第三章 立月と美礼の関係、美礼とメイド服の関係。

 屋上のフェンスにしなだれかかる夜嶋やしま立月たつきです。校庭からこの姿を見られたら、自殺志願者と思われるかもしれない。あーぽかぽか陽気で空も晴れ渡ってて素敵な一日ダッタナー。

立月たつきー? ってこんなところにいたのか……なにしてんだよ」

 どうやら俺を呼んだのは悠大だったらしい。俺は重い体を起こし、悠大に向き直って、

「いや、人生に詰んでしまってな……」

「どんだけだよ。はぁ……ここ三日間ぐらいそんな調子だけど、何があったんだよ」

 俺が相当ひどい顔をしているのか、少し優しい声音で悠大。俺は昨日起きた、瑞穂と陽鞠ひまりのことを話すと、

「……いやマジか」

 悠大は愕然とした様子でそう漏らした。俺は俺で改めて事実を認識して、大業なため息をついた。

「知り合ったばかりだから付き合えないって、もちろん断ったんだけど。いやでも女装してて良かった……立月たつきのままだったら二つ返事でオッケーするところだった」

「いやすんなよ。お前も瑞穂も恋愛対象は女だろうが。つーか全然余裕じゃねぇか。心配して損したわ」

「悪い今のはふざけた。全然余裕じゃないです」

「はぁ……で、そしてその後どうしたんだ?」

「それがさ、だったらデートして欲しいって。『それでボクのことを知って欲しい』とのことでして」

「瑞穂って意外とぐいぐい行くのな。そういうところは男らしいとは思うが……で、返事は?」

「とりあえず保留してもらった。立月たつきが返答するって流れに」

「めんどくさ。もう事実を言っちまえよ」

「そうなんだけど……」

「わかってる陽鞠ひまりが大事なんだろ? それでも瑞穂には伝えるべきなんじゃねぇの」

 確かに悠大の言う通りだよな。瑞穂とは決して浅い仲じゃないし、そもそも陽鞠ひまりに好意を持ってくれているんだ。不誠実なことは、するべきじゃないよな。

「そう……だな。じゃあデートの時に伝えるか。現実見てもらった方が、早いしな。はぁ……立月たつきのままデートできれば完璧なのに」

「何が完璧なんだよ」

 やっぱり余裕じゃねぇかと睨む悠大に再び謝罪し、

「まぁそれはさておき……もう一個瑞穂から、知らない人と二人きりが心配なら、友達連れてきていいって。それこそ立月たつきとかって言われたけど」

「じゃあ立月たつきと行けば?」

「何言ってんだよ……」

「いや俺に振られるんじゃないかと怖くなったから。言っとくけど絶対付き合わねぇからな」

「うっ……いやそうだよな悠大は……」

 なにかと優しい悠大だが、そこまではしてくれないのが小山田悠大という男なのだ。まぁこんな話に付き合ってくれるだけ、ものすごくありがたい存在なんだけど。

「つうかそもそも、別に付き添いなんていらなくね?」

「いや一人だと心配だな、と」

「自分が蒔いた種だろうに……。つっても他に連れていける人なんていないだろ? だったら一人で頑張れ」

 悠大に冷たく突っぱねられてしまったけど、やっぱり一人で頑張るべきなのだろうか……。




「とは言ったものの」

 やっぱり誰かしら来てくれるならありがたい。でもそれはつまり、俺と陽鞠ひまりのことを知っている人間に限られるんだが……。

 星羅せいら……はわざわざこんなことに付き合ってくれるだろうか? 絶対面倒くさがるでしょうし。どうしたものか……。

「何かお困りの様子ですね?」

 と意地悪な笑みで俺の前に現れたのはもちろん。

「なんにも困ってないですよ安南あんな先輩。他を当たってください」

「やん、そんなつれないこと言わないでくださいよ。面白そうですし」

「面白そうって言う人に、協力仰ぎたくないだろ……」

「意外と役に立つかもしれませんよ?」

 えいっと安南あんな先輩は腕に力を込めて力持ちアピール。いや全然パワー方面では期待出来なさそうな細さですけど。

「そもそも、俺がどうして困ってるかわかるの?」

「いえ全然ですよ?」

 この子は……。協力を仰ぐかは別として、とりあえず話してみようか……いやそれ地獄への片道切符じゃね?

「いいじゃないですか。教えてくださいよ陽ま……」

「えーっとですね」

 やはりこの人には逆らえなかった。今度からは困った顔をして歩くのは絶対やめよう。観念して事の詳細を伝えると、

「なるほど、そんなことになってたんですね。確かに一人だと心細いかもしれません」

 深刻そうに言いつつも、どことなく楽しそうなご様子。俺は一つため息をつき、

「そういうわけで、他の人を当たるから。話聞いてくれてありがとうございました」

「だからそんなつれないこと言わないで、私を選んでくださいよ。絶対に後悔させませんよ?」

 さっさと去ろうとする俺の手を、安南あんな先輩は何のためらいもなく握った。

「……あの、こういう時って普通袖とか掴みません?」

「女の子経験の少ない立月たつきさんなら、こうやって引き留めた方が効果的かと思いまして」

 くすくすと小馬鹿にしたように安南あんな先輩。悔しいが実際のところ、少しドキリとしてしまった。気恥ずかしくなって視線を逸らすと、

「兄貴なにやってんの?」

 なぜかご立腹の星羅せいらがいた。腕を組み仁王立ちするその姿は、どうみても怒ってる。え、なんで? 俺は顔色をうかがいつつ、

「いやーその、変な人に絡まれて……」

「あらあら、そんなこと言っちゃっていいんですか? 朝倉あさくらひ」

「ちょっと彼女と大事な話があってね!」

 楽しそうな安南あんな先輩。相変わらず不満そうな星羅せいら。なにこの状況? というかそもそも、なんで星羅せいらはこんな不機嫌なんだ?

「……あんたは兄貴のなんなの?」

「別にこれといって。強いて言えば、彼の飼い主でしょうか。定期的に遊んであげないと、寂しくて死んじゃういますし」

「飼い主って。兄貴の飼い主はあたしなんだけど。そもそも兄貴にはあたしがいるからそれで十分なの。あんたの出る幕なんてないから、さっさと兄貴から離れてよ」

「あらあら。そうですね、そろそろ離れましょうか。立月たつきさんもそろそろ限界みたいですし」

 俺の話のはずなのに、いつの間にやら置いてけぼりになっていた。俺っていつからペットになったの?

 安南あんな先輩はそんな俺を笑いつつ、するりと手を離してぴょんと離れた。そして星羅せいらは俺の前に立ち、

「しっしっ、二度と兄貴に近づくな」

「いやん、怖いですね。それでは私はこの辺で……あっそうそう立月たつきさん。先ほどの話、ちゃんと考えてくださいね?」

 最後に俺の顔をのぞき込みながら言い残し、安南あんな先輩はるんるんと去っていった。星羅せいらはそれを見届けると、

美礼みれいには悪いけど、あたしあの人嫌い」

「ま、まぁまぁそんなこと言わずに。一応悪い人ではない……と思うので」

「兄ぃも兄ぃだよ! あいつのされるがままになっちゃってさぁ!」

「ご、ごめんなさい……」

 ギロリと俺を睨みつけて怒鳴り散らす星羅せいらに、相変わらず小さくなったままのお兄ちゃんである。そんな俺に星羅せいらは呆れたため息を一つ、そしていくらか落ち着いた様子で、

「それで? 何の話してたの」

「えっと……」

 どうしよう、星羅せいらに頼むか? でも瑞穂とあんまり面識ない人の方がやりやすい……? というかそもそも、ここで安南あんな先輩に頼まなかったら後々面倒なのでは……。

「あー……いや大丈夫。気にしないでくれ」

 星羅せいらに悪いとは思いつつも俺は誤魔化すことにした。すると星羅せいらは実につまらなそうにふーんと、

「あっそ。あたし通りがかっただけだから。それじゃ」

「あ、ああうん」

 すたすたと自分の教室へと戻っていく星羅せいら。ふとその後ろ姿を見ると、弁当の小包を持っているのが見えた。誰かと一緒に食べるつもりなのかな。




「ちょっと」

 放課後になって帰ろうとしていると、小さく自分を呼ぶ声。ドアに隠れるように立っていた貫守ぬくもりだった。なんの用事かと鞄をひっつかんで廊下へ。すると貫守ぬくもりは殊勝な様子で腕を組み、

「あなたに伝えておくことがあるの。時間あるでしょ」

 言われて俺はこの前のことか、と納得。俺は陽鞠ひまりの時のことを一度思い返してから蓋をし、うんと頷いて貫守ぬくもりに先を促した。

「この前メイド喫茶に来た日、陽鞠ひまり様のおかげで男の人の接客が初めて出来たわ」

 どや! な様子で無い胸を張る貫守ぬくもりに、俺は少しわざとらしくパチパチーと賞賛を送ると、貫守ぬくもりはどこか気持ちよさそうだった。

「よかったな。進歩出来たみたいで」

「ええ。ってそれよりも、なんでそんな時にあなたがいないのよ!」

「あ、あははーいやー、ちょっと遠くまで探しに行きすぎちゃってね。俺ってばうっかり」

 本当はちゃんといたんですけどねー。俺がお茶らけて見せると、貫守ぬくもりから嫌悪的な視線を頂戴できた。そして口をとがらせて、

「まぁ別に、あなたのおかげってわけじゃないし、いてもいなくてもかまわないけれど。あくまで陽鞠ひまり様のおかげなんだから」

「俺の貢献度いまだにゼロだったのか……。まぁいいけど。で、接客はそれからもちゃんと出来てるのか?」

「その……まぁ……ほどほど、ね」

「出来てないのか……」

「しっ、失礼ね! 確かにまだ無視したり停止したり震えたりするけど……ちゃんと出来るように頑張ってるんです!」

 だいぶまだダメじゃねぇか。いやそれでも昔に比べれば全然いいのか?

「まぁ頑張ってくれ、応援してるよ」

 言うと貫守ぬくもりは当然でしょ、と腕を組んだ。するとそんな俺たちに、

美礼みれいちゃん、おはようございます」

 通りがかったのは安南あんな先輩。貫守ぬくもりもお辞儀しながらおはようございますと、

「これから部室ですか。わたしも行くところで」

「そうですよ。……っと、もしかして何か大事なお話をしていましたか?」

 俺と貫守ぬくもりを交互に見ながら、安南あんな先輩は少しだけ頬を膨らした。どんだけ貫守ぬくもりのこと好きなんだこの人。

「そんな大事な話じゃない、貫守ぬくもりの成長具合の話」

「そうですかそうですか……。立月たつきさん、くれぐれも私の美礼みれいちゃんに色目使わないでくださいね?」

「あなたわたしをそんな目で……汚らわしい」

「見てねーって。安南あんな先輩の勝手な言いがかりだよ」

 確かに貫守ぬくもりは綺麗ではあるけど、そんな風に見たことないわ。全く安南あんな先輩には困るな……。と不意に安南あんな先輩は俺に近づくと、

「ああそうでした立月たつきさん。先ほどのお話、考えていただけました?」

「先ほどの話?」

美礼みれいちゃんは何も気にしなくて大丈夫ですよ」

「そうですか……」

 安南あんな先輩にそう言われると、貫守ぬくもりは少し寂しそうに肩を落とした。なんかちょっとかわいそうだけど、これは俺と陽鞠ひまりの問題だしな。俺は安南あんな先輩に向き直り、いくらか小声で、

「ああ、安南あんな先輩にお願いしようかと思う。頼める?」

「もちろんですよ。賢明な判断、花丸ですね」

 そう言ってクスクス笑う安南あんな先輩を見ると、早速選択を間違えた気がしてきたぞう。




「今日は化粧のノリが悪いな……」

 せっかく瑞穂とのデートだってのに。っていやいや目を覚ませ俺。今日は事実を伝えるために行くんだぞ。

 ウィッグを被って……よし、上出来ね。っと、約束の時間にはまだ早いか。でも早めに準備するに越したことはないよね。

 リビングに降りると一人。そういえば星羅せいら、最近自分の部屋にいることが多くなった気がする。どうしたのかな……。少し部屋を覗きに行こうかと思ったところで、インターホン。買い物に出た母さんが帰ってきたのかな。

「はーい」

 と、誰が来たのかろくすっぽ確認もせずに出た私は、極めつけのアホだった。

「やっほーたつ……あり? 陽鞠ひまり?」

 私はしばらくのフリーズ。玄関先の杜和とわも同じくフリーズ。えー……と言葉を懸命に探し、

「こ、こんにちは杜和とわ立月たつきなら今いないけど、どうかしたの?」

「いやいやそれよりもなんで陽鞠ひまりが?」

 当然の疑問ですねー。いやとにかく落ち着け私。何かうまい事言い訳しないと……。

「えっと……今日は立月たつきと会う約束してたんだけど、あいつ急に用事があったとか言って出かけちゃって。私もこの後予定あるのに、困っちゃうよねー……」

「そかー。立月たつきあたしに協力するって言っておきながら、何もしてくれないから出向いたんだけど……無駄足だったかぁ」

 うぐっ、そういえばそんな話忘れてたな……。まぁ予定までまだ少し時間あったし、

「……せっかく来たんだから、よかったら上がって」

「えっでも……」

「いいよ立月たつきなんて気にしなくて。それより何か悩んでるんでしょ? 私にも協力できるかもしれないし、よかったら聞かせてよ」

「……ふふ、そね。じゃあ上がっちゃおっかな。そもそもあたしが立月たつきの家に来るのに、今さら遠慮するほうが変だよね。何年一緒にいるんだよって話」

 そんな風に笑う杜和とわをリビングへ通した。麦茶を二つ用意して、知ってはいるが杜和とわの悩みを聞いた。

「そっか……それは大変ね」

「ほんとねー。どうにも恋する女の子? っていうのがわからなくて。いや好きな人なら昔いたけど、幼稚園とかそんなレベルだったし。陽鞠ひまりは誰かに恋したことある?」

「わ、私はそういうのないかな……」

 立月たつきでならあるけどさ。

 杜和とわはそっかーと出した煎餅をくわえてパキンッと割りもしゃもしゃ。杜和とわって結構固いもの好きなのよね。

「……あたしって変なのかなー薄情なのかなー」

「少なくとも薄情ではないと思うけど……でも、そういう気持ちって分からなくて当たり前なんじゃないかな」

「ん……そんなもん?」

「だから誰かを無理矢理好きになろうとしても、しょうがないんじゃないかな」

 実際好きでもない相手にそんな感情を抱こうだなんて出来ないだろうし、そもそもやるべきじゃない。この流れで杜和とわにこの前の約束は諦めてもらえればいいんだけど……。

「そっか……そうかもね。立月たつきならあるいはーって思ったんだけどなー」

「だから、もっと別の方法で手伝ってもらった方がいいんじゃないかな」

「うんーそうするよ。今思うと立月たつきには変なお願いしちゃったな」

 杜和とわは少し恥ずかしそうに笑うと、麦茶を一口。そして少しだけ背筋を伸ばした。

「まぁ彼なら気にしないでしょ」

「そね。にしても立月たつきってば、よくオッケーしてくれたよねー。バカなのかな」

「そんなことないと思うけど?」

 思わず強めの否定になってしまったけど、杜和とわは気にする様子もなくふっと笑むと、

「わかってるよ。じゃなかったらずっと一緒にいないって」

 ……また、そんなことを。

「そうそう立月たつきってば昔っからさー」

 楽しそうに立月たつきのことを、嬉しそうに俺のことを。

「……陽鞠ひまり?」

 不意に名を呼ばれ、気づくと杜和とわが心配そうに見つめていた。

「えっ? あっ、どうしたの?」

「いや急にぼーっとし始めたからどうしたのかなって」

「あーなんでもないの、気にしないで。あっ」

 時計を見ればいつの間にやらいい時間。そろそろ出発しないと、安南あんな先輩との待ち合わせに間に合わない。

「どしたの陽鞠ひまり?」

「そろそろ私出ないと」

「ああー、そいえばそんなこと言ってたね。じゃああたしは先に帰るね。立月たつきに会ったらよろしく。……って、あたしの方が会う確率高いか。隣だし」

「確かにそうかもしれないけど、伝えておくよ」

「うん、ありがと。そんじゃねー」

 玄関から出て行く杜和とわを見送り、自分も支度を済ませる。出る前に星羅せいらに声かけなきゃ。二階へと上がり、星羅せいらの部屋を目指していると……、

「んっ?」

 自分の部屋が少し開いていることに気づく。閉め忘れたっけかーと扉に近づいたとこで、

「お兄ちゃん……」

 不意に星羅せいらに呼ばれ肩をビクつかせるが、どうやら呼んだわけではなさそうだった。というか私の部屋から聞こえなかった?

 疑問は様々あるものの、ゆっくりと部屋を覗くと……、

「!?」

 その先にあったのは、俺のベットに寝転がり布団に抱きつきながら、俺を呼ぶ星羅せいらの姿だった。ってえいやえ? どういうことこれ?

 思考は一切まとまらないが、ここにいちゃいけないことだけはわかる。足音を殺してそっと降りていき、ささっと玄関から家を出て音を立てぬように施錠。

 でえっ? どういうこと? 俺はおふざけ半分で好き好き言ってたけどあっちは本気だったってことこれ? え、えー……。

 一番近くにいる人の新たな一面に混乱しながら歩いていると、電信柱にぶつかっていた。




「お、おまたせ」

 急ぎ足で来たものの、二分ほど遅れてしまった。休日なこともあり、私たちのほかにも待ち合わせしている人たちは多いようだ。

 先に待っていた安南あんな先輩は一つ伸びをすると、

「遅かったですね。待ちくたびれてしまいましたよ」

「ごめん、ちょっとゆっくりしすぎちゃった」

「そう、かまいませんよ。女の子の準備は何かと入り用ですからね。さてさて、瑞穂くんを待たせてはいけませんし、早く行きましょうか」

 今日の予定は私と安南あんな先輩が先に合流してから、瑞穂との待ち合わせに向かう予定だ。それから先は『ボクに任せて!』とのこと。たぶん瑞穂のことだし、デートプランは男がしっかり立てなきゃ、とか考えてるんだろうなぁ。

「あっ、こっちだよ!」

 待ち合わせ場所に近づいてきたところで元気な声。視線の先にはかわいらしくぴょんぴょん跳ねてここだよーアピールをする瑞穂の姿が。

「瑞穂……今日は男装しているんだな」

「素が出てますよ。それに、瑞穂くんはいつも男装しているでじゃないですか」

 そんなやり取りをしつつ灯野くんのもとへ向かうと、私の姿を見た灯野くんはわぁと口を開け、

「今日も素敵だね陽鞠ひまりさんっ!」

 くっ……それはこっちのセリフだ……! あまりの可愛さに立月たつきが出そうになるのを必死に抑えつつ、

「あ、ありがとう灯野くん」

「ボクのことは瑞穂でいいよ。その代わり、ボクも陽鞠ひまりさんって呼ばせて?」

「え、ええうん、わかったわ瑞穂くん。それよりごめんね。友達連れて来ちゃって」

「いやいやボクが言い出したことだからね。漢ならそんな細かいこと気にしないんだよっ!」

「わあ、とっても男の娘らしいですね瑞穂くん」

 絶対そんなこと思ってないだろうな……。

「あらあら私としたことが、自己紹介がまだでしたね。私は瑞穂くんと同じ二年生で裁縫部部長の天明てんめい安南あんなって言います。よろしくお願いしますね」

「あっ、ボクも自己紹介しなきゃだねっ、灯野瑞穂です。よろしくお願いしますっ」

 二人はお互いに頭を下げて挨拶。やっぱり同じ二年生でも、こういう機会がなきゃ知り合わないものなんだな。

「それで今日は、瑞穂くんが案内してくれるんだよね」

「もちろん、ボクに任せてっ! 出来る漢はデートコースもばっちりなんだからっ」

「あらあら、楽しみですね陽鞠ひまりさん」

 そう言って先導する瑞穂くん。うきうき気分だけど人混みの中、後ろにいる私たちがちゃんと付いてきているか、視線を欠かさない。こういう姿は素直に良いなって思うんだけど、

「女の子ですよね」

「人の考えを勝手に読まないで」

 いやその通りなんだけど。髪長いし今日の服装男らしいかと言われると中性的だし、いっそのことスカート履いてはっきりさせて欲しい。

 そんな瑞穂くんに対して失礼なことを考えつつ、到着したショッピングモール。どうやら今日一日ここで過ごす予定らしい。到着してまずは軽食、そして本屋さんに雑貨屋さん。様々なお店を見て回る。

「あっ」

「あら」

 つい私と安南あんな先輩が足を止めたのは、安価ながらかわいい服がいっぱい揃うブランドの服屋だった。

「服屋さん? 気になるの?」

「ええちょっとね……でも今日は瑞穂くんのプランがあるからね」

「ふっふっふっ、そんなこと気にしなくていいよ。何と言ってもボクは漢だからね。ボクの予定なんてさて置き、楽しんでもらえるのが一番だよ」

「瑞穂くん……」

 えっへん胸を張る姿も可愛いなぁ。

「それでは陽鞠ひまりさん、お言葉に甘えて寄らせていただきましょうか」

「そうだね」

 三人で店内に入ったものの、基本的に女性ものしか扱ってないブランドということもあり、瑞穂くんには退屈……と思いきや、意外と目を輝かせていた。そういえば可愛いもの好きだもんね。しばらく店内を物色していると、

「あっ、陽鞠ひまりさんもそれが気になりました?」

 私が手に取った一着に、安南あんな先輩も熱っぽい視線を向けていた。

安南あんな先輩も気になるの?」

「はい。私達はやっぱり気が合うみたいですね。うふふ……」

「まさか合わせに来てないよね?」

「いやですね陽鞠ひまりさん。私は裁縫部の人間ですよ? 服に関して嘘はつきません。これは本当に可愛いと思いましたよ」

「そっか、そうだよね。ごめん」

「いえいえ、謝るほどのことではないですよ。それにしても可愛い服ですね……」

 私から服を受け取ると、安南あんな先輩はすぅーっと瑞穂くんの胸元へ。

「……あの、天明てんめいさん? なんでボクに合わせるの?」

「服はこうやって人にあてがって確認するのが一番なんですよ」

 困惑する瑞穂くんにそれっぽい事を言ってるけど、明らかに瑞穂くんに合わせたいだけだよねそれ。

「やっぱり可愛いですね。とっても可愛いです、陽鞠ひまりさんもそう思いませんか?」

「ええ、最高」

「あの……ボクが着る場合の話じゃないよね?」

「もちろんですよ?」

 今更だけど、瑞穂くんと安南あんな先輩を合わせるの、まずかったのでは……。

「……今度私が作った服も是非着てもらいたいですね……」

 ほら小声でとんでもないこと言ってるし。すると瑞穂くんはよからぬ気配を察したのかほっぺたを膨らませて、

「むむぅ……もしかしてボク、外で待ってたほうがいいかな?」

「いえいえ、私としてはこのままいてもらっていろんな服を……」

「じゃ、じゃあ外で待ってるからっ!」

 やはり何かを察したらしい瑞穂くんは、逃げるように店外へと走り去ってしまった。すると安南あんな先輩は残念そうに肩を落として、

「あらあら、嫌われてしまったのでしょうか?」

「うーん……どちらかといえば苦手、じゃない?」

「それは残念です……彼女ほどの逸材はいませんから」

「あんまり瑞穂くんをいじめないでやってくれ……」

 いやこれは私にも言えるのでは? いや深い事は考えてはいけない。悪いのは美しい瑞穂なんだ。美しいはいつだって罪。

「それではせっかくですし、他にも見てみましょうか。私あれ見たいんですよ」

「んん、どれどれ……って」

 指さしてる方角は下着売り場だと思うんですけど。

「せっかく女同士になったんですし、いいじゃないですか」

「いやあのあなた私のこと……」

「ほらほら行きますよ?」

 そうこうしているうちに、腕をがっちりホールドされ強制連行。やっぱり人選を間違えましたねこれ。

 下着売り場に到着するなり、安南あんな先輩は鼻歌交じりにブラの吟味を始めてしまった。

「私ちっぱいのCカップなんですけど……ああ、このあたりですね」

「今さらっとすごい情報出ませんでした?」

「バストのこと? 女の子同士なんですし、問題ないですよね」

 あーもう完全に楽しんでる笑顔だよこれ。がっくり肩を落とす私を満足そうに眺めると、安南あんな先輩は陳列されたものから二着手に取り、

「こういう大人っぽいのと……こういうアダルティなの、どっちがいいですかね」

「いやなぜ両方とも同じ路線……?」

「自分のことを大人っぽいと思っていますので」

「それは間違ってないと思うけども」

「これでも服を作っている人間ですからね。自分に似合うものもちゃんとわかってます。で、どっちがいいと思いますか?」

「いや似合うものがわかるなら、私に聞く必要なくない?」

「そんなことないですよ。女子としては男の子の意見も欲しいんです」

「こんな時だけ男扱いはずるくない?」

 急な手のひら返しの男扱いに私が猛抗議しようとすると、安南あんな先輩は口の端を釣り上げて、

「そうですよ? 女の子はずるいんです。知ってることでも知らないって言いますし、分かりきったことにもわからなーいって言うんですよ」

 と、反論するどころか全面同意してきた。本当に……本当にこの女の子は……っ。

「……じゃあ安南あんな先輩は、上手に女の子してるんですね」

「あらあら、そんな風に褒められると照れちゃいますね。それはさておき、どっちがいいと思います? 陽鞠ひまりさんの回答でも立月たつきさんでも構いませんよ?」

 そう迫りつつ安南あんな先輩が首をかしげると、さらりと髪の毛も流れた。私は呆れたため息をつき、ぴっと右側を指した。

「わぁ、立月たつきさんってばだ、い、た、ん」

「どっちも大胆なのでしょうよ…。ほら、決まったならさっさとレジに行きなよ」

「何言ってるんですか。これから試着しますよ」

「わざわざ!?」

「もちろんです。着てみて合わなかったら困りますからね。少々お待ちを」

 いやまぁ確かに試着大事だけども……でも全然いい予感がしない……。渋々試着室の前で安南あんな先輩を待っていると、

「着け終わりましたよ」

「はいはい。ぴったりですかー?」

「せっかくなんですから、見てみてくださいよ」

「えっ?」

 思わず振り返ってしまった。そこには試着室を開け放って見せびらかす安南あんな先輩の姿が。

「どうですかね?」

「どうですかねじゃなくて!?」

 上だけ下着姿の安南あんな先輩は、なんのことやらと首を傾げてみせる。あっでも俺の反応を見て今少しだけ笑った。絶対。

「他にも人居るよ!? 早くカーテン!」

「大丈夫ですよ。ここお店の奥で男性も居ませんし」

「そういう問題じゃなくて! 早く閉めて閉めて!」

「えー」

「えーじゃなくて!」

 もうじれったい! 構わず自分で試着室のカーテンを閉めた。

「……なんで入ってきてるんですか?」

「えっ……なんででしょう?」

 安南あんな先輩に問われ、気づくと私は先輩とともに試着室の中だった。いや私どうした。そんな私を安南あんな先輩は妖しく笑うと、

「もしかして女の子なのに、私に欲情しちゃいました?」

 こ、この人は……。この状況になっても私をおちょくるのか! 確かに安南あんな先輩の肌は透き通るように白くてさわり心地も良さそうで、パステルグリーンのブラとのコントラストに思うところはあるけど……。

「……黙っちゃってどうしたんですか? 下着姿の女の子を初めて見て、緊張して声も出なくなっちゃいました?」

「……」

「あの……陽鞠ひまりさん?」

 一歩。俺は安南あんな先輩に近づいた。

「なにか言ってくださ……きゃっ!」

 そしてもう一歩。

「ちょ、ちょっと立月たつきくん……?」

 そして逃げ場をなくすように、先輩の両脇の壁を抑えた。そしてーー

「ま、まさか本気で……いや……こんなところでダメです……っ!」

「……ぷっ。なんだ、さんざんからかうくせに、逆は慣れてないんだな」

 私は思わず吹き出してしまった。いつも余裕の安南あんな先輩が本気で震える姿は、それだけのインパクトがあった。私にしてやられたのが相当悔しいのか、唇をとがらせて珍しく憤慨。

「なっ……、そんなことありません。今のはずるですノーカンですっ! だいたい私、別に全然動揺してませんしっ!」

「そんなこといいながら顔赤いよ?」

「それは立月たつきくんだって……」

「……まぁそりゃ」

 下着姿の女の子に迫るなんて、やったこと無いですもの……。俺と安南あんな先輩の間には気まずい沈黙。

「……と、とにかく、早く出てください」

 安南あんな先輩に促され、すごすごと試着室を後にした。いや確かに安南あんな先輩に一泡吹かせたけど、自分何やってるんだろう感がすごい。

 結局そのあと、安南あんな先輩は私の選んだ下着を購入。いやなんで?

「お帰り二人とも……どうしたの? 顔赤い気がするけど?」

「気のせいだよ瑞穂くん」

「ならいいんだけど……」

 訝しげな視線の瑞穂くんをなるべく見ないように、次の目的地に向かう。するとたどり着いたのは施設内のフードコート。休日ということもあって家族連れで賑わっていた。

「最後にここでゆっくりお話ししようかなって思ったんだ」

「そっか、それはいいね」

 先ほどの熱もだいぶ冷めたけど、何か冷たいものを飲んでもっと冷やしたい気分だ。

「じゃあ私が席を取っておきますから、二人とも注文してきてください」

 そう言う安南あんな先輩に促され、瑞穂くんと二人で気になるものを注文。こういうところだと、自分の好きなものが大体あるから嬉しいな。

 注文を終えた私たちは、安南あんな先輩の姿を探す。っといたいた。いすに座って道行く人々を眺めていた。いや、安南あんな先輩のことだし人よりも服を見ているのかもしれない。

「おまたせ」

「あら、それでは私も注文してきますね」

 そう言って席を立つ安南あんな先輩だが、瑞穂くんに向かって謎のガッツポーズ。それに何を感じ取ったのか、瑞穂くんも握りこぶし。いや安南あんな先輩どっちの味方よ?

 安南あんな先輩が去っていくと、瑞穂は少し俯き小動物のような上目遣いで私を見つめた。

「……それでその、今日は楽しんでもらえたかな?」

「うん、もちろん楽しかったよ。色々考えてくれてたっていうのも嬉しいし、瑞穂くんのこといっぱい知れたし」

 いやそもそも知ってるんですけどね?

「そっかぁ。よかったぁ……えへへ」

 くっ……可愛い……今からこんな子に現実を突きつけなきゃいけないのか……。

 瑞穂も頃合いだと思ったのか、咳払いをして背筋を伸ばし、この前の話を切り出した。

「それで、その、どうかな……この前の話」

「えっとそれは……ごめんなさい。それは無理なの」

 そっか……と寂しそうに瑞穂。私はこれからどう説明していくべきか、間違えないように思考を巡らせていく。

「実はそれには理由があって……その、隠してて本当に申し訳無かったんだけど」

 瑞穂をあまり傷つけないように、陽鞠ひまりのことを理解してもらえるように。いろんなことを視野に入れつつ、順序立てて言葉を紡いでいた、のに、

「実は私と付き合ってるんですよ、陽鞠ひまりさんは」

「「はっ?」」

 安南あんな先輩はとんでもねぇ横槍ぶっ込んできた。

「だから申し訳ありませんけど、瑞穂くんは諦めてください」

「……」

 あんぐりと口をぱくぱくとさせて、わかりやすく言葉を失った瑞穂くん。横でニコニコしている安南あんな先輩に私はこそこそと、

「おいぃ! どういうつもりだ!?」

「いえ、真実を伝えるのを躊躇っていたようでしたから……こうすれば諦めてもらえるのではと」

「考えが異次元すぎる!」

 言われてみると理にかなってると思うけど! でも俺たち女同士なんですけど!? いや実際のところは問題ないんですけどね!? 冷静を取り戻そうと深呼吸していると、瑞穂くんは魂が抜けたような声で、

「……ほ……ほんと……なの?」

「えっとー……その……」

 やばいやばいどうするべきだ!? 私が答えに迷っていると、瑞穂くんは一度口を真一文字に結び、

「……けない」

「えっ?」

 ぐっと握り拳、そして立ち上がり、

「負けないっ! ……今は天明てんめいさんのことが好きでも、絶対にボクに振り向かせて見せる!」

 声高らかに宣言した。人目もはばからず。堂々と。

「瑞穂くん……」

 なんて健気で可愛いんだ!

「わーおまさかの展開ですね」

 そこ。お黙り。誰のせいだと思ってるんですか。

「待っててね陽鞠ひまりさん……必ず漢らしくなって帰ってくるから!」

「あっ! 待って!」

 瑞穂くんはぐっとサムズアップしてウインク。そしてそのまま、どこかへと走り去ってしまった。

「行っちゃいましたねー」

「……」

「どうしたんですか?」

「どうしてくれんだよこの状況!?」

 陽鞠ひまりであるにもかかわらず、立月たつきの声がこだました。




「兄ぃ、朝だよ。早く起きて」

「んん……あっ、せ、星羅せいら……」

 いつもの朝。だけどこの前の星羅せいらの姿が脳裏に焼き付いていて、いつもと違う気持ちの朝だった。

「どうしたの兄ぃ?」

 ぐいっと顔を寄せてくる星羅せいらに少しドキリとしてしまう。早鐘を打つ鼓動を抑えつつ、俺はさっと起き上がる。

「い、いやなんでもないよ」

「変な兄ぃ。もうご飯出来てるからね」

「あ、ああうん……」

 星羅せいらのあんな姿を見てしまったせいで、俺は星羅せいらとの接し方を見失っていた。とはいえ今日ももちろん学校だ。さっさと下に降りて星羅せいらの朝食を頂かなくては。

 リビングに降りると、腰に手を当てて少し不満げな星羅せいらの姿が。

「兄ぃ遅いよ。あたし先に行っちゃうよ?」

「あ、ああ、待たせるのも悪いし、先に行っててくれ」

「……そ。わかった」

 ぽつりとそう言うと、すたすた玄関から学校へと星羅せいらは向かった。なんか星羅せいらも、どこか様子が変だったかな。星羅せいらの姿を見送りつつ、ぱくぱくと朝食を終え着替え、遅れないうちに学校へと向かう。

 ちょっと走らないとまずいかな。そう思って走り出したところで後ろから、

「あれー立月たつきだ」

杜和とわ? 今日は遅いな」

 珍しい事にこんな時間に杜和とわが登校していた。驚いて俺が聞くと杜和とわは走りながら、

「いやいや立月たつき。あえて遅く起きて、学校までジョギングで行こうっていう一石二鳥だよ」

「体力づくりのためか? って遅くまで寝ていたいだけだろ単純に……」

「そうとも言う! でもジョギングしたいのはホント。演技も体力いるからねー。と言うわけであたしは走ってるの」

 そういって先をいく杜和とわに合わせ、俺もスピードを少し上げる。ふとこの光景に、俺は昔のことを思い出し、

「そういえば前はよくジョギングに付き合ってたな」

「あーだったねだったね。立月たつきってば、わざわざよく付き合ってくれたもんだよね」

「まあ一生懸命頑張る杜和とわを、応援したかったしな」

 俺がそう言うと杜和とわはケタケタ楽しそうに笑い、

「それは嬉しいね。あたしももっと頑張らなきゃだね。……そいえば話変わるけどさー」

 走りながら俺の目をじっと見つめる杜和とわ。少し居心地の悪さを感じて目を逸らすと、

立月たつき何かあった?」

 急に腹の底を見透かしたような言葉に、俺は思わず面食らう。すると杜和とわは続けて、

「なーんかそんな顔してるし。だてに長年一緒にいないでしょあたしたち」

 ふふんと鼻を鳴らす杜和とわ。確かに今朝から星羅せいらとのことが頭を離れなくて、少し変だったかもしれない。でも長年一緒にいても、陽鞠ひまりには気づかないんだけどナー。

 ……星羅せいらとのこと、杜和とわに相談してみるか。

「実はちょっと妹との付き合い方に悩んでおりまして」

「なになに? 星羅せいらちゃんと何かあったの? 喧嘩?」

「そういうんじゃなくて、なんというか……俺に本気の好意を向けているんじゃないかという疑惑がありまして」

「ほほー。そんなに仲いいんだね二人とも」

 ふむふむーと呑気な様子で、どこか探偵気取りの杜和とわに、

「いや我ながら荒唐無稽な話だとは思いますけどね? だって実の兄妹ですしありえないはずだし……」

「んー、それってどっちでも良くない?」

 思わぬ杜和とわの回答に、俺は素っ頓狂な声を漏らした。すると杜和とわはそんな俺はくすりと笑い、

「だってさ、例えそうだったとしても、立月たつき星羅せいらとの関係は何か変わるの?」

「あっ……」

 そうだ。杜和とわの言う通り、だから何が変わるって言うんだ。俺はどうなったとしても、星羅せいらにとってたった一人の兄じゃないか。

「そもそも、星羅せいらちゃん寂しかったんじゃないかな」

「寂しい? あの星羅せいらが?」

「だって立月たつきってば最近、美礼みれいちゃんと一緒にいてばっかで、星羅せいらちゃんとあんまり遊べてなかったんじゃない?」

「言われてみればそうだけど……」

 星羅せいらが寂しい……、全然イメージないな。いつも気だるげで何にも興味がなさそうで常にだらけているあの星羅せいらが?

「あははー全然ピンと来てない顔だね。でもどっちにしても、久しぶりに星羅せいらちゃんとの時間を作るのも悪くないんじゃない?」

「まぁそうだな……ありがとう杜和とわ。俺頑張ってみるよ」

 そうお礼を伝えると、杜和とわはわかりやすく照れた様子で自分の頭を撫でながら、

「いやいや礼には及びませんよー」

 と笑顔を見せた。と思いきや今度は口をとがらせてどこか不満顔。忙しいやつだな。

「というか立月たつき、最近あたしにもかまってくれないもんねー……ってそうだった」

「どうかした?」

「この前話した、あたしの恋人にーって話、なしでいい?」

「別に良いけど……いいのか?」

 おお、そういうえばその話すっかり忘れてた。これについて進言したの自分だけど、こうもあっさり引かれると、それはそれで良いのかってなってしまう。

「いや無理矢理好きになってもなーって思って。立月たつきは変わらないままの方が、あたしも嬉しいしさ」

「……そっか。じゃあ他に手伝えることがあったら言ってくれな」

「もちろん、頼らせてもらうよ。自分で充分頑張ったあとだけど」

「相変わらずだな、杜和とわは」

「もちろん。あたしはあたしだからね」

 いっひひ、と誇らしげに杜和とわ。そんな自信満々な表情を見せられると、俺の手助けなんていらないんじゃないかと思える。あっ、と杜和とわは思い出したように声をあげた。

「そうそう言い忘れてたー。演劇部の公演が決まったんだ。よかったら立月たつき、また見に来てよ」

「おおマジか。もちろん行かせてもらうよ。いつなんだ?」

「えっとねー今週末だね」

「急だなほんとに。別に行けるけど」

「いやー公演自体は前から決まってたんだけど、立月たつきに言い忘れちゃっててねー。ごめんごめん。どっちにしても、恋する女の子役なんて今までやってこなかったから、不安で一杯なんだけどねー……」

 すると杜和とわは珍しく声を沈ませ、歩幅も少し短くなる。杜和とわのこんな姿、久しぶりに見たな……。

「何言ってんだよ。杜和とわならきっと大丈夫。そうだろ?」

 何の根拠もない言葉。でも俺は自信満々に言い切ってやった。すると杜和とわはそんな俺を見て失笑。

「あはは、そうだね。きっと大丈夫大丈夫。……ありがとね、立月たつき

「俺は特に何もしてないけどな」

「うん。でも、ありがとう」

 どこか照れ臭そうな様子で杜和とわ。あまり見ない杜和とわのそんな表情に、俺は少しだけ走るペースを上げた。 

 流石にそろそろ走るの疲れたな……と、丁度音を上げたくなったところで、学校に到着した。




星羅せいら……はいないか」

 昼休みに星羅せいらの教室を覗くが、姿は見えなかった。そのまま星羅せいらを探すために食堂へと向かう。

「んっ?」

 だがその道中、ふと窓を覗くと貫守ぬくもりの姿が見えた。星羅せいらのことを聞こうと思ったけど、その近くには男子が一人。明らかに普通の空気ではない。男が絡んでるとなると、貫守ぬくもりが危ないかもしれないし、ちょっと行ってみるか。

「おそらく告白されてるっぽいよな……盗み聞きしたいわけじゃないんだけど」

 そんな雰囲気を察しつつ、隠れながら近くへ向かうとうっすらと声が聞こえてきた。

「なぁいいだろ? 俺と付き合ってくれよ」

 やっぱりそういう話か。

「……い、嫌です……ごめんなさい……」

 おお、ちゃんと男子と喋れてる! なんか泣きそう! 成長したなぁ貫守ぬくもり……。

 と感動する俺をよそに、事態はあまりよくない方向へと動き出す。

「別にいいじゃんかよー」

「い、嫌なものは、嫌、です……」

 しつこく食い下がる男に、困惑する貫守ぬくもり。どうするべきだ? 今すぐに助けるべきか? でもここは貫守ぬくもり自身の力で……。

「なんだよお高くとまっちゃって」

「そんなつもり、ない……」

「男子を避けてさー」

「避けたくて避けてるわけじゃ、ない、です……」

「なんだよその目……おいっ!」

「ひっ」

「やめろ!」

 男の威圧的な態度に、これ以上黙っていられないと思わず飛び出した。

「なんだよ……ちっ」

 吐き捨てるようにそう言い残すと、それきり男は去って行った。追いかけて釘刺しておいた方が……いや、俺のよく知る先輩の女の子が追いかけてったから、俺の出番はなさそうな気がする。

 俺はいまだ怯える貫守ぬくもりに向き直り、

「大丈夫だったか貫守ぬくもり?」

 そして手を伸ばしたところで、

「触らないで!」

 パチンっ!

 と、思い切り弾かれた。その行動は俺以上に、貫守ぬくもりか驚いているようだった。貫守ぬくもりはなにかを言いたそうに唇を震わせたが、唇を噛むとそのまま走り去ってしまった。

「今のは悪手だったな……」

 俺は弾かれた手を見つめながら大きくため息。陽鞠ひまりならまだしも、今の俺は立月たつきだ。安南あんな先輩にこっち来てもらうのが正解だったよな。

 はあともう一度大きくため息をついたところで、

「兄ぃ? なにしてんの?」

 いつものけだるげな声。その主はもちろん、探していた星羅せいらだった。

星羅せいら。探したよ」

「なにー? あたしに用があったの?」

「一緒にお昼食べようと思ったんだけど……別のことを頼まれてくれないか?」

 星羅せいらを優先したいけど、今はそれ以上に貫守ぬくもりのことを考えるべきだろう。俺の真剣な空気を察したのか、星羅せいらもいくらか深刻な表情で頷いた。

貫守ぬくもりのそばにいてやってくれないか? まだあっちにいると思うから」

「理由は……聞かない方がい?」

「まぁとりあえず行ってあげてくれ。それで、明日は一緒に昼飯食べようぜ」

 俺がそう誘うと、星羅せいらは少し柔和な笑みを浮かべて、

「実の妹と一緒にお昼食べたいとか、兄ぃどんだけシスコンなの? ほーんとやめてよね。仕方ないから付き合ってあげるけどさー。ま、じゃまあたしは美礼みれいのとこ行ってくるから」

「ありがとうな」

 まぁこれで貫守ぬくもりは大丈夫だとは思うけど……俺と貫守ぬくもりの関係はどうなっちまうのかな。




「あらあら、立月たつきさん達じゃありませんか」

 放課後に廊下で瑞穂たちと話していると、背後から安南あんな先輩。天敵の登場に、瑞穂はぴょんと距離をとって身構えた。

安南あんな先輩はこれから部活?」

「はい、そうなんです。瑞穂さんも悠大さんもこんにちは」

「ぐるるる……」

 軽く頭を下げる悠大に、明らかに敵意むき出しの瑞穂。瑞穂、それ可愛いだけだゾ。

「……お二人とも、少しだけ立月たつきさんをお借りしても?」

「ど、どうぞ」

 二人が軽く頷いたのを見て、安南あんな先輩は真剣な顔で俺を連れ出す。二人から少し離れたところで、安南あんな先輩は腕を組んだ。

「何の話かはわかりますよね」

「その言い方だと俺が怒られるっぽく聞こえるけど……わかってるよ。貫守ぬくもりのことだろ? あの男はどうしたんだ?」

「私がきちんと、優しく、わからせてあげましたよ」

 安南あんな先輩ニッコリ。わーお怖い。あの男子がどうなったかは考えないことにしよう。

「それで貫守ぬくもりは?」

「やはり元気がなさそうです。無理もありませんが。ちなみにあの後、美礼みれいちゃんとなにかありましたか?」

「あー、それが……」

 先ほどの出来事を詳細に話していくと、深刻な表情で安南あんな先輩は頷いていた。

「そんな事があったんですね。確かに立月たつきくんの言うとおり、あまり良くなかったかもしれません」

「そうだよな……申し訳ない」

「いえいえ、美礼みれいちゃんに寄り添ってあげようとした気持ちは、間違っていませんから。ただしばらくは、接触を避けた方がいいかもしれません」

「やっぱりそうだよな……。安南あんな先輩、しばらく貫守ぬくもりのこと任されてくれないか?」

 俺の問いに安南あんな先輩は愚問を、とばかりにふふんと笑う。

「言われなくてもそうしますよ。でもあなただって、美礼みれいちゃんと一切話せないわけではないですよね」

「えっ?」




「というわけで、貫守ぬくもりと放課後どこかに出かけてくれないか?」

 そうだった。すっかり忘れていたけど、俺には陽鞠ひまりになって接触するという選択肢があった。そして現在は、陽鞠ひまりで接触するために星羅せいらに土下座で頼み込んでいた。……土下座する必要あるこれ? 屋上だから人は少ないけど、全くいないってわけじゃないんだよ?

「あたしが美礼みれいと一緒に出歩いて、それで兄ぃが偶然を装って会うって魂胆ね」

 星羅せいらは不機嫌そうに、自分の作った筑前煮をパクり。そうよね、せっかく一緒にお昼食べようって誘ったのに、結局貫守ぬくもりの話しちゃってるもんね。でもこっちの問題も捨て置けないじゃない……。俺は土下座から姿勢を戻して座り直し、

「つまりはそういうこと。頼めないかな」

「いやだよ面倒くさい」

 くっ……想像通りの言葉を返してきやがる……。兄へのリスペクトが足りない! 俺が恨みがましい視線を向けていると、星羅せいらはぶすりと箸でプチトマトを突き刺し睨み返してきた。

「というかそれよりもさぁ、なんでそんなに美礼みれいにこだわるわけ? 兄ぃ最初は乗り気じゃなかったくせに」

「そりゃ、まぁそうだけど……なんというか、俺と同じだったから」

 同じ? 星羅せいらはそう言って荒っぽくプチトマトをぱくり、不思議そうに首を傾げた。

「異性を理解したいっていう想い。貫守ぬくもりは、男を理解したいって言ったんだよ」

「ふーん……。それでなんだ」

 今ので納得してくれたのか……と少々驚いた。だけど納得してくれるなら話は早いはず。

「そうそう。で協力してくれない?」

「それとこれとは話が別」

 あっさり切り捨てられる兄。こうなったらもう惨めったらしく頼み続けるしかない。兄の尊厳など知るか。

「なぁ頼むよ。星羅せいらにしか頼めないんだ」

「……」

「俺はこんなにも星羅せいらを愛してるのに……」

 ってしまった。ついいつもの調子で愛してるなんて……。そう思ったのも束の間。星羅せいらは優し気に微笑むと、

「ほんと、兄ぃさぁ、あたしのこと好きすぎでしょ。実の妹に愛してるとかホントあり得ない。あたしは困るって言ってるのにさぁ」

「あ、ああごめん……」

「しょうがないから手伝ってあげるよ」

 お、おお……なぜかわからないけど急な心変わり! 助かった! と思ったものの、

「その代わり、この前行列で断念したお店に、もう一回付き合ってもらうからね?」

 とんでもない提案をかましてきた。混んでない日あるのかなーあそこ。とそんなことを考えていると、星羅せいらはさらに、

「先に兄ぃを並ばせておくから、順番がちょうどいいとこまで来たら呼んで」

「こっ、こいつは……」

「どしたの兄ぃ? 愛しい可愛い妹からのお願いだよ?」

「自分で可愛いって言いよった……。間違ってないけど」

 俺がぼそりと呟くと、星羅せいらは呆れたように整っていない髪をかいた。そして俺のことを上目遣いに見つめる。

「だったらお願いね、兄ぃ?」

 ったく、うちの妹は兄のこと何だと思ってるんだか。いやそもそもお願いしてるのはこっちなんだけどさ……はぁ。

 とは思いつつも、俺はどこか嬉しい気持ちだった。やはり星羅せいらとの関係は、いつまでも変わらないものなんだろうな。




「フライドチキン屋の近くにいるって言ってたけど……」

 颯爽と化粧を終えた私は、駅前の方へと来ていた。先程メールでこの辺りをぶらついていると聞いたけど、姿が見えない。少し歩いてみるか……。と少し進んだ先に、

星羅せいらっ!?」

 道端にうずくまる星羅せいらを見つけた。地面に横になり、ピクリとも動いていない。そんな星羅せいらに慌てて駆け寄ると、

「ひっ、陽鞠ひまり様?」

 隣にいた美礼みれいが驚いた様子で肩をびくつかせた。そうだった、私が一緒にって頼んだんだから、美礼みれいも一緒にいるに決まってる。

「あ、ああ美礼みれい。奇遇だねこんなところで。えっと、それで星羅せいらはどうしたの?」

 聞くと美礼みれいはため息交じりに頭を抱えた。すると星羅せいらはそれに反応したかのように仰向けに寝がえりを打つと、

「人多過ぎー」

 と、駄々をこねる星羅せいらに、今度は俺がため息。なるほどね、そういえばそうだった。星羅せいらがこうなるのはだいたい人疲れした時だ。

 しばらくすると星羅せいらの気が済んだのか、よいしょと起き上がり駅周辺に設けられたベンチを指さした。

「お姉、あたしあそこで休んでるから、美礼みれいとどっか行ってきなよ。終わったら回収して」

 回収て。もの扱いでいいのか。美礼みれいもそれがおかしかったのか、くすりと失笑していた。

「わかったよ。ベンチまで一人で行ける?」

 聞くと星羅せいらはんっ、とだるだるな敬礼で意思表示。のそっと立ち上がると、とてとてベンチまで向かって行った。さて、と私が美礼みれいに向き直ると、彼女は気まずそうに視線を逸らした。私はそれに気づかないふり。

「それじゃあ美礼みれい、せっかくだし少し歩かない?」

 美礼みれいに言葉はなく、ただ力なく頷くだけだった。やっぱりこの前のこと、まだ落ち込んでいるんだ。

 私が駅の通りを出口に向かって歩き始めると、美礼みれいもゆっくりと後ろに。

「最近はどう? 克服は順調?」

「……その、あんまり」

 アスファルトを眺める美礼みれいの言葉は力なく、言葉がそのまま地面に落ちてしまっているような気がした。

「うん、なんとなくそんな気がしてた。立月たつきも少し元気なさそうだったから」

「やっぱり……」

「何があったのかは聞いてないけど、きっと立月たつきが悪いんだから、そんなに気にすることないと思うよ」

「そんなことない! わたしが、わたしが悪いの……」

 顔を上げ強く言い放つ美礼みれいに、私は少し驚いていた。全面的に私が悪いと思っていたのに、美礼みれい美礼みれいで悪いと思っていたなんて。どう言葉をかければいいのか迷っていると、

「わたし、バイト辞めようと思うの」

 ぽつりと呟いた美礼みれいの言葉。あまりに唐突なもので、私は声すら出せなかった。

「きっと頑張っても無駄なの。バイトも始めて、だいぶ慣れてきたと思ってた。でも違った……わたしの気持ちは何も変わってなかったの」

「そっ、そんなこと言わずにもう少し」

「もう無理なの! 怖いものはそんな簡単に克服できることじゃないし、きっとこの先もこのままなの!」

美礼みれい……」

 目に涙を浮かべ、諦める美礼みれいの姿。私は自分の無力さに唇を噛み、夕陽が眩しいふりをして目を逸らした。すると美礼みれいはだらんと両腕を垂らし、目を閉じた。

「……ごめんなさい。今まで手伝ってもらったのに。わたしは陽鞠ひまり様みたいに強くはなれないみたい。あいつにごめんなさいって伝えておいて」

「きっと伝わってると思うよ」

「そう……じゃあ」

 星羅せいらのことはお願い、と重い足取りのまま去って行ってしまった。私はそんな美礼みれいの寂しそうな背中を、ただ見つめる事しかできなかった。




「お姉おそーいもっと早く歩いてよ」

「いやおぶられておいてそれなの」

 迎えに来ると開口一番、歩くのめんどいからおぶって帰って、と言い放つ妹である。全くマイペースな奴だ。

 ……というか、背中越しに伝わる柔らかい感覚がすさまじいんですけど。いや実の妹だぞ俺落ち着け。そんなアホな葛藤していると、星羅せいらは呟くような声で、

「で、美礼みれいはなんだって?」

「それが……バイト辞めるって」

「……そっか。お姉……ううん、兄ぃはそれでいいの?」

「よくない。けど……どうすればいいかのかもわからない」

「ふーん……ま、頑張ってね」

 吐き捨てるようにそう言うと、星羅せいらは私の肩に顔をうずめた。そんな冷たい星羅せいらにため息。

「それだけなの?」

「だって、今あたしに出来ることは多分ないもん。兄ぃのお尻叩くくらいしか。あっ、物理的な意味でね?」

「……そうならないように頑張るよ。ほら、着いたよ。早く降りて」

 ありがとー、とお礼を言いながら、ぴょいんと飛び降りる星羅せいら。そして私が家のドアを開けようとしたところで、星羅せいらがほあっ、と声を上げた。

杜和とわ姉じゃん。 何してんのこんなとこで」

 星羅せいらの視線の先を辿ると、ちょうど家から出てきたらしく、靴をとんとん整える杜和とわの姿が。

「おっ、星羅せいらちゃんやっほ。ありゃ、陽鞠ひまりも?」

「あ、ああうん、星羅せいらに丁度会ったからね。そういう杜和とわは?」

「これから買い物だよ。夜ご飯の準備」

「そっか、気をつけてね」

 そう杜和とわに手を振ると、星羅せいらによりどすっと腹に肘を入れられた。どうした……と言う視線を向けると星羅せいらは小声で、

「いや買い物付き合う場面でしょこれ」

「そうかもしれないけど……」

「どうしたの二人とも?」

 こそこそする私たちを不審に思ったのか、ひょっこりと杜和とわが顔を出した。すると星羅せいらはにっこり笑顔を浮かべて、

「お姉が一緒に行くってさ。荷物持ってあげるって」

「ちょ……」

「本当に? でも悪いよー」

「お姉のことなんてそんな気にしなくていいよ」

 何が何でも私を行かせたいのか星羅せいらは。まぁ別に嫌なわけじゃないけどさ。

「でもそれなら、立月たつきの方が良くない?」

「……いや、立月たつきは今出かけているみたいよ。だから、私が行く」

 そう私が前に出ると、杜和とわは唇に指を当てしばらく思案顔。しばらくするとうんっと頷き、

「そっか、じゃあお願いしちゃおうかな。ありがとね」

「お安い御用だよ」

「んじゃお姉、あたしは家を守ってるから」

「はいはい。しっかり頼むよ。それじゃあ杜和とわ、行こうか」

「はいよー」

 家から十分ほどのスーパーマーケット。品揃えも豊富でかなり重宝している。杜和とわと同じく夕食の支度をとみんな考えているのか、店内は少し込んでいた。

「これと……これと……ああ、あとこれも」

 買い物かごを腕にかけ、じっと吟味するように商品を見つめては、かごに入れる杜和とわ。その姿は主婦のそれで、思わずぼーっと眺めていると、

「どしたのじっと見つめて」

 不意に杜和とわがちらりと私を一瞥。私は慌てて、

「いや、なんか手慣れてるなって思って」

 そういえば杜和とわのこういう姿は、立月たつきの時には見たことがない気がする。

「まー何度も来てるからね。お父さん料理はからっきしだから。あたしが頑張んないとね」

「そっか。大変なんだね」

「これくらいどってことないよ。あっそうそう、料理と言えばさ、立月たつきも料理はからっきしなんだよね」

 ぺしぺしと私を叩きながら、けたけた思い出し笑いする杜和とわをジト目で見つめるけど、杜和とわは気にする様子もなく続ける。

立月たつきってば料理のレベルがあまりに低くて低くて。小学生の頃にあたしに作ってくれた肉じゃがなんてもう……見た目がハンバーグだったもん」

「あれはちょっと具材の選択をミスっただけよ!」

 しまった! つい立月たつきが出てきちゃった。するとやはり杜和とわは、不思議そうに眉間にしわを寄せ、

「ん? 陽鞠ひまりもあれ出されたことあるの?」

「あ、あーいや、前に立月たつきがそんな言い訳していたなーと」 

 我ながら苦しい言い訳か? と、思ったものの。

「そっかそっかそういうことか」

 わー杜和とわで良かったー。いや、ここまで気づかれないともはや恥ずかしいんだけど。いつまで役者の前で大根役者しなきゃいけないのよ。

 私が悶々としていると、杜和とわは腕を組んでなにやら思案顔。

「でも、立月たつきも気にしてたのかぁ」

「まぁね……」

 あの時の杜和とわの顔は忘れもしないわ。二度と料理なんてするか! と私が決意した日だ。

 そんな風に過去の感傷に浸っていると、杜和とわは買い物に戻りつつそいえばさーと、

「話変わるんだけど、立月たつきから何か聞いてない? 最近ちょっと元気なさそうなんだよねー」

 図星を突かれ、うっと声が漏れそうになった。私は誤魔化すようにゴホゴホ咳払いをしてから、

「まぁ少しは聞いてるけど」

「ほんと!? 何があったの? よかったら教えて! お願い! ああでも口止めされてるならしょうがないからいいや」

 驚いたり懇願したり諦めたり、ほんとに忙しいな杜和とわは……。まぁ心配してくれてるってことだし、杜和とわにも相談してみようかな……。

「口止めなんてされてないから。えーっと、それが……」

 毎度のことながら、当事者なのにあたかも聞いた風に話すのって難しいな……。私が話している間、杜和とわはうんうん、とわかりやすく頷いていた。

「そっかーそんなことがあったかー。美礼みれいちゃんも可哀そうに。それで、バイト辞めちゃうって本当なの?」

「うん、あの目は本気だった。……って立月たつきが言ってた」

「むむぅ、で、立月たつきはどうするって?」

「それは……」

 どうするんだろう? 結局立月たつきは、私は答えなんて見つけられていない。立月たつきもダメで、陽鞠ひまりもダメで。八方ふさがりだ。

「……多分、諦めたんじゃないかな。男の立月たつきがもう一度話すのは論外だし、頼みの綱の私も突っぱねられちゃったんだから」

「いやいや、陽鞠ひまりわかってないねー」

 ちっちっちっ、と芝居がかったように否定する杜和とわ。私がその意を問うように瞳を覗くと、

立月たつきはそんなんじゃ諦めないよ」

 杜和とわは自信満々に胸を張って言い放った。そんな姿に思わず目を丸くしていると、杜和とわはんっとねーと思い出すように上を見つめながら、

「あたしいまだに覚えてるんだけどさー、小四の時に友達からもらった大事なハンカチ失くしちゃったんだよね。で頑張って探したんだけど全っ然見つからなくて」

「ああ……」

 そういえばそんなこともあったな。どうしよう、一緒に探して! って泣きつかれたっけ。そんなことを思い出していると、杜和とわも慈しむように続ける。

「それで友達ももういいよって言うから、あたしも諦めちゃったんだけど……立月たつきは諦めてなかったんだよね。半年ぐらいだっけ? あたしも忘れてたのに、立月たつきはずっと探していたみたいで、急に見つけたよって持ってくるんだもん。びっくりしちゃった。もう泥だらけだったけどね」

「あはは……」

 そりゃ半年も外で野ざらしにされればそうなるわな。あの時の私も洗って渡せばいいものを。

「それであたしが、なんでまだ探してたのって聞いたら、なんて答えたと思う?」

 さすがにそんなに昔のこと、覚えてないな……。しばらくすると、シンキングタイムが終わったようで、杜和とわは弾んだ声で、

「探し続ければ見つかると思った、って言ったんだよね。あたし思わず馬鹿じゃないのって言いそうになっちゃった」

 そんな言い方……と反論しかけたところで杜和とわはでも、と

「それ以上に嬉しかったんだ。それに、尊敬もした」

 珍しくしおらしい様子の杜和とわに、出かけた口がぴたりと止まった。……思い出したけど、実際のところずっと探していた理由は、杜和とわの泣き顔が忘れられなかったからなんだよね。でもそれを本人に言うのはなんか恥ずかしいし、秘密にしておこう。それに今は陽鞠ひまりだし。

 杜和とわはふふんと鼻を鳴らすと、

「だから立月たつきを見習って、あたしも何事も簡単に諦めないって決めたんだ。だから、女優の道だって諦めない。それにそもそも、この夢も立月たつきにもらったものだし」

 そう、だったけか? ……ダメだ、全然思い出せない。私は誤魔化すように頬をかいて、

「……そっか。応援してる」

「ふふ、あんがと。それにさ立月たつきってば、ゲームであたしに勝てない時も勝つまでやめないんだよ」

 さっきのエピソードに重ねる話じゃないでしょ……。立月たつきがめちゃめちゃ矮小な奴みたいじゃんか。

 内心がっかりする私をよそに、杜和とわはあっっと思い出したように手のひらを打った。

「そそ、女優といえば今度の日曜日、あたし舞台出るんだけどよかったら朝倉あさくらさんも来てよ。一般開放されてる場所でやるからさ」

 そういえば立月たつきの時にも誘われてたな。立月たつきが見るなら要するに陽鞠ひまりも見るわけだし、

「もちろん行かせてもらうね」

「ほんとに!? やったーあんがと、ここでやるからぜひ来てね」

 懐からチラシを取り出す杜和とわ。まさかずっと持ち歩いているのか?

立月たつきも見に来てくれるみたいだから、下手な芝居は出来ない……緊張する……」

 両の拳を握り、わかりやすくがくがく震える杜和とわの姿に苦笑しつつ、

「さっきから立月たつき立月たつきって、いっつもよく飽きないね」

 不意に、そんなことを聞いてしまった。

「そりゃそーだよー。だってあたし立月たつきのこと……っ?」

「どうしたの?」

 衝撃を受けたようにぽかんと口を開け、その場で制止する杜和とわ。大丈夫と声を――

「あーーっ!?」

「なになにっ!?」

 はじかれたように叫びながら、私の肩をつかむ杜和とわ。その表情は上気していて、息づかいも少し荒い。いったいどうしたんだ? 

 私が理解できずにいると、杜和とわはゆっくりと深呼吸。そして――

「どうしようっ!? あたし、立月たつきのこと、ずっと前から好きだった!」

「……えっ!?」

 その日私は。

 スーパーマーケットで告白されるという、稀有な体験をした。




 貫守ぬくもりを手伝うこともなくなり、ただ平凡な日常を過ごしていると、あっという間に杜和とわの舞台の日になった。天気は快晴、と言っても屋内で見るから関係ないけど。開演には早いからか、だたっ広いロビーに人の姿はまばらだった。

 杜和とわはあの告白以降、どこか俺と距離を置くようになった気がする。もちろん直接告白されたわけではないし、俺は普通に接しようと頑張ってみたものの……、中途半端にギクシャクしたままこの日を迎えてしまった。

 もちろん杜和とわのあの告白は、最上位の秘密として墓場まで持っていく所存です。

「どうした立月たつき? 目ぇなんか閉じて」

 訝しげな悠大の声に、俺はいやいやと首を振り、

「何でもない。気にしないでくれ。それで瑞穂は?」

「ごめん、遅くなっちゃった」

 噂をすればなんとやら、小走りで謝りながらこちらに向かう瑞穂の姿が。俺の前まで来ると、膝に手をつき肩で小さく息をする瑞穂に、

「大丈夫だ。俺も今来たところ」

「遅ぇよ瑞穂」

「おい悠大、待ち合わせの時は今来たって答えるのが定石だろ」

「それはデートの定石だろうが……」

「二人とも何の話?」

 俺たちのくだらない会話に、瑞穂はほえっと首を傾げてみせる。俺は手を振りながら、

「い、いや気にすんな。それよりこれで全員そろったな。杜和とわにはよかったら始まる前に会いに来てって言われてんだけど、どうする?」

「それなら会いに行ってみようよ。衣装を間近で見るチャンスじゃない?」

 きらきらと目を輝かせる瑞穂……可愛い! っといかんいかん。俺は一つ咳払いをして、

「それじゃあ行ってみるか」

 市民ホールの見取り図とにらめっこしてから、杜和とわに教えられた控室に向かう。スタッフに止められたけど、杜和とわが話を通してくれていたのか、普通に通れた。そして控え室の前まで来ると、意外な人物の姿が。

「ここだな……って星羅せいら?」

「あっ兄貴だ。来るの遅いよ」

「来ないんじゃなかったのか?」

 来るかって聞いたら、外出るのめんどいとか言ってたくせに。なんだかんだ言いつつ、杜和とわのことが気になるんだな。と思ったけど、

「んーや、あたしもそのつもりだったんだけど……もしかしたらあの女も来るんじゃないかと思って」

 キッと睨みつけるような目になり、周囲を警戒する星羅せいら。その様子で、誰のことか察した。

「あの女って……安南あんな先輩のことか」

 俺のその言葉に瑞穂もピクリと反応を示した。あの人この短期間に敵作りすぎじゃないですかね。いや敵ってほどでもないかもだけど。

「まぁそれで来たってわけ。というかほら、早く杜和とわ姉に会いに行こうよ。立ってるの疲れた」

 すっかりいつもの調子の星羅せいらにはいはいと相づち。学校名の書かれた控室の扉をノックすると、はーいと聞きなじんだ声。

「……あっ、みんな来てくれたんだ。それに……立月たつきも」

 みんなの姿を順繰り確認して、最後に俺と視線が合うと恥ずかしそうに俯いてしまった。俺もどうしたものか困って、目をそらしながらもちろんだよ、と答えた。

「それにしても杜和とわさんすごいねっ! まるで本物のお姫様みたいっ!」

 杜和とわの装いに興奮の声を上げる瑞穂の姿を見て、俺も改めて杜和とわの姿を観察。派手すぎない、控えめな装飾や刺繍が施された青色のドレスみたいな衣装。そういえば恋するお姫様の役だったっけか。普段のイメージとは違うけど、瑞穂の言うとおりよくに合ってるな。

 瑞穂に褒められた杜和とわは、恥ずかしそうに前髪を弄りながら、

「いやでもやっぱり……あんまりあたしの柄じゃないと思うんだよね……」

杜和とわ姉ぇ全然そんなことないよ。ね、兄貴もそう思うでしょ?」

「もちろん。俺もそう思う。それに杜和とわなら柄とかそんなの関係ないよ。誰もが憧れる王子様も、誰もが恋するようなお姫様でもきっとなれる」

立月たつき……うん、あたしやるよ。そっ、それにね立月たつき。えっと……」

 杜和とわは照れたように、頬に手を当て身をよじると一つ深呼吸。

「あたし……ちょっとだけだけど、気持ちが分かったから……、きっと立月たつきに恥ずかしくない演技ができると思う。ううん、絶対する。だって、立月たつき陽鞠ひまりのおかげだから……」

 瞬間、何を指しているのかがわかり、足先から頬まで沸騰したように上気し、なんとなく口を手の甲で拭う。

「そ、そっか。期待してる」

「うん、絶対答える」

 どこか嬉しそうにほほ笑む杜和とわの様子にほっとしていると、

立月たつきくん、やっぱりここにいたんですね」

 瞬間、星羅せいらと瑞穂がその声にピクッ! と反応。俺も誰が来たのか理解し、

「どうしたの安南あんな先輩。というか杜和とわ安南あんな先輩も誘ってたの?」

「もちろんだよ。この衣装だって安南あんなちゃんが作ってくれたんだから」

 さすが手芸部恐るべし。貫守ぬくもりも見習ってほしいな。

「来てくれてうれしいよ安南あんなちゃん」

 嬉しそうな杜和とわに対して、なぜか強張った表情の安南あんな先輩。いったいどうしたんだ? 俺が疑問に思っていると、安南あんな先輩は重い口を開いた。

「そうだったんですけど……ちょっとまずいことになりまして。立月たつきくんに協力を仰ぎたかったんです」

「俺? 何があったんだ?」

 聞くと安南あんな先輩は真剣な眼差しで俺を見つめ、

美礼みれいがピンチなんです。助けてあげてください」

「ど、どういうことだ?」

美礼みれいちゃんがメイド喫茶で働いているのは、ご存じですよね。実はですね、スタッフが美礼みれいちゃんと阿久津あくつさんというスタッフ以外、季節外れの風邪などで全員倒れてしまったそうでして」

「ま、まじか……そんなことあるんだな。でもそれなら店を今日の営業はやめればいいんじゃ」

「私もそう言ったんですけど……どうやら今日は、その阿久津あくつさんの誕生日イベントを兼ねた営業だそうでして、出来れば閉めたくないらしいんです」

「ふーん……で、兄貴にどうして欲しいわけ?」

 友達のピンチに、星羅せいらもどうにかしたいと思ったのか、少し前のめりになっていた。安南あんな先輩は胸の前で手を合わせると、

立月たつきさん、というよりもこうなればみなさんにお願いしたいです」

 安南あんな先輩にいつものような笑みはなく、真剣な眼差し。そして頭を下げた。

「お願いします。一緒に美礼みれいちゃんを助けてください」

「助けるって言っても、ボクたちはどうすればいいの?」

「さっき電話したんですけど、ヘルプで入って欲しいそうです。人手さえあれば、阿久津あくつさんがなんとかできるからって。でも私一人入ったところでは、きっとだめだと思うんです。だから……」

 確かに貫守ぬくもりたちを助けたいとは思うけど、俺たちはこれからーー

「いいよ立月たつき。行きなよ」

 俺の視線の意図を察したのか、杜和とわは落ち着いた声音でそう言った。

杜和とわ……だって今日は杜和とわの初めてのお姫様役だろ」

「あたしたちの演技は別のところでやるかもだけど……貫守ぬくもりさんの方は。今日だけだもんね。だから、行ってあげてよ」

 にひひっと杜和とわの精一杯の笑顔。舞台の演技はすごいのに、どうしてこういうときは下手くそなんだよ……。

 俺が唇を噛んでいると、瑞穂が急にん~っと唸りだしたかと思うと、

「……ううっ、杜和とわさんはやっぱりボクの憧れの人だねっ! かっこいいよぅ……っ! 行こうよ立月たつきくん。杜和とわさんの思いを無駄にしちゃだめだよっ!」

 無理矢理微笑む杜和とわ。でも瑞穂の言うことだってそうだ。だから……だから……、

「わかった。俺は助けに行くよ。えっと、みんなもそれで構わない?」

 星羅せいらはやれやれ、瑞穂はぐっと握り拳、悠大はつーんとそっぽを向いているけど、これは反対してないからオッケーだ。

「ごめん杜和とわ。この埋め合わせは必ずする」

 杜和とわに向き直り、軽く頭を下げつつ手を合わせる。すると杜和とわは仕方ないなぁと相変わらず下手くそに笑いながら、

「当たり前に決まってんでしょ。すっごいのお願いするから、覚悟しててよね」

「お手柔らかにな……」

 何を頼まれるのやら……、嫌な予感に体をさする。そして俺たちはメイド喫茶に向かって走り出した。

「あーあ、何送り出してんだかあたしってば……」

 不意に後ろから、そんな声が聞こえた気がした。




 急いで来た甲斐もあってか、まだ開店はしていないようだった。それでも、さすがはナンバーワンメイド阿久津あくつさん。すでに開店を待っている人がいるようだ。俺を先頭に、従業員通路から静かな店内に入ると二人の姿が。

「あ、安南あんな先輩! それにみん……な……」

 視線の先、俺がいることに明らかに戸惑っていた。俺も少し怯みそうになるも、今はそんな場合じゃないと首を振った。阿久津あくつさんも驚いた様子だったけど、すっといつものクールな表情に戻ると、

「ご主人様方……来てくださったのですね」

阿久津あくつさん、事情は何となく聞いてます。今どんな役割が必要ですか?」

 俺は早速本題を切り出す。すると阿久津あくつさんもそうですね……と、

「最低でも厨房とホールの人員は不可欠ですね。それさえいれば、あとは私が何とか出来るかと」

「それなら……料理のできる星羅せいらは確実に厨房だな、悠大も出来たよな?」

 俺が二人に視線を向けると、しょうがないといった様子でため息を一つ。

「めんどいけど、美礼みれいのためだししょうがないね」

「レシピさえあれば出来る」

 この二人がいれば料理は安泰だな。あとはホールの担当……つまりメイドだよな。となると残りの人員の……、

「メイドは安南あんな先輩と瑞穂に頼みたい」

「私も着るんですか……でも美礼みれいちゃんのためですし、頑張りますよ」

「……ぼ、ボクも着るの? メイド服?」

 あっ……しまった。つい人員が足りないから、残りをそのまま割いてしまった。決して瑞穂のメイド姿が見たいなんて邪念が働いたわけじゃないんです決して。

「ご、ごめん瑞穂。つい流れで……」

 どのみちこんなこと瑞穂に頼めないし、別の方法を……と思いきや、

「……女の子のために体を張るのって、漢らしいこと、だよね?」

 俯いて、決めあぐねるように手をにぎにぎ瑞穂。えっ、なに、もしかしてがあるのえっ? ……俺がここで頷けば、瑞穂のメイド姿を拝めるの? いやでもこんな、いや、いや……。

「……あ、ああ、男らしい、ものすごく」

 残念なことに、俺は悪魔には勝てなかった。瑞穂の決断を、固唾をのんで見守る。

「……わかったよ。ボク、貫守ぬくもりさんのために頑張るよっ」

 やった! 瑞穂がメイド服を着てくれる! こんなに嬉しいことはない! 人類の英知! 瑞穂ごめん神様懺悔します。ごめんなさい。

星羅せいら……俺はきっと地獄に落ちるんだ……」

 あまりの罪の意識に耐えられず、星羅せいらに絶望の心中を伝えると、星羅せいらは俺の肩に手を置き、優しく首を振った。

「兄ぃ心配ないよ……あたしも同じ選択する絶対」

 星羅せいら……やはり血は争えんな。

 っと落ち着け俺。貫守ぬくもりを助けに来たんだろ。俺は頭を振って気持ちを入れ替えて、

「それじゃあ俺は料理も出来ないし、清掃とか会計の雑務担当として動きます。開店まで時間もないし、動き方確認しないと」

「では厨房班には私が指南します。貫守ぬくもりさんは、ご主人様のもてなし方をお二人に教えてあげてください。メイド服の予備はロッカーにありますので」

「わ、わかりました」

「それから後程店長も来るので、開店後に何かあれば私か店長に相談してください」

 阿久津あくつさんの指示の元、みんなそれぞれ動き出す。

「えっと……」

 だが貫守ぬくもりだけは俺の前に立ち、何やら気まずそうに身をよじっていた。

「早く瑞穂達のところに行ってやってくれ。話なら後で聞くからさ。今はここを乗り切ることだけを考えようぜ」

 すると貫守ぬくもりは少し俯き、うんっと頷くと、とたとた去っていった。さて。これから忙しくなる。お客様が快適に過ごせるように、店内を綺麗にしないとな。




「おかえりなさいませご主人様!」

 開店してからしばらく。客の入りはすさまじかった。メインである阿久津あくつさんはいつもの三倍は忙しそうだ。ほかのみんなの様子はといえば、

「はーい、から揚げできたから持ってってー」

 気だるげに料理を作っていく星羅せいら。すると、ふりふりなメイド服に身を包んだ瑞穂(俺的ナンバーワンメイド)はもう、と腰に手を当てて、

星羅せいらちゃん、ちゃんと料理名言わないとだめだよっ。『ラブラブきゅん ご主人様への気持ちもアゲアゲ唐揚げ』だよっ」

「だって長いんだもーん。こっちは三番テーブルだからよろしく」

「わかりました、そちらは私が持って行きます。うふふ、瑞穂ちゃん、さっきの『ラブラブきゅん』はものすごくよかったですよ」

「だから瑞穂ちゃんはやめてって言ってるのに……」

 安南あんな先輩の発言にうんうん頷きながら、みんなでよく回していると感心していた。貫守ぬくもりのぎこちない男性接客もあって、少しギリギリなところではあるけど、この分ならいけるんじゃないか?

 俺もしっかりと空いたテーブルの清掃、お帰りのお客様の会計を着々とこなしていた。とはいうものの、実際のところは貫守ぬくもりから視線を外せずにいた。この前のこともあるし、何か起きてしまうんじゃないかとヒヤヒヤしていた。だがそれは安南あんな先輩も瑞穂も同じようで、少しまごついたりしていると、すかさずフォローに入ってくれる。本当に貫守ぬくもりはいい人たちに恵まれたな。

「ありがとうございましたー」

 とりあえず会計も捌ききったし、空いてる机の清掃をしよう、と思った時だった。

「きゃっ!」

「冷た!」

 その声に振り向くと、貫守ぬくもりがお客様にジュースをこぼしてしまっていた。もちろん相手は男性客。貫守ぬくもりは口を開け、どうすればと戸惑いの表情を浮かべたまま硬直、そして目にうっすらと涙を浮かべると、

貫守ぬくもりっ!?」

 走ってスタッフルームまで逃げてしまった。俺はとっさにそのお客様に駆け寄り、

「も、申し訳ありませんっ! 今すぐ拭くものを……」

立月たつきくん、ここは私に任せて行ってあげてください」

 焦る俺に対して、安南あんな先輩は落ち着いた様子でタオルを用意し拭き始めた。

安南あんな先輩……でも、男の俺よりも」

立月たつきくんがいってあげるべきです。きっと」

 安南あんな先輩と交代しようとすると、俺の目を真っ直ぐに見つめ制止した。どうして俺に……と言いかけたけど、力強く頷く安南あんな先輩の姿に俺はスタッフルームにかけだしていた。

 そして従業員控室に入ると、肩を震わせてうずくまる貫守ぬくもりの姿。

「えっと……」

 何か言わなきゃと声を漏らすも、かけるべき言葉が見つからず当てのない声は、ぽとりと地面に落ちてしまった。

 そしてただその場に立ち尽くし、時間だけが過ぎていく。

「……貫守ぬくもり、とりあえずお客様に謝ろう。俺も一緒に謝るから」

 このままじゃだめだ。そう思って提案するも、相変わらず貫守ぬくもりか震えるだけだった。

「えっと……さすがにあのまま逃げるのは、よくないだろ?」

 陽鞠ひまりならまだしも、今の俺は男だ。なるだけ声音に気をつけながら紡いだ。

「……怖いの」

 するとようやく、貫守ぬくもりからの返答があった。そして貫守ぬくもりは俺偽を向けたまま立ち上がり、

「まだ、話すだけでも怖いのに、わたしのミスでご主人様に……」

 嗚咽混じりの声。表情こそ見えないが、どんな顔をしているのか想像は容易だった。的確な言葉を見つけられないもどかしさに、俺は唇を噛んだ。でも、立ち止まるわけにはいかない。

「気持ちはわかるけど、このままじゃダメだろ? そういうしっかりしてないのって、貫守ぬくもり自身が嫌いじゃないのか?」

「わかってる! わかってるけど……」

 涙を浮かべながら俺に向かうも、その先に言葉はなくて、悲痛な面持ちで口をつぐみ、俯いてしまった。

「……貫守ぬくもり、どんなに頑張っても、男を理解するなんて無理だよ」

「えっ……?」

 おもむろにこぼれ落ちた言葉に、俺自身も驚いた。あれだけ陽鞠ひまりとして生きてきたのに、それを否定する言葉。でもその先はするすると出てきた。

「実は俺も、女の子のことを理解したいと思ってたんだ。そのためにいろんなことをやってみた。だけどどんなに頑張っても、分からなかったんだよ」

「どうしてそんなこと言うの……」

 俺に希望を潰され、そのまま涙をこぼす貫守ぬくもり。そんなつもりはなかったから、慌てて取り繕う。

「で、でも今はそれでもいいと思ってる。俺は女の子を理解することよりも、個人を、貫守ぬくもりのことを理解したいんだよ」

 貫守ぬくもりはえっ? と声を漏らすと、こぼれる涙が止まった。そして少し乱暴に涙を拭う貫守ぬくもりに俺は、

「だってさ同じ男でも、俺も瑞穂も悠大も、みんな違うだろ? それをひとまとめにして理解するなんて……きっと出来ない」

「でも! 個人を理解するなんてもっと……」

「ああ、きっと出来ないだろうな」

「なら!」

「だからといって、俺はそれを諦めたくない。もっとみんなのことを理解したい。男が苦手な貫守ぬくもりのことを分かってやりたい。というかさ」

 今度は驚かせないように。ゆっくりと貫守ぬくもりへ手を伸ばし、

「俺は貫守ぬくもりのこと、もっと知りたい」

 また払われるんじゃないか。不安に震える俺の手。でも声だけは、しっかりと。

「だから俺はこれかも頑張るよ。だからさ、貫守ぬくもりも頑張って欲しい。諦めないで欲しい」

 貫守ぬくもりは少し戸惑ったように、胸の前できゅっと手を握る。そしてまた貫守ぬくもりも震えたまま、恐れつつも今度はーー

「……うん」

 払うのではなく、そっと、優しく、握ってくれた。

「それじゃ、みんなに迷惑かけちゃってるし、早く戻ろうか」

「……ふん、言われなくてもそうするに決まってるでしょ」

 すっかりいつもの調子の貫守ぬくもり。俺は心の中で苦笑しつつ、貫守ぬくもりを連れてホールへと戻った。




「「ごめんなさい」」

 緊張の面もちの貫守ぬくもりと顔を見合わせ、さっきのお客様に頭を下げて謝罪。しばしの静寂。当然、頭を下げた状態では、相手がどんな表情をしているのか分からない。

「大丈夫ですよ」

 たったの一言。それでも俺と貫守ぬくもりは、顔を上げお互いを見つめ笑顔。泣いてたのがバレバレな顔の貫守ぬくもりに、

「次はもっと気をつけるんだぞ」

「いっ、言われなくてもわかってるわよ!」

 俺と貫守ぬくもりはもう一度謝罪し、メイドである貫守ぬくもりは忙しそうに他のテーブルへと向かっていった。

「ありがとうねお兄ちゃん」

 先ほどの客が不意にそんなことを言った。俺が驚いていると、

「彼女の成長は君のおかげなんだろ? これからも彼女のことをよろしく頼むよ」

「は、はぁ……?」

 笑顔のお客様に、俺は気のない返事をしつつ仕事に戻ろうとすると、

夜嶋やしま様」

阿久津あくつさん? ご主人様を放っておいていいんですか?」

「ご心配なく。優しいご主人様方ですから、少しくらいはお許しになってくれます」

「さすがは阿久津あくつさんですね。それで、俺に何か用ですか?」

「あちらのご主人様は貫守ぬくもりさんのファンなのです。だから彼女が、男性の接客が出来るようになっていくのが嬉しいのですよ」

「そ、そういうものなの?」

「ありがたいことに、私たちメイドの成長を楽しみにしてくださるご主人様もいらっしゃるのです。まだまだ私がダメなメイドだった時も、そういったご主人様に支えられたものです」

阿久津あくつさんにもそんな時が……。でも、なるほど」

 推しのアイドルがセンターに選ばれて嬉しい、みたいな感覚なのか? それならまぁ分かる気がするけど。

 俺が頭を捻っていると、阿久津あくつさんはおっと、と手のひらを唇に当てると、

「お忙しいところ、お邪魔をしてしまい申し訳ありません」

「いやそれは俺の方ですし。あっ」

「どうかなさいましたか?」

「誕生日おめでとうございます、阿久津あくつさん」

「おやこれは、ありがとうございます。ご主人様」

 そしてにっこりと微笑むと、仕事に戻っていった。さすがはナンバーワンメイド。ご主人様の破壊力が他とは違う気がする。

「とと、俺も仕事に戻りますか」

 見ればお帰りのお客様、政争の終わっていない机。。俺は小走りで仕事へと戻った。




「皆様、今日はありがとうございました」

 最後のお客様を見送り、阿久津あくつさんが振り返り俺たちにお辞儀した。

「本当にみんな今日はありがとう。急に声をかけたのに……、それにみんなを連れてきてくれた安南あんな先輩には感謝しかないです」

「いえいえ、私は声をかけただけですから。それにみんなが来てくれたのは、みんなが美礼みれいちゃんを助けたいと思ったからですよ。それだけ美礼みれいちゃんが、みんなに愛されてるということです」

安南あんな先輩……」

 感極まった様子で安南あんな先輩を見つめ、そして俺たちのことをゆっくりと見回し、もう一度頭を下げた。

「そういえば貫守ぬくもりさん、ここを辞めるつもりみたいでしたが……今もその気持ちは変わりませんか?」

 不意にいつもクールな阿久津あくつさんが、悲しげな表情でそんなことを聞いた。どうやら貫守ぬくもりは、すでに辞めることを阿久津あくつさんに伝えていたようだ。

 貫守ぬくもりはあー……っとしばらく声にならない声を漏らして懊悩すると、スカートの裾をきゅっと握り、

「……いえ、続けさせて、ううん、続けたいです。わがまま言って申し訳ありませんが……」

「ふふ、いいんですよ。その言葉が聞けて、私も嬉しいですから」

 それを聞いてみんなもどこか安堵の表情。そして瑞穂は緊張が切れたように伸びをし、

「慣れないことして結構疲れちゃった。でも普段出来ない体験が出来て、ちょっと楽しかったかも」

「瑞穂先輩なら、このままここで働けると思いますよ」

星羅せいら、俺もそう思うよ」

「二人ともそれどういう意味っ!?」

「瑞穂いじめるのも大概にしとけよ」

 アホ兄妹を諭す悠大の発言に、俺たちは顔を見合わせ笑い出す。そんなやりとりをしていると、ちょいちょいと袖を引かれた。

「ね、ねぇ、ちょっといい?」

 見ると袖を引いたのは、意外なことに貫守ぬくもりだった。俺は驚いて、

「どうしたんだ貫守ぬくもり?」

「いいから来なさいよ」

 少し恥ずかしそうに目をそらす貫守ぬくもりに連れられ、控え室へと袖を引かれる。どういうつもりなんだ?

「ああ、もしかして掃除? どっからやればいい?」

「そ、そうじゃないわよ! その、えっと……」

 もじもじと何かを決めあぐねるように、俯いたり見上げたり。不意にスカートをいじいじ。まったくどうしたんだ? 暫くそんな姿を眺めていると、

「ごめん、なさい」

 急な謝罪になんのことやらと頭をひねっていると、

「その、この前手を……」

 あっ……今日一日いろんなことがあったし、普通に忘れてた。俺はどうリアクションしたものか迷って頬を指でかきながら、

「いや気にしてないからいいよ別に」

 そんな俺に対して貫守ぬくもりは、先ほどまでとは打って変わって、ダンッと地面を踏みしめる。

「あなたが良くてもわたしがダメなの! 気にせず謝られておきなさい!」

 謝られておくという謎の単語に、眉間にしわを寄せつつうんと頷いておいた。すると貫守ぬくもりは胸の前で人差し指同士を合わせて、またももじもじ。今度はなにかと思っていると。

「それから、その……立月たつきくん、今日はありがとう」

「……初めて貫守ぬくもりにお礼を言われた……」

「わっ、わたしだってお礼くらい言うわよ!」

 確かにお礼を言われたことにも驚いたけど、それ以上に驚いたのは俺の名前を呼んだことだ。なんだかんだ、貫守ぬくもりにちゃんと呼ばれたことなかった気がする。あなたとかねぇとか、熟年夫婦かって思ってたくらいだ。それか、名前を覚えて頂けていないかと思った。

 そして貫守ぬくもりは顔を赤くして恥ずかしそうにぷいっとそっぽを向いて、

「……っ、これでも感謝してるのよ。あなたのおかげでここで働けたし、続けたいって意志も確かめられた。もちろん陽鞠ひまり様の力の方が圧倒的に、ものすごく大きいけれどね」

 実質それ俺一人の力じゃねぇか。もちろん言わないけど。俺はよくわからない笑みを隠すように、頭を軽くかいて、

「いや気にしないでくれ。俺だって、異性を理解したい気持ちは分かるからさ」

「そう……えっと、その……」

 貫守ぬくもりはまたももじもじと身をよじり出す。今日の貫守ぬくもりは一体どうしたんだか。今まで知らなかった姿ばっかりだぞ。俺がしばらく待っていると、

「これからも、わたしに協力してくれる?」

 控えめに、しおらしくそんなお願いをした。そんな貫守ぬくもりの姿に俺はつい、

貫守ぬくもりらしくないな。いつもは義務だとか言いそうなのに」

「わっ! わたしのこと本当になんだと思ってるのよ!」

「そんな怒るなって冗談だから! 言われなくても手伝うよ。これからも貫守ぬくもりが男のことを理解できるよう、一緒に頑張るって」

「それも、そうだけど……わたしは、もっとあなたのことを知りたい。理解したい」

 予想もしなかった貫守ぬくもりの言葉に、俺は思わずえっと素っ頓狂な声が漏れた。すると貫守ぬくもりは慌てた様子で取り繕う。

「ちょ、ちょっと! あなたが言ったんじゃない! 個人を理解する努力って」

「あ、ああ……もちろん。かまわないよ」

「そう……よかったわ」

 言うと貫守ぬくもりは、タンッと俺から一歩離れてくるりとターン。貫守ぬくもりに遅れてふわりと回るスカートに思わず目を奪われた。

 そして貫守ぬくもりは俺の目を、真正面から見つめ

「これからも、どうぞよろしくお願いいたします。ご主人様っ!」

 にっこり、そしてお辞儀。

 全く見たことがなかった貫守ぬくもりのそんな表情や仕草が、俺の心に何かを訴えた。どこか気恥ずかしくて、体が熱くて。思わず貫守ぬくもりから視線をはずして頭を雑にかいた。

「……貫守ぬくもり?」

 ふと視線を戻すと、頭を下げっぱなしでぷるぷると震える貫守ぬくもり。どうしたのか覗き込もうとすると、ばっと顔を上げた貫守ぬくもりは耳まで真っ赤にして、

「……は」

「……は?」

「恥ずかしいいいいぃぃぃぃっ!」

 急に悶絶。唐突な出来事に理解が追いつかずおろおろしていると、

「この格好だったからついご主人様なんて……ご主人様なんてっ!」

「い、いや気にするなって。可愛かったし」

 あっ。

 何言ってんだ俺。

「~~~~っ!」

 貫守ぬくもりは歯がゆそうに口をもごもごさせたあと、俯いたままホールに走り去ってしまった。

 ……今日は本当に、いろんな貫守ぬくもりの姿を見ることが出来たな。もしかしたらここのメイド服のおかげかもな。

 服はその人の心を映す鏡のような鎧だ。そしてその逆もまた然り。特別な服だからこそ、いい方向に調子が狂うこともあるんだろう。

「そのうちメイド服着ているときだけは男が大丈夫になる……なんて面倒なことになったりして」

 そんな冗談を言って、自分で吹き出す。ただメイド服の可能性はやっぱり素晴らしいな。俺は幸せのため息を一つ。さてと、後片づけを手伝わなきゃな。

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