第19話友情と祝福

 今、俺のズボンのポケットには四角い箱が入っている。


 大きさは掌サイズ。比較的にコンパクトな箱。


 指で感触を確かめつつ、目の前でチキンソテーを頬張るいなりを見つめつつを繰り返して五分程。


 いつ渡そう。そうぼんやり考えながらタイミングを見計らっているが、なかなか踏み出せずにいる。


 その渡そうとしている箱の正体。それは、婚約指輪だ。


 さて、なぜ俺がそれを持っているのかというと、エたまちゃんのお店まで遡る。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 いなりが夢中であちこちの服を選び回り、その様子を眺めながらお店にあるソファに座る。


 楽しそうでなによりだ。そう思いながらいると、ポンと俺の肩を叩く誰か。


 顔をあげると、たまちゃんが真剣な表情で俺を見ていた。


 あれ? 俺なんかしたっけ?


「ちょっといいか?」


「え、う、うん。なにかな?」


 ちょっとという割にはとても顔が真剣なたまちゃん。


 本当にちょっとなのかと思いつつ、姿勢を正して座り直すと、たまちゃんが俺の正面のソファに座った。


「少し聞きたいが、お前達は婚約しているでいいんだよな?」


「い、一応はそうだな」


「二言はないな?」


「あ、ああ」


 尋問のように尋ねてくるたまちゃんにたじろぎつつ、聞かれた事を肯定する。


 一体なんなんだ?


「……なら、私からアドバイスだ。いなりと結婚するにあたっては戸籍の問題とかある。結婚届とかどうせ何も考えてないだろう?」


「あ……」


 たまちゃんの指摘でハッと気付く。


 前日が濃すぎたせいでプロポーズとかはっちゃけていたが、正直その辺りの事はなにもしてない。


 冷や汗が背中あたりをべたつかせ、少し気持ちが悪い。


「童貞と頭お花畑だからな。多分そうだと思ったよ。ちなみに婚約して何日だ?」


「一日です……」


「一日だと!?」


 たまちゃんの辛辣なツッコミに身を縮こませるとともに、質問に回答すると、たまちゃんは驚き呆れ声をあげた。


 たまちゃんは、信じられないぜ。とアメリカの通販のようなオーバーリアクションで頭を抑えた。


「……なにもかも予想以上に予想外だ。いなりもいなりだがお前もお前だぞ」


「面目無い。指摘受けるまで浮かれてた」


「これだから付き合った経験のない奴ってのは……。まあ、お前は仕方ないか。いいか? 通常の手順でいうなら付き合って、婚約して、両家の挨拶とか済ませて、結婚届書いてとかやる事山積みだぞ。いきなり結婚なんて学生か」


 たまちゃんの説教にひたすらこうべを垂らす。


 ああ、本当に浮かれていて情けない。


 そうだよな、やるべき事いっぱいある。指摘されただけでも山盛りだ。


「だから、まずは形からでもちゃんとしろ。これをやるから」


 たまちゃんは俺に小さな箱を投げ渡し、俺は慌ててそれをキャッチする。


 掌サイズの黒い箱で、真ん中あたりに線が入っている。


 これは一体……?


「開けるんだ」


 キョトンとする俺に、開ける事を指示するたまちゃん。


 これは一体……。


「え? 指輪?」


 台座にはキラリと輝くダイヤモンド、そして、銀色に輝く輪。紛う事なき指輪が箱の中に鎮座していた。


「ブランドものでなくて悪いが、仙人が祝福の御利益を込めて作った。ダイヤモンドは固い絆を結ぶ。プラチナのリングは混じり気のない純粋な愛の証だ。。友情の為に私はこれをいなりに渡したい。だから、お前はいなりを幸せにしてやれるか?」


 たまちゃんは指輪を指差しながら俺の目を貫くように見つめる。


 ちゃらんぽらんだったたまちゃんはどこへやら。


 今、俺の目の前にいるのはいなりの親友の珠子だ。


「……絶対に幸せにするよ。約束だ」


「わかった。仙人と約束したんだからな、絶対だぞ」


「勿論だ!」


 俺がたまちゃんに約束をすると、たまちゃんはその約束を念押しするように絶対を口にする。


 俺は誓って幸せにする約束をしてコクリと頷いた。


 すると、たまちゃんは真剣な表情をほどいて、ふわりと笑った。


「……頼んだ」


「ああ、任せろ。……で、ご相談なんだけどこの指輪分割払いでもいい?」


 かっこよく締めたかったものの、かっこよくはしまらない。


 ダイヤとかプラチナとかが高いという事は流石にわかる。


 何回払いにすればいいだろうか。と、手取りとだいたいの生活費を頭に浮かべつつ恐る恐る尋ねた。


「ははっ、あげたからには受け取ってくれ。サイズもいなりの一点ものにしてるし値段をつけるならそれこそお前の年収分くらいだ。勝手にしたことだから受け取れない」


 ね、年収分か……。


 たまちゃんはあっけらかんとして言ってるけどとんでもない事を言ってるんだよなあ。


「なんか難しい顔をしているな。だったら交換条件だ。離婚したら即殺。これでどうだ? 人間の身体の値段は数千万と聞くからな」


 おお、震えるぜ……。


 仙人から即殺宣言とは恐ろしい。……恐ろしいが、全く死ぬ気はしない。


 離婚なんて考えられないからな。


「それくらいでいいならやるよ」


 即殺宣言に俺は即答で返すと、たまちゃんはキョトンとした表情を見せて、すぐにお腹を抱えて笑いだした。


「あっはっはっは。殺されるかもしれないのに即答とはな。ふふふ、尋はいい奴だなあ。ちくしょう、私も結婚したくなったぞ」


 たまちゃんは止まらない笑いを抑えるかのように涙を拭いた。


 そんなにツボに入るとは思わなかったな。


 それとたまちゃん、あんたいい奴だから結婚できるよ。誰かもらってあげて。


 心の中でたまちゃんの結婚を祈りつつ、俺は指輪に目線を落とした。


 高鳴る鼓動を抑えながら、その指輪を閉じてズボンの右のポケットにしまい込んだ。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 そして、現在に至る。


 くそう、いつ渡そうか。


「尋、どうした? 妾の作ったご飯、美味しくなかったかのう……?」


 一向に減らない俺のソテーを見て不安になったのか、いなりが耳を垂らしながら聞いてきた。


「いや、なんでも……」


 なんでもない。そう言いかけて、口を閉じる。


 俺は意を決していなりを見つめ、いなりに対する想いを全てぶちまけた。


「いなりのご飯はすごく美味しい。毎日食べたい。いなりと毎日過ごしたい」


「な、なんじゃいきなり! そ、その、妾照れちゃう……。そ、そういうのは心の準備してから言って欲しいのじゃ……」


「だから、これを受け取ってほしい」


 俺はポケットから婚約指輪の入った箱を取り出して、いなりに渡す。


 いなりは、顔を赤くしながら箱を受け取ると、ゆっくりと箱を開いた。


「こ、これは?」


「それは、婚約指輪だ。神様の常識はわからないが、人間達は結婚する前に結婚を約束するという形で婚約指輪を渡すんだ。これから結婚に向けてやらなきゃいけない事が山程ある。だからこそ、いなりにそれをつけてほしい」


 いなりに指輪の意味を説明しつつ、ありったけの想いをぶつける。


 いなりは指輪の箱をそっと閉じると、下を俯いてしまった。


 ……あれ? 失敗したか?

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