9話.縁談

 事情を聞いた一族たちは、みんな驚きを隠せなかった。


「お兄ちゃんに!? 縁談が来たって!?」

「あら、大変……」


 京志郎は藤間泉に『考慮してみる』と答えた。泉は頷いて「これはつまらないものですが」と言いながら随行員たちに命令し……包装された箱を何十個も置いて去った。それがついさっきの出来事だ。


「うわ、何これ! 高そうなものばかり!」


 美奈が箱の中身を確認して叫んだ。高級の食器や陶器でいっぱいだったのだ。銀とか宝石の付いたものまであって、もしかしたら真田家の全財産より価値があるかもしれない。


「後で全部返すことになるかもしれない。無暗に開けるな」

「分かってる。でももしかしたら爆弾が入ってるかもしれないし、確認しておかないと」


 父にでたらめな言い訳をした美奈は、優の方に向かって笑う。


「まあ、とにかく馬鹿お兄ちゃんのくせによかったね。そんな大金持ちの娘さんと結婚できるなんて。これは考える必要なんかないんじゃない?」

「こいつ……」


 優が拳を握りしめた。しかし今度は清次郎が優の気持ちを無視して口を開く。


「それは美奈の言う通りだ。お前なんかに娘を嫁がせるとは、藤間英治もなかなか器のでかいやつだな。お前は一生結婚できないと思ってたのに」

「このクソ爺が……」


 その時、京志郎が一歩前に出て美奈と清次郎、そして優を睨んだ。3人はそれでやっと静かになった。その光景を見ていた美佐江は笑いを堪えて手を挙げた。


「藤間家の目的は何でしょうか? 京志郎お兄さん」


 美佐江のおかげでやっと本論に入った。京志郎は心の中で彼女に感謝した。


「藤間家は『同盟』という言葉を使ったが、それはあくまでも表面上のことだ。力に圧倒的な差がある以上、実質的には真田家が藤間家の傘下に入る形になるだろう。問題は……何故娘を婚約させてまで真田家を欲しがっているのか、その点だ」

「そりゃ父さんの力が必要だからなんじゃない? 真田家と言っても結局強いのは父さん一人だけだし、父さんって規格外術者なんだし」


 優がそう推測したが、京志郎は首を横に振った。


「藤間英治も規格外術者で、その下には数多な強者たちがいる。私一人の力のために娘を婚約させるなんて、あまりにも行き過ぎた話だ」


 美佐江がまた手を挙げた。


「そう言えば、最近統合会議の中の権力争いが激しくなったと聞いたことがあります。この同盟もそれと関係があるんじゃないでしょうか」


 美佐江は術者集会所で仕事をしているおかげで、術者界のことなら京志郎よりも詳しい。そんな彼女の説明に清次郎が声を上げる。


「じゃ、藤間英治は我が一族を争いの捨て駒として使うつもりだな。ふん、面倒事は自分でやれよ、自分で。器の小さいやつだ」


 ついさっきとは正反対の評価を下した清次郎は、心配そうな顔で当主を見つめた。


「しかし京志郎、相手が縁談まで持ち込んできた以上……」

「はい。断ると大変なことになるでしょう」


 お土産はそのまま返したらどうにかなるだろうけど、縁談まで断ると藤間英治の顔に泥を塗ってしまう。そうなったらたとえ藤間英治が直接手を下さなくても、その下にいる術者たちから報復される可能性が高い。たった5人しかいない真田家としては致命的なことになりかねない。


「どうやら選択の余地がないな。いや、最初から我々に選択の余地を奪うために縁談の提案をしてきたか」

「たぶん叔父の言う通りでしょう。しかしいくら何でも娘を……」

「それはあれだ。藤間英治が冷血漢だからだよ。自分のためなら実の娘も惜しまないのだ」


 清次郎が自信満々に言ったが、京志郎は釈然としない顔だ。


「ちょっと待ってよ」


 優が話に割り込んだ。


「選択の余地がないとか言ってるけどよ……それじゃ俺を婚約させる気!?」


 優は明らかに慌てている。そんな優を見て清次郎と美奈が露骨に嘲笑する。


「当然だろう。クソガキ、お前は今まで何聞いていたんだよ」

「お兄ちゃんは空気とか読めないの?」


 二人のツッコミに優が爆発する。


「うるさい! 当事者の俺の意見は全部無視かよ!? 俺は相手の顔も知らないんだよ!」

「姉も才色兼備とか言われているらしいから、その妹も可愛いだろうし、しかもお金持ちだ。お前なんかにはもったいない娘なんだよ。まさか断るつもりだったのか? 身の程を知れってんだ」

「このクソ爺が言わせておけば……!」


 孫と爺が互いの胸倉を掴んで睨み合い始めた。真田家ではよくある風景だ。


「そこまでにしろ、優」

「と、父さん……まさか本当に俺を婚約させるつもりじゃないだろうな?」


 優の顔に恐怖が浮かんでいた。京志郎は内心苦笑した。生意気で恐れ知らずの息子にも怖いものがあった。


「もちろんそうではない。お前が誰と結ばれるかはお前自身が決めることだ。いくら私が当主であっても無理に強いたりはしないさ。心配するな」

「じゃ、どうするんだよ?」

「同盟の提案は受け入れる。しかし優の婚約は保留にしたい」


 清次郎が優の胸倉を離して頷いた。


「ふむ、確かにそれなら藤間英治もそこまで怒ったりはしないかもな」

「縁談はあくまでも同盟を受け入れさせるための方便だったとしたら、同盟を受け入れれば縁談も自然と必要なくなるでしょう」


 優の顔が急に明るくなった。


「それ賛成! でも……そう簡単に同盟を結んでも大丈夫なのかな? 父さんがやつらの言いなりになるのは……」

「最悪の事態、つまり藤間家を敵に回す事態だけは避けるべきだ。ここは同盟を結ぶしかないだろう。しかし相手の意図が分からない以上、縁談まで受け入れるのは危険すぎる。だから縁談は『保留』という形で断っておくのは最善だと思われる」

「それは……確かに……」


 優はいろいろ考えてみたが、もっといい方法が見つからなくて口を黙る。すると代わりに清次郎が口を開く。


「あいつらは何か問題でも起こったら全部我々のせいにするはずだ! 同盟とか言ってるけど簡単に捨てられるだろうよ! 我が一族の継承者がそんなやつらの娘と結婚する筋合いはない!」

「……爺は一体どっちなんだよ。賛成? 反対?」

「まだ分からんのか? 私はお前をからかう方だよ」

「この……」


 俺が当主になったら真っ先に爺を虐めてやる……優は心に誓った。


「別の意見がある人は?」


 京志郎がそう聞いたがみんな何も言わなかった。


「それでは近いうちに私が直接藤間英治に会って、『同盟は承諾、縁談は保留』という答えを伝える」

「大丈夫かな。当主自らが動いて」

「大丈夫です。いや、むしろ私が行った方が一番安全かと」

「それはそうだろうけど」


 清次郎が苦い顔をした。こういうことはなるべく当主より他の年長者、例えば清次郎がするべきだ。しかし彼の体が不自由なせいでそれができない。


「他の術者たちがどう動くが分からないから、当分の間はみんな注意するように。特に美奈、お前は学校が終わったらすぐ家に戻れ」

「はい」


 ここ最近怒られてばかりの美奈は素直に答えた。家族会議はそれで終わった。


---


 藤間家の提案から三日が過ぎた。その三日も優は精霊術の鍛錬に専念した。


「しかし練習もいいけどよ……」


 そろそろ実戦が欲しい。練習で身に着けた技を実戦で活用してみたい。それでこそ鍛錬ができたと言えるんじゃないか。そんな考えが頭から離れなかった。

 それに実戦をすれば、魔物を狩ればお金だって稼げる。実家が貧乏だから自分も稼げないと駄目だ。しかし原則的に優は東京のルシードドリームに登録されており、ここ新潟県で狩りをすることはできない。敢えて狩りがしたい場合は京志郎について行くしかないが、それはいやだ。京志郎は何かといろいろ忙しいし、いつまでも父に頼りたくはない。

 ふと東京で魔物たちと戦った日々を思い出した。つい先月のことだが何か凄く昔のことのように思える。辛い日々だったが学んだこともあった。

 ……東京に戻ろうかな。優はそう悩んだ。東京に戻って今度こそ一人で自立できるように頑張ってみたい。今度こそ昔の自分より強くなりたい。

 その時、真田屋敷の玄関が開く音がした。京志郎が戻ってきたのだ。優は急いで父に近づいた。


「父さん」

「優」

「藤間英治に会ってきてのか?」

「ああ」

「で? どうなった?」

「彼は私たちと同盟を結べて嬉しそうだった。しかしお前の縁談を保留することについては……」


 何故か京志郎の顔に微かな笑みが浮かぶ。


「自分の娘とお前を会わせてみるのはどうだ、と提案してきた」

「な、何それ!? お見合いかよ!?」

「このままだと近いうちに藤間家の次女がここを訪ねるだろう」

「俺は嫌だ!」


 優が即答した。


「一体こんな時代に、この歳でお見合いするやつがとこにいるんだよ!?」

「藤間家のような偉い家柄ではたまにあることだが」

「うちは偉くない! 貧乏一族じゃないか!」


 京志郎は思わず苦笑した。


「同盟を結んだ以上、形式的には真田家と藤間家は同格だ。だからあっちの格式に会わせる必要がある。それくらいは分かっているだろう?」


 もちろんそれくらいは分かっている。しかしだからといって黙って受け入れることはできない。


「とにかく俺は嫌だ。見たこともない子といきなり婚約って」

「だからその娘とお前を会わせる手配をしているのだ」

「それでも嫌だ。たった一度会って婚約を決められるか」

「一度で足りないなら何度も会ってみればいい。時間は十分にあるからな」


 冗談なのか本気なのか区別できない京志郎の態度に、優はついに爆発する。


「父さんって一体どっちの味方なんだよ!? 本当に俺を婚約させる気!?」

「冗談だよ」


 京志郎は全然冗談に見えない真面目な顔でそう言った。


「もちろん私はお前がその娘と会ってみるのも悪くはないと思っているが……」

「嫌だって!」

「しかしそれ以上に藤間英治が怪しい」


 京志郎はあくまでも真面目な顔で話を続ける。


「縁談はあくまでも同盟を受け入れさせるための方便だと思っていた。しかし同盟を承諾したにもかかわらず、まだ縁談を進めようとしている意図が分からない」

「縁談を進める理由については聞いてみなかったのかよ」

「もちろん聞いてみたさ。しかし先日の言い訳とまったく同じだった。私に感服したからってな」


 優は内心それもありえると思った。京志郎は日本中で5人もいない規格外術者だから。


「とにかく俺は婚約しないし、その次女って子にも会わない。これは絶対だ」

「ではどうする気だ? 何かいい方法でもあるのか?」


 何かいい方法はないのか……と優は必死に頭を回転させた。そして次の瞬間、閃いた。


「……と、東京に戻ればいい! そうだ、俺が東京に戻ればいいんだ!」


 婚約の恐怖から解放されて、優の顔が急に明るくなる。


「俺は元々実家が嫌いで家出したじゃないか。だからまた家出したことにすればいいんだよ!」

「確かに……藤間英治としても、何度も家出するようなやつに娘を嫁がせるのは嫌いなはずだ」


 父の言葉がちょっと気に障ったが、優は何も言わなかった。とにかくこれであの馬鹿げた縁談から逃げられる。その事実がひたすら嬉しかった。


---


 次の日の朝、優は自分の荷物を確認した。着替えと精霊術の書が入っているバッグパック、携帯、財布……これだけで十分だ。


「本当に行くの?」


 傍から妹の声が聞こえた。


「もちろんだ」

「でも私に戦い方を教えてくれるって約束したんでしょう? 約束は……」

「解読はもう教えたじゃないか。後は自分で勉強しろ」

「でも……」


 美奈の声に力がない。それを感じた優はやっと妹の方を振り向く。


「……まあ、たまには戻って来るよ。その時いろいろ教えてやる」

「嘘じゃないよね?」

「もちろんだ。だからお前も無謀なことせずじっとしていろ」

「うん」


 優は自分の部屋を出て、玄関に向かった。美奈はお兄ちゃんの後ろについて歩いた。


「このクソガキ、また家出するつもりか」


 そうツッコミを入れたのはもちろん清次郎だ。老人は屋敷の前で優を待っていた。その傍には美佐江と京志郎もいた。


「ああ、爺の顔が見たくないから出ていく」

「何!? このガキが……」

「冗談だよ、たまには戻って来るさ」


 清次郎のひねくれた顔に、優は思わず笑ってしまった。


「これ、持っていきなさい」


 美佐江が紙袋を渡してくれた。中には果物などが入っている。


「あんまり肉ばかり食べないでね」

「分かった。ありがとう」


 普通にありがたい。そんな細かいことまで気にしてくれるのは美佐江の叔母さんだけだ。


「優」

「父さん」


 京志郎はいつものように無表情だったが、優にはどこか寂しそうに見えた。


「命令を忘れるな」

「うん、分かっている」


 玄関を出て、最後にみんなに向かって手を振った。そして後ろを振り向くことなく、優は故郷を去った。


---


 数時間もかかって東京の古いアパートに戻ってきた優は、まず窓を開けて空気を換気した。


「さて……」


 とにかく荷物の整理からだ。優は実家から持ってきた着替えなどをタンスにしまった。そして整理の次は掃除だ。幸い家具などが少ないから掃除は比較的に簡単だ。

 やがて掃除が終わると、優は部屋で寝転びながら天井を見上げた。昨日までは一族みんなと一緒だったのに、今日からまた一人だ。流石に寂しい。


「……くっそ」


 このまま一人でいてもますます寂しくなるだけだろう。そう考えた優はアパートを出て電車で移動し、人の往来が少ない駅で降りた。そしてそこから寂れた路地を歩く。

 約一ヶ月前、初めてこの路地に来た時より随分暖かくなった。歩いていると所々に花が咲いているのが見える。もう4月だから当然なことだ。あと数日すればコートを着る必要もなくなりそうだ。実家から春用の服を持ってきてよかった。

 いつの間にか見慣れた看板に辿り着いた。『ルシードドリーム』だ。優は迷わず扉を開けた。


「いらっしゃいませ」


 その挨拶に優は微かな笑顔を浮かべた。何か東京に戻ったという実感が湧く。


「もう帰ってきたのか」


 バーテンダーも微かな笑顔を浮かべて優を迎えてくれた。


「お前、顔がちょっと明るくなったな」

「そう? 俺には分からないけど」

「ふっ……まあ、とにかくよく帰ってきた。歓迎する。早速狩りを始めたいんだろう?」

「もちろんだ」


 『狩り』という言葉を聞いた瞬間、寂しい気持ちはどこかに消えてしまい、体が熱くなり始める。優は内心苦笑した。俺って本当に喧嘩好きだな、と。

 しかしその時、ルシードドリームの扉が開いて誰かが入ってきた。そしてその誰かは何の迷いもなく優に近づく。


「ん?」


 優は振り向いてその誰かの姿を確認した。それは同年代の少女……見たことのない長髪の少女だ。


「初めまして」


 少女が礼儀正しくお辞儀する。


「お前は……誰だ?」

「私は藤間家の次女、藤間詩織と申します」


 堂々と自己紹介する少女の姿に、優は言葉を失った。

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