第22話:春の夜の悪夢③

 朧月夜である。

 すでに消灯時間を過ぎた学園内はしんと静まり、瓦斯灯の明かりが月影と相まって、桜の梢をぼんやりと浮かび上がらせている。時おり吹きゆく風に、今は青白く照り映える花びらがひとひら、またひとひらと静かに舞い落ちた。

 『春はおぼろに月影淡く 恋に言葉の要らぬ夜』――そんな流行り歌そのものの美しい宵に、連れ立って歩いている人影が二つ。

 「ったく、お前は! だから前から言ってんだろうが、うちの国はちょっと特殊なんだって!!」

 「面目ありません……」

 声を潜めて叱るという、なかなか器用なことをしているのは、高等科一年櫻組の担任である鴻田だ。そして素直にうなだれている方はというと、本日いろいろありつつも無事初授業を終えられたところのアルベルトだった。各教員が持ち回りで担当する、二人一組の夜間巡回に出ているのである。

 「維新からいろいろ変わってきちゃいるが、欧州と違って基本謙遜と恥じらいが美徳ってとこなんだよ桜華国は! 見合いの席の男女ですら、自己アピールは付添人任せなんだからな!? そこに持ってきて今日のお前みたいな発言しやがったら、そりゃ一発でぶっ倒れるだろうよ!!」

 「全くもってその通りです、はい」

 ……なんの話かと言えば、本日行われた櫻組の初授業で委員長が卒倒した件についてだ。中等科の時分からドが付くほどの生真面目で通っている霧生院なので、実はこういった事態をこっそり心配していた鴻田である。

 「あとな、うちのお姫さん方は良家の子女がほとんどだ。その辺の同い年くらいの子より、男に対する耐性がないんだよ。嫁入り前の箔付けにこんな無菌室みたいな学院に入れられてる時点で何となく想像つくとは思うが」

 「ええ。うちで言う花嫁学校フィニッシング・スクールみたいなもの、ですよね? つまりは」

 「って、わかってんならちゃんと手加減しろてめぇはッ!! 自分から初恋ドロボーになりに行ってどうする!!」

 「わ~~~っっ」

 のほほんと悪気なく同意してみせた友人に、渾身の絞め技が炸裂した。そのまま片腕で抱え込んでこめかみをぐりぐりしつつ、自分こそ頭痛がしてきそうな鴻田は深々とため息をつく。

 まったくこの男、自分が留学したときとほとんど変わっていない。育ちの良さゆえほぼ完ぺきに近い社交術と、若干入っている天然ボケから来る褒め殺しがすさまじい相乗効果を発揮するのだ。女性の場合は特に大変なことになるのは、我らが委員長の例を見るまでもない。

 それでも今まで大事に至ることがなかったのは、ひとえにアルベルト本人の誠実な性格と、彼が抱える事情とによるものだ。国家元首に認められた魔術師協会の正式な一員、分けても史上最年少でその仲間入りを果たした不世出の術士が彼なのである。周囲の期待と、依頼される任務の難易度は想像を絶する。それゆえに、彼はいつも独りだったのだ。

 「だからすみませんって。本当に反省していますから。……やっと憧れの国に来られて、嬉しかったんですよ。それはもう」

 「――まあ、そうだな。お前はあっちでもずっとそう言ってたし」

 かれこれ七年前に初めて出会って、あれこれあって意気投合した頃から、この男はずっと桜華の文化を好きだといってくれていた。当時からすでに達者だった桜華語でもって、しょっちゅう鴻田の下宿先へやって来ては質問責めにされたものだ。ただの興味本意ではない熱意を感じたからこそ、こちらも抹茶を飲ませてやったり、ついでに小さい約束をしたりしていたわけで……

 「そういやどうだった、首尾は。ちゃんと逢えたか」

 「はい、勿論! というかシゲ、目星がついたからお使いを頼んでくれたのでは?」

 「俺はそこまで千里眼じゃねえよ。名前どころか顔も知らなかったんだぞ。

 ……しっかし、よりにもよってここの学生だったか。いくらずっと逢いたかったからって、早速やらかしたんじゃないだろうな」

 「失礼ですね、ちゃんと礼節を守って接しましたとも。…………まあ、赤くはなっていましたが」

 「よーっし上等だちょっとツラ貸せ」

 「ああああ、だから待ってくださいって! そんなふうだからお嬢さん方に『世話焼きオカン』とか言われるんですよ!?」

 「やっかましいわ!! あいつはお前みたいな言動に飛び抜けて耐性がないんだっつの!!」

 ぽつりとこぼれた一言に、再びヘッドロックをかけようとする鴻田と逃げるアルベルトとの攻防が始まる。木の上に並んだ木霊たちが『もふふ?』と身を乗り出して見物して――

 寄宿舎の方から、はっきりそれとわかる女性の絶叫が響いたのは、そのときだった。

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