好一対ー参 お供え淵
高円山のふもとにある白毫寺町。
平安時代末期、天候不順等による農作物の不作が原因で飢饉が発生し、全国的に大ダメージを受けるなか、この町もまた甚大な被害を被った歴史があるという。
「晴れて良かったァ」
浜崎がぐっと伸びをする。
ええほんとに、といったのはつられて天を仰ぐ高村だ。
浜崎辰也がこのあたりの郷土史を調査する──と聞き、高村がおのれの娘、小町とその友人である業平とともに野次馬についてきた、というのが現状の説明である。
浜崎と合流して車に乗り合わせる際、小町はあわてて高村の袖を引いた。
「おもうさまおひとりで来たら良かったではありませんか。……あ、いえ。わたくしはともかくとしても、業平様は和本に戻っていただくべき、では……」
と語尾がしぼんでゆく小町の頬が染まった。
そのとなりにいるのは、すれちがう女性にしこたま笑顔を振りまく顔のよい色男──業平と、浜崎、そして……。
「あれェ。ずいぶんと大所帯なんだな今日は」
浜崎の研究についてきた廿楽匠、その人がいたのである。
「すみませんね浜崎先生。こっちの青年は業平くんといって、別の大学でここいらの郷土史を調べている私の知り合いなもんですから。ぜひ先生の見解を聞きなさいといって連れてきてもうたんですわ」
と、高村は嘘八百を連ねてわらう。
そうと気付かぬ浜崎はうれしそうにカメラを鞄から取り出した。
「なに、おなじ穴の貉っちゅうのは研究者としては非常に心強いもんですから。こちらこそ、この廿楽っちゅうのがまたとんでもなく阿呆で、卒論材料収集の一環として連れてきてしまいましたよ」
「お互い世話焼きですなァ」
「いやホンマに」
わっはっは。
と高らかに笑い合うふたりを見て、小町は細々とため息をつく。
いったい父はなにを考えているのだろう──自分はともかくとしても、業平をここに連れてくる必要はまったくないだろうに。
と、小町が悶々とかんがえる一方、業平は『式』化の際に着用した洋服に興味津々のようすである。
「うーん、洋の着物はなんと動き心地のよいことか。雅な風情は足りないがこれはこれでわるくないな」
「業平様ッ。あんまりおかしなそぶりをお見せになさいますな!」
「おかしなそぶりとはなんでしょう。心配せずとも、あなたの慎ましやかなふくらみにはもう手は出しませんよ」
「そ、ッ」
「それよりもしやあの男なのかな。小町のいう獣の君というのは──」
「あわわわ……業平さまっ」
小町がふりかざす拳をひらりと避けて、業平はじっと廿楽を見る。
そしてそそくさと近付いてニッと口角をあげた。
「お初にお目にかかります、業平と申します。小町の友人で」
「ああ。初めて見る顔だとおもった! 廿楽匠です、どうぞよろしく」
というと廿楽はがっしりと業平の手をつかみ、ぶんぶんと大きく振った。どうやら親愛の握手をしているつもりらしいが──業平は握られた手が痛いらしく「いたたた」と声をあげた。
さて。
一行がたどり着いたのは、白毫寺町のなかにある一社の寺院。
見上げた小町がふと首をかしげた。
「あら──ここ見覚えがあるわ」
「半年前に来たきりやからな。ここには」
と高村がほくそ笑む。
半年前?
半年前というと──小町がアッと声をあげた。
「環奈たちがおこなった一泊参禅のお寺ですのね!」
「わははは。なつかしいなあ、俺も二年次のころはここで一泊参禅やったんだよなあ。な、浜たつ!」
「せやな。ホンマに迷惑三昧でとくにお前を何度ぶっ殺したろうと思うたことか」
「あのうわさの女はどうなったんだ?」
「ああ、だれかをさがす女って噂のな。お前らが夜通し畳ひっくり返して探し回ったっちゅうあの──な」
恨みのこもった目を向ける。──よほど生徒の苦い尻ぬぐいをさせられたことだろう。しかし廿楽はおかまいなしにがははとわらった。
「そんなことしたっけ!」
「ああ腹が立つ……」
「うわさは解決したって聞きましたで」
環奈から、と高村がほくそ笑む。
あの日。
恋人をさがす女のため、恋人の霊を探して引き合わせたのちふたりを冥土に送ったことを小町も思い出す。業平が「なんの話?」と聞いてきたため、かいつまんで説明をした。
自身の異母兄、在原行平の和歌『たち別れ~』が決め手になったと聞けば、
「へーえ。兄上の和歌が時を経ておまじない扱いをされているとはねえ」
と業平はすこしうれしそうにうなった。
一方で、廿楽に拳骨をひとつ浴びせた浜崎も「そうそう」と高村を見て頬をゆるめた。
「ふしぎな話なんですがね──翌朝になったらもう気配がない、なんて坊さんがいわはるんです。僕はそういうのまったく気にしないタイプなんですが、まあ坊さんいわく捜し人が見つかってようやく成仏したんちゃうかって。まあそういうこともあるもんか、とは思いましたが」
「なるほどね」
「そういや坊さんが言うてましたが……むかし、このあたりは飢饉が多かったみたいスねえ」
「飢饉」
「ええ。昔いうんがどのていど昔なのかはわからへんけど」
「そうですか」
飢饉、といって高村はむっつりと押し黙る。
「たしか境内に石碑があります。見てみましょうか」
という浜崎のことばをきっかけに、一行はようやく寺院の境内に足を踏み入れるのであった。
※
石碑は境内の隅にひっそりと置かれていた。
とくに立て看板があるわけでもなく、注意しなければ見逃してしまうほど粗末なものだった。
「字が書いてある。……かん、ぎ?」
「廿楽くん、よう読めたね。そうか寛喜の飢饉か。たしかにありゃ相当ひどかったそうだな」
高村がぼそりとつぶやく。
寛喜というと、と小町が業平に顔を寄せた。
「一二三〇年ごろのことですね」
「なるほど、ふしぎなこともあるものです。私はその時代にはすでにいなかったというに、なぜかそのことを知っている」
「人は死するとそうなる、とおもうさまが以前おっしゃっていました。きっとそういうものなのですわ」
「なるほどねえ」
浜崎はすでにこの寺の僧侶とアポイントをとっているという。その話のとおり、まもなくひとりの僧が駆けてきて「いきましょう」とある場所へ案内した。
寺から抜けてすこし山深くなったところ。
道のわきにぽつりと白塗りの地蔵が一体建てられたそこは、鬱蒼と茂る木々によって人を寄せ付けぬ雰囲気があった。
「ここは別名『お供え淵』。かつて上流からくる川の淵やったと言われています。もう、大昔のことでいまは埋め立てられてもうてんですが」
僧侶が身を屈めて地蔵の前に一本、線香を立てる。
「ここには山神様がおわすとして、飢饉が起こると娘を人身御供として淵に沈めたそうです。寛喜の大飢饉まではその風習が残っていたようで──」
「文献はなにか残るものが?」
「いやほとんどが伝聞ですよ。寛喜の飢饉についてはうちの寺にもすこし残っておりますので、のちほどお見せします」
「いつも助かります」
浜崎が腰を折る。
そのうしろで、業平がすうと深く息を吸い込んだ。ぐっと鼻頭をゆがめて指でつまむ。
「獣くさい──」
「なぁに?」
「いや、……ここはあまりうつくしくないね。私は好きじゃないな」
「そう?」
小町にはわからない。
そのとなりで、廿楽がぐっと地蔵を覗いた。
「この地蔵はなんで白塗りなんだ?」
「ああ、それは『白地蔵』といって──かつてここで最後のお供えとなった娘を象ったお地蔵さんなんやそうです。この娘さんの代で人身御供の風習が終わったいうて、どうも当時の村人たちが神様扱いしたみたいなんですな。そんなもんで、昔からこの塗料が剥げてくると塗り直すってことをうちの寺の者たちが代々やっているんですよ」
「それもまた興味深いですねえ! 塗り直す理由なんてのも、史料があるとありがたいんですが」
と浜崎も地蔵の前に腰を下ろす。
つられて覗きこんだ小町が、あら、と口角をあげた。
「犬の首飾りなんてしてる──このお地蔵さま」
「それはいつの頃からか、だれかが作ってかけてくれはったんですよ」
「なぜ?」
と、業平。
「はぁ、これは伝聞というよりは伝説めいた話ですが──その白い娘さんがお供えのため淵に身を投げようとしたとき、黒い獣があらわれて祭祀の者たちを食ってしもたんです。娘はそこで助かったんですが……その後、残った村人がまた別の娘をお供えしようとしたために、結局助かった白い娘がみずから身を投げた。その後に」
「疫病が蔓延した──」
唐突に高村がつぶやいた。
なぜそれを、という顔で僧侶はうなずく。
「なぜか娘が身投げした直後から村人は疫病に襲われて、きっとあの獣の祟りだァ──なんていう話でね。お供えを用意したらきっとまたあの獣があらわれて、また、村に疫病を運ぶやろうからもう止めようって」
「それで、その風習が無くなったから白い娘たちは神様になったのか──そもそもなんで白い娘なんです。なにが白かったんだ?」
「伝説によれば、その娘は髪も肌もすべてが真っ白で。色がつくは真っ赤な瞳だけ……とか。いまでいうアルビノの娘だったのかもしれませんね」
と僧侶が腰をあげた。
どこからか聞こえる、サラサラという小川の音が心地よい。小町は眉を下げた。
「なんてこと──」
「それがいまだに残ってるねんから、すごい話やで」
浜崎も喉奥でうなる。
白い娘と黒い獣──。
小町は不安げに高村を見上げた。
「おもうさま……」
「やっぱり白い娘は木屑の式やのうて、ふつうの娘として生きとったか」
つぶやいた高村のうしろ。
「ではそろそろ」
史料を探してみます。
と僧侶は微笑し、一行を連れてお供え淵に背を向けると、ふたたびゆっくりと山を下りた。
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