第043話 目覚

『驚異を平然と実施する驚嘆に値する驚愕』


 第一王子エドワードは自分の首がガクンと落ちた振動で眼を覚ました。眼を開けてゆっくりと周囲を見渡すのは目覚めた時の癖で、寝起きで朦朧とする意識の中にあって、いつもと変わらない行動だった。どうやら壁に背を預けたままで眠ってしまっていた。緊張で眠りは非常に浅かった気がするが、密林ジャングルを進んでいる最中に少しでも睡眠が取れたのは有り難かった。物音を立てたわけではなかったが、周りを起こしてはいけない気がしていた。怪我人が隣で寝ているので、少しでも休息して欲しかったからだ。カルドはまだ寝息を立てていた。顔色は昨夜と違ってとても良さそうに見えた。

「少しでも眠れたか?」

魔王レヴィスターの声に思わず声を上げそうなほど驚き、身体はビクッと収縮した。

「起きていたのか?」

咄嗟の事で質問に回答できず、朝の挨拶も飛ばしてしまった。それを気にする様子のない魔王レヴィスター第一王子エドワードの質問に答えた。

「寝た。ずっと起きていたわけではない。まぁ、何らかの気配あって何度か目覚めたがな」

魔王レヴィスターの表情に変化はなかったが、第一王子エドワードは驚いた表情を隠せなかった。自分の感覚では1度も気配を感じなかったからだ。決して疲れ果てて寝たわけではなく、どちらかというとこの魔王の樹海にいるという緊張感で浅くしか眠れていなかったので、ほぼ寝ていないに等しかった。第一王子エドワード純白王国フェイティーで指折りの剣士であり、王国軍内でも周囲への警戒心は強くて鋭いのだが、眼の前にいる銀髪のエルフの感覚が常人のものとは大きく違うと感じた。自分に実感がなかったので1%位は疑わしい気持ちもあったが、世界から畏怖される人物はとてつもない能力を持っているからこそなのだと実感した。

「僕は少し眠れたよ」

第一王子「エドワード》は魔王レヴィスターの最初の質問に答えて、その次の会話には反応しなかった。自分が感じ取ることがなかった気配について話せることがないと思ったからだった。

「そうか、それは良かった」

第一王子エドワードの回答に嬉しそうな反応を見せた魔王レヴィスターはほんのりと微笑んだ。

「この森で眠れるのは恵まれている。そして図太い神経を持っている証拠だ」

そう言って微笑みがニンマリとした笑顔に変わった。でもその笑顔に嫌味な色はなく、純粋に眠れた事を喜んでいるようだった。

登壁クライミングは体力を使うから、少しでも眠れて力を蓄えられたとしたら、それはとても幸運だよ」

 2人の会話が影響したのだろうか?ティスタが目を覚ました。両手を頭上高く上げて身体を伸ばし、「う〜ん」という低めの声を出した。彼女も眠れていたようだった。

「あっ、おはようございます、エドワード様」

すぐに臣下としての応対をして、両頬を両掌でペチペチと軽く叩いた。これは彼女が朝起きた時に必ずやっている癖だった。そしてすぐに隣で寝ている少女クウィムの様子を気にした。少女クウィムはまだぐっすりと寝ていた。昨日の疲労状況を考えるとそれは当たり前のように思えた。

 するとその対の位置でカルドが言葉にならない程度の低い声を出しながら、左手を背中側の床について上半身を起こした。その動きはゆっくりだったがふらついたりする事はなくて力強く、前日に多大なダメージを負った者のそれではなかった。第一王子エドワードとティスタはすぐに彼の側まで行き、不安と期待が入り混じった表情で話しかけた。

「おはよう。大丈夫か?」

第一王子エドワードは左手を彼の右肩にかけてそう言った。

「おはようございます。大丈夫です。信じられないくらいに!」

その表情はとても明るく笑顔で、体調が良い事が伝わって来た。その様子を見た2人は安心して、ティスタは少し涙ぐんでいるように見えた。

「良かった…。回復して本当に良かった」

カルドを見つめて何度も頷きながら、気持ちを込めてそう言った。

「これはクウィムの魔法のおかげだと思う。昨日の朝と同じ位の感覚だ」

カルドは上半身をやや起こしてから、背中の後方に位置していた左手を身体前に動かして、自分の両掌を見つめながら驚きの表情で呟いた。思わず両手を強く握り締め、体調が戻って力がみなぎっている事を実感していた。そして身体の反応を感じてさらに思っていた。「もしかしたら昨日の朝よりも調子が良さそうだ」と。

 3人の盛り上がりに対して魔王レヴィスターは冷静そのものだったが、賑やかになってきた雰囲気を感じ取ったかのようにして少女クウィムが目を覚ました。静かに目を開いて静かに起き上がり、これと言った声は出さなかったので、魔王レヴィスター以外はすぐには気付かなかった。

「みんな、おはよっ」

少女クウィムの軽快な朝の挨拶に気付いた純白王国フェイティーの3人は、その声の方に向けて一斉に振り向いた。クウィムは左手を顔の付近まで上げて掌を見せていた。王族や王国の中枢に関わる人物に対する礼儀としてはとてもマズい仕草だったが、3人は誰一人としてそれを気にすることはなく、第一王子エドワードに至っては同じように右掌を見せて少女クウィムの真似をするようにして合わせた。

「おはよっ」

第一王子エドワードとティスタは元気な声で笑顔を返した。カルドは立ち上がってクウィムの側まで数歩を歩いてそこで立ち止まり、深々と頭を下げた。

「クウィム殿。貴殿の魔法ですこぶる体調が良いようだ。感謝申し上げる」

固い性格の彼らしい言い方だったが、クウィムは気に留めた様子もなく、

「あっ、元気になって良かったね。私の魔法が役に立ったのなら嬉しいよっ!」

と言って、カルドを見上げながら満面の笑みを返した。少女クウィムの醸し出す雰囲気は小屋全体の空気感をとても和らげて、つられた3人も笑顔になった。そんな中で氷の魔王と称されるエルフのレヴィスターは表情を変える事はなかった。

 全員で出発の準備を始めた。まずは干し肉を食べて腹を満たし、荷物を1日分の非常食と水だけに最小化して、武器や防具もそのほとんどを小屋に置いた。少しでも荷重を軽くしなければ、大陸と半島を分断する絶壁は登れないからだった。

 これまで馬車を引いてくれた2頭の馬はここで解き放たれた。魔王レヴィスターによると彼らの持っている帰巣本能で湖畔の居城まで戻れるらしい。その旅程の中で怪物モンスターや肉食獣に遭遇しなければという条件付きではあるが。馬達は手綱を離されてからどこかに飛ぶように逃げていくのではなく、落ち着いた様子で冷静に並ぶようにして元来た道を戻って行った。

 小屋からは徒歩で絶壁に向かった。道は全くなくて、獣道さえも見当たらず、先頭の魔王レヴィスターが小剣で地面から生えている草と上空から覆いかぶさってくる木の枝を切り刻みながら進んだ。その為に進む速度はかなり遅く、獣や怪物モンスターの襲撃に備えて警戒をしながら進んだ。魔王レヴィスター第一王子エドワード少女クウィム、ティスタの順に隊列して、カルドが殿だった。幸いにも襲撃は発生せず、絶壁の麓にたどり着いた。そこは草や木々と崖の間に芝生が若干あり、5人はひとかたまりになれた。小さな広場から望む反り立つ絶壁の最上部ははっきりと見えないほど高く、人が登れる高さには思えなかった。第一王子エドワードはこの絶壁を命懸けで降りた日の事を思い出していた。もちろん違う地点の絶壁ではあったが、金属製のアンカーを打って支点を作り、命綱を付けてロープの長さの限界まで降りては、新しい支点を作って、そこに命綱を付け替えてさらに降りた。それを10本程のロープで続けて、ほぼ1日がかりで半島に足をつけた時はとてもホッとした事を覚えていた。その時は10人以上いた仲間がいたが、今は自分を含めて3人になってしまった。この樹海は人類が生き延びるのには過酷で残酷な場所だった。分断の絶壁があるとは言え、人類が住み着く事が出来なかった理由が良く分かった。ここには人類では到底敵わない凶暴な獣や怪物モンスターが数多く存在し、それらがしのぎを削って生存競争を繰り広げているのだから、要求される能力のレベルが高過ぎた。

絶壁を降りる時はロープを垂らしてそれに沿って少しずつ降下すれば良かったが、登るのはその何倍もの労力が必要だと思われた。絶壁の麓から見上げるとその頂上がはっきりとしなかった。

「これを…登るのかっ⁉︎」

第一王子エドワードは思わず息を飲んだ。これから登る絶壁の終点が見えず、登壁にどれだけの時間がかかるのか想定できない事に得体を知れない絶望を感じていた。それはカルドとティスタも同じようだった。

純白王国フェイティーの3人が絶壁に圧倒されているところに魔王レヴィスターが壁に向かって歩き出し、絶壁の麓でその歩みを止めた。顎を目一杯に上げて絶壁の先端を見つめた後、視線を水平に戻してから3人に身体を向けて、「少し下がっていろ」と言った。とても真剣な表情で、これから何かを始めるのだと分かった。


 魔王レヴィスターが魔法の詠唱に入るために精神統一を始めて、周囲の空気が変わった気がした。

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