第4話:ガール・ミーツ・ジェントルマン②

 (わ、外国のひとだ……!)

 軽く頭を振っている相手は、それはもう見事な金色の髪だった。やや長めのそれをうなじの辺りでひとつに括り、仕立ての良いシャツにベストにスラックスという洋装姿が一分の隙もなく似合っている。年の頃はおそらく、担任の鴻田と同じくらいではなかろうか。

 そんな明らかに異国籍の青年はひとつ伸びをして、ふいに振り返った。ぼうっと立っていた美羽と真正面から目があい、それこそ肖像画のように整った顔立ちの中で、青い瞳がきょとんと瞬く。

 「あ」

 「ごっ、ごごごごめんなさい!! あの、ノックしたんだけど返事がなくて――って伝わらないっっ」

 外国語はこれから習う予定なため、話すのも聞くのも全くな美羽である。とにかく不法侵入の謝罪だけはせねばと勢いよく頭を下げた、のだが。

 「――やはり生徒さんでしたか。いいえ、どうぞお気になさらず」

 「、はい?」

 下げた頭を勢いよくはね上げる。その視線を受けて、立ち上がった青年は穏やかに目を細めて続けた。桜華のことばで。

 「先ほどこちらについたばかりでして。思いのほか疲れていたようで、お恥ずかしながらついうたた寝をしてしまいました。まだ荷ほどきも済んでいなくて申し訳ない」

 訛りの一切ない、きれいな発音で告げてきた相手のセリフに目を瞬いた。それはつまり、この油紙に包まれた家具一式がこの人のものだということなわけで。

 「あの、新任の語学の先生って……」

 「はい、私です。イングローズは王都ロンディアから参りました、アルベルト・リッジウェルと申します。どうぞお見知りおきください」

 これまた見事な自己紹介と共に、夜会のご挨拶のように優雅な一礼をしてくれる青年だ。それに見とれつつああ、やっぱりと納得した。

 鴻田もそうだが、寳利の教員には若い男性がそこそこいる。まだまだ女性教員の数が少ないというのもあるが、『乙女たるもの常に殿方の目を意識して立ち居振舞いをすべし』という創立者のモットーによるものだ。良家の子女が多く在籍しているため、ある程度男性に慣れて後々社交の場で困らないようにするという意図も含まれているのだろうが。

 ついでにイングローズといえば、最近桜華と友好条約を結んだ欧州の一国だ。北方の海に浮かぶ島国で、こちらに来ようとすれば旅路はほぼ海、蒸気船でも一月近くかかる。いくら若くても疲れて当然だ。

 起こしちゃって申し訳ないな、と小さくなる美羽に、アルベルトと名乗った青年は相変わらずもの柔らかに続けた。

 「さて、お嬢さんはどうされました? 何かご用があったのでは?」

 「あ、そ、そうでした。先生にお届けものが」

 「私に?」

 「はい。あの、国語の鴻田昌成こうだまさしげ先生から。お茶だそうです」

 「こうだ……ああ、シゲですね!」

 「お知り合いなんですか?」

 「はい、彼がイングローズに留学していた時から。その時に、持参していた抹茶を飲ませてくれたんです。

 あまり私が喜ぶので、じゃあいつか国に来たら好きなだけ飲ませてやる、と約束してくれて。……覚えていたんですね」

 懐かしいな、と目を細める表情が本当に嬉しそうだ。見ている方まで笑顔になりそうな様子で、大事に茶の包みを抱えた青年は再び口を開く。

 「わざわざありがとうございました。何のお構いも出来ないのは申し訳ないので、良かったらどうぞ」

 差し出されたのは、一枚の栞だ。カードのような硬い紙に、変わった文様――いや、文様のように装飾されたアルファベットが並んでいる。片端には穴を開けて金色のリボンも結ばれており、シンプルだがとても可愛らしい一品だった。

 「授業のために用意したんですが、たくさん作りすぎてしまって。よろしければ使ってください」

 「ご自分で作られたんですか!?」

 「はい。細かい作業は苦にならない質でして」

 「すごいです、とっても綺麗……! あの、なんて書いてあるんですか?」

 訊ねてみたところ、相手はにこっとして――なぜか、その場に片膝をついた。そして、

 「『Absence sharpens love, presence strengthens it.』

 ――あなたがいないときに愛は研ぎ澄まされ、あなたといるときに愛は強くなる」

 美羽の片手を取って、押しいただくような動作をして。軽く、本当に一瞬だけだが、指先に口付けを落とした。

 「~~~~っっ!?」

 ぼふっ、と湯気が上がりそうな勢いで顔が真っ赤になった。いや顔だけでなく、耳といわず首といわず。……いや、だって、普通そうだろう。ことばも相まって、まるで告白、どころか求婚されてるみたいじゃないか!

 恥ずかしさのあまり意識を飛ばしかけたところで、リンゴーンと爽やかな鐘の音が響いた。ハッと我に返って、奪われたままだった片手を引っこ抜く。

 「よ、よよよ予鈴が鳴ったので!! あの、失礼しますっっ」

 「ああ、はい。シゲにとうぞよろしく」

 わりとあっさり引き下がった新任教諭の声に見送られてちょっとだけ拍子抜けしつつ、美羽は必死の猛ダッシュで教員棟をあとにしたのだった。

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