第052話 密偵

『少ない希望を手繰り寄せる』


 切れ味が鋭そうな刃の反射する太陽の光が眼に突き刺さるようだった。周囲の者は眼を細めて必死に視界を保とうとしていたが、魔王と呼ばれる漆黒ダークエルフは眉一つ動かさなかった。少し変化があったとすれば、それは少し微笑んだことくらいだった。

 ヴェスと呼ばれた密偵とりの間合いは既に魔王レヴィスターの喉を一瞬で殺傷できる位置だった。

「どうした?らないのか?」

魔王レヴィスターが口を開き、微笑程度だった彼の表情が明らかに緩んだ。

でお前をれると思うほど落ちぶれちゃいない」

ヴェスはそう言って魔王レヴィスターと同じくらいに笑顔になった。

「そう思うならヴェスの腕はまだ落ちてないな」

「お前も威圧感が変わらないな。いや、もっと凄みを増したかな?」

 2人を取り囲んでいた周囲の人達はその会話と雰囲気についていけなかった。はたからはすぐにでも戦闘を始めておかしくないように見えたが、この2人しか分からない独特の空気のようなものがあるようにも見えた。2人とも冒険王ジョージと大陸を冒険した伝説に近い人物達で、王が気を許す数少ない人物だとされていた。

「これのおかげで助かったよ」

ヴェスは右手の短剣ダガーに束を魔王レヴィスターに見せた。それはよく見ると束に指環が埋め込まれていてそれを見せているようだった。

「へぇ、それが役に立ったのか?じゃあ、かなりピンチだっただろ?」

魔王レヴィスターは楽しそうに返事をした。

「ああ、かなりヤバかったな。人生で1番死に近付いたよ」

ヴェスの表情に苦笑いの色を含んでいたが、それでも楽しそうに笑っていた。

「後でゆっくり聞かせろよ。死にかけた話が1番笑えるからな」

 第一王子エドワードはこれまでに見た事がない魔王レヴィスターの表情だった。

「ふ〜ん。笑うんだ」

ティスタは正直な感想をぼそりと独り言した。カルドは口にしなかったが同じ感想だった。「氷の魔王」という異名がある漆黒ダークエルフの意外な一面に思えた。


「いつまでふざけておられるの?」

聖女ヴィクトリアが痺れを切らしたように魔王レヴィスター密偵とりに話しかけた。

 彼女は金色の長い髪を肩甲骨あたりまで伸ばし綺麗に切り揃えていた。両耳の上あたりから一部の髪を編み込みながら後頭部に流して、白大理石に一角獣ユニコーンをかたどったバレッタ(髪留めの一種)で留めて、両耳を露わにしていた。髪と同じで眉や睫毛も金色で、肌は白く、職人による精巧な人形に例えられることもあった。切れ長であり大きな眼は青い瞳で水晶クリスタルのように澄んだ輝きを放ち、見つめられるとどんな人でも恋に落ちると言われた。まっすぐに伸びた鼻は程よい高さで、薄めの唇は紅を引いたように赤かった。身長も人間の女性では高い部類で、手足は長く、全体的に華奢だったが、女性らしい丸みも帯びていた。服装は神官が遠出する時に纏うパンツスタイルで、動きやすさを重視していた。胸の付近に一角獣ユニコーンの顔が銀糸で刺繍された法衣で、腰の付近で紐で結んでいた。足には羊の皮をなめして木製の底に合わせた靴を履いていた。左の腰に白銀に微細な百合の花をモチーフにした装飾を施した細身剣レイピアを携えていた。人々から「現女神リアルゴッデス」と賛辞を贈られる美しい聖女ヴィクトリアの存在は市民の心の拠り所になっていた。活発的な性格で、大神官にも関わらず宗教都市リガオンの街を出歩き、市民と分け隔てなく交流する事が多かった。流石に護衛付きではあったが、市民に寄り添って気さくに対応する彼女は人気者だった。

 領主である第一王子エドワードはその存在にだいぶ助けてもらっていた。姉のおかげで市民の心の安寧がもたらされていると感じていた。その彼女が戦時の都市外に出ていることに驚き、自分が先程諦めた対応策を口にしたのでさらに驚かされた。


「レヴィスター様もヴェス様も(ふざけるのは)そこまでにして下さい。事は急を要するのですから」

そう指摘された2人は視線だけ移動させて聖女ヴィクトリアの方を見やった。

「はい、分かったよ」

そう言ってヴェスは短剣ダガーを右腰の鞘に収めた。

「ありがとう。仲良くなさってね」

聖女ヴィクトリアは満面の笑みでヴェスの対応を歓迎した。この笑顔には誰も勝てない気がした。そして聖女ヴィクトリアは今の状況に至るまでの経過を弟に話し出した。

「まずは我が国の状況から話します。現在は王都グランシャインまでが陥落しているようです。敵軍は王都グランシャインに駐留しているようです。市民は大部分がこちらに避難して来ています。母上は無事に宗教都市リガオンに到着されました」

第一王子エドワードとカルドとティスタは目を見開いて喜んだ。が、すぐに聖女ヴィクトリアが言葉を繋いだ。

「残念ながら父上の状況は不明です」

そう言いながら視線を伏せた姉を見て、第一王子エドワードはその意味を察した。聖女ヴィクトリアは少しだけ間を空けてから続けた。

「ヴェスは父上から伝言を授かって私の元まで最速で辿り着いてくれました」

ヴェスに向けて小さく会釈して言葉を繋いだ。

「伝言は『エディがレヴィスター様を召喚してくるはずだから、力をなってもらえ』との事でした」

「えっ⁉︎」

第一王子エドワードは姉を見つめた。

「父上は王都グランシャインが最悪の場合に陥落すると想定していたようで、それを見越してレヴィスター様の召喚を貴方に託したようです」

第一王子エドワードは父王の事を思い悔しさを噛み殺したような表情になった。それを見た聖女ヴィクトリアは少し微笑んで口を開いた。

「大丈夫。エディはしっかり役目を果たしたわ。それに父上が亡くなったという情報はないの。だからまだ諦める事はないわ」

弟の方を見て大きく頷いた。それを第一王子エドワードはしっかりと受け止めたようだった。

「そしてこれからはドワーフの国へ向かいます。彼等に援軍を求めるためです」

これからの話で第一王子エドワード達3人の表情が曇った。それは彼等が諦めた策だったからだ。

「姉上。お言葉ですが、それは無理です。道も国交も希望が持てません」

第一王子エドワードは首を振って姉を諭そうとした。

 その時会話に横槍が入った。

「で、ヴィッキーは俺に何を期待してるんだ?」

魔王レヴィスター聖女ヴィクトリアを愛称で呼んだ。これは王族に対して非礼な行為であり、純白王国フェイティーの人々は少しざわついたが、そう呼ばれた当の本人は気にしていなかった。

「ふふっ。子供の頃のようで懐かしいですわ、レヴィスター様。私は貴方に大いに期待していますよ」

彼女よりやや背の低い漆黒ダークエルフの瞳をまっすぐに見つめて、爽やかな笑顔を見せた。聖女ヴィクトリアの反応を見て従者達のざわつきはサッと消えた。


巖穣王グルンドの所に行くのならそうかもな」

魔王レヴィスターの言葉に第一王子エドワードは息が止まった。

「えっ⁉︎」

フォロティの街で彼が思いたが諦めた策に対して魔王レヴィスターが何らかの解決策を知っている口ぶりに聞こえたからだ。

「でもそのためにはヴィッキーが不可欠だ。だからわざわざここまで来たんだろ?」

第一王子エドワードからすると解決策を提示してくれなかった魔王レヴィスターに戸惑いの感情が湧いたが、それを置いて話は進んでいった。

「よくご存知ですね。この先のフォロティからドワーフの国を目指します」

「ほぅ、ってことは、聖白教エスナウとしての行使を認めるんだな?」

聖女ヴィクトリアは視線を一旦落としてから間を取って、視線を魔王レヴィスターに向けて上げ直した。

「えぇ、認めます。それくらいに追い詰められています。だからあなたにはこの窮地を挽回するために力になってほしいのです」

そう言って柔らかな表情で微笑んだ。それから覚悟を決めたような眼で魔王レヴィスターを見つめた。

「エルフとドワーフがのを知っているだろう⁉︎」

魔王レヴィスターは至極冷静な表情でネガティヴな情報を自ら持ち出したが、聖女ヴィクトリアは気にする様子がなかった。

「ええ、知っています。それは一般的に言われている事であって、レヴィスター様と巖穣王グルンドには当てはまらないと思っていますが、如何でしょうか?」

聖女ヴィクトリアは毅然とした表情で魔王レヴィスターを見つめた。その視線を魔王レヴィスターは受け流したようだったが、視線を逸らす事はなかった。

「どうもジョージに吹き込まれている事があるみたいだな。俺とバグディ(巖穣王の仲間内の愛称)はでは仲の良い方じゃないが、一般的なよりはマシかもな」

魔王レヴィスターが苦笑いをしたように見えた。

「でも、貴方達の昔の縁を頼るつもりはありません。問題は彼の国に辿り着けるか分からない事です。その為にレヴィスター様のお力が必要なのです」

「さすがは聖白教エスナウ教主トップだな。王族でありながらその才能でそこまで登り詰めたと聞いていたが、まさにその通りということか」

「私の立場は神の思し召しと皆様のお支えによるものです。それよりレヴィスター様は歪曲門ディストーションゲートをご存知ですよね⁉︎」

「ああ、知っている」

「まずはその事でお力をお借りしたいのです」

聖女ヴィクトリアはそう言って首を垂れたが、魔王レヴィスターは即答をせず、その場には微妙な間が生まれた。聖女ヴィクトリアは顔を上げて彼からの回答を待った。


 魔王レヴィスターは面倒くさそうな表情を浮かべ、左手で髪を掻きむしりながら口を開くのだった。

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