第046話 焦土

『常に危険は隣り合わせに潜む』


 フォロティの街は王都グランシャイン宗教都市リガオンのほぼ中間にあり、やや後者寄りに位置していた。2本の川に挟まれた中洲に位置していて、街の中心には枯れる事なく湧き出る大きな泉があり、石造りの巨大な人工池に水をたたえる広場を中心にした街並みだった。中心から放射状で網目のように張り巡らされた水路があり、住民は水路に小舟を浮かべて道代わりに使っていた。別名『水都』と呼ばれており、その美しさから観光目的でこの街を訪れる者もいた。


 暗い夜道を警戒しながら進んだ魔王レヴィスター達の編隊パーティーは昼間の5倍近い時間を要してフォロティの街がはっきりと見える距離まで辿り着いた。先頭を進んでいたカルドがそこで静かに立ち止まった。暗がりに視界は悪かったが、街の様子がはっきりと見えたからだった。街の門が破壊され黒く焼け焦げていた。街を取り囲む外壁も破壊された跡があり、明らかに襲撃を受けた痕跡だった。この街には軍隊が駐留していて、野党の類であれば余裕で撃退できる戦闘力を有していたので、その程度の襲撃ではないと思われた。既に暗黒帝国ブレイク軍が王都グランシャインを超えてここまで迫ったと思われた。

「くそっ!」

カルドは小さく舌打ちした。

暗黒帝国ブレイクめっ!」

背中をやや丸めて両拳を強く握り締め、小刻みに震えながら悔しさに耐えていた。力の限りに眼を閉じながら、表情は強烈な怒りを発していた。その後ろにいたティスタは力なく尻もちをついた。彼女は近視で遠くが見にくいので街の詳細が見えていなかったが、カルドの様子を見て状況を察していた。その後ろにいた少女クウィムは2人の様子を見て異常を察知してカルドの横まで進み出た。彼女は遠くがよく見えるようで、街の様子を実況するように口ずさんだ。

「門の上の方が壊されていて、そこが真っ黒だ。壁も同じ感じ。おっきな建物が途中で折れてて、そこも黒くなってるよ。街には誰もいない感じがする」

横にいるカルドには見えない詳細をスラスラと話す少女クウィムの視力に驚かされた。そしてこの距離から見える大きな建物に心当たりがあり、それは聖白教エスナウの教会以外にはあり得なかった。あの白い長塔が破壊されているのか?街の中心部に位置し、白大理石をふんだんに使用した高くて細い塔を特徴とし、住民たちの心の拠り所として愛されていた。カルドにとっては非常に思い入れのある建物で、聖職者として最初の一歩を踏んだ思い出の場所でもあった。

第一王子エドワード魔王レヴィスターもカルドや少女クウィムと同列の位置まで進み、遠くに見える街を凝視した。第一王子エドワードは街門の破壊の程度に無言で歯を食いしばり、ティスタは両手で口を押さえて嗚咽が漏れないように耐えていた。純白王国フェイティーの3人がその眼で暗黒帝国ブレイクと戦闘状態にある事を確認したのはこの時が初めてだった。年長者のカルドは20年ほど前の国境線の小競り合いを知っているが、前線で対応した事はなく、話を聞いただけだった。

「街の様子を見に行くか?」

感情が昂っている3人をよそに魔王レヴィスターはとても冷静な口調だった。

「俺に見える感じもクウィムと同じだ。おそらく誰もいない」

エルフは人間よりも夜目が効くと言われており、その能力を元に発せられた台詞だと思われた。

「…、そうだな…。状況を把握することは大切だ。様子を見に行こう」

第一王子エドワード魔王レヴィスターの問いにそう答えた。自国の状況を把握して対処しなければ手遅れになる可能性もあった。感情を抑えながら街に向かって歩き出したが、それをティスタが制止した。

「エドワード様。恐れながら申し上げますが、街に敵が潜伏している可能性も考えられます。一旦夜明けを待ち、街が見渡せそうなあの丘に移動しましょう」

そう言って西側に位置する街から少し離れた小高い森を指差した。ティスタは第一王子エドワードの気持ちの切り替えに追従していた。彼女らしい冷静な判断だった。

「えっ、でも、誰もいないと思うよ」

そこに割り込んだのは少女クウィムだった。彼女は暗がりでも物が良く見えているようで、自分の見えた状況に自信があるようだった。第一王子エドワードは少し逡巡してから方針を示した。

「急ぎたいけど、暗がりは危険だ。断崖を登坂した疲労もあるし、一旦あの丘に行こう」

第一王子エドワードは安全策を採用した。それは編隊パーティーの仲間の生命を預かる身として最優先すべき事だった。フォロティの街まで侵略されている状況は信じ難かったが、目の前の現実は無惨だった。そしてここより暗黒帝国ブレイク寄りの東に位置する王都グランシャインは陥落していると思われた。第一王子エドワードが早馬で急報を受けてから2ヶ月足らず(1ヶ月は40日)で主要街道の3/4近くの街まで侵略されている事は衝撃的だった。ここから先に大きな都市は第一王子エドワードが領主をしていた宗教都市リガオンしかなく、暗黒帝国ブレイク軍が凄まじい勢いを持って侵攻している事が実感された。しかし、これほどの速度で軍隊が侵攻できるのかは疑問だった。敵国内を進軍するのには兵站や中継地点の駐屯軍が必要で、その事を考えると明らかに。想定できるの4〜5倍の進軍速度で、とても人類の為せる業とは思えなかった。

ドラゴンか…」

第一王子エドワードは頭をもたげた。魔王レヴィスターの居城で結論付けた戦況を改めて実感させられていた。破壊力と速度が段違いであり、人類では不可能な事だった。疲れた身体の力を振り絞ってティスタが示した丘を目指して坂を登り出した。

「待てっ!」

魔王レヴィスターが突然強い口調で全員の動きを制した。左腕を水平に上げながら先頭に出て、全員の動きを止めた。彼のまとった雰囲気はとても厳しいものに感じた。視線は目指そうとしていた丘あたりの林に向けられ、上方を睨みつけているようだった。他の4人もつられて緊張感を急激に上げ、同じ方向を見上げた。その視線の先で林の木々が小刻みに揺れた後、次第にその揺れは大きくなり、木が割れるような音が周囲に鳴り響いた。そして木々が薙ぎ倒される音と地震の縦揺れのような振動が続いて、林の木並みが二つに割れた。5人の編隊パーティーはひと塊りとなってそこから現れたドラゴンを睨みつけていた。現れたのは赤黒い鱗に覆われた下位龍レッサードラゴンだった。興奮しているようで眼は血走っていて、口元からは炎が漏れてその周りが明るかった。万物の霊長が敵意を剥き出しにして高地から見下ろしているこの状況は絶望的に不利だった。安全を優先してこの丘の方向を選択したのに、結果的には最も危険な方向だったのだ。

 第一王子エドワードをはじめとした純白王国フェイティーの面々は半島で遭遇した下位龍レッサードラゴンに全く歯が立たなかった事を思い出していた。あの時に龍息吹ドラゴンブレスから身を守ってくれた水神リヴァイアサンクロスは焼失していて、次にあの時のような巨火球を喰らったら助からないのは明らかだった。その時の恐怖が蘇り3人は震えを止める事が出来なかった。闘志よりも恐怖が上回っている今の状況は戦える状態ではなく、『戦力にならない』程に心が折れかけていた。

「大丈夫っ!レヴィがいるから負けないよっ!」

その様子を察知したかのように少女クウィムが声を上げて、3人の心を後押しした。大声ではなかったが良く通る声で、心に直接響くような心地良さがあった。3人は不思議と落ち着きを取り戻していた。そして第一王子エドワードは右腰からバスタードソードを抜き、ティスタは魔法の呪文詠唱に向けて精神集中を始め、カルドは上半身を捻って左手を顔の前に出して、右肘を引いて右拳を腰の辺りに置いて身構えた。少女クウィムの一言は戦闘不能となりそうな3人を見事に復活させていた。

「さて、大陸のドラゴンはどの程度か?」

戦闘モードに入った3人の側から魔王レヴィスターがそう言いながら静かに前に出た。それから左後方にいる第一王子エドワードの方に少しだけ顔を傾けた。

「エドワード、手を出すなよ」

闘う気を増幅させていた第一王子エドワードは思わず肩透かしを喰らったよう一瞬だけ左肩を落とした。

「えっ⁉︎なんでっ⁉︎」

無意識のうちにそう呟き、やや間抜けな顔になっていた。視線の先に見える魔王レヴィスターは薄らとニヤついているようだった。第一王子エドワードにはその真意がさっぱり分からなかったが、彼の表情に背筋は巨大な氷が張り付いたような寒気を感じていた。まだまだ前方にいるドラゴンよりも手前にいる仲間の魔王レヴィスターの方が怖いと思った。その表情は第一王子エドワードのさらに後ろにいるティスタにも見えていて、あまりの恐怖に精神集中を妨げられていた。第一王子エドワードの右横にいるカルドに魔王レヴィスターの表情は見えていなかったが、2人の反応と魔王レヴィスターが醸し出す異様な殺気に、先程治った震えが復活しそうな感覚を覚えていた。

 ドラゴンに視線を戻した魔王レヴィスターは腰に付けていた細剣レイピアをゆっくりと右手で抜き、視線とドラゴンの間に剣先が来る位置で構えた。得意の魔法ではなく、その細い剣身で興奮している凶暴なドラゴンに対抗しようとしているのか?第一王子エドワード魔王レヴィスターが正気の沙汰とは思えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る