第045話 帰還

『どんなに高い壁も乗り越えられる』


 永劫に続くかのように思われた土の坂は急に行き止まりになった。そこは5人が集まっても余裕がある広さを持ち、1番背の高いカルドだと頭を擦りそうな天井高の小部屋に近い空間だった。カルドとほぼ同等の身長を有する第一王子エドワードはカルドと共に少し膝を曲げながら空間に入った。その後に魔王レヴィスターと女性2人が続いた。

純白王国フェイティーの全員が肩で息をしていて、視線は下を向いていた。長すぎる登坂を続けたので当然と言えば当然だった。そして5人全員が水筒を取り出して水を飲んだ。魔王レヴィスター少女クウィム以外はそのままその場に座り込んでしまった。声を出すエネルギーもない程の疲労感がそれぞれを襲いかかっていたが、魔王レヴィスターは立ったまま息を整えていた。

 少女クウィムは座り込むことなく床や壁や天井をくまなく見渡していた。純白王国フェイティーの大人達がヘトヘトなのに、1人だけケロッとしていた。

「今日はここで終わり?」

登坂が終わった事を残念がるような雰囲気を醸し出して、座り込んでいる3人と静かに部屋の入り口付近に立っている魔王レヴィスターに笑顔で尋ねた。

「もうこれ以上は無理。上り坂を見たくない」

ティスタが掠れた小声で独り言のように話した。体力のない女性の魔術師ルーンマスターにとってほぼ丸一日中坂道を登り続けるのは苦行でしかなかった。日頃から鍛えている第一王子エドワード僧兵ムンクのカルドでさえクタクタなのだから、無理もないことだった。ティスタは座り込んでいた体勢から仰向けになった。手指を動かすのも億劫な状態で、土の天井を見上げたまま動かなかった。

 その状態を見た少女クウィムが心配して駆け寄ってきた。普段はティスタが少女クウィムを気にかけて世話をしていたから、少女クウィムもそれに応えたようだった。

「大丈夫?」

泣きそうなくらいにとても心配した表情でティスタの顔を上から覗き込んだ。ティスタは少女クウィムの表情を見て彼女を愛おしく思った。まるで自分の妹のように感じていた。

「大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」

少女クウィムに向けて笑顔と言葉を返した。その反応に安心したのか、少女クウィムは笑顔で頷き、その時に溜め込んでいた涙が眼からこぼれた。その涙を手の甲で拭ってから嬉しそうに言った。

「良かった〜!それなら一緒にご飯を食べられるね」

食事の事など思い浮かんでもいなかったティスタは少女クウィムの言葉に爆笑してしまった。それにつられて第一王子エドワードとカルドも大きな声をあげて笑った。クタクタになっていた純白王国フェイティーの3人は気力が戻ったようだった。笑い声は小部屋の壁に跳ね返って反響し、とても大きな音になって響いた。魔王レヴィスターもほんの少しだけ微笑んでいるように見えた。

 ティスタは上半身を起こし、少女クウィムの頬に残った涙の跡を優しく拭った。そして少女クウィムをそっと引き寄せて柔らかく抱きしめた。

「心配させてゴメンね」

そう言うと思わず抱きしめる力が強くなった。少女クウィムはそれに応えるように強く抱きしめ返した。2人には絆のようなものが芽生え始めていた。その2人を第一王子エドワードは微笑みながら眺めていた。カルドも同じような気持ちだった。少女クウィムの持つ人を惹きつける雰囲気が彼らを巻き込んでいた。

 魔王レヴィスターが小部屋の入り口から最奥へ歩いた。息を整えながらではあるが、静かに無言で歩いていた。炎による薄暗い光しかない小部屋でその表情は掴みにくかった。4人に背を向ける形で最奥の壁に正対して、両脚を肩幅程度に開いた。

「魔法を完成させる」

そう言って振り返る事なく呪文の詠唱に入った。ティスタは彼の台詞を理解出来ていなかった。

「えっ⁉︎完成⁉︎」

思わず素直な言葉が口から出た。未完の魔法があるのか?魔王レヴィスターの言葉の意味が全くわからなかったが、呪文の詠唱が始まってしまった。

「母なる大地を司る精霊を束ねし偉大なる王よ、先に結びし我が盟約を見事に完遂せよ。大地形成グランビルド

その魔法は朝方に絶壁の麓で大きな亀裂を入れたものと同じ名称だった。魔術師ルーンマスターのティスタは時間を大きく開けて再度発動させる魔法など聞いた事がなかった。眼の前にいる銀髪のダークエルフは一体どれだけの魔力を有しているのだろうか?ティスタは驚きしかなかった。朝の魔法は彼女がこれまで見聞きした事はなく、絶壁を割ってしまうのは魔法の常識から外れていた。たとえティスタがあの魔法を使えたとして、使った後に気を失っていたはずだ。自身の扱える魔力の容量キャパシティーを超えている為、一時的に気絶すると思われた。そんなレベルの魔法を1日に2度も駆使しようとしている魔王レヴィスターを尊敬と畏怖の混ざった何とも言い難い感情で見ていた。

 呪文が完成した後に朝と同じ手振りを繰り返すと魔王レヴィスターの合わせた手の内部から強い光が発せられ、大地からミシミシと軋むような音が聞こえて来た。その音は朝と同じようにバキバキと板が割れるような音に変わり、ゴゴッと言う雷のようなものに変わった。それでも小部屋は揺れなかった。朝は地面に張り付いて耐えるしかないほど揺れた大地がとても静かだった。そして部屋奥の壁がバリンと言うガラスを割ったような音を立てて割れた。そしてそこに上り坂が現れ、小部屋に光が差し込んだ。その光は柔らかい程度のもので、眼を細める必要はなかった。上り坂のさらに奥に夜空が見えた。どうやら坂を登り続けていた間に夜になっていたようだった。

「わぁぁっ、出口だっ!」

少女クウィムが喜びの声を上げた。彼女にとって待望の大陸到着だった。純白王国フェイティーの3人はやっと辿り着いた故郷であり、大陸到着は帰還へのを1つ乗り越えた事を意味した。

 魔王レヴィスターは胸前に突き出していた両手を静かに下げた。そしてすぐに後ろを振り返り4人に話しかけた。

「この坂道はすぐに閉じる。疲れて座り込んでいる暇はない。早く立ち上がって登る事を強く推奨する。登れなかった者は大地に挟まれる」

と恐ろしい事をさらりと言って坂を登り出した。それを聞いた少女クウィムは急いで3人に駆け寄った。

「レヴィは冗談を言わないから、早く登らないと大変だよっ!みんな急いで立ち上がって!」

と言って、まずはティスタに手を差し伸べた。お互いの右手を握り合った。少女クウィムは身体の重心を自身の背中側にかけながら、ティスタをゆっくりと引き起こした。ティスタも少女クウィムの助けに呼応して身体の重心を上げていき、中腰から直立の姿勢に移っていった。第一王子エドワードとカルドは座っていた体勢から自力で立ち上がり、女性達に歩み寄って介助するような仕草を見せた。実際に解除の必要はなかったが。

「レヴィに続いて急がなきゃ」

と言って3人の顔を見渡してから、ティスタの手を引いたまま魔王レヴィスターの後を追って歩き出した。女性2人はお互いの右手を繋いでいるのは歩きにくかったようで、どちらからともなく自然と手を離し、横に並んで歩き出した。その後ろに男性2人が続いた。100歩ほど坂を登ると上り坂の終焉が見えて来た。その先には満点の星空が広がっていて、月明かりも手伝って明るい夜だった。

 頂上に着く頃に4人は魔王レヴィスターに追いつき、5人揃って大陸の土を踏みしめた。その瞬間を待っていたようにして全員の後方で大地が静かに裂け目を閉じた。開いた時より更に揺れと音が小さかった。そして切れ目などなかったかのように綺麗に塞がった。純白王国フェイティーの3人は地形を操ってしまう魔王レヴィスターの魔法に背筋が凍る思いだった。

 カルドの見立てでは辿り着いた地点は純白王国フェイティー王都グランシャインから東だと思われた。そのように判断できたのは、彼の故郷であるフォロティの街が遠く東側に見えたからだった。その街は王都グランシャインからは馬で20日程の距離にあり、宗教都市リガオンに向けた街道の宿場町だった。カルドはどうにか故国に戻れてしかも故郷が見えて思わず涙ぐんだ。第一王子エドワードとティスタも生きて王国の土を踏めたことに感動して、感慨を感じながら大きく息を吸って、自国の空気を味わうように呼吸した。

 気持ちが昂っている純白王国フェイティーの3人に対して、少女クウィムは気持ちを同調させるようにうなづいた。

「無事に着いて良かったね〜」

と言いながら満面の笑みを浮かべ、3人の希望が叶った事を一緒に喜んでいた。

そこに魔王レヴィスターが静かに近付いた。彼だけは4人の感動の輪に入っていなかった。そして冷静な台詞を口にした。

「これからどうする?断崖踏破に感動していても戦況は分からないぞ」

純白王国フェイティーの面々は一気に現実に引き戻された。でも彼の言う事はもっともだった。

 第一王子エドワードは自身の中の感動の波を抑えて、次になすべき事を冷静に考えた。まずは遠くに見えるフォロティの街で現況を確認して、これからの行動を決める事にした。

「フォロティの街に向かおう!」


 魔王レヴィスター少女クウィム純白王国フェイティーの風変わりな編隊パーティーは東の街に向けて、夜の街道を足早に歩き出した。

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