好一対

好一対ー壱 旧友

『奥山に 紅葉ふみわけ なく鹿の

      声きくときぞ 秋はかなしき』


 という和歌を夢路で聞いた。

 いったいだれが呼んだのだ──と篁が辺りを見回すと、いつの間にか小町がそばにいる。

 どうやら彼女の想いに共感した言霊が寄ってきたようだ。

「めずらしいな。お前が物思いにふけるとは」

「人聞きのわるいことをおっしゃらないで。小町だって鬱々とすることくらいございましてよ」

 へえ、と返答した篁の顔はにやにやとほころんでいる。

 小町はムッとした。

「もうすっかり秋になってしまったわ、と思っただけですッ」

「そうさなあ。高校のグラウンドもすっかり紅葉が映えて──」

「言霊蒐集はあとどのくらい? 冬までかかりますか」

「どうかな」

 といった篁は内心で(なるほど)と納得した。

 小町はあとどれほどの期間で蒐集が終わるかが気になっているらしい。

「そう心配せずとも。言霊蒐集がおわってもまだ玄影を探さねばならん」

「あっ。そ、そうですわね。まだもうすこしありますよね」

「それにまだお前の友人がひとり戻ってないのだ。ちょうど秋のうたなのだし、お前すこし心を寄せて言霊を呼び寄せろ」

「え、友人──?」

 訝しそうに小町が眉をひそめる。

 だれかいたっけ、とでも言いたげである。

「かわいそうに。まあいい、そんなことより近ごろ気になっていたことがあってな、比古姫や」

「え」

 めずらしく名を呼ばれた小町の顔は引きつった。

 この男が自分を親しく名前で呼ぶときは、決まって父親の顔をするときなのだ。

「おまえあの廿楽とかいう男──」

「あっ、あー。わかりましたわ友人ってだれのことか。ああ、ええ。そうですね、散り落ちる紅葉でも観て楽しんでまいりましょう。ではおもうさま、これにて」

「…………」

 そして小町はそそくさと夢路から消えた。

 まったく、都合のわるい話になるとすぐこれだ──篁はふう、とため息をひとつついて、後を追うように夢路から抜け出した。


 ※ ※ ※

 ──人里離れた奥深い山。

   散り敷かれた紅葉を踏み分けながら

   鳴く鹿の声を聞くときこそ、

   秋がかなしいものと感じられるよ。──


 第五番 猿丸大夫

  題知らず。

  とある秋、是貞親王の邸にて

  ひらかれた歌合にて詠める。


 小町は、ひとり言霊の状態で生駒のほうまで飛んできた。

 友を呼び寄せるには和歌の背景と近しい方がよいに決まっている。

「…………」


 目的地は『竜田川』。

 思ったとおり川一面にすっかり紅葉が散り敷かれ、うつくしい唐紅の絨毯ができあがっている。小町はうっとりと川面に見とれた。

 この時代に来てからというもの、自然以外にも娯楽が山のようにあるため、こうして自然のうつくしさを純粋にたのしむ時間が減っていた。歌人としてよくないわ──と内心でおのれを戒める。

 同時に父が言いかけたことばを思い出した。

 ──あの廿楽とかいう男。

 ああっ、と小町は袖で顔を隠す。無論だがいま小町はだれの目にも留まらない状態である。

「こまったわ……」

 つぶやいた。

 親しみ深い貴族男性とはおよそ遠くかけ離れた野蛮人のような男に、小町はすこし前から心をうばわれている。

「うわすごーい」

「きれいだね」

(…………)

 周囲には竜田川の水面に敷かれた紅葉絨毯に、見とれるカップルのなんと多いこと。

 その情景に自分と廿楽を重ねてみる。

 ────不毛だ。

 あの男がこの情景に何かを感じることに期待してはいけない。

 そもそもが言霊と生者などと立場からして不毛であるこの恋が、困ったことにたのしくて仕方がないと感じている自分がいる──。自分でいうのもなんだが、まったく救いようのない阿呆である。

「こまったわ」

 ふたたびつぶやいた。

「なにがどう困ったのです?」

 と。

 突如として声が湧き、小町は胸元をまさぐられる感覚を覚えた。

 ハッと身を引くとそこにひとりの平安貴族──。


「なっ、な、」

 業平様!


 という小町のさけび声と、バチン、という強烈な打音が響いたのはほぼ同時。

 小町はぎゅうと瞳をとじる。

 つぎに目をあけると、そこに広がる景色は竜田川ではなく、夢路であった。


 ──。

 ────。

『ちはやふる 神代もきかず 竜田川

        からくれなゐに 水くくるとは』


 業平、と呼ばれた男は、思い出したように和歌をひとつ詠んだ。

 竜田川へ散り落ちた紅葉を見事に表現したうたではあるが、詠み人である彼の頬にも、負けじと真っ赤な紅葉が咲いてしまっている。

 小町は呆れた顔でおのれの胸元を羽織で隠した。

「まったくあなたって人はッ。都一の貴公子があいもかわらずとんだ痴れ者ですわね!」

「そうカッカせずとも小町。すっかりなつかしい顔を見たものだから、胸がいっぱいになったので熱い抱擁を交わそうとしただけなのに」

「なにが熱い抱擁ですか。まったく千年以上も経っていたってなにひとつ成長しちゃいないんですから」

「当たり前だろう。私たちはもう死んでいるんだから」

「そ、そうですけれど──それより業平様、なにゆえ先ほどは夢路ではない場所に現れたのです。ふつう言霊が想いに惹かれると夢路にあらわれるものだとおもうさまから聞いておりましたのに」

 と小町が小首をかしげる。しかし業平もまたつられて首をかしげた。

 そんなこと私に聞かれても、というようすを見るかぎり彼はなにゆえここにいるのか、そもそも自分がどのように現れたのかすらもよく分かっていなかった。

 ただ、和歌の想いを感じた瞬間なにかに引っ張られるように意識が浮上し、気が付けば目の前に旧友である小町がいたのだ──と。

「なるほど言霊、ねえ。まあそれを言うならば君も私も夢のような存在なのだから、現れるところが夢路でなくともそう不思議じゃあないってことでしょう」

「……あなたって昔からそういうところ適当に流すのよね」

「かしこく生きていたのだよ」

 業平はにっこりと微笑んだ。


 小野小町と在原業平。

 ふたりは平安初期の時代における美男美女の代表歌人であったといわれている。

 和歌によって交流を深めていたふたりは、上記のような肩書きも、互いに多くの異性と浮名を流してきたという恋愛遍歴もどこか似通うところがあった。

 そのわりに互いを異性として本気で見ることはなく、たわむれ程度の恋歌を贈り合うという、まさしく性差を越えた友人だったと言える。

 ──すくなくとも小町は、彼に対してはそのような認識である。


「それで、いったいなにが困ったのかな」

 と興味のある話にいつまでも食らいついてくるのも、彼の生前からのクセであった。

 教えてなるものか、と一度は意地を張った小町だが、生前当時の顔見知りで父以外の人物と会うのははじめての小町にとって、胸の奥がうずうずとはりきるのを感じている。

 いえね、と小町はあきらめたように肩をすくめ、頬を染めた。

「──この小町、いい歳をしてまた恋をしてしまったようで」

「いい歳ってあなたは何歳設定なんです?」

「い、一応わたくしの和歌は盛りをすぎた者の哀惜をうたう歌なのですよ。ですからきっとそのくらいなのですわ」

「そうかなあ。私からすれば見た目は若かりし十代にも見えるがね。まあ口の達者なところや考え方はだいぶ老成したようだけど」

「ひと言多いのよあなたはいちいち!」

 そういえば昔もよくそんなことを言ったっけ。

 つっかかりながらも、小町は頬をゆるめた。その笑みにつられて業平もにんまりと笑みを浮かべる。

「それに私たちは言霊なのだろ。あなたが、花の色~を詠んだ当時の心境だったならば、ふたたび若返って恋をしたくなるのも不思議じゃない。そもそも、恋に齢のかぎりがあるものか。どんどんするがいいよ」

「わたくしたちが言霊だから問題なのでしょう。相手は生者なのよ、いつかお別れしなければならぬものと割り切れるほど──浅い想いではなくなってきているというのに」

「おやおや、あの色恋乱世を生きたあなたらしくもないお言葉だ。小町がそれほど入れ込むなんて、よほどの色男なのか。和歌の腕はいかほど?」

「それが、野に住む獣のごとく猛々しいお方なのです。きっと業平様なんか拳一発で気をうしなってしまいますわ──」

 うれしそうな笑顔である。


 そのとき、

「ここにいたか」

 前ぶれもなく、夢路に篁があらわれた。


 ※ ※ ※

 ──神々の住まわれたほどの昔でさえ、

   これほどの不思議はなかったろう。

   竜田川が散り敷かれた紅葉によって

   水を紅色に絞り染めしているとは。──


 第十七番 在原業平朝臣

  二条の后が春宮の御息所のころ。

  后の屏風に描かれた、竜田川に

  紅葉流るる絵を見て詠める。


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