第二章 杜和と演劇の関係、美礼のメイドデビュー戦。

 気分の上がらない雨の日は、女装をして出かけたくなるもので。裾が濡れるので今日はスカート短め。準備のできた私は、銀河柄の傘を片手に玄関から外へ。

 傘にぽつぽつと雨。いつもの道が、どこか落ち着いているように見える。そんな道を歩き、目的の書店へと向かう。

「そこのお姉さん、ステキなドレス着てみたくない?」

 呼ばれてすぐにげんなりした。完全にキャッチのお呼ばれだこれ。貫守ぬくもりさんのスキルがうつっちゃった?

「す、すみません急いでいるので」

「いやいや、すっごく可愛いんだなーこれが」

 うっわしつこいタイプだ……、どうしたものかな。そう悩んでいると、

「ごめん、待たせてしまったかな」

 透き通った声と共に、私の手を取る人が現れた。

「え、えっと……いえ、そんなことは」

 とっさに助け船を出してくれたのだと理解し、話を合わせた。

「なんだ、待ち合わせしてたのかい」

「ふふ、すまないね。彼女は今日一日僕のものなのさ。それでは行こうか」

「は、はい……」

 少し芝居がかった助け船に困惑するも、対応自体はイケメンのそれだなぁと思わず感心。そうしてそのキャッチから離れて、

「あ、ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げて一礼。

「そんなそんな、大したことじゃないって。ほらほら顔を上げて?」

 な、なんか急にキャラも声音も変わったな……と思いつつ顔を上げると、

「とっ、杜和とわ!?」

 そこにはなんと見知った顔。夜嶋やしま立月たつきの幼馴染である折那せつな杜和とわの姿があった。名前を呼ばれた杜和とわは私の顔をじっとのぞき込み、

「ありゃ、私の事知ってるの?」

 しまった今は陽鞠ひまりなんだ。つい普通に名前を呼んでしまったどうしよう……、

「え、えとっ! そのっ! 夜嶋やしま立月たつきくんからお話を聞いてましてっ!」

 と気づけばとんでもないことを口走っていた。というか、立月たつきだってバレてない……のか?

「あっ、そうなんだー。一応改めて自己紹介するね。あたしは折那せつな杜和とわ立月たつきの幼馴染みなんだ。よろしくね」

 ニッコリ笑顔で自己紹介をしてくれる杜和とわ。どうやら私が立月たつきだと、本当に気づいていないらしい。そんなことを考えてフリーズしていると、不思議そうな杜和とわの視線。はっと我に返り、

「わ、私は朝倉あさくら陽鞠ひまり立月たつきといろいろ付き合いがあるの。よろしくね折那せつなさん」

 我ながらちぐはぐすぎる! 背中を流れる嫌な汗がとどまるところを知らない。私の紹介を聞いた杜和とわはんん? と首を一捻り。

立月たつき陽鞠ひまりみたいな知り合いがいるなんて、聞いたことなかったけど……」

 うわーっまったくもってその通り鋭い終わった!

「まぁでもそんなことはどうでもいっか。よろしくね陽鞠ひまり

 馬鹿で助かったー。いや申し訳ない杜和とわ……。私が心の中で謝罪をしていると杜和とわがそーそーと、

「そいえば、あたしのことは杜和とわでいいから。あたしも陽鞠ひまりって呼んじゃってるし」

 というありがたい申し出。立月たつきの時と陽鞠ひまりの時で呼び方違うの、けっこう気を遣うんだよな。俺はうんと頷き、改めてよろしくと伝えた。

「あっ、今更だけど、さっきの驚いたよね? ごめんね、咄嗟にあれ以外の方法が思いつかなくってさ」

杜和とわは演劇をやってる……って立月たつきに聞いてるし、そんなに驚かなかったよ。演技のすごい子なんだって聞かされてたけど、さっきのを見て立月たつきの言う通りだなって思った」

「いやーそれほどでも」

 嬉しそうに頬を緩める杜和とわ。演技はうまいくせに、普段は気持ちが態度に出まくりなんだよな……。

「それにしても立月たつきにこんな可愛い知り合いがいたなんてね。立月たつきも隅に置けませんねー」

「あ、あはは……どうも」

 可愛いと言われるのは嬉しいものの、状況だけに素直には喜べない。と、ここで杜和とわがさらなる追い打ち。

立月たつきとはどんな関係なの?」

「えっ、ど、どうしてそんなことを?」

「えっ? うーん……なんとなく?」

 自分でも深く考えずに聞いたことなのか、質問したほうが疑問を浮かべていた。いやというか、陽鞠ひまり立月たつきの関係? なんて答えればいいんだこれ。えーと立月たつきと私が同一人物だとバレるわけにはいかないしえっと……だからつまり……えー……、

「おっ、お互いにいなくてはならない関係です!」

「……へっ?」

 きょとん顔の杜和とわ。言った自分も恐らく同じ、いやそれ以上に滑稽な顔をしていると思う。

「そ、そう、なんだ?」

 杜和とわは何を思ったのか、急激に顔を真っ赤にしてもじもじ。えっ、やだこれ勘違いされてる!?

「で、でも付き合ってるとかそんなんじゃないの本当に!」

 必死の補足説明。幼馴染に恋人がいることがこんな風に知られるとかなんか嫌だぞ!? というかそもそも恋人どころか同一人物なんだぞ!?

「なんだそうなんだ。びっくりしたー」

 うわーっ杜和とわでよかったーめっちゃ簡単に信じてくれる―。

 びっくりびっくりーと胸をなでおろす杜和とわは、ちょんちょんと前髪を直しつつ、

立月たつきは恋人が出来たら、ちゃんとあたしに言うもんね」

「そ、そうなの、かな……」

 正直その報告をするつもりは全然なかった。いや聞かれたら正直に答えたと思うけど。そしてそもそも、恋人どころか好きな人もいないんですけどね?

「いやいや立月たつきなら絶対そうだよ。私と立月たつきの信頼を舐めないことだね」

 杜和とわはそう言い切り、えっへんと腰に手を当て胸を張る。確かに立月たつき杜和とわの信頼は厚いかもだけど、改めてそんな風に言われると心の置き所に困るな……。気恥ずかしさから視線を落とすと、

「おっと、あたし今日は衣装に使う布を買いに来たんだった。悪いけどあたしはこれで。立月たつきによろしくね」

「う、うん、わかった。それじゃあまた」

「あっ、そうそう……」

 くるりと踵を返し、折那せつなさんは私のもとへ。

「また困ったことがあったら、すぐに駆け付けるからね」

 耳元で囁きウインク。そしてさらりと去っていく。演技交じりとはいえ、そんなセリフと行動をいとも容易くやってのける杜和とわに、女として惚れそうになっている自分がいた。

 いや落ち着け俺。




 翌日の学校。教室で悠大と瑞穂の会話を聞きながら、雨で湿った校庭を見下ろしていると、

「兄貴」

 廊下から気だるそうな声。聞き間違えるはずもない、星羅せいらの声だ。俺は悠大たちに軽く断ってから席を立ち廊下へ。

「どうした?」

「今日のお昼はどうするつもり?」

「いや星羅せいらのお弁……もしかして俺忘れてます?」

「正解。よく気づいたじゃん」

 そういえば今日は朝掃除の当番で、星羅せいらよりも早めに出たから忘れちゃったんだな。星羅せいらははぁとため息をつきながら、後ろ手に持っていた可愛らしい包みを差し出した。

「まったく、妹の愛妻弁当を忘れるなんて、どういう了見なの」

 妹の愛妻弁当って響きがすごいな。それにしても星羅せいらが奥さんか……。それはもうきっと素敵な世界が……。

「兄貴なにニヤニヤしてんの? さすがに気持ち悪いよ」

 星羅せいらは身を守るように自分を抱き、犯罪者を見る目で俺に侮蔑の眼差し。待って待って実のお兄ちゃんだぞ?

「悪い悪い。それよりせっかくだし、昼休みに一緒に食べるか?」

「いやいやいくらなんでも兄貴と一緒にお昼とか。周りになんて言われることやら。まぁどうしても兄貴がそう言うなら、考えてあげなくもないけどさー」

 相変わらず満更でもなさそうな星羅せいらだったけど、

「ま、今日は美礼みれいと食べるんだけどね」

「残念だったわね」

 その声とともに星羅せいらの後ろからひょっこり現れたのは、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべた貫守ぬくもり美礼みれいだった。

「うおっ、いたのか」

「なによその反応。いちゃ悪いわけ?」

「そんなこと言ってないだろ。それで、バイトの件はどうなってるんだ?」

 貫守ぬくもりを見て俺はバイトの件を思い出し、進捗について聞いてみると、

「まだよ」

「なんだよ。店決まってるのに、まだ電話してなかったのか」

「いいえ、まだ女性が出てくれないの」

「は? もしかして男が出るたびに切ってんのか」

「しっ、失敬な! 少しは喋る努力しているわよ! ただしばらくすると切られちゃうの」

 いたずら電話だと思われているんだろうな……。ああいう裏方のスタッフって大体男がやってるイメージあるけど、女性が出る日は来るのかしら……。そう心配になった俺は、

「やっぱり俺が電話しようか?」

「それには及ばないわ。必ずやり遂げて見せるんだから」

 その自信はどこからくるんだよ。意外と貫守ぬくもりは頑固なんだな……と嘆息し、

「あんまりお店に迷惑かけるなよ」

「ふん、そう言っていられるのも今のうちなんだから」

 ツンとそっぽを向いてしまう貫守ぬくもり。そんな俺たちのやり取りを横目に星羅せいらが、

「なかなか順調に進んでるみたいだね。あたしのおかげかな」

「あなた何もやってないでしょうよ……」

 というかこれのどこが順調に見えるのよ。肩を落とす俺とは対照的に、星羅せいらははっはっはっと高笑いをし、

「じゃあ用事はこれだけだから。またね兄貴」

「おう、ありがとな」

 そうして去っていく二人を見つめていると、

朝倉あさくら陽鞠ひまりさん」

 不意に俺を、私を呼ぶ声。咄嗟に反応しかけたけど、ぎりぎり踏みとどまった。そしてゆっくりと振り返ると、

「あら、人違いでした」

 不敵な笑みを浮かべた女の子。彼女がごめんなさいね、と言いつつ頭を下げると、ぴょこんと後ろで結われたポニーテールが揺れる。どうやら学年は同じようだけど、こんな女の子は見たことがない。ほかのクラスの人か?

「人違いも何も、俺男ですけど」

 なぜ陽鞠ひまりの名を? そんな疑問たちが頭を駆け巡るけど、とにかくボロを出すわけにはいかない。平静を装いつつ俺が弁明すると、

「そうですよね、私もどうかしてたみたいです」

 意地の悪い笑みを浮かべてその女の子は、

「あっと、私用事があるんでした。それじゃあ私は行きますね。夜嶋やしま立月たつきくん」

 終始笑顔のまま、後ろ手を組み愉快そうに去っていく女の子。いったい何だったんだ? 俺が陽鞠ひまりだって気づいているのか? とにかく、素性も何もわからないけど、あの女の子には注意しなくちゃな……。




「んっ?」

 昼食後、早めに教室移動をしてしまおうと、渡り廊下を歩いているときだった。

「あれって杜和とわだよな」

 少し浮かない様子で校舎の陰へと消えていく杜和とわ。気になった俺は、一階へと降りて後を追った。そして校舎裏に出たところで、

「……すんっ……すっ……」

 そこには花壇の淵に座り込み、涙を流す杜和とわの姿が。俺は咄嗟に駆け寄り、

杜和とわ!? どうしたんだ!?」

 急な俺の登場に驚いたのか、杜和とわは肩をびくつかせて、

「えっ、た、立月たつき!? どうしてここに?」

「いやそれよりもどうしたんだよ。なにかあったのか?」

「あっえ、ごめん。ちょっと泣く練習してただけといいますか……」

「……? 本当に?」

 疑いつつも、流れていた涙がぴたりと止まっていることに気づき、思わずあーという声が漏れた。そして杜和とわも変な笑顔を浮かべて、

「あ、あははー……うん、心配かけてごめん」

「なんだ、よかったよ。何かあったのかと思った」

 安堵の息を漏らす俺を見て、杜和とわは泣きっ面のまま失笑。俺がムッとした視線を向けると、

「ごめんごめん、そんなに心配してくれると思わなくて。あんがと」

「ったく……演技なら演技してるって言ってくれよ」

立月たつきが勝手に覗きに来たんでしょ、立月たつきのえっち」

「そういうんじゃないだろ……」

 あっけらかんとした様子に、体の力が抜けそのまま杜和とわの隣に座り込んだ。

 ……っとそういえば、杜和とわ陽鞠ひまりの姿見られたんだよな……。でもいつもと変わらない様子だし、やっぱり気づいていないんだな。こんだけ長くいるんだし、それはそれで悲しい気もするけど。

「それでどうして泣く芝居を?」

「うーん……実はさ、あんま今の役に入り込めてなくてね。それで、たとえ演技でも泣けばちょっとはすっきりするかなって」

「そういえば、この前そんなこと言ってたな。そんなに難しいのか?」

「あたしって、今まで男の役をやることが多かったでしょ? でも最近、女の子の役もやってみないかって言われてね。それがどうにも難しくて」

「まぁ杜和とわは男っぽいところあるしな」

「ちょっと、それどーゆー意味? あたしに女の魅力がないってか!」

 うりうり言ってみ言ってみ、と俺にヘッドロックをかます杜和とわさん。そういうところですよ。

「別に女の魅力がないまで言ってないだろ。さっさと解放してくれ」

「ん? 確かにそだね。ごめんごめん」

 やっとこさ解放された俺は、若干ぼさついた髪を直しつつ、

「何か力になれることはないのか?」

 と申し出ると、杜和とわはうんうん唸り深く考え込んでいく。そして頭上に電球が見えるかのように顔を上げると、

立月たつきっ! あたしを惚れさせてよ!」

「ぶふっ!?」

 とんでもない提案をかましてきた。

「いやいやいやいやどうして急にそうなるんだよ!?」

 焦る俺に対して、杜和とわは大真面目とばかりに身を乗り出し、

「女の子の役をやる中でも、恋する気持ち? が一番わっかんないんだよねー。だからさだからさ、それさえ掴めちゃえば、女の子になれるんじゃないかと思いまして!」

杜和とわは女の子でしょうが!」

「そういう意味じゃないよ!」

「わかってて言ってる。いやどっちにしても惚れさせるってそんな……」

 否定的な俺の姿勢に、杜和とわはあからさまに肩を落として、

「えー頼ってくれって言ったくせに―……」

「頼られ方の次元が違うだろそれは」

「むぅ……あっ、そういえば、立月たつき朝倉あさくら陽鞠ひまりって知ってる?」

「ひゃい!? あっ、ああもちろん知ってるけど」

 急な話題転換に思わず変な声が出てしまった。

「わー本当に知り合いだったんだ。立月たつきってば、あんな可愛い子知ってるなら教えてくれればいいのに」

「あ、あはは……悪いな」

「そうだ! 今度三人で遊びに行こーよ! 陽鞠ひまりともっとお近づきになりたいし」

「それは出来ない!」

「なんで!?」

 絶対に実現しない状況に思わず強めの否定が出てしまった。まるで雷でも落ちたかのようなショックを受けている杜和とわに、

「いやその……それは難しいと思うというか」

「なんでよー」

 いやある意味すでに実現しているんですけどね? ぶーぶーとわかりやすく不満をしめす杜和とわに、さらに弁明を重ねる。

「えっとあれだ、ちょっと複雑な事情があってだな……」

「どんな事情?」

 ですよねそうなりますよねー。どうすればいいんだこれ。

「わ、わかった。杜和とわを俺に惚れさせるってやつ協力するからさ、この話はまた今度にしよう」

 いや我ながら強引すぎるだろこれ。

「ほんとに!? ほんとに手伝ってくれるの!? やったぁ!」

 うわー杜和とわでよかったー。いや逆にこれ、協力させるためにこの話題出したのでは? なんて一瞬よぎったけど、普通に嬉しそうにはしゃいでいる杜和とわの姿に、そんな疑念はすぐに消えた。

陽鞠ひまりとお近づきになれないのは残念だけど……あっ、そうだ。じゃあさじゃあさ、陽鞠ひまりの連絡先教えてよ」

 それも出来ないんだなー!

「わ、悪いけど陽鞠ひまりは超絶機械音痴でな……ケータイは持っていないんだ」

「えっ、それじゃあ陽鞠ひまりに会えないじゃん」

「どうしてそんなに会いたいんだよ」

 聞くと杜和とわは、んーと人差し指を唇に当て思案顔。そして目を瞑り、うんうん唸り首を揺らしながら、

「なんでだろ、陽鞠ひまりに会ったことないはずなのに、なぜかものすっごく前からずっと一緒にいたような気がして……なーんか気になっちゃうんだよねー」

 ……そりゃそうだよ。こんなに長いこと一緒にいるんだから。もういっそのこと正直に言ってしまおうか。そんなことが頭をよぎったけど、杜和とわにだけは絶対に言うわけにはいかない。

「えっと……会いたいときは俺に言ってくれ。陽鞠ひまりに伝えておくから」

「そんなんで会えるの?」

陽鞠ひまりは神出鬼没でその辺をプラプラしてるけど、ちょこちょこ俺の家には寄ってるから。そん時に声かけとく。そうすりゃ会える、と思うぞ」

 こんな適当なことを言ってて大丈夫なのか俺……。とはいえ、杜和とわの気持ちも邪険にはしたくない。

「本当に? 立月たつきありがと!」

 嬉しそうにほほ笑む杜和とわ。申し訳なさと、悪化の一途を辿る俺と陽鞠ひまりの関係に思わず長い溜息が出た。




「はぁ……」

 思わず漏れ出たため息。学校も終わって家に帰るだけだというのに、気分は憂鬱だった。

「俺と帰るのがそんなに嫌なのかよ」

 俺のため息に悠大が不満の声を上げた。瑞穂とは、さっきの丁字路で別れたから今は悠大と二人だった。

「いやそういうわけじゃなくてだな……」

「なんだよ、貫守ぬくもりのことか?」

「まぁそれもあるけど、陽鞠ひまりのことで」

 すでに悠大は、俺が陽鞠ひまりとして女装していることを知っている数少ない人間だ。簡単に言えば、陽鞠ひまりの時にばったり会って一秒でバレたってだけの話なんだけど。ただそれでも、こうして変わらず接してくれるのは嬉しかった。

「お前まだそんなことしてたのかよ……。ま、他人の趣味に口出さねーけど」

「いや俺のは趣味というか」

「はいはいわかってるよ。女のことが知りたいんだろ? 無駄だと思うけどな」

 またこれだ……。悠大はこのことを知ってから、ずっと否定しかしてこない。まぁ俺も反論できる材料が多いわけじゃないから、聞き流すことしかできないんだけど。

「で、陽鞠ひまりがどうしたんだ? もしかしてバレそうなのか?」

「正直バレるよりも、かなり面倒なことになってきてる」

「まさかお前と陽鞠ひまりが別々の、二人の人間としてみんなの前でふるまってる、なんてことしてるわけじゃねぇだうな?」

「……」

「お前マジか」

 俺の無言を肯定と受け取り、戦慄する悠大。いやそもそもなんでこの男は、いつもこんなに鋭いんだよ。

「ったく……面倒に感じるくらいなら、言えばいいたろ」

「確かに、騙してるみたいで悪いし言っちゃった方がいいんだろうけど……、陽鞠ひまりはもう俺にとって、実在しなくても大事な人間の一人なんだ。俺と同一人物って言いきったら、陽鞠ひまりのことを否定してるみたいで嫌なんだよ」

「わがままだな……」

 悠大の放つ正論に、俺は言葉を失う。沈黙が流れると、吹く風が木々を大きく揺らす音が聞こえる。今日は風が強いことに気づかされた。

「ま、どうしても知られたくない人間がいるってんなら、あんまり言いふらしたくない気持ちもわかるけどな」

「……。とにかく、俺の今の状況はさっき悠大の言ったとおりだよ。杜和とわ貫守ぬくもりには、俺と陽鞠ひまりが別の人間として存在してる。で、取り繕うために変な情報作りまくりで……これからやっていけるのかって。それでさっきのため息だよ」

「なるほどな。つってもそれ、俺は頑張れとしか言いようがねぇな」

「まったくもってその通りなんだけど、なんか冷たい……」

 俺がそう言うと悠大はうわ……と軽蔑の眼差しでめんどくさ、とこぼした。そんなこと言わないでくれよ……。

「はぁ、隠蔽の手伝いはしねぇけど、愚痴くらいは聞いてやるよ」

 がっかりする俺に思うところがあったのか、悠大はそんなことを言ってくれた。

「悠大……見た目に反して本当にいいやつだな」

「一言余計だぞ」

 じろりと迫力満点の睨みを頂戴してしまった。




 せっかくの休日だというのに、突然貫守ぬくもりに呼び出された俺は待ち合わせ場所である駅前の時計塔に向かっていた。

 角を曲がると、俺を待っているであろう、腕を組んだ貫守ぬくもりが仁王立ちしていた。いやこれ開口一番遅い! って罵られるパターンじゃないですかー、と覚悟を決めつつ貫守ぬくもりの前に駆け寄ると、

「やっとバイトに応募できたわ!」

 俺の姿を見るなり、満面も笑みで貫守ぬくもり。予想だにしない言葉に面食らいつつも、

「えっあ、女の人が電話に出てくれたのか?」

「いいえ、いつも通り何も切り出せずにいたら急に『今度の土曜日、面接するから来るといい』って言われたのよ」

 嘘だろ電話口の人間何者だよ……。

「つーか結局自分で何もできてないじゃんか」

「うっうるさいわね! それをできるようにするために、メイド喫茶で働くんでしょっ!」

「それはそうだけど……」

 こんな調子で大丈夫なのか? そんな疑問を抱えつつ、ついてきなさいと意気揚々の貫守ぬくもりの後ろを歩いていくと、

「あら、立月たつきくん」

 呼ぶ声。だがそれは聞きなじんだものではない。貫守ぬくもりと振り返るとそこには、

「あ、あんたは……」

 この前教室で俺のことをと陽鞠ひまりと呼んだ女の子だった。なんでこんなところに……と戸惑っていると、貫守ぬくもりが声を上げた。

「あ、安南あんな先輩?」

「えっ知り合い?」

「知り合いも何も、同じ裁縫部なんだから知ってて当然でしょ」

「……あっ」

 そういえば貫守ぬくもりと出会ったころ、そんなことを言っていた気が。というかこの女の子が? なんで俺のことを?

「それよりあなたこそ、安南あんな先輩の知り合いじゃないの? 名前だって呼ばれてたし」

「いや全く……」

 と弁明しかけたところで、安南あんな先輩とやらは俺にぐっと近づき、

「それとも……陽鞠ひまりちゃんって呼んだほうがよかったですか?」

「いやそうなんだよ知り合いなんだよ実はさ」

 まさかの脅し。この子がいったい何を考えているのがさっぱりわからん。だけど逆らうのはまずい。

「なんだそうだったのね。それで安南あんな先輩はどうしてここに?」

「ちょっと気になる洋服があったんです。それを見に来たら二人を見つけて、それで声を。お邪魔しちゃってごめんなさい」

「気にしないでくださいよ安南あんな先輩。これはただの付き添いですから」

「これっておい」

 そんなやり取りを安南あんな先輩はくすくすと笑うと、

「それでは私は失礼しますね。あっ立月たつきくん、よかったら今度、裁縫部に遊びに来てくださいね」

 少し鋭い視線。それはお誘いというよりは、必ず来るよね? というような自信の瞳だった。思わず背筋が伸びた俺は、あはは……と適当な笑いを浮かべて安南あんな先輩を見送った。

「まさか安南あんな先輩と知り合いだったなんてね」

「いや俺もびっくりですよ……」

 何を考えているのかさっぱりわからないけど、下手に相手の要求を蹴るわけにはいかない。今度行ってみるしかなさそうだ。

「なに? 深刻そうな顔して」

「いやなんでもない。それより早くいこうぜ」

「わかってるわよ。いちいち仕切らないで」

 ぷんすか怒る貫守ぬくもりの後をしばらくついていくと、人通りの多い道に何やら純喫茶風の建物。

「ぱっと見メイド喫茶っぽくないな。看板とかはそんな感じだけど」

「ここが初めて来たメイド喫茶なのよ」

「いい店だな」

「ふふん、当たり前でしょ」

 なぜか得意気な貫守ぬくもり。自分の行きつけの店を褒められたみたいな心境なのか?

「まだ営業時間前みたいだけど、入っていいのか?」

「今日はお店に来たわけじゃないもの。正面から入ってきていいって、電話で一方的に告げられたわ」

 そりゃ会話が成立してないもんな。

「さ、さっそく入るわよ」

 自信満々だった割に貫守ぬくもりは、恐る恐るドアに手をかけ店内へ。中の様子も普通の喫茶店みたいだった。だがやっぱり違うのは、営業前のお掃除をしているメイドさんたちがいる事かな。

「あ、まだお店やってないんですよ~」

 猫なで声のメイドさんが笑顔で来た。俺は思わず、これがメイドさんかーと感心していると、貫守ぬくもりが緊張した様子で、

「きょ、今日は面接で来ました」

「あぁ~あなたがそうなんですね~。阿久津あくつさ~ん、おねがいしま~す」

 そのメイドさんの呼びかけに、掃除をしていたメイドさんの一人がこちらへ。落ち着いた雰囲気、他のメイドさんよりもベテランなのかもしれないと直感した。

「あなたが店長の言っていた特殊な子ね」

「特殊……っ」

 俺がくすくす笑っていると、見事に貫守ぬくもりのひじ打ちを食らった。痛みに悶絶する俺を見て阿久津あくつさんは、不思議そうに首をひねった。そうだった、面接を受ける貫守ぬくもりしか来ないと思ってるもんな。

「えーっとその、俺は付き添いみたいなものです。ついていったらまずいですかね?」

「いいえ、邪魔をしないなら歓迎いたします。それでは店長と面接するから、こっちに来ていただけますか」

 案内されるままにスタッフオンリーの扉をくぐり、奥へと進む。どこかぎこちない歩き方で、緊張した様子の貫守ぬくもり。そんな姿を見ていると、なぜか俺も少し緊張してきた。右手と右足が一緒にでそう。

「さ、入って」

 どうぞ、と促され貫守ぬくもりは手の震えを抑えるように手を握り一呼吸、ノックを四回。

「入り給え」

「失礼します」

 そういえば俺はどうしよう、外で待ってるべきかな。

「合格、うちで働くといい」

「いや面接どうした!?」

 あまりに突飛な出来事に、結局俺も入ってしまった。

「む、なんだ君は?」

「えっ、ああすみません……彼女の付き添いです。ってそれよりも、合格基準どうなってるんですか!?」

「可愛いかどうか」

「わっかりやすい!」

 あまりに屈託のない笑顔の、中年ぐらいの清潔な男性。だがどこか怪しげな雰囲気を持っている。これが店長なのか?

「えっと……それはいいけど、彼女一個問題があるんですよ」

 目で貫守ぬくもりに自分で言うように促すが、さっと俺の後ろに隠れたまま石になっていた。俺がため息をつくと、少しムッとした様子で、

「わたし……男の人が苦手なんです……」

 と絞り出すように、自分の欠点を伝えた。結局俺が言うことになると思っていたのに。貫守ぬくもりも変わろうと頑張ってるんだなと感心した。

 店長はといえば、貫守ぬくもりの欠点を聞いてもなお、

「うん、大丈夫」

「まじかよ」

 この店大丈夫なのか? そんな俺の心が阿久津あくつさんに見え透いたのか、

「心配しなくても大丈夫よ、店長はこれでも人を見る目はあるから」

「恐れ入ったか!」

 お世辞にもそうは見えないなー。褒められたくらいでがっはっはっ高笑いしている大人を、そんな風には見れないなー。

「実際のところ、それを克服するためにここに来たんだろう? ならば何も問題はないはずだろう」

「うっ……そうなんです……申し訳ない」

「何を謝っているんだ。俺が彼女を育てたいから雇うんだ。善亜、彼女の育成任されてくれるだろう?」

 善亜? ああ、阿久津あくつさんのことか。店長の頼みに阿久津あくつさんは、

「もちろんです。私に任せてください。と、いうわけで。私になら普通に話せるのよね? 店長がほったらかした部分は私がフォローするから、勤務日とか決めましょうか」

 優しく語りかける阿久津あくつさんに、貫守ぬくもりは少し緊張の和らいだ様子ではいと答えた。ここからは俺の出番はなさそうだな。

「それじゃ、俺は外で待ってるな」

「ええ、わかったわ」

「外でなんて言わずに、店内で待っていていいですよ。あまり汚さなければ大丈夫ですので」

「あっ、なんだかすみません」

「いいえ、どうぞごゆっくりなさいませ、ご主人様」

 阿久津あくつさんは丁寧な所作でゆったりとお辞儀をした、その姿はあまりに優雅で、お、おお……っ! と心の中で感動していた。

 前から気になってはいたけど、メイド喫茶はよいところだな!




「さて、と」

 週明けの学校。帰りのホームルームが終わるなり、俺は席を立ちとある場所へと向かう。いつもなら貫守ぬくもりに呼ばれたりするけど、現状バイトが始まるまではやることがない。貫守ぬくもりにもあなたはしばらく待ってなさい! って言われてるし、しばらく暇になりそうだ。

「果たしてどうなることやら……」

 それはもちろん、懸念事項である安南あんな先輩のことだ。先輩って言っても俺と同学年なんだけども。俺は意を決して裁縫部の部室に向かっていた。

 部室棟の三階一番奥。そこが裁縫部の部室だと貫守ぬくもりが言っていた。中から人の気配は……する。大きく深呼吸。胸に手を当てる。そしてドアに手をかけ、

「お邪魔しまー……」

 中の光景。俺は声を失った。

「な……な……」

 それは中にいた、恐らく着替え中だったであろう下着姿の女の子、折那せつな杜和とわも同じだった。そしてその後ろには、やれやれとため息をつく安南あんな先輩の姿も。時が止まったかのような静寂ののち、杜和とわははっと我に返り、

「なに急に入って来てんのっ!?」

「ほんとごめんっ!」

 顔を真っ赤にした杜和とわから逃げるように、廊下に戻りドアにもたれずるずると座り込んだ。いやそりゃノック必要よね……。俺が悪いよね……。でもなんで杜和とわがいたんだ? そんな疑問を浮かべていると、ガツンとドア越しに蹴られた。

「……入っていいよ」

 ご機嫌斜めな声。俺は小さくなりながら改めて裁縫部へ。さっきは周りを見る余裕がなかったけど、改めて部室内を見渡すとミシンやらマネキンやらが目に映り、本格的にやっているんだと驚いた。

「お邪魔します……。すまん杜和とわ

「本当だよもー……それで、立月たつきは何しに来たの?」

 俺の謝罪に杜和とわはむぅと不満を浮かべつつも、仕方ないなぁといった様子で少しだけ微笑んだ。

「ちょっと安南あんな先輩に用が……」

「先輩?」

 俺の発言に杜和とわは首を傾げた。安南あんな先輩の名前を知らないから、これ以外の呼び方出来ないんですよ……。俺は気にすんなと誤魔化しつつ、

「それより杜和とわこそどうしてここに?」

「衣装合わせだよ。演劇部の衣装、安南あんなが作ってるの!」

 えへへーと嬉しそうに杜和とわは、舞台衣装を着ているマネキンを見せびらかした。お姫様の衣装なのか、上質そうな布に細かな刺繍など、細部までこだわられた素人目に見てもすごい衣装だった。思わず俺はえっ、と声を漏らし、

「こ、これを作ってるの? 本当に?」

「そうですよ。すごいでしょう」

「すごいなんてレベルじゃ……」

 衣装を眺めつつ感嘆の息を漏らしていると、安南あんな先輩は少し優しげに微笑んだ気がした。

安南あんな、いつもありがとーね」

「お安い御用ですよ。それに材料とかは揃えてもらってますし。ただ今回は、とんでもない衣装合わせになってしまいましたけれど」

 俺のほうを見てくすりと笑う安南あんな先輩。いやもとはといえば、あなたがここに招くから……いやノックをしなかった俺のせいですねごめんなさい。俺が改めて頭を下げると、

「もいいって気にしなくて。あたしと立月たつきの仲でしょ」

「いやそれとこれとは別だろ……幼馴染でも俺たちは男女なんだから」

「……そっか。確かに立月たつきの言う通りだね」

 そっかそっかーと繰り返しながら、どこか嬉しそうに口をとがらせる杜和とわ。いったいどうしたのかと思っていると、急にぴょんと方向を変えて、

「それじゃあたしは、部のみんな待たせているしそろそろ行くね。安南あんなありがとう!」

「ええ、またどうぞよろしく」

 笑顔で杜和とわを見送る安南あんな先輩。そしてゆっくりと俺に向き直る。さて、と優し気な目を妖しく歪めて静かに前置き、

「いらっしゃい。それで、何の用ですか?」

「いやいや安南あんな先輩が呼んだんでしょ……」

「あら、私としてはそんなつもり、なかったんですけど」

 くすくすと意地の悪い笑み。なんだろうな……一見害のない女の子に見えるんだけど、まとう雰囲気がどこか恐ろしいような。普段優しい人が怒ると怖い、みたいな感じに近いか?

「というか俺、ちゃんと自己紹介すらしてないんだけど」

「あらあら、そうでしたね。それでは私から。私は天明てんめい安南あんなと申します。立月たつきくんと同じ二年生の、無害な女の子です。以後お見知り置きを」

 怪しげな動作でぺこりと一礼。自分で無害って言ったぞこの人。続いて俺が紹介しようと口を開くと遮るように、

夜嶋やしま立月たつき、またの名を朝倉あさくら陽鞠ひまりさん、ですか?」

「……。天明てんめいはなんでそれ知ってるんだ」

「あらあら、さっきまで安南あんな先輩って呼んでくれたのに……」

「いやだって同学年でしょ俺たち」

「そうですけど……先輩ってつけてもらった方が、立月たつきくんよりも優位に立ってるみたいで嬉しかったんですけどね。これからも安南あんな先輩って呼んでくれませんか?」

 どんな理屈じゃい。俺が反論しようとするとそれを察知したかのように、

陽鞠ひまりさん?」

「なんですか安南あんな先輩?」

 くっ……その事実を知っている人間には逆らえぬ……。うっとりと妖しく笑む安南あんな先輩に悔しく歯噛みしつつ、

「それで一体、何が目的なんだ」

「うーんそうですね……なにしてもらっちゃいましょうか?」

 底の見えないその表情。俺は静かに息をのみ、目を閉じたーー




「お待たせしました陽鞠ひまりさん。さぁ、いきましょうか」

 後日、なぜか俺は、いや私は陽鞠ひまりとして安南あんな先輩とデートしていた。いやどしたのこれ。

「私の顔を見つめてどうしました?」

 当の安南あんな先輩は何か疑問でも? といった様子で俺の顔を覗き込んだ。こうしている分には、普通の可愛い女の子なんだけどな……。

「い、いや別に、なんでもないよ」

「それよりどうですかこの服? 可愛いと思いませんか」

 安南あんな先輩は自分の服を見せびらかすように右、左と体を捩ると長めのスカートもふわりと揺れる。素直に可愛いと思った私は、

「うん、すっごく可愛い。デザイン自体はシンプルなんだけど、裾に付いたフリルが良いアクセントになっていて……」

 思わず熱の入った感想を述べていた。すると安南あんな先輩が、なぜかポカンとした様子で私をぼーっと眺めていることに気づき、

「あの……どうかしました?」

「い、いえなんでもないですよ。ほら、行きましょう?」

 少し焦ったようにはぐらかし、さっさと歩き始めてしまった。急いで私も横に並び、

「行くって言っても、場所を知らないんだけど……」

「私に付いてくれば大丈夫ですよ。決して悪いようにはしませんから、ええ決して……」

 含みのある笑顔に悪寒が走りつつも、頭をふって気を取り直す。が、

「えっ」

 ふにゅん、と柔らかい感触が二の腕を包んだ。一体全体何が起きたのか、その正体を確かめようと右腕を見やると、

「どうかしたんですか?」

 くすくすと楽しそうな笑みを浮かべる安南あんな先輩が、私の腕にぐいぐいと胸を押し付けていた。

「女の子同士なんですから、別に問題有りませんよね?」

 にこにこ笑顔で聞いてきた。くっ……星羅せいらの時は何ともないのに……星羅せいらのほうが大きいのに……。邪な立月たつきの気持ちを全力で抑えつつ、

「っそ、そうだね! 全然普通だね!」

 ほ、本当に一体何を考えているんだ安南あんな先輩は!? 女装しようとも一生この人の気持ちわからんわ!

 思わず自分のアイデンティティを否定するレベルで錯乱。嫌な汗をだらだら流しつつ、腕を引っ張る安南あんな先輩に無心でついて行く。私は女の子私は女の子私は女の子……そんな気持ち悪いことを唱えつつ歩き続けると、

「目的地に着きましたよ」

 穏やかに語りかける声にしっかりと前を向くと、女の子だらけのお洒落なカフェが目の前に。陽鞠ひまりでなければすぐに踵を返していたかもしれない。

「こ、ここでなにを?」

一度陽鞠ひまりさんとゆっくりお話をしたかったんですよ。さ、入りましょう?」

 うわわ入りたくない……だけど私のヒミツを知っている以上、断る選択肢はない。意を決して足を踏み入れた。店員さんに案内されテラス席に座ると、

「さて、やっとゆっくりお話しできますね」

「ついに本題ね……それで、何が目的なの?」

 私が慎重な声音で尋ねると、安南あんな先輩は珍しくむっとした様子で、

「それは私の台詞です。そんな格好までして美礼みれいに近づいて……まさか美礼みれいのことが好きなのですか!?」

「……?」

 私に近づいた理由を話した。けど、何を言ってるんだ? 意味が理解できずに目をぱちくりしていると、

「なにをとぼけた顔を! そんなことをしても私は誤魔化せませんよ!」

「えー……っと何、その、安南あんな先輩は美礼みれいのこと好きなの?」

「当たり前です! 大事な大事な後輩なんですから。さぁ白状してください。私の美礼みれいに何をしようとしているんですか!」

 ばんばん、と取り調べでもするかのように机を叩いて威嚇する安南あんな先輩。底の見えない態度を見続けら私としては、その姿はちょっと可愛かった。

「黙っているということは、やっぱり言えないようなことを企んでいるんですね」

「いやそういうことじゃなくてね」

 やっとこさ意味を理解し始めて、どう説明したものか頭を捻る。まぁ根本的なところからだよね。

美礼みれいが男の人が苦手なのは知ってる?」

「もちろんです。だから私が守ってあげなくちゃならないんですから」

「それじゃあ、それを克服しようとしていることは?」

「えっ……」

 今度は安南あんな先輩が、どゆことといった様子で目をぱちくり。なるほどここからか。

「うーん……当事者じゃない私が詳しく説明するのも……。えっと、要点だけ伝えると、彼女は将来の夢のために治そうとしているの。私と立月たつきはその手伝いをしているだけ」

「そ、そんな……知らなかったです……」

 魂が抜けたように放心する安南あんな先輩。美礼みれいのこと好きみたいだし、知らなかったのが相当ショックだったのかな。

「それで、勘違いしているみたいだから言っておくけど、私がこういう格好をしているのは、美礼みれいと知り合う前からだよ」

「そうだったんですか……。じゃあ、美礼みれいに変なことをするつもりとかは?」

「全然ないよ。どちらかと言えば立月たつきが付き合わされているというかなんというか」

 それを聞いた安南あんな先輩はほっ、と胸をなで下ろし、

「ならよかったです。では、なんでそんなことをしているんですか?」

「それは……女の子のこと、知りたいと思ったから」

「どうして知りたいなんて?」

 そこまで聞かれると思ってなかった私は、少しだけ息を詰まらせた。言うか言うまいか迷ったけど、

「……幼稚園ぐらいのころ、好きな男の子に告白した女の子が、振られたって泣いててね。慰めようとしたんだけど、全部失敗しちゃって……そしたらその子に「君に女の子のあたしの気持ちなんてわからないでしょ!」って怒られちゃって。男だから分からないって言われたのが、すごく寂しかったんだ。それが、一番はじめのきっかけ、かな」

 俺の昔話に安南あんな先輩は、何を言うでもなくただ真剣そうに耳を傾けていた。

「まぁそれから色々あって、中学生ぐらいから始めたの」

「そんな経緯があったんですね……。理解できるといいですね、私たちのこと」

「……安南あんな先輩は、理解出来るわけ無いって言わないんだ」

 てっきりそう否定されると思ってた私は、安南あんな先輩の言葉に驚いていた。安南あんな先輩は考えるようにふむと頷き、

「とても難しいことだと思いますけど、出来るはずです。……と言うよりは、出来ると信じたいだけかもしれませんけどね」

 そう答えてくれた安南あんな先輩は、どこか力なく笑ってみせる。少しだけ、天明てんめい安南あんなという人間が分かった気がした。

「まぁとりあえず私、というか立月たつきはお咎めなしでいいのかな」

 これで恐らく誤解は解けたわけだし、私はもう許されていいはず。っと思ったけど、安南あんな先輩はどこか不服なご様子でため息。

「でも立月たつきくんであろうと陽鞠ひまりさんであろうと、好きなのは女の子ですよね?」

「まぁ恋愛の対象はそうだけど」

「じゃあ美礼みれいを襲わないと決まったわけではない、と」

「襲うって、そんなことするわけないでしょ」

美礼みれいに女の子の魅力がないって言うんですか?」

「何でそんな話に……そうは言ってないって」

「ほら、やっぱりそうなんじゃないですか」

「私はどうすりゃいいのさ……」

「一つだけ、納得してあげてもいい条件があります」

 突然安南あんな先輩の目が妖しく光った。その視線に寒気を覚えつつ振り返ると、

「お待たせしました。ご注文いただきました、ラブラブカップルジュースでーす」

 意気揚々と店員さんが持ってきたのは、一つのカップに二つのストロー(ハート型)。安南あんな先輩のしようとしていることに察しがつき、私はげんなりと肩を落とした。

「これを一緒に飲めたら、お咎めなしにしてあげます」

「……」

「出来ないんですか? 女の子同士なんだから、これくらい恥ずかしくないですよね?」

 こっ、この女……私が男だって知ってるくせに……。ここで引いてたまるか!

「ももちろん。これくらい、余裕、の、はず……」

「よかったです。それでは早くそちら側を咥えてください」

 ええい、ままよ! 意を決してストローをくわえる。が、しかし。いくら待っても安南あんな先輩がくわえる様子がない。

「ふぁの」

「どうしました?」

「早くくわえてくださいよ?」

「あらあらごめんなさい。恥ずかしそうにしている陽鞠ひまりさんが、面白かったのでつい」

 こ、こいつめ……。俺の恨めしい視線に安南あんな先輩は、きゃこわーいといった様子で身を竦めてからゆっくりと、丁寧に、どこか艶めかしくストローをくわえた。その様子を呆然と見ていると、挑発的な視線を向けてくる。この子はどこまでも私をおちょくるな……。

 そしてゆっくりと飲み始める安南あんな先輩に続き、私も飲み始める……なんだこれ!? 滅茶苦茶恥ずいぞ!? 喉を潤し体を内から冷やすはずのジュースは、上昇し続ける体温に勝ることは一向にない。味すらもよくわからない。ふと安南あんな先輩を見ると、

「……? ふふっ」

 と、余裕たっぷりに余裕のない俺を笑って見せた。唐突に無邪気な笑顔、そしてこの状況、俺は耐え切れずストローをはなした。

「あらあら、どうしちゃったんですか?」

 くすくすと意地の悪い笑みを浮かべながら、

「女の子同士なのに恥ずかしがっちゃって、変な人ですね」

「お、おのれ……」

 ふと視線を感じて周りを見ると、他の女性客が熱っぽい視線を私たちに向けていた。さらに通行人の男たちも同じような視線。いや違うんですよこれ。百合じゃないんですよ。現実的には、普通に男女がいちゃついているだけなんですよリア充爆発しろって言う場面なんですよこれ。

 そして視線を前に戻せば、満足そうにつやつやしている安南あんな先輩。

「随分と楽しそうですね……」

「もちろん、とっても楽しいですよ」

 これはまた、随分と厄介な人に目を付けられたようだ。




「それにしてもよく立月たつき陽鞠ひまりが同一人物って気づいたね。いや自分としてはそんなに気づかないものかって思ってたけど」

「私、記憶力はいい方ですから。たまたま美礼みれいと一緒にいたあなたを見かけた時、そして学校であなたを見かけた時、どこかで見たことあるなって思ったんです。でも実際のところ、だいぶ雰囲気違うし気づけない人はいると思いますよ」

「そっか……で、いい加減離れてくれないかな」

 相も変わらず、なぜか安南あんな先輩は私の腕に抱き着いていた。頑張って心まで女装して、なんとか平常心を保つ。そして道行く人々の熱い視線も相変わらずだった。

「どうしてです? 女の子同士なのに」

「いや私のこと知ってるでしょあなた……」

「何のことですか?」

 知らなーいと楽しそうにそっぽを向く安南あんな先輩に、やれやれと肩を落とした。いやでも意外と慣れて……いやダメだ柔らかいすごい女の子すごい。

 立月たつきに戻りそうなのを必至で抑えつつ歩いていると、

「お姉?」

 その私を呼ぶ声に、ぴたりと足を止め安南あんな先輩と振り返ると、

「せ、星羅せいら? どうしてここに」

 なんとも珍しいことに、そこには星羅せいらの姿が。ただその雰囲気はどこか刺々しい。

「それはこっちの台詞だよお姉。というかさぁ……」

「……?」

「その女誰?」

 星羅せいらがゆらりと私から視線を移し、安南あんな先輩を睨みつけていた。なんでこんなに敵意向きだしなの?

「彼女はえっと……立月たつきの知り合いで同学年の天明てんめい安南あんなだよ」

陽鞠ひまりさん、彼女は?」

立月たつきの妹の夜嶋やしま星羅せいら。えっと、立月たつき繋がりで……って、二人とも私の事知ってるんだから、わざわざ複雑な説明する必要ないじゃない。改めて紹介するけど、私と同学年の天明てんめい安南あんな、そしてこっちが私の妹の夜嶋やしま星羅せいら

 私の紹介にに二人はふうんと頷き、お互いそこを探るように視線を交わす。

「……ああ、そういえば美礼みれいとよく一緒にいた子ですね」

「そっか、裁縫部の部長さん……。で、それはそれとして、この女はお姉の秘密知ってるの?」

「まぁ色々ありまして……」

「じゃあ聞くけど、なんでお姉にそんな密着しているわけ?」

「これくらい普通ですよ? 今は女の子同士なんですから」

「いやいや、そんなことしたらお姉がいつ発情してもおかしくないから危ないって」

 私って妹からそんな認識受けていたのか……。

「大丈夫ですよ、陽鞠ひまりさんはそんなことしないですもんね?」

 言いつつさらに身を寄せる安南あんな先輩。いやいやそれ以上はまずいって!

「なに鼻の下伸ばしてんの兄ぃ!」

 その怒声とともにぺちーんと頭をはたかれた。そして星羅せいらはそのままジロリと安南あんな先輩を睨むと、

「あらあら、美礼みれいのお友達にあまり嫌われたくないですし、私はこのあたりで退散させてもらいますね」

 安南あんな先輩はするりと私の腕を離して、ぴょんぴょん二歩離れる。そして実に楽しそうな笑みを浮かべながら、

陽鞠ひまりさん立月たつきくん、今日はとても楽しかったですよ。ありがとうございました。星羅せいらさん、いいお姉さん達を持ちましたね。それでは」

 ご丁寧に私と星羅せいらにそう言い残し、はねるような足取りで去って行ってしまった。

「……そんなの知ってるっての」

 ぽつりと小さな声で、少し照れたように口をとがらせる星羅せいら。私のことをそんな風に思ってくれてたなんて……。

「うぅ…ありがとう」

 と思わず感謝を伝えると、星羅せいらは真っ赤になって私をきっと睨みつけ、

「勝手に独り言聞かないでよ! 兄ぃのバカ!」

 そう怒鳴りつけて、ぷりぷりと歩き出してしまう。慌てて追いかけて、

「ま、待ってよ! 帰るなら私も一緒に」

「ついてこないでよ!」

 いや帰る場所同じなんだからそれは難しいでしょうよ……。




 それから三日後の事。あくびを抑えつつ自分の教室に向かっていると、肩を落としている貫守ぬくもりの姿があった。貫守ぬくもりも俺に気づくと、軽く会釈してくれた。

「どうしたんだ貫守ぬくもり? バイト関係でなにかあったのか?」

「いえ、まだ接客対応の仕方とかを教えてもらっただけよ。ただ一度だけ接客の実践をしたのだけど……」

 暗くなっていく表情を見て、俺はだいたい察した。まぁやっぱりというか。流石に荒療治が過ぎたか。

「一応今日が本デビューの日なのだけど……。あなた、今日お店に来なさい」

「何で上から目線なんだよ……まぁ行かせてもらうけどさ」

「当然よ。最後まで付き合ってくれるって、約束したでしょ」

 そんな風に殊勝な笑みを浮かべる貫守ぬくもりだったが、

「きゃっ」

 不意に後ろから歩いてきた男子生徒がぶつかり、よろけてしまう。とっさに支えようと手を伸ばしたが、

「大丈夫ですか、お嬢さん」

 颯爽と現れたイケメン、いや演技中の杜和とわだった。杜和とわ貫守ぬくもりの手を優しく取って支え、そっとそんなことを囁いた。貫守ぬくもりは少し戸惑いつつ、

「え、ええありがとう……」

「ってあれ、立月たつきだ。おっはよー」

「ああ、おはよう」

 演技を終えた素の声で杜和とわに挨拶を返す。すると俺たちを見ていた貫守ぬくもりが不思議そうにしていた。

「幼馴染の折那せつな杜和とわだ。って演劇部の花形だし、名前くらいは知ってたか?」

「よろしくね! あなたは?」

「わ、わたしは一年の貫守ぬくもり美礼みれいと言います」

「そっかーよろしく! 美礼みれいちゃんって呼んでもいーい?」

「はっはい、それはもちろんかまわないわ。……折那せつな先輩のことは知っていたけど、舞台で見た時と印象が……」

 えっへへーとゆるく笑う杜和とわを、貫守ぬくもりは深く観察するように見つめる。杜和とわと近くで接した人間が、だいたい取る行動なんだよなこれ。

普段杜和とわはこんなんだぞ」

「こんなってなによー。それより立月たつき、あたしのこと惚れさすって約束したのに、なーんもしてくれないじゃん。今日の放課後どっか行こうよ」

 駄々をこねるようにぶーぶー文句を垂れる杜和とわ。いつもなら、はいはいと付き合うところだけど、

「い、いや今日の放課後はすでに予定が……」

「えー、あたしをほったらかしてどこ行くのさぁ」

「……メイド喫茶に」

「えっ……立月たつきってメイドさんとか興味あったんだ」

「いっ色々事情があるんだよ」

「へぇへぇふーん……」

 なんですか杜和とわさん……そんなジロジロ見て何が言いたいんですか。メイドに興味ない男子とか、存在するわけないでしょうよ? と、そこで覆わぬ助け船が。

「あの……それはわたしのためなんです」

「えっ?」

 小さく手を挙げて進言する貫守ぬくもりを、杜和とわは驚いた様子でぱちくり。言われたくないと思っていた貫守ぬくもりが、自分から言い出したことに俺も驚いていた。

「言っちゃっていいのか?」

「こっ、これくらい問題ないわよ。それにあなたの幼馴染なら、悪い人じゃないんでしょ?」

「そ、そりゃそうだけど……」

 言った貫守ぬくもりも少しおっかなびっくりな様子。俺は俺で、自分に向けられている信頼が高いことを知り、心の置き所に困った。まだ少し迷いの表情を浮かべつつも、貫守ぬくもりは事情を話していく。それを聞き終えた杜和とわは、

「そっかぁ大変だね……ねぇねぇ、じゃあ今日の放課後、あたしも行っていーかな」

「えっ……あっ、もちろんかまわないわ」

「ふふっ、これで立月たつきとデートも出来て一石二鳥だね」

 その発言に貫守ぬくもりは頭にハテナを浮かべていた。このままだと変な誤解されそうだし、あとでちゃんと説明しておこう。どう伝えようかと頭をひねっていると、

「話は聞かせてもらったよっ!」

 背後から元気な声。驚き振り返ると、すぐそばに瑞穂の顔が迫っていた。

 まったくもー瑞穂はー、そうやって無防備に男に接近するのよくない癖だぞ☆ もっと自覚をもって……。はっ! 俺は今いったい何を!?

 無邪気な瑞穂の愛らしさに、脳の思考回路がショートしかけた。落ち着け彼女は男なんだぞ……いや待てよ。そういえば別にそれって、ちゃんと確認したことないしもしかしたら……、

立月たつきくん?」

「あっ、ああどうした?」

 いやどうかしてたのは俺だな。心配そうに見つめる瑞穂に大丈夫と伝え、

「それで、急にどうしたんだ?」

「瑞穂も行ってみたいんだってさ、メイド喫茶」

 横から説明を入れてくれるは悠大。貫守ぬくもりはといえば、男の登場にすっと俺の後ろに隠れてしまっていた。

「そうなんだっ。ねぇ貫守ぬくもりさん、よかったらボクたちもいいかな?」

 ぼそっと、俺も入ってるのか……と悠大のぼやきが聞こえた。ただなんだかんだ言いつつも、悠大は大体付き合ってくれるんだよな。

「えっ、と、う、うん、大丈夫ですよ」

 貫守ぬくもり……。目の前にいるのが男なのか女なのか、納得しきれていないような微妙な返しだった。ただ瑞穂に気にする様子もなく、

「やったっ! それじゃあ今日の放課後はみんなでお邪魔しようっ!」

「おー!」

 それに続くは杜和とわの声。なんというか、だいぶ大ごとになってきた気がするぞ。




「準備もあるからわたしは先に行くわね。ちゃんとみんなを連れてきなさいよ?」

 そう仰せつかった俺は先頭を歩きみんなをメイド喫茶へと導く。到着するなり杜和とわは、

「意外と見た目は普通だねー。看板はそれっぽいけど」

 ちらりとドア横の看板を見つつ、俺と同じような感想を言っていた。瑞穂も興味深そうに続いている。

「そういえば俺も営業中に入るのは初めてなんだよな……」

「早く入ろうよっ」

 わくわく瑞穂に後押しされ中に入ると、

「おかえりなさいませご主人様、お嬢様」

 こ、これがメイド喫茶……っ!

 何度言われてもなぜか感動を覚えるなこのセリフ。席に案内され四人で着席。瑞穂と杜和とわは興味津々に目が忙しない。悠大はやはり興味ないのか、退屈そうに頬杖をついていた。

 店内には俺ら意外にも数人の男性客。そして、

「あっ、来たのね。遅かったじゃない」

 とやってきた貫守ぬくもりに目を向けたところで俺は沈黙。ふりふりのレースがあしらわれた、かわいらしいメイド服。とてもよく似合っていた。そんないつもと違う彼女の姿に暫く声を失っていると、

「ちょっと、なんで無視するのよ」

「あっ、ああ、よく似合ってるなって思って」

「とっ当然でしょ」

 そう言いつつも、少し恥ずかしいのかそっぽを向いてしまった。続いて杜和とわたちもほぉー、と感動した様子で、

「うんうん、でも本当によく似合ってるよ美礼みれいちゃん。あたしはこういうの、似合わないからなぁ」

「そんなことないだろ。杜和とわもきっと似合うって」

「あたしにこんな女の子っぽい格好なんて……」

立月たつきくんの言うとおりだよ折那せつなさんっ! ボクが保証するよ」

 ニコッとエンジェルスマイルで保証してくれる瑞穂の姿に、杜和とわは神の導きでも受けたような眼差しで、

「なんでだろう……瑞穂ちゃんに言われるとものすごい説得力」

「おい、俺も保証してるんですけど? と言いたいところだけど、相手が瑞穂じゃしょうがない」

「えっ、ボクってそんなに説得力有るのっ!? 漢らしいからかなっ? ふふっ嬉しいなぁ」

 いやそうじゃないんだ瑞穂……男らしさ故じゃなくて、その可愛さ故なんだ……。

「おかえりなさいませご主人様」

「あっ、えっと……阿久津あくつさん」

 俺たちに声をかけてくれたのはバイトの時にお世話になった、確か貫守ぬくもりの教育を任されていた阿久津あくつさんだった。

「覚えていただいており、光栄にございます。今日はお友達連れなのですね」

 あふれ出るメイドオブメイドなオーラを瑞穂も感じ取ったのか、若干わたわた(可愛い)しながら、

貫守ぬくもりさん、このメイドさんは?」

「ここのメイド喫茶のナンバー1、阿久津あくつさんです。基本的なことを教えてもらっているの」

「ナンバー1……すごそうだもんね……」

「ふふ、お褒めに預かり光栄です。それでミレイ、早速だけど向こうのご主人様のご注文を承りますよ。私も付いているから、とにかくやってみて」

 阿久津あくつさんに呼ばれ方をびくつかせる貫守ぬくもり。さすがに怖かったり緊張しているんだろうな。阿久津あくつさんは重い足取りの貫守ぬくもりを優しくエスコートしつつ、ご主人様のもとへ向かった。

「なぁ立月たつき。今朝の俺に対する様子を見る限り、ダメなんじゃねぇか?」

「いやまぁ俺も正直そう思うけど……とりあえず見守ろう」

 メイド喫茶に来て一人のメイドを見守るという謎の集団。他のお客の迷惑になってないかこれ? 少し遠いけど、耳をすませばぎりぎり声が拾える。

「あ、の、ご……」

「えっ……」

「ご、ごちゅ……も……」

 うわわわ地獄ぞこれ。正直見ているだけでハラハラ、貫守ぬくもり今にも倒れるんじゃないか?

 見かねた阿久津あくつさんがフォローに入ると、貫守ぬくもりはがっかりした様子で俯いてしまった。そしてとぼとぼこちらのテーブルに戻り、

「現状、こんな感じです……」

「さすがに荒療治がすぎたか」

「うーんそうか……悪いな」

「いや悠大のせいじゃない、最終的には俺が勧めたんだし」

「私も少し古典的なジャガイモだと思って、とか進めているのですが、あまり効果もなく……」

 ベテランメイドの阿久津あくつさんでも難しいか……。というか実際にその方法試している人、初めて見たな。すると阿久津あくつさんは、思案するように顎に手をやり、

「つかぬ事を聞くけれど、君たち陽鞠ひまりさんって知らない?」

「えっ?」

 一番大きい声で驚いたのは俺。そして次に杜和とわ、少し肩が浮いたのは悠大。

「ん? ボクは知らないなぁ」

「ミレイがいたく憧れているようなので、彼女に応援してもらえればあるいは、と考えたのですが」

「ねぇ立月たつき陽鞠ひまりさんってあの朝倉あさくら陽鞠ひまりさん、だよね?」

「う、うん、そうだと思うけど……」

 言って、今ここに陽鞠ひまりを連れてくるのか迷った。陽鞠ひまりは一部とはいえ、俺と別の人間と認識している人は増えている。下手にこのタイミングで姿を晒すのは……でも貫守ぬくもりを放っておくなんて……、

「痛っ」

 パシっ、と軽く背中を叩かれた。誰かと見やるとその正体は悠大だった。悠大はそっぽを向いたまま何も言わなかったけど、それは俺を叱咤するものだったのだろう。

「……俺、陽鞠ひまりを探してくる」

 そうだ。最後まで貫守ぬくもりに付き合うって決めたんだから、これぐらいで迷ってなんていられない。

「あっじゃああたしも」

「いや俺の方が陽鞠ひまりのことよく知ってるし」

「それでも二人で探した方が早いでしょ」

 うっ、これ言い始めたら聞かないときの目だ……。探すも何もここにいるんだけど。

「……わかった、それじゃあ杜和とわはこの近くを探して。この辺にいる気がするから」

 あんまり無駄足をさせるのも悪いし、周辺を探してもらって陽鞠ひまりの時に見つかりに行こう。

「わかった! それじゃ、ちょっとだけ待っててね美礼みれいちゃん!」

「あっ……」

 貫守ぬくもりは何か言いかけたような気がしたが、走り出す足は止められなかった。




「ただいま!」

 俺は帰るなり自分の部屋にこもると、颯爽と化粧を始める。その様子に驚いた星羅せいらがとてとて俺の部屋にやってくると、

「兄ぃどうしたの?」

 ドアにもたれかかり、いつもの気だるげな声。俺は化粧の手を止めることなく、

「いやちょっと急用があって」

「今から女装すんの?」

陽鞠ひまりの力が必要で」

「いやいやそんな汗だくで化粧なんて出来ないでしょ、ちょっと待ってて。濡らしたタオル持ってくるから」

「あっ……ありがとう」

 パタパタと降りていく星羅せいらに聞こえたかわからないけど、その足取りは軽やかな気がした。やがて戻ってきた星羅せいらからタオルを受け取り、体を拭いていると星羅せいらがくるりと後ろを向いた。

「別に後ろ向かなくてもいいぞ? 上半身ぐらいなら見られてもなんとも思わないし」

「いやいや、そういうつもりじゃないし。兄ぃがあたしに裸見られると恥ずかしーいとか、アホみたいなことを言う前の対策」

星羅せいら……よく俺のことわかってるな」

「本当に言うつもりだったの? 兄ぃほんとあたしのこと好きすぎ。外では絶対そういうのやめてよね」

「じゃあ星羅せいらは俺のこと嫌いか?」

「嫌い嫌い、シスコンの兄とかあり得ない」

「愛はいつでも一方通行だな……っと、こんなことしてる場合じゃなかったな」

 星羅せいらと話している間に、汗は幾分か引いた。これなら問題ないだろう。

「ありがとう、これ終わったらまた出かけるから」

「あっ、うん……」

 星羅せいらが部屋から出るのを見送り、俺は化粧に戻った。




 汗はかかないように、だけどなるだけ急いで。そしてお店の周辺まで来ると、さっそく杜和とわを発見した。それを確認してから、ゆったりと表通りへ。

「あっ、陽鞠ひまり!」

杜和とわ? こんなところでどうしたの?」

 我ながら演劇やってる人間の前で演技なんて、なかなか肝が座ってるなと嘆息。だが杜和とわに疑う様子はなさそうで、

「ちょっと応援に来て欲しーんだけど、今だいじょぶ?」

「よく分からないけど、私の力が必要なら」

「ありがとっ、こっちこっち」

 先導する杜和とわについていこうと思いきや、

「あっ……」

 まさかの手を握られた。流石に骨格までは変えられないから体に触れられるのは、流石にまずい。とはいえ無理やり振りほどくのも……、

「どうしたの?」

 こちらの足取りが重いことに気づき、立ち止まる杜和とわ。すると手に視線を落とし、

「ああ、もしかして嫌だった?」

 するりと手を解いてしまった。少し悲しげな杜和とわの瞳に罪悪感が募る。

「いやそう言うわけじゃないんだけど……」

「ごめんね、反射的に握っちゃって。でも陽鞠ひまりの手、なんか優しいね」

 そんなことを言う杜和とわに驚き目を見開いていると、付け足すように、

「握ってる間すっごく安心したというかなんというか……あはは、あたしにもよくわっかんないや」

 そして杜和とわはどこか懐かしむように続ける。

立月たつきのこと、知ってるんだよね? なんかさ、あいつと握った時とおんなじ気持ちになるんだ。最後に立月たつきと手を繋いだのいつだったかなー。あっ、立月たつきと一緒にするなって感じだよね」

「……ごめん」

 とっさに出たその言葉は、自分でもどういう意図なのかわからなかった。どうして謝るの? と私の瞳を覗き込む杜和とわから逃れるように、

「さぁ、早く行きましょう?」

「ああうん」

 今度は私から手を繋ぎ、メイド喫茶へと急いだ。

「おまたせ、陽鞠ひまりいたよ」

 メイド喫茶に現れた私を見て美礼みれいはものすごく嬉しそうだった。そんな姿を見せられたらどうリアクションしていいか困るけど。軽く手をあげる小山田くんに対して、

「っ!?」

 灯野くんは弾かれた様に席を立った。小山田くんはその様子に驚いて、

「急にどうした瑞穂?」

「えっ? あ、驚かせちゃってごめん。ああえっと、朝倉あさくら陽鞠ひまりさん……だよね? 僕は灯野瑞穂だよ。よろしくね」

 なんでもないなんでもない、と手を振りつつ笑顔と自己紹介をくれる灯野くんに、私もよろしくねと返した。

 ……いやーついに瑞穂とも知り合ってしまった。というか瑞穂に会った途端、自分の女装が大丈夫か心配になってきたぞ? なんでだろうね?

 っとと、本来の目的を忘れるわけにはいかないね。

「久しぶり美礼みれい立月たつきに聞いてたけど、本当にメイド喫茶で働くことになったんだね」

「おっ、お久しぶりです陽鞠ひまり様。でも、わたし、その……」

 上手くやれてないことが後ろめたいのか、どんどん尻すぼみになる言葉。と、同時に私は焦っていた。ここに来るのに急ぐばかりで、どうするかなんてまるで考えてなかったから。

「……ねぇ美礼みれい立月たつきに聞いたんだけど、男の子を理解できないのが怖いんだよね?」

「そうです……」

「確かに全く理解できないものって怖いけど、美礼みれいは男の子のこと、少しはわかったんじゃないかな?」

「えっ?」

立月たつきと話すようになって、それからみず……灯野くん、小山田くんとも関わった。何も知らない、じゃもうないよね。それでその男の子たちはどうだったかな」

「……」

 ふっと考え込むように俯く美礼みれい。その様子をみんな固唾を飲んで見守る。しばらくすると、

「……お、おっ、小山田、先輩……」

 小山田くんに声をかけた。小山田くんは目だけでその声に応える。そして美礼みれいはすぅと深呼吸をすると、

「あの……一回、練習台に、なってもらっても……」

「……いいぞ」

 まだ接客が出来たわけじゃないのに、その会話だけで歓声が巻き起こった。なぜか他のご主人様方も、一緒に喜ばれていらっしゃる。メイド喫茶すごい。

「それじゃあ小山田くん、悪いけど美礼みれいに付き合ってあげて」

「はぁ……しゃあねぇな」

「あっ、ごめんなさい……」

「ああ別に気にすんな、今のはあいつに対してだ」

 そう言って小山田くんは私を指さすけど、多分陽鞠ひまりじゃなくて立月たつきに対して言ったと思う。

「私達は離れた席で見守っていましょうか。じゃあ阿久津あくつさん、美礼みれいのことお願いしますね」

「えっ? ああ、わかりました。お嬢様の頼みとあらば」

 少し不思議そうな様子で私を眺めた後、ぺこりと頭を下げる阿久津あくつさん。もしかして気づいたのかな……。ただ追及する様子もないし、大丈夫のはず! と自分に言い聞かせながら、私たちは別の席へと移動した。

 小山田くん相手にあたふたしている美礼みれいを眺めていると、

「あっ、そういえば立月たつきどこに行ったんだろう? ちょっと電話してみるね」

「!?」

 待って待って今自分の携帯もとい立月たつきの携帯持ってるんだけど!? 外出する時は基本マナーモードだけど、いざこういう場面になると鳴り出さないか心配……、

「じ、じゃあ私はちょっとお手洗いに……」

 と、席を立ちお手洗いを前にしたところで、

「……しまった」

 今女装してるしどっちのトイレ入ろう? 知り合いが近くにいない時は、普通に男子トイレだけど今回は事情が違う。

 いや幸いみんなの位置からここは見えない。それにそもそも心は男子の私が、女子トイレに入る選択肢などない。様子を伺いつつ、こそこそっと男子トイレに侵入。そして素早く個室へ、携帯確認、すでに着信が来ていた。どうやらちゃんとマナーモードになってたらしい。んっんっと咳ばらいをし、コールを押した。

「もしもし杜和とわ陽鞠ひまり見つかったか?」

「うん、見つかったよ。だから立月たつきも早く戻ってきなよ」

「あ、ああそれはわかったんだけど……えーっと……ちょっと遠くまで来すぎてな。今日中に戻れるかわからない」

「えっ? そんなに遠くまで?」

「ああそうなんだよ。だからとりあえずあとは頼む、よろしく」

「う、うん、気をつけてね」

 ガチャリ。大きくため息。アホみたいな理由だな我ながら……まぁ相手が杜和とわでよかった。面倒は避けるため、携帯の電源は落としておこう。

 そして周りを確認しつつ、男子トイレから出ようとしたところで、

「!?」

 磨りガラス越しに人影。私はとっさに元いた個室へ。何とか事なきを得たけど、心臓がとてつもなくうるさい。とにかく出て行くまで待たねば……。

「はぁ……どうしようかな……」

 不意の独り言。その声は聞き覚えがあった。どうやら灯野くんが入ってきたらしい。そっか、灯野くんは男子トイレを使うんだ……。と思っていると、灯野くんは隣の個室に入った様子。

 かちゃかちゃとベルトを外す音が聞こえ、私はとっさに耳を塞いだ。いや男同士なんで、なにも問題ないはずなんですけどね? でも何でだろうねそうしなきゃいけないと思ったよ?

 しばらくすると、個室が開く振動が。……今の長さ、大きいほうじゃないよね? えっどうして個室に? ということはまだ瑞穂の性別は確定してない? ……いやそれを知ったところでどうするんじゃい。

 頭を振って冷静さを取り戻した私は、息をひそめて待機。しばらくすると扉の閉まる音が聞こえ、出て行ったのを確認しコソコソと外へ。どうやらバレずにミッション達成みたいだ。何食わぬ顔で席へと戻り、杜和とわに確認。

立月たつきはなんだって?」

「なんか遠く行っちゃったらしいよ。今日中には戻れないって」

 そっかーとわざとらしく納得。特に問題はなさそうだね。

 ふと灯野くんの方を見ると、伏し目がちに肩を落としていた。えやだそんな姿も可愛い。さっきの独り言もあり、少し心配になった私は、

「どうかしたの?」

「えっ、あっ、なんでもないよ。ごめんね心配かけちゃって」

 たははと笑って見せる灯野くんだけど、やはりどこか気が抜けているような印象を受けた。まあそもそも、悩んでいたとしても初対面の私には話さないわね普通。

 灯野くんの力になれず、私が肩を落としていると杜和とわは思い出したように、

「にしてもさぁ、立月たつきもドジだよねぇ。そんな遠くに行っちゃうなんて」

 急な立月たつきの話に少し動揺。表情には出さない、平静を装って、

「そ、そうね。こんなに近くにいたのに」

「ほんとね、空回りしちゃって」

 むぅ……言い返したいとこだけど、残念ながら今は陽鞠ひまりだ。我慢……いやでも、

「そ、そーかなー……立月たつきは頑張り屋さんだと思うけどな……」

 うっわ自分で自分褒めるのすごく恥ずかしい! 言うんじゃなかったうわぁ!

「うん、あたしもそう思うよ」

 恥ずかしさに身悶える私に、杜和とわの優しい肯定。思わずピタリと静止してしまった。

立月たつきは本当に頑張り屋さんでね。あたしが、一緒に演技してくれる人がいないーって言ったら、じゃあ俺が付き合うよって言ってくれたんだよね。あの時の立月たつき、超ど下手だったけど」

 当時の俺を思い出しているのか、杜和とわは破顔一笑。私はこそばゆくなって頬を少しかいた。

「それであたしが下手で相手にならないって文句言ったら、じゃあ上手くなるなんて言って、本当に練習して上手くなるんだもん。立月たつきはすっごいよ、本当に」

 俺が直接聞いたことのなかった、杜和とわの想い。褒められたのが嬉しくて、でもこんな形で聞いてしまって申し訳なくて。居心地の悪さを感じて、なんとなく居住まいを正した。

「おい、練習終わったから本番に行くってよ」

 小山田くんの声。そして阿久津あくつさんの後ろからひょっこり美礼みれい。だけどその表情は緊張でいっぱいだった。

美礼みれいなら大丈夫よ。頑張って」

 不安そうな美礼みれいに、両の握りこぶしでガッツポーズして送り出す。そして小山田くんに、

「練習はどんな感じだったんだ?」

「微妙。はっきり言って対応できるかは五分五分」

 返ってきた無難な回答に少しげんなりした。まぁでも、どんな時も最後は本人次第よね。

 接客予定のご主人様は、この異様な空気を察しているのか戦々恐々とした様子だった。美礼みれいの到着を待っていた。

「あ、あの……その、あ、う……」

 小山田くんで練習したとは言えやっぱりまだ、全く知らない男性はダメか……、いや。

 私が諦めてどうする!

朝倉あさくら?」

 不思議そうに呼ぶ小山田くん。だけど私の目を見て何かを感じ取ったのか、ほんの少し表情を崩した。そして私はゆっくりと美礼みれいに近づき、そして、

「っ!? 陽鞠ひまり様……?」

 急に手を握られ驚いたのか、目を白黒させる美礼みれい

「大丈夫。普段の美礼みれいならまだ難しいかもしれないけど、今の自分の格好を見て」

 美礼みれいは私の言う通りに、ゆっくりと視線を落として自分の姿を確認。そして私は続けて、

「今のあなたは何でもこなせるスーパーメイドなんだから、自信をもって。ね?」

 服は、その人を映す鏡のようなものだ。美礼みれいにとってメイドは、何でもできる万能な存在。そのメイドの服を着ているのだから、憧れに少し近づいた今の格好なら、自信を持てるはず。

 私はさらに力を込めて手を優しく握る。杜和とわは手を握って安心したって言っていた。それは幼馴染みだからかもしれないけど、そうじゃなくても安心させられるかもしれない。そんなことを思ったからだった。

「……」

 美礼みれいは目を閉じ、息を吸い、ゆっくりと吐く。そしてご主人様に向き直ると、

「……おかえりなさいませ、ご主人様。ご注文はいかがなさいますか?」

「えっと……『マゾ豚のためのポークソテー、女王様のお仕置きじたて』を一つ」

「はい、かしこまりました。ご用意いたしますのでお待ちください」

 そのやり取りの後、メイド喫茶に沈黙。

 美礼みれいは驚いたように振り向きそして、笑顔。

 それから彼女に惜しみない歓声が贈られた。




「おめでとう美礼みれい

「いえ、陽鞠ひまり様のおかげですし……」

 恥ずかしそうに身をよじりつつ、謙遜する美礼みれいにみんなからも、

「でも本当にすごかったよ貫守ぬくもりさんっ! ボクちょっと感動しちゃった」

 自分のことのようにはしゃぐ灯野くんを微笑ましく見つめていると、

「……あいつにも一応伝えてやらないとね」

 ふとそんなことを呟く美礼みれい。あいつって立月たつきのことかしら。実際のところもう伝わってるんだけどね。ちゃんと知らないふりしないと。

 というか先輩捕まえてあいつて……まぁいいか。杜和とわはぐっと背伸びをすると、

「それじゃ、あたし達はそろそろお暇しよっか」

「そうね。あんまり長居しても、お店に迷惑だし」

「あら、そんなことありませんよ? 私達メイド一同としては、皆様方にごゆっくり過ごして頂けることが、至上の喜びですから」

「お気持ちは嬉しいけど、どのみちいいお時間ですから」

「そうですか。では是非ともまたいらして下さい」

 阿久津あくつさんは相も変わらず丁寧な所作で一礼。こういった姿を見ていると、本物のメイドをやっていたんじゃないかとすら思う。

「うんうん、また来るね貫守ぬくもりさんっ!」

「今日限りの克服にならないように、これからも頑張ってね」

「みんな……本当に今日はありがとうございました!」

 頭を下げる美礼みれいにみんなで手を振り、店を後にする。そして並んで歩き……って違う! 今自分は陽鞠ひまりでしょうが! このまま立月たつき家にかえってどうする! しかも家となりの杜和とわも居るんだから! とにかくここで別れて、時間見て帰るしかない。

「あっ、ごめんなさい。私別の用事があるからこの辺で」

「そっか。無理矢理つれてきちゃってごめんねー」

「気にしないで。美礼みれいの力になれて嬉しかったし。じゃあみんなまたね」

 またな、またねと別れて角を曲がる。さて、適当に歩いて時間つぶしますか……、

「あの!」

 急に声をかけられ、取り出しかけた携帯をしまう。そしてゆっくり振り返ると、

「灯野……くん?」

 息を切らせた灯野くんが立っていた。どうしたのかと私が戸惑っていると、

「あの……言い忘れたことがあって……ううん、言えなかっただけなんだけど……聞いて、くれる?」

「も、もちろん……」

 一体何を……と困惑する私だったが、灯野くんのその言葉は度肝を抜いた。

「好き……です。朝倉あさくらさんに一目惚れしちゃって……あなたのことが好きなんです! よかったらボクと付き合ってくださいっ!」

「…………えっ」

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