第049話 調査

『悔恨は常に背に潜んでいる』


 白い氷像と化した万物の霊長である下位龍レッサードラゴンを間近に見ながら少女クウィムは「すご〜い」という言葉を何度も繰り返した。大きく開いた口の中の鋭利な牙や鋭い眼光の顔。隻眼巨人サイクロプスさえも押し倒してしまいそうな頑丈な爪を持つ太い両脚や王都の城壁すら破壊出来そうな巨大な槌のような尻尾などをくまなく見渡して回った。

 純白王国フェイティーの3人は半島でドラゴンに殺されそうになったトラウマから遠巻きにそれを眺めているだけだった。全く歯が立たずに死を覚悟させられた種族が固められてもう動かない(だろう)と分かっていても、その恐怖は易々と消えるものではなかった。第一王子エドワードは視界がぼやけた感じになり、カルドは口の中に苦い汁が出た気がして、ティスタは一瞬だけ右後頭部がズキズキと痛んだ。魔王レヴィスター下位龍レッサードラゴンの戦闘中は逃げて隠れる事に必死でトラウマを感じる暇もなかったのかもしれない。

「レヴィ!この鱗って取れる?記念に持って帰っていい?」

少女クウィムドラゴンの太い首の根元付近の大きめな鱗を指差して楽しそうにそう言った。3人は少女クウィムのセリフに唖然とした後に揃ってクスクスと笑い出した。緊張感のない少女クウィムのセリフがツボにハマったようだった。緊張しすぎていた自分達とその真逆にいる彼女とのギャップがそうさせたのかもしれなかった。

「衝撃を与えると全身が粉々になるから、俺が調査し終わるまで待つんだ」

魔王レヴィスターだけは少女クウィムの天真爛漫な行動と言動に反応せず、いつもと同じ表情と声のトーンでセリフを返した。

「え〜〜。つまんないなぁ」

そう言って顔を膨らませてから一転して笑顔になった。

「まぁ、それなら仕方ないねぇ」

と、何事もなかったようにドラゴンの隅々を見て回っていた。魔王レヴィスタードラゴンの氷像の顔付近に近づいて凍りついたその眼を睨みつけるようにして覗き込んだ。何かを呟きながらだったが、それが言語なのか、魔法の呪文なのかは分からなかった。

彼は先程「調査する」と言っていたが、今の行動は調査しているようには見えなかった。下位龍レッサードラゴンの氷像としているように見えた。そうしている間にその少女クウィムが1周して魔王レヴィスターの元に辿り着いた。その事に彼は気付いていない様だった。

「レヴィ。なんかお話ししてるの?」

少女クウィム魔王レヴィスターを見上げてシンプルな質問をしたが、返答はなかった。少女クウィムがつまらなそうな表情をしていたら、横にティスタがやって来た。その後ろには第一王子エドワードとカルドも続いていた。3人は喋らずに魔王レヴィスターの様子をじっと見つめて、彼が何をしようとしているのかを観察していた。ティスタは彼の呟きを聞き取ろうとしたが何を言っているのか聞き取れなかった。やはり聞いた事のない言語の様で魔法言語に近い感じがしていたが、エルフやドワーフといった亜人種デミヒューマンの言語はほとんど分からないので、もしかしたら知らない言語なのかもしれなかった。

 魔王レヴィスターが呟きを止めて、ドラゴンの氷像から4人に向き直った。

「待たせて悪かったな。調査は終了だ」

「えっ、じゃあ、白い鱗を取ってもいい⁉︎」

少女クウィムは待ち構えていたかの様にすぐに質問した。

「1枚だけだぞ」

魔王レヴィスターはうっすらと微笑しながらそう答えた。

「やった〜!ありがとう!レヴィ、大好き!」

と言った少女クウィムは先程欲しがっていた箇所の鱗に向かってそそくさと移動した。

第一王子エドワード達は魔王レヴィスターの側に移動した。顎門あぎとを大きく開いた下位龍レッサードラゴンを間近で見て恐怖が非常に強かったが、こんなに接近できる機会はないという好奇心もあった。

「レヴィスター。調査とは何を?」

更に1歩近づいたティスタが質問した。凍り付いたドラゴンに触れる事もなくただ何かを呟いていたに見えた彼の行動は調査に程遠い気がしたからだった。魔王レヴィスターはほぼ同じ背丈のティスタに一度横目をやってからすぐにドラゴンに視線を戻した。

龍語ドラゴンロアーを知っているか?」

魔王レヴィスターは視線を変えないままでティスタに問いかけて来た。龍語ドラゴンロアードラゴン達が使用する独自の特殊言語で、彼ら以外に使用できる者は皆無だと教わっていた。

「その存在は魔法学校で習いました」

龍語それで質問していたんだよ」

ティスタは思わずビクッとして少しのけ反った。それは彼女がこれまでに教わったにはない事で、また眼の前の漆黒ダークエルフに度肝を抜かれたからだった。

「えっ!?龍語ドラゴンロアーをっ!?」

彼女の驚きはいたって普通の反応だった。なぜなら彼は有り得ない事をさらりと言ったからだ。彼女の反応を見て第一王子エドワードとカルドは何らかの異変だと察知した。第一王子エドワードもティスタと同じ位置まで進んで彼女の横に立った。カルドはその後に続いて2人の間の1歩後ろに立った。

「ああ、反応はほとんどなかったがな…。でもこの個体に何が起こっていたのかは少しだけ分かった」

魔王レヴィスターは淡々と抑揚のない口調でティスタの反応に答えた。ティスタは魔王レヴィスター龍語ドラゴンロアーを使ったという事へのショックが強く、彼の言葉が理解できなかった。それどころか会話を続ける事もままならなかった。第一王子エドワードはそんなティスタと役を入れ替わるようにして、会話に入って来た。

「どんな事が分かったのか、教えてくれないか?」

ドラゴンの方向から第一王子エドワードへ視線を移して魔王レヴィスターは質問に答えた。

「心臓と頭脳を生かしておいて、会話を試みた。反応は薄かったが、自我を失っていたのが分かった」

そこにカルドが割って入った。

「なにっ!??このドラゴンはまだ生きているのかっ!?」

そう言ったカルドの身体は小刻みに震えていた。半島でドラゴンと遭遇して殺されかけた記憶は消えておらず、身体は素直に反応していた。本能が反応しているからであり、だった。

「大丈夫だ、今はもう全身が凍結している。もう動けやしない」

魔王レヴィスターは至って冷静に回答した。

「万が一動きそうだと思ったら蹴ってみるといい。氷は簡単に割れる」

それを聞いてカルドは安心した。第一王子エドワードも同じようだった。ティスタがようやく我に帰って会話に参加してきた。

ドラゴンともあろうものが自我を失う事などあるの?」

ティスタの質問は誰もが感じる疑問だった。この世界で万物の霊長であり、天敵は皆無で生命の危機に晒されるストレスはないため、我を失う要因を探す事が不可能だと思われた。

「確かに彼等はこの世界ガーデンの支配者だ。そんなドラゴンが我を失うなんて信じられない」

第一王子エドワードもティスタとほぼ同じ考えを口にした。カルドも王子の後ろで大きく頷いていた。

「それはこの世界ガーデンの常識だ。だが常識ってものはいつか破られて変わっていくものだ」

魔王レヴィスターはそう言いながら肩をすくめて両掌を空に向けて少しとぼけた表情をした。第一王子エドワードは彼の感情らしきものを久しぶりに見た気がしていた。

「人間は寿命が短いせいか、変わらないものにすがって安定を求める傾向が強いからな」

それは人間を軽視する感じではなく、冷静に分析している感じで、第一王子エドワードは他種族の視点に触れて新鮮な感覚を感じていた。「エルフから見ると人間ってそんな感じなんだなぁ」というのが第一王子エドワードの素直な感想だったが、それを口にはしなかった。

「何らかの影響を受けて自我を制御できなくなっていたはずだ」

魔王レヴィスターは確定に近いレベルで推察される見解を述べた。

「えっ、そんな事ってあり得るの?彼等は万物の霊長ですよ」

ティスタは自分の持つ知識からそれはあり得ないと考えているようだった。第一王子エドワードとカルドも小さく頷いていた。

「この個体は間違いなく自我を失っていた。何故そうなったのかという事は流石に分からなかった」

「だとしたら、フォロティの街はドラゴン蹂躙されて破壊されてしまったのか?」

第一王子エドワードは自国領の街が眼の前の白いドラゴンに破壊されている事実を突き付けられていた。

「予想にはなるが、十中八九はそうだろうな。遠目に見えただけだが、人類による破壊の跡とは思えなかった」

狂ったドラゴンに襲撃された市民達の事を考えると心が痛んだ。フォロティの街は第一王子エドワードが領主をしていた宗教都市リガオンの管轄内であり、彼はこの街の市民を守る義務があったが、魔王レヴィスターを召喚する為に軍を離れた為に何も出来なかった。被害に遭ったであろう市民達に対して強い懺悔の気持ちが全身を襲った。そしてその気持ちは敵への憎悪へと変わっていき、恐らく街を襲撃したであろう眼の前のドラゴンをきつく睨みつけた。自然と左腰に差している大剣バスタードソードの柄に右手が伸び、重心をやや下げて剣を抜く体勢になっていた。すぐ後ろにいたカルドは咄嗟に反応して後方に飛ぶようにして距離を取り、王子の行動を邪魔しないようにした。

「エドワード。このドラゴンはもう死んでいる。お前がそれを破壊して何になる?一時的に悔恨を晴らしてどうする?」

そこで魔王レヴィスターが剣撃の体勢をとった第一王子エドワードを入れた。


ここで第一王子エドワードの動きが止まった。

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