オオカミナリ
書く猫
1章、魔物狩り
プロローグ.茶髪の少年
ロングコートを着ている茶髪の少年が、東京のとある路地を一人で歩いていた。
その路地はかなり寂れたところだった。もう5分以上歩いているのに、茶髪の少年は自分以外の通行人を一人も見かけていない。所々に居酒屋とか喫茶店などもあるけど、みんな潰れる寸前に見える。
そんな風景をよそ見しながら歩いていた少年は、やがて小さな店の前で足を止めて、看板の文字を確認する。『ルシードドリーム』……ここだ。ここが指定された場所に違いない。少年は扉を押して店の中に入った。
『ルシードドリーム』は古くて狭いけど、暖かい雰囲気が漂うバーだった。どうやら初春の寒さもこのバーの中までは侵入できなかったようだ。しかしちょっと大人向けすぎで、少年にはあまり似合わない。
カウンターの内側には30代くらいの男性が食器を洗っていた。身なりからして彼がここのバーテンダーなんだろう。他のステップとかお客さんは見当たらない。
「お客さんじゃないな」
バーテンダーは少年の姿をちらっと見てそう言った。
「今日からここら辺で働くことにしたやつか」
その質問に少年が無表情で頷くと、バーテンダーが首を傾げる。
「しかし……今日来るやつは男だと聞いたんだが」
「俺は男だ」
少年がやっと口を開いた。肌が真っ白で、背が低く体が細いから一見女の子にも見える。初対面の人から『女の子かな』と聞かれるのはもう慣れている。
「これは失礼」
「構わない」
少年の抑揚のない声も、どこか女性的だ。バーテンダーはその事実に内心苦笑する。
「ではまず身分証明だ。一応手続きってものがあるからな」
その言葉に少年が一枚のカードを差し出す。バーテンダーはそれを受け取り、声に出して読む。
「真田優(さなだゆう)、等級はC+、特技は身体変化術……なるほど」
バーテンダーがカードを茶髪の少年……真田優に返す。
「あの珍しいシェイプシフターだったのか。しかしそれでもC+がここに来るとは」
「問題でもあるのか?」
「死体掃除はごめんなんだよ」
「余計な心配だ」
「威勢だけは一人前か。まあ、いいだろう。急な仕事を任せてみるよ」
バーテンダーが引き出しから何かを取り出した。よく見るとそれは宝石の付いた腕輪だ。
「これは位置追跡用の代物だ。指定された獲物の追跡と、もしお前が死んだ時は死体回収にも使える」
「知ってる」
優は腕輪を受け取ってロングコートのポケットにしまった。
「では今日中にそいつを狩ってこい。迅速かつ隠密に。出来るな? シェイプシフター」
「報酬は?」
優が間髪を入れずに聞いた。その瞬発力にバーテンダーは失笑する。
「隙のないガキだな。報酬は5万だ」
「少ない」
「この業界も不景気なんだよ。それに、C+にいきなり大きな仕事を任せるわけがないだろう」
『信用されたいんなら実力を見せてみろ』……バーテンダーの目がそう言っていた。優は一瞬不満げな顔をしたが、それ以上は何も言わずバーを出る。そしてバーテンダーはそんな優の後ろ姿に冷たい眼差しで挨拶を送る。
「どうぞ良い狩りを」
---
橋本幸雄(はしもとゆきお)という名の若い男が、東京のとある商店街を当てもなく歩いていた。もう1時間もそうしていたから一見やることのない暇人に見えるけど……実を言えば、彼は確固たる目的を持っていた。
女、若い女がいい。当然だろう? と幸雄は思った。
街中ですれ違う女性たちは、半数以上が幸雄に視線を送った。彼がハンサムだからだ。それは幸雄にとって涎が出る状況だったが、一応我慢した。
やがて幸雄は小さな公園に入って、なるべく人の気配のない場所に向かった。露骨な誘いだ。しかし術師たちはそんな露骨な誘いにも馬鹿みたいに乗ってくる。もう知っていることだ。
何の前触れもなく、いきなり周りが暗くなる。まるでここら辺だけ夜になったような……もっと正確に言えばここら辺だけが黒い霧に包まれたようだ。
普通にはあり得ない怪現象……しかし幸雄はその怪現象に驚くこともなく、ただ自分に向かってくる人間を……茶髪の少年を睨んだ。
「やっぱり追跡があったのか。でもまさかこんなガキが……」
幸雄がハンサムな顔の上に嘲笑を浮かべた。
「しかしよく見るとなかなか可愛いね。どうだ、お嬢ちゃん。僕と遊ばない?」
「俺は男だ」
「は? こいつは驚いたな。変身でもしたのか?」
「クズ野郎」
「口が悪いね」
幸雄の表情が歪んだ。いや、歪んだのは表情だけではない。いつの間にか彼の全身が歪んでいた。
「僕は口の悪い子は嫌いんでね」
元から高かった幸雄の背が更に伸び、指から長い爪が出てきた。手足は細くて長く、肌は青くなって、まるで餓死した死体のような姿だ。
「まずその汚い口から引き裂いてやるよ。それから脳みそを丸呑みだ。せいぜいあの世で恨んでよね」
幸雄、いや、幸雄だった餓鬼(がき)が笑う。
「恨む?」
やっと無表情を捨てて、優も笑う。
「むしろありがたいけどな」
「何?」
「お前のような馬鹿がいるから、俺なんかも稼げるんだ。本当にありがたいことだよ」
優の挑発に餓鬼は早速反応した。つまり餓鬼は前方に跳躍して、優の頬に爪を突き刺したのだ。真っ白な肌が裂けて赤い血が流れてくる。
「もう一度言ってみろよ、このクソガキ」
餓鬼は優を見下ろしながら、ゆっくりと指を動く。そのまま顔の皮を剥がすつもりだ。
「じゃ、もう一度言ってやるよ」
優は無表情に戻って答えた。
「お前のような馬鹿がいるから……」
「こいつ!?」
異変に気づいた餓鬼が優の脳天に爪を突き刺そうとする。だが今回は優が腕を上げて受け止める。その腕はもう小さい少年のそれではない。
「俺なんかも稼げるんだ」
あっという間に優の背が餓鬼よりも高くなっていた。そして着ていた服はどこかに消え去り、代わりに灰色の毛が生えていた。一見女の子に見える顔も、いつの間にか野獣の頭部に変わっていた。
「本当にありがたいことだよ」
野獣が餓鬼を見下ろしながら笑う。獲物を前にして喜ぶ肉食動物の笑顔だ。頬の傷はもう跡形もなく消えている。
「狼…!」
餓鬼は一瞬で圧倒された。それは狼であり狼ではなく、人であり人ではない。その野獣は狼の頭と巨大な胴体を持ち、両足で立っている。野獣の目は殺気に、口は狩りの喜びに満ちている。
「せいぜいあの世で恨めよ、餓鬼」
人狼は長く鋭い爪を餓鬼の脳天に突き刺した。
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すっかり暗くなった頃、優は古いアパートに着いた。このアパートの203号室が彼の家だ。玄関を開けると冷たい空気が迎えてくれた。
「うっ……」
家に入ってドアを閉めた瞬間、我慢していた呻き声が口の外に漏れた。
「くっそ……」
額から汗が流れ落ちた。ほんの一瞬だけ戦ったのにこのざまだ。これでは昔と同じだ。いや、昔より確実に弱くなった。この3年間俺は一体何をしていたんだ? 優は自分を責めた。
ふと頭を下げて、ロングコートのポケットの中を確認した。5万円が入っている封筒が見える。大事なお金だ。これから狩りまくれば自立だってできる。
そう、自立がしたい。一人でお金を稼いで、一人で生きたい。そのためなら魔物も何も全部殺してやる……!
また狩りに行きたいという衝動が収まらなかった。しかし今は休憩が先だ。そう自分を納得させた優は、部屋に入って横になった。
---
次の日、茶髪の少年がまた『ルシードドリーム』に訪ねた。バーテンダーは少年の姿を見てちょっと驚いたようだった。
「ほう、勤勉なガキだな。今日もやるつもりか?」
「そうだ」
「反動のせいで結構苦労したはずだが」
「余計な心配だ」
「……まあ、いいだろう。仕事はあるから。しかしお前、周りからクソガキとか言われたことはないのか?」
優はバーテンダーを精一杯睨みつけた後、腕輪を受け取った。
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