3章、新入生
10話.晴天の霹靂
優が正気に戻ったの5秒後だった。
「ちょ、ちょっと待ってよ! お前が藤間詩織だと!?」
「そう言ったはずですが」
詩織は『何を寝ぼけているんだ、こいつ』と言わんばかりの顔だ。
「何でお前が出て来るんだよ!? いや、そもそもどうやってここに来たんだよ!?」
「まずは静かな場所に移りましょうか」
ルシードドリームのバーテンダーが興味深い眼差しでこっちを見つめている。確かにここで立ち話をするのはまずい。
「ごめん、狩りは後でする。ちょっと用事ができて」
優は詩織と一緒にルシードドリームを出て、近所のカフェに入った。お客さんの少ない物静かなカフェだ。
注文したアイスコーヒーが出ると、早速一口飲む。それで優はやっと冷静を取り戻した。
「で、もう一度聞く。何でお前がいきなり出て来るんだ?」
「幽霊やお化けを見たような言い方はやめてください」
「とにかく! 何でここに来たのかって聞いているんだよ!」
「もちろん貴方に会いに来たんです。真田優さん」
じっくりと見たら、藤間詩織は偉い家柄の娘らしい品のある少女だ。長い黒髪にコートとスカート、そして隙の無い態度が印象的だ。肌は真っ白で、顔は小さく、目は大きい。優が今まで見てきた女の子の中で、たぶん一番可愛い。しかしアイスコーヒーよりも冷たい表情をしているので、何か親密感が湧かない。
「元々は真田屋敷にお訪ねする予定でしたが、貴方がまた家出したと聞いたのでここに来たわけです」
詩織は熱いコーヒーを一口飲んだ。しかし表情は相変わらず冷たい。
「何で俺に会いに来る必要があるんだ」
「それはもちろん婚約する相手がどんな人なのか知っておくためです」
その答えに優は気が遠くなり始める。魔物にぶん殴られた時より酷い。
「そ、それはつまり……俺と婚約するってこと?」
「このままでは高確率でそうなりますね」
「何でそうなるんだよ」
「私の父がそう願っているから」
「いや、お前はそれでいいのか? 父の意向で見ず知らずの人と婚約してもいいのか?」
優が声を上げた。
「私の父、藤間英治は現在日本術者界で最も強い影響力を持っている人です。私みたいな何の力もない娘は逆らえません。そして、没落した一族の継承者である貴方も逆らえません」
「何だと?」
詩織は優の反応は無視して話し続けた。
「父はどうしても私たち二人の婚約を成立させるつもりです。それなのに貴方が婚約を断ったら、父は真田一族を破滅に追い込むでしょう。自分の力を何の迷いもなく行使する人ですから」
とんでもないことを淡々と説明する詩織の態度に優は呆れた。
「それとも貴方は自分の一族の破滅を望んでいますか?」
「何で俺が一族の破滅を望むんだよ?」
「家族が嫌いで家出するような人だから?」
「いや、いくら何でもそこまでではないって!」
優の顔が赤くなったが詩織は気にもしない。
「なら私たちの結婚はもう確定です。残りの問題はただ一つ、婚約する相手がとんな人物なのか知らないということ。だから私は貴方に会いに来ました」
確かに筋は通っている。しかし反発心は消えない。
「俺は気に入らない」
「まあ、私も貴方のことが気に入りませんが」
「いや、そういう意味じゃなくて!」
優が激しく首を横に振った。
「同盟のため自分の娘を利用するなんて。戦国時代か?」
「感想的な人ですね。今の時代でも政略結婚は普通にありますよ」
「偉い家柄ではそうかもしれないが……何で俺とお前なんだ? お前の言った通り真田家はもう没落した。同盟のためにお前が婚約までする必要は何もないはずだ」
「確かにそれは私も疑問に思っています」
詩織が素直に認める。
「しかし私の父は、何の考えもなく行動するような人ではありません。この婚約も間違いなく一族のためになるから決めたはずです」
「父のことをよほど信じているな」
詩織はその言葉に答えず、いきなり話題を変えた。
「それじゃ、狩りに行きましょうか」
「狩り?」
「はい、優さんが……あ、優さんと呼んでもいいんですね?」
「構わない。で、いきなり狩りって何だ?」
優が眉をひそめた。さっきからこの女の子の考えがまったく読めない。
「婚約する人が術者として弱すぎると困りますから。それで優さんの実力を確認し、足りないところを指導してあげようかと」
優は何か凄く腹が立ってきた。
「お前に何の資格があって俺を指導するんだよ?」
詩織が速やかに一枚のカードを差し出す。
「藤間詩織……特技は破壊術……総合等級B+!?」
「優さんはC+だとお聞きしましたから、ここは私の勝ちですね」
何の勝ち負けなのかは知らないが、優は敗北感を味わった。
「その歳でプロになったのはなかなかですが、C+では平均以下です。もうちょっと頑張ってもらわないと」
「お前は俺と同い年だと聞いたのに、もうB+だと……」
「私の妹に比べれば大したことありませんが」
詩織の顔がちょっと強張った。
「とにかく指導する資格はあると思います。B+とC+は結構な差がありますから」
「くっ……」
優のプライドが傷ついた。
「適切な指導があれば優さんもすぐに強くなるはずです」
「ふん、偉そうによ……」
「事実を言ったまでです」
詩織はあくまでも無表情だった。
「分かったよ。実は俺も一日も早く強くなりたかったんだ。その指導ってやらを受けてみるか」
「はい、ではさっきの仲介所に戻りましょう」
優は勢いよく席を立った。もちろんこの生意気な娘の鼻をへし折ってやるつもりだ。
---
優と詩織は一緒に電車に乗って、どこかへ移動し始めた。
移動している間、二人は何の会話も交わさなかった。詩織は何か専門的な本を読んで、優は携帯で興味もないニュースを見た。婚約した関係なのに、二人の間には冷たい空気だけが流れる。
やがて電車が東京からちょっと離れた無人駅に着くと、二人は沈黙の中で降りた。そして道を辿り、森に入る。そこが今日の獲物がいる場所だ。
「そう言えばさ」
やっと優が口を開く。
「お前は一人で行動してもいいのかよ」
「はい?」
「偉いところのお嬢さんなんだろう? だから護衛とか……」
「随行員のことですか?」
「そうそう、それ。お前のお姉さんも何人か連れていたよ。お前も必要なんじゃないのか?」
詩織が首を横に振る。
「これは仕事でも公務でもなく、私的な用事ですから。それに、自分の身は自分で守られます」
「そうかい」
「まあ、いざという時は優さんが守ってくれるでしょうし」
こいつ、からかいやがって……と優は内心悔しがる。
「俺は狼だけど? 信用するのかよ」
「優さんは狼じゃなくて人狼です。全然違います」
そうツッコンでから、詩織は優の顔を横目で見つめる。
「平気ですね」
「何が?」
「魔物の気配が近づいているのに全然緊張しない。いや、緊張ところがむしろ楽しんでいるように見えます」
「戦闘術者なんだから当然だろう?」
「いいえ、戦闘術者の中でも貴方のような人は滅多にいません。普通は命をかけて戦うことに相当なストレスを感じます」
「お前は大丈夫なのか?」
「私はこう見えても戦いに慣れています」
「いや、それじゃなくてさ」
優は立ち止まって、詩織の方を振り向く。
「俺は呪われた一族の継承者で、お前の言った通り喧嘩好きなやつだ。普通に考えたら最低だな。そんなやつと婚約しても大丈夫なのか、って聞いているんだよ」
「その程度はもう覚悟済みです」
「そうか」
「はい」
詩織は何の迷いもなく答える。
「どうやら俺が間違っていたようだな」
「はい?」
「俺はただこの歳で婚約とかあり得ないと思っただけだった。しかし今の答えでこの縁談がどれほど間違っていたのかよく分かったよ」
「貴方がそう考えても、何にも変わりません」
「お前のお父さんに直接話す」
「……はい?」
「直接会って、この縁談を止めさせるんだよ」
「正気ですか? 私の父が貴方の一族を破滅に……」
「正気じゃないのはお前だ。同盟ために無理矢理婚約? 俺が人狼で喧嘩好きだと知っていながらも? ふざけるなよ」
優は声を上げた。
「一族のためにとか言ってもさ、お前もその一族の一人だ。お前が一方的に犠牲になる必要なんてどこにもない」
「本当に感想的な人ですね」
「勝手に考えろ」
詩織が微かに笑う。
「でも私が聞いた話によると、真田一族は私の父以上に残酷で過酷な人々だそうですけど」
「昔はな……しかし今は違う。現当主である父はそんなことは望んでいないし、俺も……そんな一族にはしたくない」
「それは継承者としても発言ですか? 優さんは実家が嫌いで家出したはずでは?」
そこには返す言葉がない。
「……気配が近いな」
「はい、この辺に煙幕を張っておきましょう」
「俺がやる」
優が手を伸ばした。すると周りが黒い霧のようなものに包まれて、一気に暗くなった。それが煙幕術で、比較的に簡単な術だが民間人はその煙幕を通過できない。
「煙幕術は使えるんですね」
「C+でも一応プロなんだよ」
優は早速人狼に変身した。民間人に見られる心配がなくなったから戸惑う必要もないのだ。茶髪の少年がいきなり巨大な野獣に変わった。
「 巨体なのに動きが軽い……確かに身体能力は非常に高そうですね」
詩織は巨大な人狼を目の前にしても冷静に評価した。
「こっちだな」
優は詩織の評価を無視して、魔物の気配がする方向に走り出す。森の冷たい空気が人狼にとっては気持ちよくて、何か力が湧いてくる。
あいつだ。優はすぐ獲物を見つけた。それは全身が白い猿みたいな魔物だ。唯一手だけは黒い色で、その手には長い爪があったが、そんなに強くは見えない。
この程度の魔物を狩るのに何の指導が必要だと言うんだよ……! 優は嘲笑いながら突進した。白い猿は迫って来る人狼の姿に驚き、爪を振るった。しかし人狼の爪の方が格段に速く、後手だったが先に当たった。白い猿の右腕がそのまま吹っ飛ばされる。
「簡単だな」
「に、人間!」
白い猿が叫んだ。
「そう、人間だよ。で、どうする?」
灰色の人狼は再度攻撃して止めを刺そうとした。しかし次の瞬間、白い猿の姿がいきなり消えてしまう。
「何……!?」
一瞬慌てたが、すぐ答えが分かった。それは幻で相手をかく乱する、幻影術だ。
「くっそ!」
戦闘力ならこっちが圧倒的に高い。しかし白い猿は幻影術が使えて、優としてはそれを見破ることができない。人狼の感覚で探そうとしたが無理だった。
「何しているんですか?」
やっと現場についた詩織が叱った。
「相手は『幻白(げんはく)』です。まさか幻影術を予想しなかったんですか?」
「いや、それが……あと一歩だったけど……」
「言い訳はいいから、下がっていてください」
またプライドに傷を負った優が下がると、詩織が前方に手を伸ばした。すると彼女の手から電撃が放たれる。
「電撃術……」
幾つかの電撃がまるで生きているように動き、森の中を這い回った。そして数秒後、何かが電撃に引っかかる。
「あそこです!」
姿を消していた幻白が詩織の電撃に当たったのだ。幻白は悲鳴を上げながらもがき苦しみ始めた。
「早く!」
「分かってる!」
優は全力で突進し、今度こそ幻白に止めを刺す。
「は!?」
「まさか!?」
しかしその直後、優と詩織は一緒に驚愕した。電撃と人狼の爪で絶命するはずの幻白が……煙と化したのだ。
「詩織、後ろ!」
優が慌てて叫んだ。幻白は幻影術で自分の位置を騙した後、詩織の後ろから現れた。魔物とは考えにくい巧妙な戦術だ。
「馬鹿」
しかしその瞬間、詩織はむしろ笑顔を見せた。そのまま逃げればよかったのに、詩織を舐めて攻撃したのが間違いだった。
「藤間家の術者の背後を取っても無駄です」
いつの間にか詩織の全身から電撃が放たれていた。そしてその電撃は電気の針となり、近づくもの全てをその針で刺しまくる。まさに電気で出来たハリネズミだ。
そんな詩織に無暗に近づいた幻白は……感電の衝撃を受けると同時に、全身に穴が開いて物凄い悲鳴を上げる。
「では、これで」
詩織が幻白の方を振り向いて両手を差し出すと、今度は電撃が集まって球体になった。そしてその電撃の塊は空を飛び、容赦なく幻白を焼き尽くしてしまう。
「……凄いな」
人間の姿に戻った優は素直に感心した。悔しいけど、この女の子は自慢できるほどの実力を持っていた。今の優よりも格段に強い。
詩織は魔物の完全消滅を確認した後、優の方を振り向く。
「これで優さんの問題が何なのか分かりましたね」
「何よ、その言い方。先生か?」
「貴方はただ自分の戦闘力を信じて戦っているだけで、魔物たちの戦術に関してはまるで無知です」
「いや、さっきはお前も騙されたぞ」
詩織はその反論を無視した。
「しかも真田一族は特有の精霊術が強いはずなのに……その精霊術は一体どこに捨ててしまって、爪だけで戦うんですか?」
その指摘は図星だ。
「それは……まだ修行中なんだよ」
「はあ? 本気で言っているんですか? 常識的に考えて、家出するならその前に一族の技を全部覚えてから家出するべきではありませんか?」
「そんな常識、聞いたこともないよ」
詩織が身震いをした。何か凄くうんざりしたようだ。
「こんな基本も知らない人だったとは……どうやってC+の等級を取ったのか、疑問が残るくらいですね」
「それは言い過ぎだろう」
「いいえ、優さんには徹底的な再教育が必要です」
詩織が携帯を持ち出した。
「メールアドレスを教えてください」
「は? まあ……いいけど」
優が自分のメールアドレスを教えると、詩織が早速メールを送った。
「何これ?」
「私が通っているところです。優さんも来週の月曜日からそこに登録して授業を受けてください」
詩織が送ったメールには『日本術者統合アカデミー』という名称が書かれていた。
「ちょっと待ってよ。今俺に学校に行けってのか?」
「はい、基本も知らない人は学校に行かせるしかありません」
「俺はプロなんだけど!?」
「私の言うことを聞かないと、今年中に私たちの結婚式を挙げたいと父に報告します」
優は何も言えなかった。目の前にいる可愛い女の子が、実は晴天の霹靂のような災いだと思い知らされたのだ。
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