枷の娘ー玖 トンネルの外
奈良公園にふたつの影──柊介と環奈である。
病院を去ったのち、ふたりは一言もことばを交わさぬままにここ奈良公園まで戻ってきた。柊介としてはなんと声をかけたらよいかわからなかったし、環奈は環奈で昂ぶる気持ちを抑えるのに必死で会話を楽しむ余裕などなかった。
公園につくころには午後四時をまわり、柊介の携帯にはゆきや八郎からの着信が残っていた。
ベンチに座るでもなく立ち尽くす環奈の瞳からぽろりと涙がこぼれる。
「よう、言うたな」
柊介が頭を撫でた。
涙を止めるつもりで撫でたのだけれど、それは逆効果になったのかさらにボロボロと泣き出してしまう。
「えゥ、うぐ、ひっ、うううー……」
「向こうにどういう心境の変化があったんか知らんけど、まあ──和解できたっちゅうことか」
「……わかい。和解……うん、んだからもう一生会わないようにするの」
「あ?」
きのうね、と環奈はしゃくりあげながらつぶやいた。
「はっちゃんママと、はっちゃんと……はっちゃんパパの四人で話したの」
「話した?」
「……はっちゃんママとパパが、かんなのこと養子にするって」
「…………」
「かんなが前から決めてたの」
というや、ふたたび堰を切ったように涙がこぼれ落ちる。柊介はあわてて彼女の腕を引いてベンチに座らせた。そのとなりに腰かけて慰めるために背中をさする。
「でもおまえ──前に断ったんやろ?」
「いまじゃなきゃダメだったの。もう成人、はっちゃんママたちにあんまし迷惑かけないくらいの歳になったし……なにより、おかーさんに、好きになってもらってからって決めてたの」
「…………ああ」
そういえばゆきの回想のなかで、そう言っていたと聞いた気がする。
本当にそういう意味だったとは予想外だが。
「かんな、ホントにホントに──はっちゃん家族にはお世話になったから。これから一生かけて親孝行するのなら、ぜったいぜったい、刑部本家のみんなじゃなきゃイヤだから」
「うん、わかるよ」
「だから昨日お願いしたの。今日、もしあっちのおかーさんと和解できたら──養子にしてくださいって。はっちゃんはおどろいてたけど、はっちゃんママも、電話越しのはっちゃんパパもすっごくよろこんでくれた」
「良かったやんか」
「ウン。……」
環奈はようやく泣き止んで、柊介を見上げた。
うるむ瞳がひどく扇情的に映る。柊介はふいと目をそらしたが、環奈は柊介の胸に身体ごと突っ込んで大胆に抱きついてきた。
「うぁッ」
「シュウくん」
「なんやねん!」
「ホントのホントに、ありがとう」
「…………」
「むかしからそうだけど、シュウくんがいてくれてホントによかった」
むかし?
なんのことだ──と柊介は環奈をひっぺがして勢いよく立ち上がる。これ以上は照れくさくて聞けたものではない。
「別に俺なんもしてへん。つかはよ帰ろうや、さっきからゆきさんもハチも電話がうるさいねん」
「シュウくんすき」
「はいはい──」
「だいすきヨ」
「わかったって!」
こいつのだいすき、ほど信用ならぬものはない。
柊介はうんざりした顔で八郎に電話をかける。そのうしろで環奈が「なんでー」と不服そうにむくれているが気にしない。
なにはともあれ、一件落着ということだ。
ふたりは西陽が山に落ちはじめるころ、ようやく刑部家へと帰路をゆくのだった。
──。
────。
その夜。
篁はひとり、夢路にて物を思う。
あれはいったい何年前だっただろう──。
『どうした、なぜ泣いてる?』
あの日。
篁が夢で出逢った齢七つのおんなのこ。
『……おかーさん、おかーさん』
うずくまって泣いているその娘はずっと母親を呼んでいた。
『私にお話ししてごらん。さあ、いい子だ』
『おいちゃん、だぁれ』
『私か。私はね──』
なつかしい記憶に瞳を細めた。
あの娘の想いがいま、ようやく報われたということだろうか。
『むっちゃんあのね、おかーさんね……』
よくがんばったなあ、と。
篁はひとり、おのれの袖で顔をぬぐった。
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