最愛ー参 人探し
────。
「帰ェったぞーい」
と石田家に響く声。
一瞬の沈黙ののち、2LDKの部屋あちこちからひょこりと六人の子どもたちが顔を出した。
「アッ」
「りーくん!」
「帰ってきたッ」
「リッキー!」
「うわ兄貴だ」
「おかえりー」
相も変わらず賑やかな家だ。子どもたちは嬉しそうに力哉の腰元に抱きついてきた。
これが──四男三女七人兄妹の長男が、三年ぶりに帰省した図である。
「お前ら元気そうやな」
「生きてたんやにーちゃん!」
「元気そうやなにーちゃん!」
小学六年生となった双子の弟たちが、ピョコピョコと飛び跳ねる。後ろから太ももをホールドしてきたのは小学三年生の三女である。最後に見たときは小学校入学前の姿だったから、その成長ぶりは感慨深い。
力哉は腰を屈めて、三男たちの目線に合わせた。
「おかんは?」
「おかん、おとんとデートやで。八人目こさえてくる言うててん」
「いてへんのかい!」
「この親にしてこの子ありって感じの親ッスね」
「うるさい」
うしろから入る柊介の茶々を一蹴し、力哉は荷物を部屋に投げ置く。
「……戻るか!」
「夫婦仲が変わらずよくってよかったやん、力哉さん」
「うるせえッ」
肩を怒らせてふたたびもと来た道を戻る力哉に、八郎が「そういやさ」と口火を切った。
「ずーっと考えててんけど、綾乃さんってもしかして、力哉さんがあの空き地で会ったとか話してはった鹿の女神?」
「あー俺もそれ思た。力哉さんが専門卒業間近に、東京行くて言い出したんもそれきっかけやろ。どうせストーカーみたく追っかけたんちゃうかなァと思うててんけど、マジか」
「…………」
かつて高校生の頂点に立った男も、時が経れば現役高校生に好き勝手言われるようになるものだ。力哉は遠い目をした。
「ストーカーちゃうねん。……」
といってポケットをあさる。
取り出したそれは、経年劣化により色の褪せたちいさな巾着のお守り。八郎と柊介は初めて見るものだった。
「これが──鹿の女神からもろうたっていうお守り?」
「六年越しの対面やでな、俺ら」
「うん……こんなか、紙が入っててん。これ」
と、折り目正しく詰められたちいさな紙を取り出した。第六天魔王と呼ばれた男の、腫れ物にさわるような手つきがなんだかおかしい。
「なにが書いてあったとおもう?」
「見せて」
「触んなアホ」
伸びた八郎の手をひらりとかわす。
彼は丁重に紙を開き、中身を見せてきた。
『会いに来てくれますように』
と、細字で一言。
柊介はエッと顔を近づけた。
「これ力哉さんに対して?」
「しかあらへんやろ」
「いや、そ……そんな自信満々に」
「あんとき、就活は奈良県内一択と決めてた俺が、東京一択に切り替わった瞬間やったで」
「それで東京に」
なるほど、と八郎がうなずいた。
しかし情報は彼女の名前しかなかったはずだが──と柊介は訝しげに姿勢を正す。
「そらまあ、探すのは骨が折れたで。奈良には情報網あるけど東京ちゅうとそうはいかへんしよ」
「ほんなら、どうやって」
「年のころは俺よりふたつ上、雰囲気的に渋谷とか世田谷、練馬ではなく東京区外あるいは神奈川の海寄り──と、オレのアイサーチが言うてん」
「きっ」
気色悪ゥ!
と八郎が自身の身体を抱く。
「こらハチ、ストレートにホンマのこと言うたらアカン」
という柊介の顔は青い。しかし力哉はふたたび巾着袋に紙をしまい、しまい。
気にせず続ける。
「なんとでもいえ。ほんでそのあたりでシマ張ってるオレの先輩がいててんからよ、同級か一個上くらいにそんな名前のひといてるかーって聞いてん。そしたらその人の友人の友人の友人くらい先におってんなぁ。世の中狭いなァ」
「おもくっそ特定厨の行動やないか!」
「ストーカーの鑑や」
「それがあれから一年経ったくらいかな。ほんでまあ、配属先教えてもろうたさかい、オレは近くの店に就職決めて会いに行ったっちゅーわけや」
そこまでいって、サングラスを胸元にかけた力哉は、さすが男前の微笑みを浮かべた。
しかしいまの話は、念には念を込めたただのストーカー犯罪自供である。八郎は柊介の背中に身を隠した。
「え、ほんで会えたんか」
「当たり前や。なかなかフラッと入れるとこちゃうからよ、最初はあの人が立ってるときくらいしか話しかけられへんかったけども」
「え? 綾乃さんて仕事なに」
「あれ、言うてへんかった?」
お巡りさんやで。──と。
いった力哉に、ふたりは絶句した。
そして、
「新宿区牛込署柳町交番の、看板娘や!」
と晴れやかに笑うこのストーカー男を、どのように自首させればよいか、悶々と考えていた。
※
「りっきーが、酔っぱらって交番に?」
シャク、と。
みずみずしい音が響く。
ゆきが半笑いでスイカの皮を皿に置いた。
「ええ。──たしか、自分から交番に来たんです。酔いが醒めるまで置いてくれっていうもんだから、外に出て迷惑かけられても困るし……ってことで放置してて」
「そうやね、引き取り手もいてへんしね」
「そうなんです。身内は奈良だ、職場はすぐそこの小料理屋だって、いやに明朗に言うんです。酔っぱらいのわりには意識はっきりしてるから、コイツ職務執行妨害でしょっぴいたろうかとも思ったんですけどね……」
綾乃は苦笑して、スイカを一口齧る。
「それから、なにを気に入ったのか──交番に顔を出すようになったんです」
「りーやね、環奈が東京行ってもアヤちゃんの話ばっかしなのヨ。見てて可哀相なくらい」
「アッハハハ! そう、あの子がねえ」
ゆきは笑いながら、足元の文次郎にスイカを与えている。子どもの頃から知るヤンチャボーイの意外な一面に、可笑しいながらも感慨深く感じているようだ。
でもアヤちゃん、と環奈は台拭きでテーブルを拭く。
「とうとうりーやとくっつくの?」
「…………」
スイカの皮を皿にあずけ、綾乃は口をつぐんだ。なにかを悲しむように、そしてすこし懐かしむかのように微笑する。
大皿には、スイカの皮が並ぶ。ゆきと環奈は綾乃の口が開くのをじっと待っていた。
やがて彼女は「ずっと」とつぶやく。
「人を探してたの」
「人?」
変な話だけど、と前置きをして綾乃は照れたようにぽつりと言葉をつむいだ。
「ずっとずっと好きだった人でね。どういうわけか夢で出逢えて──長くかかったけど、この気持ちを受け止めてくれた。でも夢のなかじゃやっぱりいっしょにはなれなくて、だから……夢の外まで逢いにくるって抱きしめてくれた。とてもとても、大切な人」
足もとにすり寄る文次郎を抱いて膝に乗せた。彼女のそんな動作を見つめたままゆきと環奈は続きを待っている。彼女の語る、夢物語のつづきを。
「十年。──その約束に囚われてたの。ううん、囚われていたんじゃなくて甘んじてたのね……それでもよかったから。ほかの人を好きになることなんてないと思ってたから」
「──アヤちゃん」
でもね、と綾乃はパッと顔をあげる。
「夢の外なんてそんなこともう望んじゃいないの。無理だってことくらい、この年になればいい加減わかってる。だけどせめて、また夢のなかになら逢いに来てくれたっていいじゃない? でも、……あの人は一度だって逢いに来ちゃくれないの」
「…………」
ゆきはスイカの皮が乗った大皿を手に、台所へと立つ。
いまの話に自分が挟める口はない、と思った。しかし胸の奥で期待もしていた。環奈はいまの話を受けていったいなんというのだろう?
──彼女はいつもどこか、夢の世界に生きているようなところがあるから。
案の定、環奈が「夢のソト」とつぶやいている。
しかし綾乃はわらって「ごめんね」と手を合わせた。
「変な話しちゃって。つまりなにが言いたいかっていうと、その──。五年間も石田くんが想いをぶつけてきてくれることがありがたくて、いい加減受け止めたいなって思っちゃいるんだけど。どうしてもわたしのなかで諦めきれないところがあって、……それでも、その想いと決別するっていう一大決心でこの旅行に臨んだわけ」
「決別って、どうするん」
対面キッチンからゆきが問う。突拍子もないこんな話を、ゆきは真面目な顔で受け止めている。
「自分に言い聞かせる……くらいかな。明日、ひとりで京都に行こうと思ってたんです。あの場所が、一番いっしょにいたところだったから。そこでどうにか、想い出と気持ちを切り離せたら──いいんですけど」
と、いって綾乃はまたわらった。
さみしい笑顔だ。環奈は椅子を蹴って立ち上がった。
「夢の外で逢おうよ。逢えるよッ」
「か、環奈」
「だってかんな知ってるもん。夢のなかでしか会えなかったのに、外に出てきてくれた人のこと知ってるもん!」
「え?」
目を見開く綾乃の手をとる。膝上にいた文次郎が短い足でピョンと床に降り立った。
「いこう。きっと逢わせてくれるのネ!」
「いくってどこに」
「はっちゃんママ、りーやが来たらごめんねって言ってチョーダイ!」
「はいよ。気張りィ」
ゆきはのんびりと手を振る。
そのエールを背に、環奈と綾乃は家を飛び出した。
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