光の君ー弐 光源氏

 ※

 刑部家からふた駅ほど先にある、総合病院の外科病棟、五○五号室。

 そこに柊介の叔父である有沢光が入院している。右足骨折によって吊られた足が痛々しく、光はその足を眺めては時折ため息をつく。

 しかし、さすがは柊介の叔父というべきか。

 有沢家血筋ゆえの端麗な容姿から、退屈そうに漫画を読む姿すら看護師内では注目の的のようで、入院してわずか三日ながらすでに数人の看護師からアプローチを受けていた。


 コンコン。

 とノックがしたので、光は「はーい」とのんきな声を出す。

 顔を覗かせたのは甥の柊介だった。

「あ、柊! ──と、あれ。あれェ……」

 しかしそれを皮切りに、ぞろぞろと若い見舞客が入ってくる。その顔ぶれに、光はパッと笑顔になった。

「ハチくんタケくん。松子ちゃんも! 久しぶりやなァ。……そっちの女の子たちもツレ?」

 とさらに嬉しそうに笑って「どうぞ、狭いところやけど」と愛想のよい笑顔を飛ばす。その笑顔につられて微笑し、松子は手土産のカットフルーツを出した。

「──お久しぶりです。これ、お見舞いの品。すみません大勢で押しかけてもうて」

「えーよえーよ、女の子はさらに大歓迎やで。うわあきれいになったなあ」

 と人懐っこい笑みで松子に手を伸ばす。柊介はうんざりした顔で光の手をはたき落とした。

「痛いなァ……そちらの子は?」

「あっ、仲宗根春菜です」

「滝沢京子です」

 と頭を下げたふたりにも「春菜ちゃんと京子ちゃんね」とゆるんだ顔で握手を求めている。柊介は代わりに自分が叔父と握手をした。

「邪魔やで、柊」

「そういうのええから。──ていうか急に骨折って。一昨日までピンピンしとったくせに」

「うん、ちょっと……美佳ちゃんに折られた」

「まーた女絡みかよ!」

「いやそんな、またってことはないやろ。骨を折られるなんて初めてやし」

「普通はねえよ」

 と怒気をこめて、柊介はすぐそばにあった椅子に腰かける。八郎と武晴はゲラゲラと笑ったが、松子はドン引きである。

「光さん、また女の人泣かせたんスか!」

「ダメですよ。骨を折る女と付き合っちゃあ」

 という武晴に、光は恥ずかしそうに頭を掻いて「俺は好きやったんよ」と弁解した。

「瓦を軽々と割るところとか。けど──美佳ちゃんの友達に、文香ちゃんって子がいてて、その子もえらい魅力的やってん」

「もしかして──」

 と言いかけて、しかし武晴はちらりと女子陣を見ると閉口した。さすがに下品な言葉は控えようと思ったようだ。しかし八郎は「友達にも手ェ出してもうたん」と躊躇ない。

 もはや柊介はいたたまれないのか、そっぽを向いている。

「うん……」

「えっ、ク」

 と言いかけて松子は小さく咳払いをし、

「いくつも愛を持ったはるんですね」

 と笑った。

 しかし柊介は呆れたように、

「おい四宮、はっきり言うたれや。クズってよ」

「いや──そないなこと思うてへんよ」

 松子は視線をそらした。

 いつもは元気な春菜だが、年上はあまり得意ではない。愛想笑いの末、見舞い品のカットフルーツを紙皿に盛り付けることに集中する。

「私──お花生けてくる」

 と京子が花束と花瓶を持った。柊介が「いや俺やるで」と立ち上がる。

 「ほんならいっしょに来て」と京子がめずらしいことを言うので、春菜はハッと顔をあげて柊介を見てから、少し視線を落としてフォークを取り出した。

「…………」

 ふたりが出ていくのを見送ってから、光はちらりと春菜の横顔を見た。あまりの熱視線に春菜は光へ目を向ける。

「あの──?」

「ああ、いや。君もずいぶん魅力的やなぁておもて」

「やはは、そんなん言われたことないです! ……」

 髪の毛をさりげなく整えて、春菜は引きつった笑みを浮かべた。それを見ていた八郎が、サッと青ざめた顔をした。

「ちょお光さん、マジで高校生に手ェ出すんはやめてや。事案発生やで」

「善処するよ」

 する気ねえやろ、という武晴のつぶやきはなんとか彼の口中に収まった。

 光はイチゴをひとつ食べ、舌の根も乾かぬうちに、

「春菜ちゃん彼氏は?」

 といった。

 パイナップルを口に運んでいた春菜は、ろくに噛みもせずに飲み込んだ。

 小さくむせた彼女に、武晴が水を差し出す。

「おたくの甥っ子と二ヶ月くらい付き合うとったですよ」

 と松子は含み笑いをした。

 光はええっ、と一驚したが、すぐに

「なんで別れたん、うちの甥っ子あかんやった?」

 と問う。

「えっ?」

 春菜は、慌てた。武晴と八郎を見ると呆けた顔でこちらを見ている。

 おもわず笑って答えた。

「あは、最初はめっちゃ押して押しまくって付き合うてもろたんやけど、なんてかまあ。いろいろあって?」

「なんやそうなん。ごめんなあ」

「なんで光さんが謝るんですかァ。──」

 春菜は、机の下で自分の手を握りしめた。

「いまフリー?」

「そ、そうですけど」

「あっほんと……チャンスあるかな」

 と少し嬉しそうな顔をしたので、八郎がすかさず口をはさんだ。

「仲宗根に彼氏がいてようがおるまいが、光さんに関係あらへんからね。マジでその性欲魔人もええ加減抑えへんといつか刺されるで。骨折られただけでよかったと思わんと!」

「でも僕はいつでも真剣やで。今やって、春菜ちゃんがこんなに素敵やからさ」

「や、あはは」

 春菜は、少し頬を赤らめて笑った。正直悪い気はしなかった。

 病室の扉が開いた。

 ふたりが戻ってきたようだ。武晴がひょいと顔をあげた。

「遅かったな」

「途中、飲みもん買うててん」

 と柊介が人数分の飲み物を抱えている。そのうしろには花瓶を抱える京子もいた。

 春菜がすばやく動いて、柊介から飲み物を受け取る。「サンキュ」と声をかけられて、春菜の口元は微かにゆるんだ。

 柊介がペットボトルを片手に、

「いつ退院かはわかっとるんか」

 と聞いた。

「全治一か月やて。それまでひとりやけど──ごめんな」

「一か月か。わりとあるな」

「女の子連れ込んでもええよ」

「もう、お前ほんま……足やのうてここ折って一生使えなくするか?」

 柊介の視線が光の股間に注がれる。

 しかし、光は真面目な顔で八郎を見た。

「またお世話になるかもしれんけど、おばさんとか環奈ちゃんによろしゅうな」

「まかしてください!」

 八郎はやはり快活にいった。


 それからは、光の女性遍歴を聞いたり、今回の骨折にいたった話を聞いたり。

 彼の女性に対する真摯な姿勢に、最終的には女子陣も唸らざるを得ないほどだった。

「僕の担当の看護師さんもえらい可愛いて、思わず尿瓶をお願いしてもうた」

「なにが思わずやねん──片足は無事やろ、甘えんな」

「それより、あと十分くらいでさとみちゃんが来よるけど、会ってく?」

「は?」

 柊介は時計を見た。現在、十六時三十分を回っているところだ。

「さとみちゃんってだれ」

「僕が塾講師してたときの生徒。いまはもう社会人になってはるけど」

「なんで連絡とってんねん」

「SNSで見つけてくれて──今日は仕事で外回りの途中に寄ってくれるんやて」

 窓から差し込む日の光に目を細めて、光はちらりと下を見るや「あっ、噂をすれば」とつぶやいた。武晴が窓際に寄って覗き込むと、スーツ姿の女性が病院に入っていくところだった。

「じゃあ帰る。頼むから節制せえよ」

「うん、頼もしい甥っ子がいてて安心や」

「わかっとるねんやったら叔父さんがしっかりしてくれ」

 と、苦々しげにつぶやいて柊介は荷物をまとめた。

 それからまもなく、一同が部屋から退出する間際のことである。

 最後に春菜が乱れていた掛け布団を直したとき、光はその耳に口を近づけた。そして、

「素直になれへんときは、僕のところにおいで」

 とささやいた。

 春菜は、驚いたあまり思わず耳に手を当てて身を引いた。その顔は、真っ赤に染まる。

「な、なん」

「あはは。忘れんでな──僕は君のこととってもかわええと思う」

「…………」

 光の声が聞こえたか、部屋から出ようとしていた柊介は額に青筋を立てて戻ってくると、

「やめえ!」

 と、思い切り右足のギプスにチョップ。

 春菜の手を引き病室を出た。

 後ろから光のさめざめとした泣き声が聞こえてきたが、柊介は気にせずにずんずんと廊下を進む。握られた手首は熱くて、春菜はなにも言えなかった。

 やがて一同に追いつくと手首から手を離して、不機嫌そうに春菜を睨みつける。

「な、なぁに」

「マジになんなよ。アレは本気やろうけど、アレの本気は数知れずやからな」

「なるわけないやんッ、あんなんリップサービスやろ!」

「いや、あいつにとっちゃサービスやのうて本気なんやて」

 うんざりした顔でつぶやく柊介に背を向けて、春菜は手首にそっと触れた。まだ少し、熱が残っている。無性に泣きたくなった。

 それを京子がこそりと見て、瞳を伏せる。松子は呆れたように肩をすくめた。

「…………」

 武晴は四人を順番に眺めてから、ちらりと八郎を見る。

「腹へったァ。なんや牛丼食いたくない?」

 八郎だけは、快活に笑っていた。

 武晴がその頭を撫でくる。

「俺、お前のそういうとこ好きやで」

「は? なに急に。こわ!」

 八郎は己の身を抱いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る