好一対ー肆 団欒
「ウワーッ!?」
環奈が叫んだ。
その目を大きく見開いて、八郎と柊介が連れてきた男を凝視する。
六尺越えの大男。穏やかな笑顔にすこしくたびれたスーツ──。
そう、刑部浩太郎の帰還である。
──。
────。
浩太郎の帰還は、環奈にとってあまりにも予想外のことだったらしい。浩太郎が「環奈」と声をかけるまで、しばらくその場に固まってうごかなかった。
「は、は、はっちゃんパパだ……?」
「うん。環奈、また一段とかわいくなったな。もうどこぞのモデルさんよりもかわええんちゃうか?」
「ウギャアッ。はっちゃんパパおかえりッ、おかえり!」
「わははは、元気そうや。よかったよかった──せやのうて環奈。もうはっちゃんパパちゃうやんか、はっちゃん抜いたただのパパって呼んでみ?」
「えっ。あ、え──ぱ、ぱぱ?」
「わぁーーかわええ。新たな扉開きそうや、パパ活流行るんも分かる気ィする」
「おとん……」
実の息子はドン引きである。
しかしその騒々しい声に誘われて台所からやってきたゆきは、浩太郎を見ても嬉しそうに微笑みこそすれ、さして驚きはしなかった。
「あらまあお父さんおかえんなさい。お疲れでしょう、あんたたちも玄関でまとわりつかんと、はよ中にいれたげなさい」
「あれ、おかん知ってたん?」
おとんが帰ってくるの、と続けた八郎の顔は浮かない。思ったとおりのリアクションではなく不服そうだ。
「だってアンタ、昨日お父さんのお布団干してたやないの。普段なら自分のすらせえへんのに、あれ~? と思うたんよ。せやからお父さんに電話して聞いたら帰るよって」
「えっ?」
「ごめん、サプライズて知らんかったもんで言うてもた──」
「ええー!」
と悔しがる八郎に、柊介は「でももうお前の行動でバレてたやん」と逆フォローをいれる。
ゆきはくすくすと肩を揺らした。
「でもホンマによかった。おかえりお父さん」
「ああ、ただいま」
ゆきと浩太郎は視線を絡めて意味深に微笑みあう。そして浩太郎が玄関框に足をかけたとき、居間から文次郎がロケットのごとく駆けてきて、浩太郎の胸のなかに飛び込んだ。
こうして、およそ一年半ぶりの団らんが実現したのである。
※
寺内の応接間にて、浜崎と僧侶が顔をつき合わせて史料を確認するなか、うしろのソファ席ではすっかり打ちとけた業平と廿楽が、肩を並べて座っている。
「小町とはいつからの友だちなんだ?」
「家が──近所だったもので。むかしから」
「へえ」
廿楽は鼻をすすった。
無論だが、業平はすでに高村によってすべての返事を調教されている。まったく、これほどポーカーフェイスが様になる男もそうはいない。
「そちらは」
「うーん? 岩手のフィールドワークだな。つい最近だ」
「岩手というと、かつての陸奥か」
「……アイツといいお前といい、いちいち物言いが古いよ」
「はは。歴史好きとは総じてそのようなもんさ」
もっともらしい答えをいうもんだ。
ふうん、と鼻で返事をした廿楽は、なおもポーカーフェイスをつらぬく業平の横顔をながめてふっとわらった。
「なんだ。小町にはそばにいてくれるヤツがちゃんといるんじゃないか」
「──というと?」
「ははは。初めて会ったそのフィールドワークで、小町が泣いたんだ。自分の最期にだれひとりそばにいないことがこわいってさ」
「…………」
「だからいちおう励ましたんだけど、でも今日、お前を見ててちょっと安心したんだ」
「へえ、小町が」
あの女が男の前で涙を見せたか。と、業平はとけるようにわらう。
──小町の葛藤。
業平はなんとなくわかるような気がしている。
なぜなら自分もまた、思い返せば最期はじつに寄る辺ない人生を送ったからだ。むかしから彼女と自分はどこか生き方が似ているところがあった。
歌人として出会い、ともに語らえる仲となったのも、お互いが近しいものを感じていたからかもしれない。だからこそ彼女の悩みも理解できるし、その悩みを解決できるのが自分ではないこともわかっている。
業平はクスクスと肩を揺らした。
「安心しているところすまないが、私は彼女の最期に付き合う気はないよ」
「つめたいヤツだな!」
「冷たいものかい」
と鼻でわらう。
今わの際に自分のような男がそばにいることこそ、きっと彼女がいちばん嫌うことだ。彼女はむかしからそういう女だった。
「私と小町は似てるんだ。だからだれよりも彼女の気持ちがわかるし、彼女が求めているものがまず私じゃないことも、わかる。それだけさ」
「……ふうん?」
廿楽は首をかしげたが、業平は「気にするな」と笑い飛ばした。
ふたりの会話はこれでおわった。
浜崎が廿楽に「お前も史料研究というものを知れ」と口やかましく言ってきたからだ。そしてどこにいたのか、まもなく応接室に入ってきた高村が、これ以上ここにいると邪魔になる──と、小町と業平を連れて先に寺を辞したためでもある。
どうやら高村が知りたかったことは、あの『お供え淵』にいた時点でおおむね知ることができたようだった。
帰りはただひたすら歩いて、廃屋の近所までやってきたころにはすっかり西陽も山のうしろへ。時刻はまもなく午後六時を迎えようとしていた。
「ちょっと業平さま。さきほどは廿楽さまといったいなんのお話をされていたの? ずいぶんと楽しそうだったけれど」
「なに、たいした話じゃないよ。すこし君の話をしただけ」
「それはたいした話だわ! 廿楽さまはなんて?」
「……男の秘密。それよりタカムラどの、知りたいことについてはわかりましたか」
業平はわざとらしく高村に顔を向ける。
くやしい、と地団駄をふむ小町を横目に、高村は手を顎にあてて沈思した。
「…………そうだな。すこし夢路で整理」
せねば、と言いかけた高村のうしろから、
「センセェ」
と声がした。
薄藍色の空をバックに駆けてくるのは、刑部八郎であった。
そのうしろには文次郎のリードを持つ柊介や環奈、ゆき、そのとなりには見慣れぬ大きな優男──。
「よう八郎、家族総出で文次郎の散歩か」
「ハイっす! あ、先生。あれうちのおとん。きょうドイツから帰ってきてん!」
「お。これはこれは」
高村は腰低く、八郎の父に顔を向けた。
六尺二寸もある高村に負けず劣らずの彼は、「八郎の父です」とていねいに頭を下げる。
「おうわさはかねがね」
「こちらこそ。いつも八郎がお世話になっているとかで、妻からよう聞いてます。なんやうちの妻の飲み友達になったとか──アレ、うわばみでしょ。大丈夫です?」
「ははははッ、いやいや我々がもっぱら居酒屋みたいに通ってもうて……いつもご主人が話に出るんですよ。まったく毎度のつまみはおたくの惚気ですわ」
と笑いとばすや、浩太郎は耳元を真っ赤に染めて「お恥ずかしい」とつぶやく。
その様子を、小町は眩しそうに瞳を細めて、しずかに見つめていた。
──。
────。
『きみがため 春の野に出でて わかな摘む
わが衣手に ゆきはふりつつ』
その日の夜。
八郎の夢に出た言霊だ。
夢のなか、八郎と柊介がゆきと環奈に向けてプレゼントを贈っている。
そういえば明日は環奈の養子入りを祝すパーティをひらくと聞いていた。どうやら八郎は楽しみが先走りったせいか、一足先に夢のなかでそのパーティをひらいているらしい。
その微笑ましい光景に篁はひとり、頬を弛ませずにはいられない。
大切な人を想って摘む若菜のように、えらんだプレゼントにも想いは宿る。
『これからも元気でいてね』
その人のこれからを願う。
これは、そんなうた。
※ ※ ※
──あなたにあげる若菜を摘みに
春の野に出たら、
まだ寒いのか私の袖に
雪が降りかかってきているよ。──
第十五番 光孝天皇
仁和帝が親王であったころ。
ある人の長寿を願い、
贈る若菜に添えて詠める。
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