11話.クラスメイト

 大きな自動ドアを通ると、まるで高級ホテルのような広いロビーが見える。しかしここはホテルではない。『日本術者統合アカデミー』だ。


「くっそ、何で俺が……」


 普段は『アカデミー』と呼ばわれているこの施設は、東京の真ん中に位置する現代的な22階建てのビルで……民間人には民俗学及び日本伝統文化の研究施設、そして小規模私立大学として知られている。


「どのようなご用件でしょうか」


 受付に近づくと、デスクに座っていた女性が親切に話しかけてきた。


「はい、それが……授業を聴こうかな、と」

「左様ですか。ではまずこの書類に必要事項を書き込んでください」


 普通の受付嬢に見えるこの女性も、もちろん術者だ。彼女が渡してくれた書類も術式が描かれているもので、術者でなければその内容を読み取ることが出来ない。


「これでいいんですか?」

「はい。あ、しかし……『戦闘術者の基礎課程』なら既に先週から始まっております。途中から受講することになりますがよろしいでしょうか」

「結構です」

「はい。では身分証明と教材購入の手続きを……」


 日本の術者の育て方は伝統的な方法、つまり家庭内で親が子供を術者として育てる方法がほとんどだった。しかしそれでは欧米の魔法のような新しい知識の学習が困難で、親の負担も大きく、多数の術者志望者を同時に教育することもできない。それで日本術者統合会議が体系的な術者養成を目指し、約15年前に設立した施設がこの『日本術者統合アカデミー』だ。


「これで終わりですね?」


 優が手続きを終えてそう言った。しかし受付の女性はちょっと怪訝な顔をする。


「申し訳ありませんが、真田優様は既に日本術者等級C+として登録されております。再教育を望んでいらっしゃいますか?」

「それが……ここ通ったことありません」


 優は昨年自力でプロ術者になった。もうプロになった術者がアカデミーの授業を受けるなんて、普通にはあり得ない話だろう。受付の女性がおかしいと思うのも無理ではない。


「大変失礼しました。教材とカリキュラムの要約はこちらです。もうすぐ3階のA教室で授業が始まります」

「分かりました。ありがとうございます」


 優は教科書と書類を受け取り、初授業のため3階に向かった。


---


 3階のA教室のプレートには『戦闘術者、基礎課程』と書かれていた。


「くっそ、何で俺が……」


 もう一度ぶつぶつ文句を言ってから、ドアを開いて教室に入った。教室は机と椅子、そして教壇と黒板の簡単な構造で、結構広い。大学の講義室みたいな感じだ。

 教室の中には30人くらいの少年少女たちが席に座っていた。もちろん彼らもみんな術者だ。まだプロにはなれなかったが、『術者基本課程』を1年、『術者応用課程』を1年勉強し、戦闘術者を目指してここに集まった高校生たちだ。『戦闘術者の基礎課程』クラスの授業が午後4時30分から始まるのも、高校生たちのスケジュールに合わせたからだ。

 教室の中の少年少女たちは誰一人も優のことを気にしなかった。優としてもそっちの方が気楽だ。他の生徒たちと無理矢理関わる必要はない。静かに授業を受けて、静かに帰ればそれでいい。

 しかし優が一番後ろの席に座ると、真ん中の席に座っていた少女が優の方を振り向いた。不思議なことに、その少女は一匹の猫を抱いている。

 何だよ、ここはペット連れてきてもいいのかよ……と優が思った瞬間、猫が口を開く。


「気を付けろ、瑞穂。あいつは人狼だ」


 猫の言葉に、教室のみんなの視線が一斉に優に向けられる。


「あ、あら?」


 予想外の事態に優は慌てた。


「人狼だって……」

「本当?」


 少年少女たちが騒めき始めて、ついには猫を抱いている少女が直接優に近づいてきた。


「あの……君って本当に人狼?」

「まあ……一応は」

「うわっ、凄い! 初めて見た!」


 少女は本当に嬉しい顔だ。人狼に出会ったのがそんなに嬉しいことか? 優は内心苦笑する。


「喋る猫も初めて見たけどな」

「私はお前よりずっと年上なんだよ。言葉に気を付けろ、子犬」


 猫の生意気な態度にむかついたけど、猫と喧嘩してもこっちが損をするだけだろう。ここは我慢するしかない。


「私は静原瑞穂(しずはらみずほ)、よろしくね!」


 猫を抱いている少女、瑞穂が明るい声で自己紹介した。


「俺は真田優……よろしくな」

「あの、真田君は……男の子、だよね?」

「そうだけど」

「ごめん、真田君があまりにも可愛くってちょっと」

「いや……構わない」


 初対面なのに、瑞穂は非常に馴れ馴れしい。優は正直ちょっと引いたが、瑞穂はそんな優の気持ちなんか気にもしない様子だ。


「ね、真田君。一人で座ってないで、一緒に勉強しようよ!」

「瑞穂、こいつは人狼だって言っただろうが」

「でも可愛いし、珍しいし、友達になりたい!」


 結局優は瑞穂に掴まれて、彼女の左隣に座ることになった。優が苦笑すると、瑞穂の右隣に座っていた眼鏡の少年が同じく苦笑しながら口を開く。


「ごめん。静原は可愛いもの、珍しいもの、そして動物には目がないんでね」

「可愛いもの、珍しいもの、そして動物ね」


 優も瑞穂が抱いている猫を見つめた。


「僕は樫山健(かしやまけん)。静原とは同じ高校に通っている。よろしく頼むよ、真田君」

「こちらこそ」


 明るくて天然な瑞穂と違って、健は落ち着いた感じの少年だ。普通にいい組み合わせに見える。

 ふと詩織の姿が見えないことに気が付いた。確かにこの教室のはずだ。まさか遅刻か? と思っていたら、教室のドアが開いて誰かが入ってきた。振り向いたら詩織だった。

 へん、優等生のようなこと言ったくせにほぼ遅刻じゃないか……優は内心嘲笑った。しかし詩織はそんな優に見向きもせず歩いて……そのまま教壇に立つ。


「では授業を始めます」


 詩織の声が教室の中に響き渡ると、生徒たちはみんな教科書を開いた。頭が真っ白になった優を除いて。


---


 戦闘術者基礎課程は50分の授業の後に10分の休み、そしてまた50分の授業をする構成だった。


「では10分後に」


 詩織が1時限目を終えて教室から出た。もちろん優は詩織に話しかけることもできなかった。


「真田君ってこの『戦闘基礎』クラスの授業は初めてでしょう? どうだった?」


 隣から瑞穂が話しかけてきた。彼女の喋る猫は机の上で寝ていて、健は授業の内容をノートに書いている。


「まあ、普通によかったよ」


 予想とは違く、1時限目の授業は日本の陰陽師の歴史についてだった。思ったよりは面白かったけどあまり実戦に役立ちそうにない。


「歴史の授業はちょっと怠かったはずよ。でも2時限目は魔物学だからちょっと面白いかも」

「そうか。ところで……先生が……俺たちと同い年に見えるけど」


 優は知らん顔で質問した。


「藤間先生はね、歳は私たちと同じだけどもうプロ術者で、しかも等級B+だよ」

「そうか」

「それに藤間って苗字から分かるけど、このアカデミーを設立した偉い人の娘さんでもあるの。それなのに完全に自分の実力だけで教師になった人なんだ」

「ふーん」

「そんな凄い人が性格もいいって、凄すぎない?」

「せ、性格がいい、だと……?」


 優の顔が歪む。


「うん、生徒たちの質問にもとても親切に答えてくれるからね。要約すれば顔も可愛いし性格もいいし実力もある人……ってちょっと不公平すぎるよ!」

「それはそうだな」


 適当に相づちしたら瑞穂が首を横に振る。


「いや、先生だってきっと何か弱点があるはず! 完璧な人間なんて存在するはずがない!」

「弱点ならあるよ」


 健が話に割り込んできた。


「先生は確かに凄いけど……有能なお姉さんと天才の妹さんの間に挟まれて、いつも比較されていると聞いたことがある」


 健は自分のノートを見ながら説明し続けた。


「姉は一族の継承者として認められたほど有能な人物で、妹は一族一の天才という噂があるからね。そんな人たちといちいち比較される先生は、相当ストレスを受けているはずだ。幸せって相対的なものだから」

「一族一の天才か……」


 優は思わず苦笑した。『一族一の天才』という言葉にはあまりいい思い出がない。


「聞いた話では、先生の妹は今12歳だけど実力なら等級Aくらいだそうだ。それが本当なら、もう日本の中でも最上級の術者だよ」

「そいつは凄いな」


 その歳で等級Aなら確かに凄い。優とは大違いだ。


「ところで真田君、一つ頼みがあるの」


 瑞穂が目を輝かせる。


「な、何だ」

「ね、人狼に変身して!」

「……それは駄目」

「お願い!」


 それは本当にできない相談だ。しかし瑞穂もなかなか退かない。


「何かおごてあげるから、ね?」

「駄目、絶対」

「何で!?」


 そんなやりとりを繰り返しているうちに大事な休み時間が流れて、詩織が教室に戻ってきた。


「あ……」


 優の動きが一瞬止まった。詩織が優と瑞穂を横目で見つめたのだ。これはまずい、と思ったが詩織は何も言わず授業を始める。


「皆さんも知っている『魔物隔離原則』に基づき、決められた領域から離れたり人間に近づいたりする魔物は全て消滅させなければなりません。いわゆる『魔物狩り』と呼ばれているこの仕事で皆さんは最終行動、つまり直接戦闘を担当します。だからこそ戦闘術者なのです」


 詩織は生徒たちの姿を見回しながら話を続ける。


「しかし戦闘術者と言っても、ただ戦闘力が高いだけで全てが解決されるわけではありません。魔物の中では特殊な術を使ったり、一般的な攻撃が効かない部類もあります。したがって戦闘術者はあらゆる状況に対応する必要があり、そのためには魔物そのものについて知っておかなければなりません」


 優は詩織の話を真面目に聞いた。


「前置きはここまでにして、本論に入りましょう。例えば『幽蛇(ゆうじゃ)』という魔物は特殊な霧を作り出して、人間の方向感覚を混乱させますが……」


---


「思ったよりいい授業だったよ、先生」

「教室の外で先生はやめてください」


 その日の授業が終わった後、優と詩織はレストランで一緒に食事を始めた。


「じゃ、詩織って呼んでもいい?」

「先日もうそれで呼んだんじゃありませんか」

「それは緊急時だったからだろう」


 このレストランはアカデミーから結構離れている。二人の関係については秘密にしておいた方がいいと、優と詩織の意見が一致したからここまで来たのだ。ここならアカデミーの生徒たちと遭遇する心配はない。


「今日も一緒に狩りに行くんだよな?」

「はい、実戦でも教えなければならないことが山ほどありますから」

「本当にいい先生だな」

「皮肉ですか?」

「半分はな」


 詩織の冷たい眼差しが優の横顔に刺さる。


「まあ、優さんも思ったよりはやりますね」

「ん? 何言ってんだ?」

「初日から友達ができたなんて。それも可愛い女の子の友達が」

「何だ、まさかの焼きもち?」

「いいえ、まさかそんなはずが」


 詩織が露骨に嘲笑う。


「むしろ婚約相手が他の女の子と一緒にいるのに全然焼きもちが湧かないから、自分でもこれは駄目だと思って皮肉を言っただけです」

「そのことなら心配するな」

「はい?」


 今度は優が嘲笑う。


「さっき受付に話して、アカデミーで一番偉い人に面会を申し込んだよ。あ、もちろんお前のお父さんのことだ」

「それはまた何の馬鹿な真似ですか?」

「言っただろう? お前のお父さんに直接会って、縁談なんかやめさせるんだよ」

「確かに貴方が父にぶち殺されたら縁談なんかやめられるんですよね」


 詩織が冷たく言ったが優は無視した。


「聞いたところでは、術者界の偉い人々の中で権力争いが激しくなったとか」

「それで?」

「俺はそんなことには巻き込まれたくないんだよ。俺のような貧乏が、偉い連中のやることに巻き込まれたらろくなことがないからな」

「それは確かにそうですが、もう遅いんですよ」

「遅くない」


 二人は食事を終えて、一緒にルシードドリームに向かった。時間はもうすっかり夜になっていて、外はかなり暗い。

 優は詩織のことがちょっと心配になった。いくら春でも夜は結構寒い。優自身は人狼だから体力の回復も早いし寒さにも強いけど、詩織は普通の女の子だ。先生の仕事もあるのに狩りまでするなんて、ちょっと無理しているような気がする。

 しかし詩織が一言も弱音を言わないから、結局優も何も言えなくて、30分後にはそのままルシードドリームに着いた。


「お前たちは今日も一緒か。中がいいな」

「そう見える?」


 早速バーテンダーから腕輪をもらって駅に戻り、電車に乗った。今日の狩場も東京の外側の森だ。そもそも魔物たちの領域は森や山が多いから、自然に狩場も森や山が多いわけだが。


「暗いな」


 夜8時を過ぎた頃、やっと森の入口が見えてきた。


「詩織」

「はい?」

「その……大丈夫か?」

「何がですか?」

「俺は人狼だから暗いのも寒いのも別に問題じゃないけどよ。お前は……」

「まさか心配してくれているんですか?」


 詩織が微笑みを浮かべた。可愛いけどやっぱりどこか冷たい微笑み……つまり冷笑に近い。


「心配は無用です」


 詩織が右手から電気の球体を召喚した。その球体が周りを青白い光で照らして、視界の問題は結構解決された。しかもその青白い光はちょっと暖かい。


「電撃術って本当に便利だな」

「さあ、行きましょう」


 二人は先日と同じく、森の入口に煙幕を張ってから魔物を追跡した。幸いにも森の中にはちゃんとした散歩用の道があった。


「優さん」


 追跡の途中、詩織がふと口を開く。


「何だ」

「優さんの言った通り、真田家は藤間家の事情で一方的に巻き込まれただけです。その件については申し訳ないと思っています」


 優が立ち止まって首を横に振る。


「お前が謝る必要なんてない」

「私は藤間英治の娘です。まったく責任がないとは言えません」

「お前とお前のお父さんは別人だろう? 俺だってそれくらいの区別はするよ。しかもお前だってしたくもない婚約を強いられているわけだから、言わば被害者だ。だから俺はお前のことを恨んでいないし、謝ってほしいとも思っていない」


 詩織はその言葉に何の反応も見せなかった。


「そんなことより、早く魔物を狩って帰ろうぜ」

「待ってください、優さん」

「何だ、まだ言いたいことがあるのか?」


 詩織が前方の木々を指さした。優が振り向くと、そこには大きな鳥のような形状の魔物がこっちを睨んでいた。


「向こうから来たのか。探す手間が省けたな」


 黒い翼と胴体、そして赤い目をしている魔物は、明らかに優と詩織を敵対視している。その姿を見て優は迷いなく人狼に変身した。


「こいつは俺が狩る。詩織、下がってくれ」


 細かいことをゴタゴタ言うより、こっちの方が性に合う。優はそう思いながら苦笑した。やっぱり俺って根から人狼だな、と。

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