1話.妖狐
私は妖狐(ようこ)だよ。
そう、この私こそが伝説とか昔話とかでよく出てくる、人間を騙し惑わす妖狐様だ。聞いたことはあるだろう?
人間の心を読むくらい、私にかかれば造作もないさ。暇な時は人間の体に入って悪戯もするよ。人間共は馬鹿だから軽い悪戯にも凄く驚くんだ。面白い。
しかしそんな偉大な私も最近は大人しくしてる。人間の中でもちょっと賢くて妖狐の姿を見透かす陰陽師ってやつらがいるけど、その陰陽師共が最近物凄く凶悪になったんだ。森を少し離れただけで私たちを殺そうとする。本当に悪いやつらだ。
おかげでこの私もただの狐と同じく森の中でじっとしているわけだ。空気はいいけど退屈で退屈でたまらない。人間の町で悪戯してたあの頃が懐かしい。
ああ、余計な愚痴を言っちまったな。
で、私があの女の子に初めて会ったのはつい先月のことだ。その時私は木の陰に隠れて、あの女の子が自殺しようとしているところを見てたんだよ。まだ寒いのに森で自殺しようとする人間がいるとはね。
しかし女の子は自殺した経験がないのか、縄の縛リ方がよく分からないみたいだった。じれったくなった私はつい木の陰から出てしまったのさ。
「あ!」
女の子が叫んだ。そりゃ怖い妖狐様を拝見したら驚くのも無理はないよ。私は久しぶりに人間を威嚇したことに満足して、もっと威嚇する身ぶりをした。尻尾を立てて、こう。
「か、可愛い……」
何だと!? 何百年を生き、数多の人間共を恐怖に陥れたこの私に向かって可愛いだと!? 自殺志願者だから怖いものなしってのか!?
……でもまあ、よく考えてみたら私変身してないし、見た目はただの狐だもんな。妖狐のこととか知るはずもない普通の女の子が怖がらなくても仕方ないか、ちっ。
どうやらこの女の子に妖狐の怖さを思い知らせる必要があると判断した。それで近づいたのさ。しかし女の子は次の瞬間いきなり泣き始めた。
「うっ、ううっ……」
ちょっと待てよ。まだ妖狐の怖さを思い知らせる前だぞ? 何でいきなり泣き始めるんだ。おい、泣くなよ。
私は慌てた。だってずっと泣いてるんたから。これでは妖狐の怖さとかどうしょうもない。
くっそ、仕方なく私は女の子の心を読もうとした。何で泣いているのかその理由を知らないと話が進まないから。
読心術を使うのは久しぶりだから少し時間がかかったけど、とにかく女の子が考えていることを見ることができた。それは女の子がつい先日ある男に捨てられる記憶だった。
何だ、失恋か。
数百年前も今も人間って同じだな。いつもそれで苦しむんだから。私としては本当に理解できないことだ。発展という言葉を知らないのか?
とにかく話をまとめると、この女の子は失恋して自殺しようと心を固めたが、私の姿を見てちょっと緩くなり、また悲しみに落ちたってわけだ。ふん、本当に人間って面倒くさい生き物だ。
多分このままだと女の子はずっと泣き続けるんだろう。それは私にとっても不都合なことだ。だから仕方なく私の二つ目の特技、憑依を使うことにした。私は早速女の子の体の中に潜って、悲しい気持ちを弱めた。それでやっと女の子が泣かなくなったよ。
その後、女の子はちょっと戸惑いながらも、自殺はやめて家に帰ろうと決心した。私もちょっと戸惑ったが、久しぶりに人間に憑依したことが面白くなってそのまま居座った。まあ、妖狐の怖さを思い知らせるのは後でもいいだろう?
---
そうやって女の子と一緒に暮らし始めたのさ。女の子の名前は『前田陽子(まえだようこ)』、身分は『だいがくせい』だって。『だいがくせい』ってのはよく分からないけど学を修める身分らしい。こんな大きな娘が嫁にも行かず学を修めるとは、人間も少しは変わったものだ。
それに陽子は『れこーど』店っていうところで仕事もした。『あるばいと』ってものらしい。
しかしそんなに頑張って生きても、陽子は時々泣いた。仕方なくその度に私が悲しい気持ちを弱めたのさ。人間って本当に面倒くさい。
陽子は気分が良くなると音楽を聴いた。人間の音楽は私もちょっと知ってるけど、陽子が聴かせてくれたのは新しかった。『くらしっく』音楽だって。ちょっと楽しかったよ。
そして私が楽しくなると、陽子も楽しくなった。憑依した私の気持ちに感応したんだな。そうやって陽子は失恋の悲しみを乗り越えつつあった。ふふ、私が陽子に妖狐の怖さを思い知らせる日も近くなったわけだ。
しかしその全ての計画があのガキのせいで台無しになってしまった。
---
それは陽子が『あるばいと』している時だった。一見女の子に見えるガキが店に入ったのさ。都合よく店には他のお客さんがいなかった。もちろんガキがそんな時間帯を狙ったんだろうけど。
「いらっしゃいませ」
陽子が明るい声で挨拶した。しかし私はそのガキの目つきを見てわかった。こいつは陰陽師だ。最近は陰陽師じゃなく『術者』って呼ばわれているらしいけど。
「何かお探しですか」
無邪気な陽子は想像も出来ないはずだけど、こいつは私を狩りに来たんだよ。こいつら術者たちは領域から離れた魔物を容赦なく殺す。私も頃合いを見て逃げるべきだったのに、陽子と一緒に暮らすことが楽しすぎてついうっかりしてしまった。くっそ、この私がこんな馬鹿な真似を……。
ガキは何も言わず陽子を見つめた。私にはその沈黙と眼差しの意味が何となく分かった。私が陽子の体から出ないと、こいつは陽子ごと私を攻撃するつもりだ。陰陽師、いや術者には読心術が効かないからこれはあくまでも私の推測だが。
「ちょっと待った!」
私は素早く陽子を眠らせ、彼女の体から出た。ここで私が死ぬのは仕方ないけど、陽子を巻き添えにする訳にはいかないし。
外に出たらはっきり感じられた。このガキはただの術者ではなく、人狼だということが。そんな匂いがするやつは狐と人間の混血、もしくは人狼しかいない。
「お前、人狼なんだな?」
「よく分かるな」
くっそ、狐と人間の混血なら親戚みたいなもんだから何とかなるかもしれないのに。人狼は血に飢えたやつらだ。もう何もかもお終いだ。
ガキはまず倒れている陽子を椅子に座らせて、私を睨みつけた。私はもう諦めて死を待ったよ。しかし次の瞬間、ガキが妙な質問をしてきた。
「何故人質を取らなかった?」
「何?」
「この女を人質にすれば少しは有利になったはずだ。どうしてそうしなかったんだ?」
さあ、何でだろうな。私だってよく分からない。
「早く答えろ」
「このクソガキが……私に命令するな!」
私は精一杯尻尾を立てながら怒鳴った。
「お前みたいなガキは私一匹で十分なんだよ! 早くかかってこい!」
ガキの顔が強張った。私の威嚇が効いたんだな。
「……出ていけ」
何? 私は何か聞き間違えたと思った。
「ここから出て、森に帰れ。そして二度と戻ってくるな」
ガキの真意が読めなかった。 読心術も効かないから。
ちょっと戸惑った後、私は警戒しながら少しずつ動いた。ガキはそんな私を睨んだが、結局動かなかった。
ふと陽子の方を振り向いた。もう私がいなくても大丈夫だろう。
「……さよなら」
私は窓から店を出て、森の方に必死に走った。
---
そうやって生き延びたのさ。しかし今も夢の中であのガキの目つきが見えて驚くよ。人狼と張り合うのはもう二度とごめんだ。
陽子にはもう会えないだろう。それは仕方のないことだ。でも陽子が聴かせてくれた音楽は今もちゃんと覚えてるよ。おかげでしばらくは退屈せずに済みそうだ。陽子も明るくなったんだから、今度はいい男に会ってほしい。
まったく、だから人間は面倒くさい生き物なんだよ。
---
「逃しただと?」
ルシードドリームのバーテンダーがしかめっ面になった。
「そいつはおかしいな。性格はともかく、実力はちょっとあると思ったんだが」
優は何も言わなかった。
「まあ、その妖狐は人を害したわけでもないし……森に帰ったなら消滅させなくても問題はないが」
バーテンダーの冷徹な眼差しが優に向けられる。
「しかし失敗は失敗だ。報酬はない」
「分かってる」
優は向きを変えてバーを出た。その時、OL風の若い女性が優とすれ違ってバーに入ってきた。
「久しぶりだな、水島(みずしま)」
バーテンダーが若い女性に挨拶した。水島と呼ばれた女性は「こんばんは」と挨拶を返したが、何か釈然としない顔でちらっと後ろを振り返る。
「あの、今の子……まさか……」
「気づいたのか」
「本当に人狼なんですか?」
水島が目を丸くして聞くと、バーテンダーが無表情で頷く。
「それじゃ、あの子は……」
「そう、あの呪われた一族の子供だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます