
「でも……結局は悪党だったんだろう?」
「はい。真田正勝は極めて残酷な人物で、自分に逆らう術者たちを容赦なく皆殺しにしました。それでも彼が生きている間は、彼の力に恐れて露骨に敵対視する勢力はありませんでしたが……彼の死後も悪事を働き続けた真田一族は『みんなの敵』になって、全国の術者たちから総攻撃を受けるようになりました」
「最後は正義が勝ちましたってやつだな」
優が苦笑した。詩織も微かに笑った。
「真田正勝は決して善人ではありませんでしたが、発想力と推進力、術者としての才能のは歴史に残るほどの人物でした。その子孫の優さんにも何か隠れた才能があるかもしれません。だからこの資料室で新しい知識を取得して、真田家の精霊術をより発展させるために頑張ってください」
「それ、皮肉だろう? 『どうせお前にはそんな才能なんてあるはずがない』って言いたいだけなんだろう?」
「半分は」
優は再び苦笑したが、ちょっと意欲が湧いた。確かに人狼変身は黒魔術の一種だから、黒魔術を勉強すれば何か強くなるための手掛かりが見つかるかもしれない。それに、もしかしたら『一族の呪い』の秘密が分かるかもしれない。そう考えた優は席から立って本棚に近づき、『黒魔術の基礎』と書かれている資料に手を伸ばした。
---
数時間後、優は資料から目を離した。携帯を確認したらもう午後だ。
「詩織」
優が名前を呼ぶと、詩織が頭を上げた。彼女は少し離れたテーブルで書類仕事をしていたところだった。
「何か食べに行かない?」
「いいでしょう」
二人は資料と書類を片付いた後、藤間家の車に乗って移動した。車は東京の中心地から離れて、住宅街に位置した物静かなレストランまで行った。昨日とは別のレストランだ。
優たちは定食を注文して食事を始めた。味はそこそこだった。
「黒魔術の勉強はどうですか?」
ふと詩織が質問した。
「難しい。俺が今まで勉強してきた精霊術とはまったく違う。真田正勝がとうやってこの二つを融合させたのか、想像もつかない」
「まあ、それはそうでしょう。数時間勉強した程度で把握できるようなものではありません」
「でも面白い相違点なら見つけた」
「相違点?」
「ああ、精霊術は精霊を『支配』して力を得るが、黒魔術は魔物や異界の者と『契約』を結んで力を得る」
「確かに」
詩織が頷く。
「この根本的な違いこそが、精霊術と黒魔術を融合させるヒントかもしれない……俺はそんな気がする」
「そうかもしれませんね。これからも頑張って勉強してください」
「まあ、俺がいくら黒魔術を勉強しても、上手く使うことはできないだろうけどな」
「それは人狼の術力の発散構造が特殊なせいですか?」
「へえ、知っていたんだ」
優はちょっと驚く。
「その通りだ。普通の術者は体の真ん中、つまり丹田(たんでん)が術力の源だけど……人狼の場合は心臓付近から術力が出る」
優が自分の胸に手を当てる。
「そのせいで一族伝来の精霊術以外は効率が悪い。頑張っても普通の術者の3分の1以下だろう」
「3分の1……確かにそれでは効率が悪すぎですね」
優も一応基本的な術は全部学んだ。しかし優が使う防御術や退魔術などは、効率も悪いし威力も低い。それは人狼としての弱点だ。
「詩織はどう?」
「はい?」
「破壊術以外にもいろいろ使えたりするの?」
「召喚術や封印術なら少し使えます」
「凄いな」
「いいえ、破壊術に比べれば熟練度も精密度も低いです。実戦で使えるレベルではありません」
「そう? それはちょっと意外だな。お前はその歳でもうB+だし、万能な人間だと思ったんだけど」
詩織が首を横に振る。
「私はそんな何でもできる天才ではありません」
「そうか」
優は昨日聞いた話を思い出した。詩織には12歳の妹がいて、その妹は『一族一の天才』と呼ばれているらしい。しかし詩織にそのことを聞いてみるのはよくない気がする。
元々優と詩織は、互いの私生活について話さない。二人の会話はあくまで『術の勉強』、『効率的な鍛錬法』、『魔物の弱点』などの……言わば『実用的な会話』だけだ。
時間が経てば、いつかは互いの趣味や好み……つまり個人的なことについて話す時が来るだろうか? 優は疑問に思った。
---
「真田君!」
優が教室に入ると、静原瑞穂が手を振った。優は内心苦笑した。どうやら彼女から逃げることはできないようだ。
でもそんな瑞穂のおかげで友達がいきなり二人もできた。正直ありがたい。優はそう考えながら昨日と同じく瑞穂の左隣に座った。瑞穂の右隣にはもちろん樫山健が座っている。
「こんにちは、真田君」
「こんにちは」
健は教科書を開いて授業の内容を予習していた。本当に勤勉な生徒だ。そしてそんな健とは違って、瑞穂は教科書も準備せず優に話しかけてくる。
「ね、真田君はラーメン好きなの?」
「ラーメン? まあ、好きだけど」
「じゃ授業の後3人でラーメン食べに行こう!」
それはちょっと困る。今日も詩織と一緒に狩りに行く予定だ。
「ごめん、俺、先約があって……」
「え? 真田君は昨日も一人で帰ったんでしょう? 今日はみんなで食事しようよ!」
瑞穂が明るい声で再び誘うと、健が口を挟む。
「静原、真田君にも事情があるだろうから、あまり困らせるなよ」
「そ、そうだよね。ごめん、真田君」
「いや、こちらこそごめん。時間のある日は必ず一緒にするよ」
「うん!」
健のおかげで解放されたが、優としてもちょっと残念だった。
「あ、先生だ」
教室の扉が開いて、詩織が姿を現す。詩織は教室の真ん中を突っ切って、教壇に立つ。
「では授業を始めます」
先生の宣言に、『戦闘術者の基礎課程』クラスの授業が始まった。
---
今日の1時限目は『戦闘術者の規律』だ。言葉通り戦闘術者として守らなければならない規則、例えば『民間人被害の抑止を最優先にすること』、『任務途中で異変が起きた場合は仲介所またはアカデミーに報告すること』などを勉強する科目だ。もちろんそんな基本的な常識くらい、ここに集まった生徒たちはみんな知っている。しかしだからといって義務の教育を疎かにするわけにはいかない。
優としても正直つまらない授業だったが、一応は真面目に聴いた。そもそも詩織が先生だから真面目に聴くしかないけど。
2時限目は『事件事故の対処』というもので、これは現場で実際にあった事件と事故の記録を読んで、その対処法について考えてみる科目だ。
戦闘術者は基本的に危険な仕事だ。それゆえ事件や事故が起こりやすく、あっけなく命を落とした人も多い。大事な人材である戦闘術者たちの犠牲を抑えるために、緊急事態にも慌てずに対処する方法を学ぶ必要があるわけだ。
やがて2時限目が終わり、今日の授業が終了した。
「ではまた明日会いましょう」
詩織が教室から出ると、生徒たちも帰宅するために席を立った。もちろん優もだ。
「真田君、また明日」
「うん、また明日」
笑顔で瑞穂と健に挨拶して、優は教室を出た。しかし笑顔とは裏腹にちょっと寂しい。
中学以来、優は友達と一緒に下校したり、一緒にご飯を食べたり、一緒に遊びに行ったりしたことがない。だからなんだろうか、優は瑞穂や健ともうちょっと一緒にいたかった。まだ知り合って間もないけど二人と一緒にいれば何故か心が楽で、本当に友達って感じだ。詩織とは全然違う。
そう、詩織とは違う。まだ知り合って間もないのは同じなのに、全然違う。詩織と一緒にいれば何か事務的で、義務的な感じがする。
「優さん」
アカデミーの5階で待っていた詩織が優を呼んだ。冷たい顔だ。そして優はその冷たい顔を見て、何故詩織といれは事務的で義務的な感じがするのか、その理由が分かった。
瑞穂や健は優のことを素直な気持ちで見ていて、優も二人のことを素直な気持ちで見ている。そこには何の利害関係も政治的な判断も存在しない。だから知り合って間もないのにもう友達って感じがするのだ。子供のままの心でいられるのだ。
しかし優と詩織は、互いを素直な気持ちで見ていない。
「詩織、狩りに行く前に何か食べよう。腹ペコペコだ」
最初から優と詩織は素直な関係ではなかったのだ。気に入らない婚約を強いられた優はもちろん、詩織も畏敬する父のために好きでもない男と付き合っているわけだから。
「いいでしょう。中華はどうですか?」
「いいな、中華」
『仕事仲間』くらいの関係ならそれでいいかもしらない。しかしこのままだと、いくら時間が経っても『友達』になることはなく、ましてや『恋人』になることは絶対にない。優はそう確信した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます