光の君ー陸 中間考査

 ※

 中間考査期間は三日間。

 一日目は古文、生物、日本史、選択科目。

 二日目が数学B、化学、現代文、公民。

 最終日の三日目が、英語、世界史、数学Ⅱとなっている。

 今日、高村学級はようやく考査最終日を迎えていたのだった。

「やっと三日目か──ここまでの有沢の自己採点を見ると、平均が四十点は越えてる。が、今日の科目によっちゃ五十点に届かん可能性のが高い……」

 生徒のひとりが生唾を呑み込んでつぶやいた。

 柿本瑞穂が教科書を手に「有沢」と控えめに問いかける。

「私たちはこの冬、ヨーロッパへ行く予定だ──の英文は?」

「We are going to Europe this winter.」

「二次方程式 ax2+bx+c=0の解の公式は!?」

「x=√2a分の−b±b2−4ac」

 男子生徒からの質問にも、柊介は死んだ魚のような目で淡々と答える。教室は一気にどよめいた。

「平均十八点がいう台詞やないで!」

「これはもしかしなくてもいけるんちゃうか」

「おい柊、テスト開始後に寝るなよ。ここまできたんや、最後まで実力出しきれ!」

「…………」

 柊介はぐったりとした表情でうなずいた。


 ────。

「今日はずいぶん大人しいなこのクラスが」

 教室に一歩踏み入れた瞬間、高村は笑いを堪えるようにいった。

 本日は、テストの返却日。

 つまり平均点の発表がある日だが、二年三組の高村学級は朝からやけにおとなしい。みなズンと沈んだ顔で席についている。

「元気ないな、どうしたんやお前ら」

「そういうんエエから、はよ補習課題でもなんでも出してください」

 昨日。

 柊介の解答をもとに事前採点をした結果、彼の平均点は──四十八点。

 わずかに二点足りないという結果を受けて、生徒たちは夏休みまでの一ヶ月間を、補習という名の地獄に費やす覚悟を腹に決めてきたのである。

「ずいぶんふて腐れとるな、おい柊介。おまえずいぶん頑張ったやないかあの十日間で。学力テストから平均三十点もあげた生徒はお前だけやぞ、素晴らしい!」

「へっ、どーも」

 得意気に手をあげる柊介だが、生徒たちの顔はいまにも悔し涙がこぼれそうなほどに歪んでいる。

 その表情のギャップに首をかしげ、高村は嬉々として答案用紙を掲げた。

「そしてお前たちも。ようやったなァ──補習課題免除やんけ」

「…………」

「……えっ?」

「このクラスの平均七十四点! 学年でも二組に次いで高得点やったぞ。やればできるやないか、俺もさすがにここまで伸びるとは思わんかった。いや素晴らしい!」

 という高村に、生徒は一瞬だけ呆けた顔をするも、武晴の「ウェーイ!」という掛け声をきっかけに各々一気に立ち上がった。

「やったぁーッ」

「えっ、なんでなんで!」

「めっちゃ達成感。なんやこれ!」

 瑞穂や松子、八郎の声が教室に響き渡る。

 悔し涙をこらえていた生徒の一部は、それを嬉し涙に変えて流すほどだ。

 ──人にものを教えるというのは。

 教える側が三倍も勉強してから成り立つものである。

(……素直な子たちで助かった)

 高村はホッとわらう。

 有沢柊介という落ちこぼれを、なんとか這い上がらせるため──彼らは自分たちがどれほど勉強をしたのかなど忘れているのだ。

「先生ェ、こんなにがんばったのに今回は焼き肉食べ放題ないんですか?」

「あるかボケ。マイナスをプラマイゼロにした程度で褒美がもらえると思たら大間違いやぞ!」

「ちぇー」

 調子のいいガキどもである。

 しかし高村はたいへん誇らしく、気を緩めると笑みがこぼれてしまうのだった。

 

 ※

「テストお疲れカラオケ行こーや!」

 八郎は晴れ晴れとした顔でいった。

 そこには、トイレ離席の武晴を除く柊介と明夫のほかに、すっかり仲良くなった松子グループもいる。

 とはいえ、春菜は存在感を消して、松子のうしろに隠れるように座っているのだが。

 柊介はめずらしく「ノッた」と手をあげた。

 すかさず松子も「行く」とつられて手をあげる。京子と恵子もうなずいた。

 一連の流れをみて、明夫も神妙に手をあげる。

「仲宗根も行くやろ?」

 と、八郎が不思議そうに春菜を覗きこむ。いつもならば誰よりも率先して手をあげるのだが──。

「えっ、あ」

「行こうよ春菜」

「へっ!」

 恵子である。

 珍しい人からの誘いに、春菜は戸惑いつつもうなずいた。

「おっしゃ。ほんなら──」

「なになになにナンの話ィ?」

「あ、ゲッ。タケ……」

 トイレ離席をしていた武晴だった。さっぱりした顔で一同を見回し「あ~」とにやけた。

「さてはカラオケの話だなァ?」

「…………あ、ああ。行く?」

「俺がおらんと始まらへんやろ! たりめーよ!」

 ノリノリで同意した武晴に、柊介や八郎はわずかに顔を曇らせる。その様子に気が付いた京子が、同様に険しい顔をした松子に顔を寄せた。

「どうしたん?」

「いやァ……」

 と、濁す。首をかしげる京子だったが、その理由はカラオケルームに入ってから判明した。


「駐車場のねこはあくびをしなぁがらぁ」

 武晴が気持ちよく歌い出す。

 その第一声に、恵子と春菜は目を剥いた。京子は自律神経が不調になったのかすこし息を切らしている。

「外まで地獄のリサイタル会場になっとるわ」

 不機嫌な顔で、ドリンクバーから戻ってきた柊介がつぶやいた。

「なんでへたくそなやつに限って、難しい歌うたうねん」

「一歩間違えれば公害よな」

 と深呼吸する八郎のとなりで、恵子はすでに拳を震わせて武晴の後頭部を見つめている。

 松子は恵子の襟首をおさえながらデンモクを春菜にまわした。

「春菜、あれ歌ってや。絢香とコブクロがコラボってるやつ」

「ええよ。──コブクロのとこやってくれる?」

「そこは男子のがええわな。……有沢」

 と声をあげた。

 春菜は思わずデンモクを落としそうになった。まさか、柊介とデュエットとは。

 彼は「なに」と席を移動してくる。

「口直しにさ、春菜が絢香パート歌うさかい、これのコブクロパート歌うてよ」

「ああ、────」

 春菜の手元にあるデンモクを覗き込み、柊介はうなずいた。

 しかし肝心の春菜は顔を引きつらせて京子を見る。

「や……でもええの? 京子ちゃんとか恵子も歌うとらんし」

「うちらはその次、ソロの歌いれるからええの」

「あ、っそ」

 嬉しいやら、気まずいやら。

 破滅的な武晴の声を聞きながら、春菜は緊張してオレンジジュースを一口飲む。

「おい仲宗根、足引っ張んなよ」

「は、はー? どっちがや!」

「いや、俺は歌うまやし」

「自分で言うなし!」

 と、照れ隠しに口をとがらせた。

 デュエットするからか、柊介は自然に春菜の隣に座る。

 すこし緊張して右肩に力が入る。耐えきれず、春菜は左側にいる松子に顔を向けた。

 彼女は持参した耳栓をして曲を選んでいる。なるほど、武晴といっしょにカラオケへ行く場合の必需品らしい。

「なに歌うん」

「広瀬香美」

「古ッ!」

 すると、まもなく雑音が鳴りやんだ。武晴の曲が終わったようだ。松子はすばやく耳栓をはずして「いいねー」と拍手をした。

「おまえがそうやって甘やかすからやぞ四宮!」

「せやってかわいそうやん……誰より歌うの好きやのに」

「俺つぎ尾崎のOH MYLITTLE GIRL歌うから!」

「うるせえしゃべんな」

 しゃあねえ口直しや、と柊介は立ち上がった。

「おい。本物の歌うまをちゃんと聞いとけ」

「いつからお前が本物の歌うまになってん」

「顔がええやつは、なんで歌もうまいんや──」

 眉をしかめる八郎の陰で、明夫はぼそりと呟いた。

 ちなみに彼は武晴の次に音感がない。

 よほど気合が入っているのか、柊介は春菜の腕をぐいと引っ張って立たせた。

「ちょお!」

「ええやんけ、ノリよくいこうや」

「────」

 にやりと笑った顔にきゅんとして、春菜は画面を見るふりをして目をそらした。

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