第35話:シャル・ウィ・ダンス?④
「――あれ」
その人影に気付いたのは、全くの偶然だった。
空いた時間を潰そうと、若い者の間で話題になっているホールへ入った。飲み物でも取ってこようとカウンターを探していたとき、目の端を何かが掠めたのだ。
振り返ってみたら、紫の着物に袴を合わせた女の子だった。女学生だろうか。小柄で華奢で、そんな体格にそぐった可憐な顔立ちをしている。どことなく沈んだ表情も相まって、頼りなげに風に揺れる野の花を思わせた。
――どういう天の采配か、見ているうちに話しかけてみたい、と思ったのだ。声をかけて、どんな表情をするのかが無性に気になった。
「ごめん、ちょっと外す。時間までには戻るから」
「は? はあ、了解です」
「お知り合いでもおられましたか、
行動を共にしている同僚たちが言うのに、肩越しに振り返って軽く笑う。数時間後には面倒な任務が控えているというのに、なぜだか気分が良かった。
「正確には今から知り合う、かな。壁の花に話しかけてくるよ」
からん、と澄んだ音がした。足元に落としていた視線をあげると、目の前に細長いグラスが差し出される。
「はい。どうぞ」
「、えっ?」
振り返った美羽の目が丸くなる。グラスを持って立っていたのが、全く見覚えのない青年だったからだ。
歳は二十歳前後くらいで、美羽より頭ひとつ半ほど背が高い。短く切ったさらさらの髪、切れ長の瞳。涼しげに整った顔立ちには、人好きのする気持ちのいい笑みが浮かんでいる。しかし何より目を引いたのは、相手が陸軍の制服を着ていたことだ。濃色の軍服が凛とした雰囲気を醸し出している。
「レモネード。ここのは炭酸水で割ってあるから、すっきりするよ。良かったら飲んで」
「あ、はい、ありがとうございます……?」
なんとなくグラスを受け取ってしまい、美羽はしきりに目を瞬かせた。ええと、確かこういうときは一気に飲んではマナー違反になるんだったっけ。
社交の授業を思い出しつつ、少しだけ口に含む。ぱちぱちと泡がはじける感触が、レモンの風味と相まってとても爽やかだ。
「……おいしい」
「よかった。人いきれで暑いからね、水分はちゃんと摂った方がいいよ。あっちに椅子もあるけど」
「あ、それは大丈夫です。出来るだけ近くで見ていたいので」
「え、踊らないのかい?」
「そうしたいのは山々なんですけど、まだ下手で……相手の人にも迷惑だし……」
先程のやり取りを思い出して心が沈む。ため息がこぼれそうになり、あわててグラスをあおって誤魔化した。いかんいかん、さっきから気持ちが不安定になっている……
と。
「じゃあさ、僕と踊ってくれない? 付き合うよ、練習」
「はい!? いえ、でも」
「大丈夫、これでも結構頑丈なんだ。友達や後輩に教えてると、足を踏まれるのなんてしょっちゅうだからね。しかも硬い軍靴のかかとで目一杯」
「い、痛そう……!」
「ははっ、彼ら加減てものを知らないしねぇ。――案外、赤の他人の方が気を遣わずに済むかもよ。僕だって踊るなら可愛らしいお嬢さんの方がいいし」
悪い話じゃないと思うけど? と、至って気楽に聞いてくる青年だ。
確かにそうかもしれない。第一美羽の性格だと、自分から言い出すってことはまず出来ない。ここは親切なお言葉に甘えさせてもらおうか。
「じゃあ、お願いします。……ほ、ホントに下手ですからね? びっくりしないでくださいねっ」
「任せときなって。ではお手をどうぞ、お姫様」
どうして私の周りの男の人って、こういうことさらっと言えてしまうんだろうか。やたら様になっている礼にそんな感想を抱きつつ、美羽は差し出された片手を恐る恐る握った。
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