最愛ー肆 彼
「なんでも相談室か、俺は」
奈良公園の一角。
ベンチに腰かけた高村が遠い目をして空を仰いだ。
「あはは、むっちゃんのギャグおもしろーい」
「ギャグとちゃうがな」
「あの──すみません。わたしのために環奈が」
「ああいや」
といって綾乃にほほ笑みをむけた高村は「みつはしあやのさん」と確認するようにつぶやく。耳心地のよい声に綾乃はパッと笑んだ。
「夢のなかで出逢うた人ともう一度、夢でもええから逢いたいと……そういう悩みかえ」
「ウン。むっちゃんはさー、夢のなかから出てきてくれたデショ。ならアヤちゃんの逢いたいシトも逢えんじゃネーのって思って」
「綾乃さん、ひとつ聞くがその人ってのは」
よもや死人じゃあるまいね?
高村の低い声が響く。綾乃の身体は硬直した。
「…………」
「それは」
いちど言葉を切った。高村は申し訳ないような、どこか複雑な顔をして首を振る。
「そんなうまい話は、ないよ。……諦めえ」
「どうして。むっちゃんだって死んじゃったシトなのデショ、そんでもいまこうしてんのはなんでなの」
「俺はまた目的がちゃうねん。それにおま、お前。そういう話をベラベラと──」
といって綾乃をちらと見てから「ああ、しかし」と妖しく瞳を細めた。
そして、
「そうか。……」
とつぶやくと頭を抱えてそれきり黙りこくってしまった。
周囲に鹿が集まってくる。綾乃はうれしそうに、先ほど道端で購入した鹿せんべいを鞄から取り出して数頭の鹿を誘惑した。
高村がその姿をぼんやり眺める。そして重々しく「綾乃さん」と口をひらいた。
「は、い」
「”彼”を求めてはるなら、そら諦めたがええ」
「え?」
「時は移ろう。君と”彼”が出逢うたことがそもそもの誤作動やった。君の心が囚われてしもたんは気の毒やけれども──”彼”はすでに準備をしてはんねん。その邪魔したら傷つくんは君やで」
「…………」
綾乃の表情が固くなる。
いったいこの男はなにをどこまで知っている?
ベンチに座る高村の顔にぐいと近付いて「アナタは」とつぶやいた。
「俺は君を知っている。あんまりに哀れなもんでつい声をかけてしもうたことがあった。……まあそれは、君なれど君ではない者だったが」
「どういうことですか」
「いまはそんなこと問題とちゃう。”彼”に逢いたいねんやったら、過去の自分を振り払うていまの自分に素直になることや」
「そ、うしたら逢えるんですか。でもそうしたら……」
「逢えるとも。そのために”彼”は準備をしてんねんから」
といったのを最後に、高村はツンとそっぽを向いてしまった。綾乃にとって、いま言われたことの半分も理解出来はしなかった。わかったのは、いまの自分が抱える気持ちを受け止めろということだけ。
沈黙がこの場を漂う。いやな空気だ。
それを察したかのごとく、鹿たちがたじろぎながら離れていこうとした。そのとき。
「なんで!」
環奈が地団太を踏んだ。
「なんでむっちゃんそんないじわる言うのッ。なんでなんでなんで!」
「か、環奈」
と綾乃が抑えようとしたが止まらない。
「むっちゃんなら出来るんデショ。ううんぜったいできる。できるもん。ぜったいむっちゃんならできるのにッ。いじわる言ってやろうとしないだけなんだ、いじわるオッサン!」
「な、なにをゥ」
「だってだって、ケツベツしちゃうのヨ。アヤちゃんずーっとずっと待ってたのに、そのシト来ないからってアヤちゃんこれからずっとモヤモヤしたまま生きてくンだよ。そんなの、りーやといっしょにいたって一生たのしくなんかなんないのにッ」
「…………」
ハッと綾乃が息を呑む。
「そんなもん俺の知ったことか。なにも知らんくせに口を」
「キライッ」
環奈はどなった。
「キライ嫌いッ。むっちゃんなんかキライッ」
悲痛な声で、どなった。いまにも泣き出しそうに全身を震わせて「キライ……」と近くにいた鹿の胸毛に顔をうずめている。高村はキッと眉を吊り上げて立ち上がった。
「ああそうかい。俺かてお前みたいな癇癪娘好きなもんかい。俺はドラえもんちゃうねん、お前なんぞキラ」
しかし、高村は口をつむぐ。
その言葉を止めたのは綾乃だった。立ち上がった高村を睨みつけて彼の口に指をあてている。
やがてその瞳からは涙が一筋こぼれた。
「ごめんなさい。お願いだから思ってもないこと言いあわないで……」
「…………」
「むっちゃん、って。東京にいたころ環奈が言ってた人だね。夢でたくさんお話する人だってうれしそうに──せっかく外で逢えたのに仲たがいなんてするもんじゃない」
綾乃は環奈に向けていった。
戸惑う鹿から顔を離して、環奈も赤く染まった鼻頭をこちらに向ける。
「もういい。ありがとう環奈、それに高村さんも──無茶なお願いですよね。もういいんです」
そして涙をぬぐい、綾乃はわらった。
その笑顔はあまりにも痛々しい。高村がめずらしく困惑した表情を浮かべて頭を掻いた。
やだよう、と環奈がつぶやく。
「たった
「環奈」
「ホントにできないの、ほんとのホントに逢えないの? ……」
そして環奈はその場にしゃがみ込んでしまった。
鹿が心配そうに環奈の後頭部をつつく。それでも彼女は膝に顔をうずめたまま動かない。
「…………」
高村はすっかり参ってしまった。
なんだかんだいって願いをかなえてやりたくなる。彼女のわがままはなぜだかどうして、胸にくるのだ。
「──…………わかったよ」
ため息交じりにつぶやいた。
「ただし、絶対と約束はできんぞ。”彼”が逢いたいと言わへんのやったら、逢わせるわけにはいかん。そのときはあきらめろ」
「高村さん」
「俺ができるんはあくまでも交渉や。最期に逢うかは”彼”次第やでな。しかもたった一夜。そこで君が答えを出せへんかったとしても、二度はない。ええな」
「む、っちゃ」
膝から顔をあげて、環奈は情けないほどに眉を下げた。
むっちゃんッ、とバネのように跳ね上がって高村の首に抱き着く。
「むっちゃん好き。だいすきっ」
「調子のええやつやのー」
という彼の顔もすこしほころんでいる。
綾乃は緊張したように脈打つ胸の鼓動を抑えきれずにいた。
ほんとうに?
本当に今夜──夢に来てくれるの?
いや──。
「綾乃さん」
ハッ。
と、綾乃が顔をあげた。首にかじりつく環奈はそのままに、高村はすこし困ったように笑っている。
「いじわるいって悪かったよ。せやな、君もはよう前に進まないかんわな──」
「……じゅうぶんです。ほんとに、本当に。ありがとう……」
「短い時間かもしれへんけど、悔いのないように。そしてどうか”彼”を責めんでな」
綾乃はほうと息を吐く。
「────はい」
そして涙をこらえて、うなずいた。
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