第044話 登壁

『巨大な絶壁は人類を寄せ付けない』


 精神を集中させていく銀髪のダークエルフの周囲の空気が、彼に吸い込まれるように渦を巻いて動いているような気がした。絶壁の麓に小さく開けたこの場所に風はなく、空気が動いていると感じるのは不思議だった。

 ティスタは万物マナの力が魔王レヴィスターに吸い寄せられていくのを感じていた。魔法を発動させるためには万物マナの力を集約するため、術者の周囲は万物マナの変異が発生するが、魔法の才能を持たない者には全く感じることがない。才能と知識がある者でも変異を若干感じる事はあるが、それは感覚的なもので、皮膚や髪で実感できるものではなかった。万物マナは貴重なエネルギーであり、常人が取り扱う事は出来ない存在であるが、術者によってその周囲環境に変化を起こせるものではなかった。少なくともティスタが知っている大魔術師が強い魔法を発動させても、空気が渦を巻いているような感覚に陥る事など全くなかった。しかし目の前の魔王と呼ばれるダークエルフの魔法剣士は周辺環境に変化を及ぼして見せた。文字通り魔王のような彼の姿にティスタの脚は震えていた。

 精神集中が高まってから魔王レヴィスターは魔法の詠唱を始めた。両手の人差し指の先端を付けて肘を伸ばして胸前に上げて、指先を絶壁と眼の間に位置させた。

「地の精霊を統べる偉大なる王。持てる能力の一端を発揮し、我が願いを成就せよ。大地形成グランビルド

呪文を唱え終わると、魔王レヴィスターは両手を素早く後方に回転させてから同じ位置に戻し、両手をがっしりと握らせた。その両手の内側から一瞬だけ強い光が迸った。それを後方で見ていた4人はその刹那だけ視界を奪われそうになり、強く眼を瞑って強光に耐えた。光はすぐに消えた。それぞれが眼を開けたところで、今度は脚元が小さく震え出し、絶壁から大地が擦れるような異様な音が発生した。少女クウィムとティスタは身体のバランスを崩して膝を突き、第一王子エドワードとカルドは何とか踏ん張ったが、身体が大きく揺れた。少女クウィムは「きゃっ」と思わず声を上げた。そして何かを感じ取ったように「何か来る」と呟くとみるみるうちに顔色が悪くなり、膝をついたまま両手をそれぞれの逆の上腕部に当てて、ガタガタと震え出した。そして小さな揺れは次第に大きくなり明らかな地震となっていった。小刻みな横揺れが続いた後にそれと入れ替わるようにして揺れ幅の大きい縦揺れがきた。少女クウィムとティスタは大地に尻を着いて座り込まざるを得ず、頭を保護するようにして両手を後頭部に当て、顔を大地に向けた。その中でティスタは少女クウィムの背中に左手を回して彼女を守る姿勢を見せた。第一王子エドワードとカルドは立っている事が出来ず、片膝を大地に着いて揺れに耐えるしかなかった。天変地異に該当するような大異変でも魔王レヴィスターだけは何事もなかったように呪文を唱え終えた姿勢を維持していた。第一王子エドワードには彼の周りだけ揺れていないように見えたが、地震で立っていられない状況であり、それは確実な情報ではなかったのかもしれない。絶壁から発生する音は次第に大きくなり、カサカサと落ち葉が擦れるようなものから、キュルキュルという擦れるようなものになり、さらにバキバキという割れるようなものに変わっていった。絶壁の異音が大きくなるにつれて、地震の縦揺れも強くなっていき、男性の2人も姿勢を保てずに這いつくばり、両手で頭を保護するのがやっとな状態だった。もはや魔王レヴィスターや仲間達の状況に気を配る余裕はなく、ただただ固まっている事しか出来なかった。

 絶壁の方から「ゴゴゴッ」という大きな音がしてそれが周辺に鳴り響き、土色の絶壁が左右に裂けて、その隙間から褐色の坂道のようなものが見えた。それは絶壁の中に造形されたジグザグの坂道で、裂け目の中を奥に向かって上昇していける道になっていた。裂け目から差し込む陽光で手前の一部だけが見え、坂道の全容はわからなかったが、恐らく絶壁の頂上まで続いていると思われた。元々絶壁の内部に存在している階段状の坂道が魔王レヴィスターの魔法によって目に見える形となって引き出されたような気がした。絶壁が高すぎて頂上が確認できない程の高さがあるのだが、そんな巨大な岩石を裂いてしまう魔法など、この世界でこの男以外に駆使できないだろう。

 第一王子エドワード純白王国フィーテ一行は魔王レヴィスターの魔法のレベルに圧倒され、3人とも眩暈がして頭がクラクラしていた。呆気に取られている3人を尻目に少女クウィムはさっと立ち上がってすぐに魔王レヴィスターの元へ駆けて行った。

「レヴィ、これ何したの?」

少女クウィムが瞳を輝かせながら声をかけてきたタイミングで魔王レヴィスターは両手を下ろし、自然体になって彼女を出迎えた。

「登りやすくしただけだ」

魔王レヴィスターの回答に少女クウィムは彼の顔を覗き込むようにして「ふーん」と言って頷き、改めて絶壁の中に現れたジグザグの坂道を見つめた。

「あれを登るの?」

これから凄まじい高さを登らなければならないにも関わらず、少女クウィムは楽しそうに笑顔で絶壁の裂け目へ向けて駆けて行った。しかしすぐに止まってニコニコしながら振り返り、「みんなも早くおいでよっ!」と純白王国フェイティーの3人に素早い移動を促した。呆気に取られていた3人は正気を取り戻したようにして少女クウィムの呼びかけに気付き、ほぼ横に並んで少女の元へ小走りに動いた。3人にほんの少し遅れて魔王レヴィスターも続いて歩き出し、5人がひと塊となって絶壁の裂け目に向けて歩いて行った。

 裂け目の幅は人が1人通れる程度のやや狭目の幅だったので、体格の大きな第一王子エドワードとカルドは身体を90度近く捻った。裂け目の奥行きは両腕を広げた程度の長さで全員がスムーズに通過出来た。螺旋坂道の空間は前夜を過ごした小屋をひと回り小さくした程度で、圧迫感はほとんどなく、少しひんやりとした。魔王レヴィスター以外の4人はその中心に立って、顎を目一杯に上に向けて、これから登る先を見上げたが、高すぎて行き着く先は見えなかった。

「すごーく高いねぇ、レヴィ。でも、途中で休むとこあるの?」

少女クウィムの気が抜けるような一言で、第一王子エドワードとティスタは思わず吹き出した。自分達は魔王レヴィスターがこの裂け目と空間と坂道を作り出した事に圧倒され、更にこれから登る坂道の高さに絶望しているのに、少女クウィムは眼の前の状況をすんなりと受け入れて、これからの登壁に期待を寄せて想像を膨らませている事が信じられなかった。第一王子エドワード少女クウィムの呑気なところが気に入っていたが、カルドは楽観的過ぎると感じていて、ティスタは妹を見るような感覚で微笑ましく思っていた。

 坂道は人が離合できる程度の幅があり、踏ん張りながら登らざるを得ない角度だった。見上げてみると階段状の坂道が延々と続いており、薄暗い絶壁の切れ目の中で光も足りず、坂道の頂上は見えなかった。少女クウィムとティスタがほぼ並ぶようにして先頭で坂道を登り、魔王レヴィスターが真ん中でその後に第一王子エドワードが続き、殿がカルドだった。万が一足を滑らせて転んだ場合を考えて、体重の軽い者から先頭を登ることになった。外敵の襲撃はないので、女性達が先頭でも問題なかった。ただし、坂道の絶壁側へ足を滑らせると延々と転落する可能性が高く、全員が反対側の壁に手を当てながら足を踏み外さないように細心の注意を払いながら登坂していた。ずっと上り坂であるために全員の息が上がっていた。特に体力のレベルが低いティスタは歩きが遅く、パーティーは彼女のペースに合わせざるを得なかった。

 全体の1/4程度の高さまで登ったところで休憩をした。全員が登ってきた方向を向いて坂道に尻を着けて座り、水分を摂ったり、携帯食を口にしてエネルギー補給をした。絶壁の裂け目は半島の地上部分と比べて若干ではあるが細くなり続けていて、階段状の坂を登るほどに暗くなっていた。太陽はさほど高い位置に上がってはおらず、順調に登坂できているようだったが、これから疲労が蓄積されてペースが遅くなる可能性が高いことを考えると、この速度のままを維持するのが理想的に思われた。その認識は共有されていて全員が無駄口を叩くことなく、誰が言い出したわけでもなく休憩を切り上げた。

 5人は登り続けた。エネルギーの消耗を防ぐ為に無駄な会話をしなくなり、ほぼという状態だった。ただ少女クウィムだけが体力のないティスタを励まそうとして、折を見ながら声をかけていた。その声かけは彼女独特な言い回しが多く、第一王子エドワードやカルドを笑わせた。冷やかすような言い方はしなかったので、ティスタもつられて笑いながら、延々と続いている登坂への気持ちを繋いでいた。

 次第に絶壁の裂け目はなくなり、完全な竪穴となった。下方からの光が空間を少しだけ明るくしていたが、高度が上がるにつれてそれも厳しくなっていった。脚元が見えなくなる前にカルドが火打石にナイフを打ちつけて火花を起こし、準備していた麻の紐に引火させた。その火をガラスと金属でできたランタンに移し、手に持って先頭で坂を登った。ランタンから漏れる光で足元は十分に照らされて歩くのに苦労はしなくなった。


数回の休憩を挟みながら、ほぼ丸一日登り続けた頃に行き止まりが見えた。

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