第042話 深夜

『生命は常に決断を迫られる』


 太陽が隠れて夜が来た。暗闇で人類はほとんど活動できない種族であり、安全を確保できる建物などに引きこもり、夜が明けるのを待つしかない。暗視能力を持つ種族も多くいて、夜行性の怪物モンスターも多数存在する為に、安全が確保しにくい状況では見張りを置く場合もあった。移動をするのに編隊パーティーを組む事が多いのは夜間の負担軽減の意味合いも含まれていた。


 急いで食事と片付けを済ませた頃には完全に夜になっていた。負傷したカルドと体力の消耗が激しかった少女クウィムは食事をするだけで精一杯で、準備と撤収は他の3人が手分けして担当した。

 ロッジには大きめの部屋が1室だけで、ベッドなどの設備はなく、簡素な作りとなっていた。ガラスと金属で形作られたランタンが天井から吊るされていた。炎が灯っていたが、薄暗い程度の明るさしかなかった。あまり明るいと光が漏れて夜行性の怪物モンスターや猛獣に存在を悟られてしまう可能性があり、最低限の明るさを確保できる程度の光しか発光させていなかった。

 1室しかないので性別や身分で部屋を分ける訳にもいかず、部屋の扉から遠い角が女性のエリアとなり、扉に近い位置が男性のエリアとなった。少女クウィムは扉から一番遠い部屋の角に藁を編んだ質素な寝藁の上に横になり、すやすやと眠っていた。その横にはティスタが少女クウィムの様子を見るために寝藁の上に座り、異常がないかを気にかけていた。カルドは少女クウィムと対になる角付近に寝藁を敷いて寝ていた。傷の影響でやや熱が高いようで、少しうなされるような感じもあったが、大事に至るような症状ではないと思われた。本人曰く「明日には良くなる」との事だった。

 魔王レヴィスター第一王子エドワードはその間の位置で床に直接座っていた。3人それぞれの位置が定まったのでそこしか空いていなかった。扉に近い位置に魔王レヴィスターが座り、対面の壁側に第一王子エドワードが座っていた。向かい合いながら座る2人は互いに天井から吊るされたランタンを眺めていた。お互いの表情が分かる程度に周囲を照らすランタンは炎を光源とする為に常に照度が変わった。タイミングによっては表情を認識しずらかった。

「壁(大陸と半島を隔離する分断の絶壁)はもう目の前だから、もうすぐ登壁クライミングになるんだな」

第一王子エドワードは部屋壁に背をつけて座っている魔王レヴィスターに話しかけた。ランタンの方向に視線を送っていた魔王レヴィスターは話しかけられた方向を見て、一瞬の間をおいてから応えた。

「怪我人の回復次第だな。クウィムは明日までに回復すると思うが、もう1人はどうかな?」

魔王レヴィスターの言う通りで、カルドと少女クウィムの回復次第だった。カルドは火炎虎フレイムビーストの攻撃で負傷していて、凄まじい高さがある絶壁を登る事が出来るようになるまでに回復するのは時間がかかると思われたからだ。第一王子エドワードは思わず渋い表情になった。少しでも早く大陸へ帰還して母国の危機を救いたい思いが強かったが、そのためにカルドを1人を半島に置いていく事は出来ず、彼の回復を待ってから行動するしかなかったからだ。

「まぁ、クウィムに回復させて貰ったのだから、明日の朝には全快している筈だ」

魔王レヴィスターは素気なくそう言った。第一王子エドワードは驚かされた。先程の質問に答えあぐねている中で彼から二の句が出てくると思っていなかった。それはとても信じられない内容だったが、そう思っているなら初めからそう言って欲しかったと呟きそうになって台詞を飲み込んだ後に、魔王レヴィスターの二の句に強烈な疑問が浮かんだ。それは近くで聞いていたティスタも同じだったようだ。

『明日の朝には全快』

カルドは傷口こそ塞がっていたが、歩行に苦労する程に負傷していて、ほぼ全身にダメージを受けていた。治癒キュアで傷口を塞いで、回復リカバリーで歩ける程度まで体力を取り戻させたのは少女クウィムの魔法のおかげで、彼女の助けがなければカルドは今夜がになっていたかもしれなかった。自力で動けていることだけでも奇跡で、まだ完全には食事を摂れない状態だった。体力と体調の回復は充分な休養と栄養補給が必要で、どんなに早くても5日ほどの休養となるというのが第一王子エドワードの見立てだった。

「レヴィスター様。お言葉ですが、それは難しいのでは⁉︎」

ティスタが口を開いて魔王レヴィスターの見解にやんわりと異論を唱えた。彼女は魔王レヴィスターが強硬に行程を進めようとしているように感じていたからだった。彼女も第一王子エドワードと同様で早く母国へ帰還したいと思ってはいたが、その為に瀕死にやや近いのカルドに負荷をかける移動は考えられなかった。魔王レヴィスターは正面に座る第一王子エドワードに向けていた視線を一瞬だけティスタに向けた後にそれを元に戻し、表情を変えずに返答した。

「クウィムの魔法は特別だ。お前達の神官魔法プリーストルーンが持つ常識が通用しないレベルだ」

第一王子エドワードとティスタは自分の信仰する聖白教エスナウを基盤とした神官魔法プリーストルーンを少し否定された感覚になり、あまりいい気分ではなかった。

「国へ戻って戦況を立て直したいのなら、少しでも早く戻る方法を考えるべきだ。例えその為に誰か犠牲になろうともな」

魔王レヴィスター第一王子エドワードを見つめたままそう言った。第一王子エドワードは思わずカルドに視線を送った。それは考え難い思想だった。ティスタも同じ考えのようで魔王レヴィスターに食ってかかった。彼女の性格からするとそれは非常に稀な行動だった。神官魔法プリーストルーンの件で気分を害していたので、魔王レヴィスターの発言は彼女の怒りにスイッチを入れてしまった。

「彼はここまでの旅で共に何度も死線を超えてきたかけがえのない仲間です。犠牲にして先に進むなんてできないっ!」

強い口調でそう言い放ちながら魔王レヴィスターを睨みつけた。第一王子エドワードはティスタの行動と言動に驚くと共に困惑していた。彼女の気持ちは痛い程分かった。半島に降りた時には周りに多くの仲間がいた。その仲間達が次々と怪物モンスターの餌食となって、今の3人だけになった。大陸とはレベルが違う強力な怪物モンスターばかりで、襲撃されては逃走するしかない危機がずっと続き、犠牲になった仲間の遺品はひとつも持ち帰ることができなかった。自分が生き延びるだけで精一杯だったからだ。そんな死線を乗り越えてきた仲間を犠牲にしてまで先に進むのは耐え難いものだった。魔王レヴィスターはきつく睨みつけるティスタの視線を意に介さないかのように無視して、淡々と自分の主張を続けた。

「1人を心配して帰還が遅れる事で戦況が手遅れになるかもしれない。お前の個人的な感情や仲間意識は関係ない。多くの民の命と1人の仲間とどちらをだな」

レヴィスターが放ったこの台詞は彼が氷の魔王と称される所以の1つであるように思われた。冷静な判断からすれば彼の主張は正しく、戦況的に厳しい状況にある母国にいち早く帰国して敵勢力を押し戻す必要があった。しかしその為に共に戦って生き延びてきた仲間を見捨てる事を簡単に判断する事は心情的にとても難しかった。

「その判断は明日の朝の2人の回復状況を確認してからにしてほしい」

第一王子エドワードはカルドの奇跡的な超回復を願いながら、現時点で考え事が出来る最大限の譲歩を口にするのがやっとだった。魔王レヴィスター純白王国フェイティーに導くためにここまで来たのに、これで彼の機嫌を損ねるわけにはいかなかった。かと言ってカルドを置いていく判断が出来ない第一王子エドワードにとって、これが精いっぱいの返答だった。ティスタもその反応に渋々従ったようだった。

 この件に関してこれ以上の問答は無用だった。第一王子エドワードには魔王レヴィスターにどうしても聞いておきたい事があって、すぐに口にしてしまった。

「あなたはあの時なぜ少女クウィムを助けに行かなかったのか?」

魔王レヴィスターに視線を送ってそう言った。それに対する返答は

「まずは明日の行動の判断は朝の状況を確認してからでいい」

と少しだけ時を戻しておいて、

「助けが必要がないからだ」

という素っ気ないものだった。その返答にティスタが思わず呟いた。

「助けが必要ないってどういうこと?」

ティスタは小声で呟いたが、その台詞は魔王レヴィスター第一王子エドワードに聞こえていた。ティスタの反応は当然の事に思われた。か弱い少女クウィムの眼の前に凶暴な火炎虎フレイムビーストがいて、獣が前脚を一振りするだけで命を落としていたかもしれない状況で、彼女に対して助けが必要ないとは思えなかった。ただ、昼間の状況では助ける術がなかったので、助けに行きたくても行けなかったというのが実情だった。あの状況から考えると魔王レヴィスターの台詞は強がっているような気さえした。

「お前達も見ていた通り、クウィムに助けは必要なかっただろう⁉」

確かに結果的には少女クウィムを助ける必要はなかったが、それは奇跡的な結果論に過ぎないようにしか思えなかった。あの状況で火炎虎フレイムビースト少女クウィムを襲わずに森へ帰っていくと想像できるはずもなく、呼吸が止まる心地で事の成り行きを見つめるしかなかったのだから。それをかのように語る魔王レヴィスターに疑念しか浮かばなかった。


 魔王レヴィスターはやや目線を伏せたようにして呟いた。

「クウィムは全ての常識の外にいる」

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