第050話 気付

『感情を制御するのは至難の業』


 夜明け前の暗がりで視界を助けるのは月の明かりだけだった。春の太陽と比較すると非常に柔らかな光で世界ガーデンを照らしていた。その光に照らされた白く凍ったドラゴンはほんの少し前まで動き回っていて、大きく口を開けて襲い掛かろうとしている体勢で固まっていた為、今すぐに動き出しそうな程な氷像になっていた。


 ドラゴンへの凄まじい憎悪とを派遣した(と思われる)暗黒帝国ブレイクへの煮え沸るような怒りとフォロティの市民を救えなかったという深い後悔がグチャグチャに混ざって、第一王子エドワードの感情を正確に表現するのは非常に難しい状態だった。暗黒帝国ブレイク軍とドラゴンに蹂躙されている純白王国フェイティーを代表して、眼の前の白い氷像と化した下位龍レッサードラゴンに恨みをぶつけるつもりだった。剣の柄に手を掛けようとしたその時、魔王レヴィスターから行動を抑制するように声が入った。第一王子エドワードは剣を握る寸前で止まりそのまま固まってしまった。魔王レヴィスターの声はグチャグチャの感情で我を忘れてしまいそうな状態でもしっかりと聞こえていた。「一時的な悔恨」と言う単語が彼の心に響き、白く凍ったドラゴンを破壊しようとする行動を一時的に停止させた。

 王子の体勢の変化に応じて距離を取っていたカルドやティスタは静かに見守っていた。彼らも第一王子エドワードと同じ心情にあり、氷像を壊して暗黒帝国ブレイクの侵略に対する鬱憤を晴らしたい気持ちがあった。

 第一王子エドワードは少し葛藤した。魔王レヴィスターの言葉が彼の動きを止めて葛藤を生み出していた。ここで眼の前の凍ったドラゴンを打ち壊しても戦況が好転するはずはなく、憂さ晴らしにしかならない事は分かっていた。しかしこのドラゴンが及ぼしたで自国の被害を思うと身体はまた動き出した。魔王レヴィスターがそれを止める事はなかった。鞘から大剣バスタードソードを引き抜くと白龍の首の根本あたりを目掛けて怒りをぶつけた。パリーンと言う音と共にかつてドラゴンだった氷の塊は内部から爆発したように粉々に砕け散った。第一王子エドワードは剣撃を終えた体勢のまま動かずに魔王レヴィスターへ視線を向けずに口を開いた。

「止められて止まるものでなかった」

「…、まぁ、それは仕方ないな。これは俺の所有物でもないし、調査も終わっている」

魔王レヴィスターの反応は淡々としたもので、第一王子エドワードを止めようとした時と比べるとだいぶトーンダウンした感があった。それはカルドとティスタも似たような感覚で、魔王レヴィスターの抗議めいた反応も予想されたので、少し肩透かしにあった気分だった。それよりも王子の行動は2人の気分を少しだけ上げてくれた。それは純白王国フェイティー全体が暗黒帝国ブレイクに苦渋を舐めさせられている現状では当然の感覚なのかもしれなかった。

「あーあ、壊れちゃったね〜」

少女クウィムの穏やかな口調の台詞が少し重めの空気感を和らげた。

「鱗は1枚取れたからいいだろう?」

すかさず魔王レヴィスターがなだめるようにして口を開いた。

「うん、記念に1枚もらえたし、全然大丈夫!」

そのひと言でその場にいた全員の雰囲気が軽やかに変わった。


 夜が明けた。今日も太陽は世界ガーデンを照らし始めた。それは侵略を受ける前から変わらず、地上の争い事など気にしていないかのようだった。

 第一王子エドワード達一行はフォロティの街を駆け足で調査した。彼らが向かった街の入り口は王都側の南西方向で、街道上にある正門のひとつだった。街が2本の大きめの川に挟まれた中洲に位置し門や外壁は川岸に沿うように作られて、入り口の門へは橋を渡らなくてはならなかったが、その石造りの頑丈な橋は橋梁の基礎部分をわずかに残してほぼ消失していた。ドラゴンの重量に耐えかねたのか、それとも破壊されたのかは分からなかった。元々橋があった場所からは渡河できない為に、川沿いを上流側へ向かって歩いて入り口を探した。その間に見える対岸の景色は石造りの外壁が砕いたように粉々になって瓦礫の山をなして、元の形を知らなければどのような風景だったかを想像できない程の破壊を受けていた。とても人類の所業とは思われず、かなり高い確率でドラゴンによるものと予想された。外壁の破壊が見られなくなった上流側で街の入り口につながる渡れそうな橋を発見して、そこからフォロティの門をくぐった。

 街は下流の門付近を中心にしながらもほぼ全域に渡って破壊されていた。黒く焼けこげた建物も数多くあり、やはりドラゴンに襲撃されたのだろうと思わされた。襲撃されて数日は経過しているようで、埃っぽい空気が少しの焦げ臭さを含んでいた。犠牲になった兵が見受けられたが、埋葬する時間の余裕がない為、カルドが祈りを捧げて弔うことしかできなかった。急ぎ足ながら街全体を見て回った第一王子エドワード達は市民の犠牲者が少ないと感じた。ほとんど見かける事はなかった。純白王国フェイティー軍がドラゴンを相手に奮戦して、市民が避難する時間を稼いだのかもしれない。第一王子エドワードは犠牲となっていた兵達が栄誉ある活躍をしたと信じた。


 第一王子エドワード一行は宗教都市リガオンに向けた出立の準備のために、街の監督官の館を訪れた。かなり破壊されていたが、雨風は凌げる建屋は残されていた。ここの貯蔵庫で幸運にもかなりの量の保存食を発見した。一行はバックパックに詰めるだけ詰め込んで館を後にした。その量は宗教都市リガオンまでの所要日数に必要なそれより多くほぼ倍だったが、戦時の備えとして可能な限り携帯する事を優先した結果だった。

 捜索したが住民は発見されなかった。住民はおそらくこれから向かう宗教都市リガオンに避難していると思われた。安全に過ごせる都市は国内でもうそこしか残されていない(と思われる)からだった。ドラゴンに襲撃された形跡はあったが、暗黒帝国ブレイク軍は辿り着いていないと思われた。人類による蹂躙や略奪の形跡がなかったからだった。馬は見つからなかったので徒歩での移動となった。所要日数は馬の倍はかかるが、無い物ねだりはできなかった。第一王子エドワード達は自国の危機に焦る気持ちを必死に抑えていた。最新の戦況が分からず、領土内の状況が見えなかったからだ。冒険王ジョージの伝令によって王都グランシャイン陥落と聞いていたが、暗黒帝国ブレイク軍が王国のどこまで侵攻しているかは分からなかった。

 第一王子エドワードが立ち上がった。

「さあ、行くぞっ!」

と声をあげて出発しようとした時、

「エドワード。これからどこに向かうんだ?」

と言って魔王レヴィスターが鋭い口調で質問してきたが、第一王子エドワードはその意図が分からなかった。宗教都市リガオン以外に向かう場所などなかったからだった。

「えっ⁉︎どこって…宗教都市リガオンだけど…」

第一王子エドワードの後にティスタが続いた。

「それ以外にあるの?」

カルドは2人の台詞に大きく頷いた。そこは3人は今回の旅の出発点であり、自宅があり、所属する部隊があり、守備を任された都市だった。早く帰還して暗黒帝国ブレイク軍の侵攻に備えなければならなかった。第一王子エドワードは「こんな時に何を言ってるのか?」と言う多少の不信感が入った気持ちで魔王レヴィスターを見た。

「それで暗黒帝国ブレイクに勝てるのか?」

視線を感じ取って魔王レヴィスターが問いかけの返事をした。それは第一王子エドワードにとって唐突な質問だった。暗黒帝国ブレイクにはもちろん勝つつもりで、その為に魔王レヴィスターを召喚して、宗教都市リガオンへの帰還まであと一歩のところまで来たのだ。その問いは正直愚問だった。

「勝たないと国が滅ぶのだから、勝つよ」

「勝算はあるのか?」

魔王レヴィスターは矢継ぎ早に質問してきた。表情はいつもと同じ氷のようだった。

「想像で申し訳ないが、3つの大都市のうち2つの都市が陥落しているのならば、兵力は単純に1/3になっているはずだ。避難できた兵力はある程度あったとしても、開戦前の1/2に満たないだろう」

魔王レヴィスターは話を続けた。

「まして暗黒帝国ブレイク上位龍エルダードラゴン下位龍レッサードラゴンまで駆り出して侵攻している。それに対抗する方法が想像出来ているならいいが、純白王国フェイティーはおそらくそんなすべを持っていないだろう?」

それは魔王レヴィスターの私的な分析であったが、かなり正確な現状のだった。現状で純白王国フェイティーは亡国の危機であり、状況を好転させる要素が乏しかった。唯一の好転要素は召喚できた魔王レヴィスターだけに等しかった。

「俺がいたところで暗黒帝国ブレイク軍を撤退させる事は不可能だ。少しだけ勢いを弱める程度で、戦局を変える事など出来やしない」

確かにその通りだった。兵士数や戦力は恐らくかなりの差になっているはずで、その差を埋める方法はほとんどなかった。聖戦ジハードを発動させる位しかなさそうだが、敵の情報がない中でそれが通用するのかは不明だった。また魔王レヴィスターの力を持ってしても1人で暗黒帝国ブレイクの軍隊を止めることなど出来るはずはなかった。

絶望的な現実が純白王国フェイティーの3人に拡がっていく中で第一王子エドワードはこの危機を好転させる要素を探して必死に思いを巡らせた。そして領土内の残っている隣人の存在を思い出した。

「そうだっ、巖穣王グルンドがいる」

その気付きによって第一王子エドワード達の心には小さな光が差し込んでいた。カルドとティスタは王子の独り言に反応したが、表情はあまり明るいものではなかった。

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