第11話:ラボラトリーで朝食を④

 美羽はともかく、初めて目の当たりにした杏珠はひたすら口をぱくぱくさせている。ついでに今、なんだかすごい単語を聞いた気もする。助けを求めて、斜め向かいの担任に視線を向けてみる。

 「あの、ウィザードって?」

 「簡単に言えば魔法使いのことだ。いくつかの分野に別れてて、こいつが今やったみたいなのを得意にしてるやつは紋様術士アルカナキャスターって呼ばれてる」

 「へ、へえ……」

 「待て。鴻田先生は何ゆえそんな冷静なんじゃ、というかいつから知っておった!?」

 「留学してた時、もう七年前になるか。とにかく面倒なことに巻き込まれてな、アルとはそっからの付き合いだ。

 あの時はとにかくいろっいろと大変だったが……また何かあったのか」

 「ええ。実はこういうひとたちを探すことになりまして」

 いろっいろ、の部分にやけに力が入っているのが気になったが、問いただすより先に差し出されたものに目が釘付けになった。

 「それ、昨日のビー玉ですか?」

 「ご名答です。この中をよーく見てみてください」

 「……うん? なんか動いておらぬか?」

 一緒に覗き込んだ杏珠が戸惑いの声を上げる。透き通った硝子の奥で、ヒラヒラと青白い炎が踊っているのが見えた。昨日桜の枝にぶら下がっていた西洋提灯ランタンの灯りと全く同じだ。

 目を向けた美羽に、アルベルトはそうです、というようにひとつ頷く。それから、ふっと真面目な表情に転じて続けた。

 「イングローズはここ十数年ほどで、産業革命による著しい経済成長を成し遂げたのですが。急激な変化の皺寄せが、環境の汚染という形で現れてしまったんです。

 都市部はいうまでもなく、最近では高原地帯や湖水地方でも水と空気が汚れ始めていて……」

 「――あー、そういうことか。そりゃ難儀だな」

 「だから置き去りにするなというに。確かに大事じゃが、それが今回のこととどう繋がる?」

 「あのな、紅小路。ある日いきなり自分の家の周りが――そうだな、近くの川か何かがあふれたとでも思ってくれ。家ん中もとても住める状態じゃない。そういうとき、お前ならどうする?」

 「それは、つてを頼って別のところへ移り住むしか……あっ」

 言いかけて思い至り、はたっと止まる杏珠だ。それに頷いて、

 「な? 人間以外もそれはおんなじってことだ」

 「そうした生き物の中には自力で動けないものも多くいます。そちらを優先して保護していたら、結果的に後手ごてに回ってしまいました。……申し訳ない」

 「そりゃあお前だけの責任じゃないだろ。あんまり気に病みすぎるな。

 てことは、今回はその脱走した奴らを捕獲して回るのが目的か」

 「ええ。協会の依頼という形ですが、事実上は陛下の勅命です。そこで、なんですが」

 鴻田に肩を叩いて励まされ、気持ちが切り替わったようだ。一旦話を区切って美羽たちに向き直ったアルベルトは、迷いのない真っ直ぐな目で言葉を続けた。

 「無害なものも多いのですが、中には好戦的な性質を持つものもいます。元から桜華にいた『先住民』とトラブルになれば、無関係の人々にまで被害が拡大する恐れもあります。

 そして昨日のウィル・オー・ザ・ウィスプ――鬼火もそうなんですが、彼らは基本的に人の目には見えません。波長が合った相手にのみ、ああして悪戯を仕掛けてきます」

 「い、いたずらなんですか? あれ」

 「神隠しとかシャレにならんじゃろ……」

 「彼らは若干、ひととは価値観がズレていまして。……ですので、それを感知できたお二人の周りでは、今後も似た出来事が起こる可能性があります。もしも何かを見聞きしたときには、すぐに教えて頂ければ幸いです」

 すっと姿勢よく頭を下げる相手に、依頼された二人は目を見合わせた。それはつまり……

 「――要するに、危なくない範囲で手伝ってくれ、ってことですね?」

 「ええ、昨日の今日で申し訳ないのですが」

 「よし。週二回のお茶で手を打つ」

 「……はい?」

 「だーかーら、報酬じゃ報酬。週の中日と末日、こういうお茶の時間を設けてくれるなら手伝うてやろうぞ。のう美羽」

 「うん。スコーン、とってもおいしかったので……あ、イングローズのお話も聞きたいです。先生のお邪魔にならない程度で」

 相変わらずふんぞり返って言う杏珠に言い添えると、今度はアルベルトのほうがぽかんとした顔になった。

 いや、だって巻き込まれるのはほぼ確定らしいし。だったらこっちも要望を出して、出来るだけ楽しくやり過ごしたり乗り越えたりした方が絶対有意義じゃないか。

 「だから前も言ったろ。うちの国の婦女子は、見た目は繊細だがわりとたくましいって」

 「――ええ、本当に。

 喜んでお取り計らい致しましょう、お嬢さん方」

 おかしそうに言う鴻田に、ふわりと柔らかな笑みを返して。新任教師兼魔術師は、お手本のように綺麗な礼で応えてくれたのだった。


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