花見
花見ー壱 誘い
「明日の課外授業のあとさァ」
昼飯時。
八郎は、
「かんちゃんお帰り会開くさかい、お花見がてらうち来ィや」
といった。
その瞬間、尾白武晴は口に含んでいた野菜ジュースを思いきり噴きだした。
「うわ、キタネッ」
「ブッハハハハ!」
大口を開けてわらう武晴と、驚いた拍子に椅子から転げ落ちた八郎に、柊介と明夫も堪えきれず吹き出す。
教室内からも至るところから笑い声があがる。
目を白黒させる八郎をよそに、
「ホラ聞いた? こいつやっぱり言いよった!」
と武晴はゲラゲラと腹をよじった。無理もない。
つい先日、シスコンの八郎がいう台詞として、中庭で予想したばかりだったその言葉は、まさかの一言一句変わらぬものだったのだ。
「で、来るんか来えへんのか!」
「はーおっかし。いや行くよ。イクイク、柊クンにも釘さされとったしのー。しかしそうなると」
涙をぬぐい、武晴はにやりとわらう。
「女子も誘うやろ。去年も呼んだ松子とか──仲宗根とか」
「去年はハチのおかんが女ッ気なくて寂しいいうて無理くり誘っただけやろ。今年は主役がおるねんから」
「ほんでも環奈姐やん喜ぶでェ。なあ」
と、八郎に目を向けると「そう?」と彼は笑顔になった。ちょろいものだ。
「かんちゃん喜ぶ?」
「喜ぶよろこぶ。よっしゃ誘ったろ」
「いや──オイ」
勢いよく立ち上がり、武晴はさっそく女子グループの一部に声をかける。こういうことに関してはものすごい行動力である。
柊介がうんざりした顔で見つめる一方、明夫はどこかソワソワと落ち着かない。
「なんやお前うっとうしい、うんこか」
「ち、ちゃうわ」
と口内でつぶやく明夫。
八郎はパッと立ち上がり、
「ほんならおれ、もうひとり誘ってくる!」
「もうひとりて」
先生!
と言うや教室を飛び出した。
「…………」
「自由なやつばっかりやな」
「もうエェわ。好きにせえ……」
柊介は、半笑いを浮かべている。
※
「高村センセ、先生!」
まもなく。
職員室を覗いた八郎は、ずかずかと歩みを進めて目的の席へと赴いた。
そこは無論、高村六道である。
平安時代の人間とはよほど思えぬ姿で、書類とにらめっこしている。ふたたび声をかけてようやく、こちらを向いた。
「なんやお前──エェ言うとらんうちに入んなや」
「センセ、明日の課外授業のあとヒマ?」
「教師に暇があるか。なめとんかボケが」
唐突な罵倒である。
忙しいあまり気が立っているのか──八郎は苦笑した。
「言うて顧問くらいやろ、弓道部。ほんでも、弓道部の明夫があしたは休み言うててん」
「書道部も任されとんねん。あいにくそっちは活動日や」
「は──平安人のくせにかけもちかよ」
「わるいか、平安人がカケモチして」
機嫌のわるい彼の眼光に射すくめられ、八郎は「いや」と頭を掻いた。
「わ、悪ないです」
「ほんで」
なにがあんねや、と椅子の背もたれに身体を預けた高村が問う。
「いやさ、かんちゃんお帰り会を……うちで花見がてらやりますねん」
「──毎年やっとるやつか」
と高村はつぶやいた。
エッ、と八郎が目を剥く。
「知ってはるん!」
「毎年、環奈から夢で教えてもろうてよ。刑部桜やろ。……去年は東京におるさかい不参加や言うてたけども」
「す、スゴイ──ホンマに夢で会うてたんや。ほんならなおさら、センセに来てもろうた方がエェですやん!」
「また夢で会うたらエェやないかい」
そんなんアカン、と八郎は叫んだ。
ふたたび机に向かいかけた彼の椅子をがしりと掴んでいる。八郎の声に、周囲の教師が視線を寄越した。
高村は咳払いをひとつする。
「アホ、声がでかい」
「すんません──ほんでも、ずっと夢でしか会うへんかった“むっちゃん”がリアルにおるねんで。それが何よりのプレゼントやろ!」
「わかった、分かったから声落とせ」
妙に熱がこもる八郎に、眉を下げた。
卓上カレンダーをちらりと見て、書道部か──と呟いている。
「まあええか、部長と相談してみらぁ」
「っしゃ!」
「お前はホンマに……環奈を喜ばせることには余念がないな」
「えー、そかなぁ」
と八郎は締まりのない顔で笑った。
そうだよ、と高村はつぶやく。なにを思い出したかうっすらと笑みを浮かべて、八郎の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「明日の課外授業、遅れんなよ。バスの酔い止めも忘れずにな」
その課外授業とは、バスですこし遠出をして自然学習をするという。八郎はヒッヒッと笑った。
「先生、えらい現代になじんだはりますね。平安時代のくせに」
「あの世にいらァ現代がどないなもんかくらいわかる。お前らに負けず劣らず、ナウでヤングな言葉も知っとるんや。馬鹿にすな」
「ナウでヤングもいまは死語ですけど」
「……はよ戻れや、お前」
高村はすこし嫌そうな顔をした。
────。
「明日の課外授業で、班がいっしょの女子誘ったった」
と。
教室に入るなり、出待ちの武晴が肩を組んできた。「へァ?」と八郎が間抜けな声をあげる。
班がいっしょの女子。
たしか──と、教室内に視線を巡らせた。
「それって、四宮とか仲宗根とかやんか」
うん、と武晴はにっこりとうなずく。
四宮とは武晴が松子と呼んでいた、八郎たちと唯一中学が同じ女子同級生、四宮松子のことである。武晴とは幼なじみなだけによく話す仲のようだ。
「なんや代わり映えせえへんなァ」
「なにいうてんねん。班員はまだいてるやろ」
「いやまそらぁ、あとは滝沢と……」
と言いかけたとき、後ろから「あの」と声がした。噂をすればなんとやら──滝沢京子である。
高嶺の花。
彼女は、すこし緊張したような顔つきでこちらを見据えている。当然である。
入学してから一度も喋ったことがないのだ。
おなじく八郎も若干緊張して、上唇をなめた。
「あっ。……」
とおもむろに身体を避ける。
自分が扉を塞いでいることに、ようやく気付いたためである。
「ごめん、通れへんやった?」
「あっ違う。明日のお花見──お邪魔します、って言おうと思て」
「ああ」
ちらと武晴を見る。
彼は鼻の下をのばして「気楽でええねん」と答えた。彼は面食いなのだ。
「うん、ホンマ気楽に来てくれてええから。むしろ急に知らへん奴から誘われてビックリしたやろ。ごめんな、コイツ空気読まへんねん」
知ってるよ、と京子がクスクスわらう。
「去年、有沢くんとおなじクラスで──しょっちゅう二人とも教室まで遊びに来てたから」
「ああそうか。しゅうのことは知ってんねや!」
「うん。だからまったく知らん人でもないの」
「せや、明日の課外授業かていっしょやねんから。楽しもうねー」
という武晴に、またクスクスとわらって京子は可憐にうなずいた。
まったく、ガサツな同級生女子が多いなかで、なんと慎ましい子だろう。──とでも言わんばかりに頬をゆるめる武晴に、八郎は「滝沢サンなら大歓迎や」とわらう。
「な、俺のチョイスもそう悪ないやろ。あとは松田くらいやし」
「うん。ああ松田ね……松田。松田ァ!?」
八郎は戦慄し、京子はにっこり微笑む。
その反応に大満足の武晴は、するりと八郎の肩から手をはずして口角をあげた。
「な、おもろいことになりそうやろ。男女が仲良くなるのは四月のスタートダッシュが肝心やねん。明日はみんなで盛り上がったろうや!」
牛のえさほど飯を用意せな──。
と、八郎はつぶやいた。
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