第039話 懐疑

『満月の裏側は暗闇』


 太陽の角度が西の空で低くなり、作り出す影が次第に長くなっていた。気温が真昼と比較すると下がっていたが、魔王の樹海は熱帯の為、その差を大きく感じるような事はなかった。

 純白王国フェイティーは北部の大山脈から冷たい風が吹き下ろす確率が高い為に温度が高くなる事は稀で、高めの強度で身体を動かさなければ汗をかきにくい環境だった。吹き下ろす風は乾いていて、湿度が高くなりにくいのもその環境を助長していた。しかし今いる魔王の樹海は日射量が非常に多く、日差しの力も強かった。今は強い日差しが柔らかくなったと感じられる時間帯であったが、日に焼けた肌は少しだけジリジリと痛みを訴えていた。湿度は常に高くて薄着でも汗をかかずにはいられなかったが、皮膚を晒すと強い日差しに負けてしまう為に、露出の少ない服装を強いられた。それは慣れていない者にとってかなり辛い環境だった。発汗で体内の水分が不足しがちな状態が続き、水をこまめに摂取せざるを得なかったので、馬車の木組の水樽を積んで水を常備していた。水の補給できる場所を経由する事を優先して移動しなければならなかったために、速度はあまり上がらなかった。水分の多い気候のおかげで沢や小川が多い事が救いではあったが。

 カルドが火炎虎フレイムビーストに遭遇して戦闘となったのは小川の側であり、水分を欲する生物が集まってしまう場所では発生しがちな事象だった。ただ、遭遇してしまった相手が強力な上に多頭であった事が不運だったが、もっと強力なが駆けつける事が出来る範囲にいた幸運があった。

 カルドはそれに感謝しながら、自分を救ってくれた魔王レヴィスターと回復させてくれた少女クウィムの2人が進んでいく先を見つめていた。その方向には魔王レヴィスターの強力な魔法によって崩壊した崖があり、凄まじい圧力で押し潰されてしまった火炎虎フレイムビーストの親子が地面にめり込むようにして倒れていた。少女クウィムがやや先に進んでいて、魔王レヴィスターがそれを追いかけているように思われた。彼らが警戒している感じはほとんどなく、カルドには彼らがどんな目的で崩れた崖を目指しているのか良く分からなかった。もしかすると火炎虎フレイムビーストが息を吹き返すかもしれないと考えるととても恐ろしく、彼らの行動は不用意であるとさえ感じていた。

 そのカルドの横を第一王子エドワードがすり抜けて彼らの後を追い出した。

「心配だから念の為に行って来る」

と言ってから背を向けたまま上半身だけを捻って顔をティスタの方に向けて続けた。

「ティスタはカルドの介助を頼む」

それから第一王子エドワードは走り出して追いかける速度を急激に上げた。そしてすぐに先を行く魔王レヴィスターに追いついた。そこで第一王子エドワードは驚愕の光景を目の当たりにした。それは少女クウィムが地面にめり込んで息絶えている(と思われる)子の火炎虎フレイムビーストの側で膝を付き、獣を慈しむような表情で見つめている光景だった。それは怪物モンスターに向けられる眼差しに思えず、母親が眠っている子供の背中を優しく触れている時のような表情だった。少女クウィムはこの獣の親子との戦闘には参加しておらず凶暴な姿を見ていないが、それを差し引いたとしてもこれは怪物モンスターへの対応としては異常だった。そしてそのすぐ側に佇むようにして彼女を見つめる魔王レヴィスターが全く慌てる事もなく平然としている事にも強烈な違和感を覚えた。エドワードは思わず声を上げそうになったが、それを咄嗟に止めた。自分の声で火炎虎フレイムビーストが意識を取り戻す可能性があると考えたからだった。少女クウィムに万が一の事があってはならないと全速力で彼女の側まで駆けつけるために、足場の悪い岩場を這いつくばるようにして進んだ。部分装備とはいえ鋼板製の鎧を身に纏っている為に進んでいくのは容易ではなかった。彼の腰よりも高い岩が幾つかあり、それらを懸命に乗り越えた所に魔王レヴィスター少女クウィムを見守って立っていた。魔王レヴィスター少女クウィムは直線距離で10歩程離れていて、獣が急に暴れ出すと救助が間に合わない。岩を乗り越える為にかなりの筋力を使って息の上がっていた第一王子エドワードは肩で息をしながら魔王レヴィスターに声をかけた。

「かっ、彼女は安全なのか?」

重労働並みの移動で喉がカラカラになり声が出しにくかったが、心配で焦る気持ちを落ち着かせて、息を整えながらそう聞いた。高い攻撃能力があり破壊力と凶暴性を併せ持つ獣が追い込まれて「窮鼠猫を噛む」という状態で反撃をしてきた場合に恐ろしい被害が出るかもしれない。その可能性が消えている事が確認出来ていない状況で少女クウィムが獣の側まで進んで行ったのを止めなかった魔王レヴィスターに懐疑の目を向けたほどだった。

「俺の魔法の威力を見ただろう⁉︎動ける筈がない。それにクウィムはから大丈夫だ」

魔王レヴィスター少女クウィムの方を見たまま答えた。その表情は氷のように冷たく感じられた。第一王子エドワードは背中が小さくなった気がした。

 その時少女クウィムの右手が淡白色の光を帯びて輝き出した。それは彼女がカルドを回復させた時と同じ光景だった。少女クウィムは先程倒した火炎虎フレイムビーストを回復させようとしていた。

「なっ⁉︎…、えっ⁉︎」

第一王子エドワードは完全にパニックとなった。少し前までカルドを死の淵まで追い込んでいた凶暴な獣は魔王レヴィスターの強力な魔法で何とか抑え込んだのだ。その火炎虎フレイムビーストを回復させる意味が全く分からなかった。

「止めるんだーー!!」

条件反射に近い反応で大きな声を出した第一王子エドワード少女クウィムに向かって走り出した。彼女は下方に位置していたので、大きな岩を飛び跳ねで行けば、先程の登りと違って比較的早く辿り着けそうだった。

 その1歩目を踏み出そうとしたが、右下腕部を魔王レヴィスターに強く掴まれて、踏み出せずに止められてしまった。

「何をするっっ!」

第一王子エドワードは振り向いて魔王レヴィスターを睨みながら、必死の形相で叫んでいた。

「このままでは獣が復活してしまう!」

そう言って右腕を振り回して魔王レヴィスターの右手を振り解こうとしたが、それは叶わなかった。人間と比較すると非力である事が多いエルフである魔王レヴィスターにこれ程の力がある事は非常に驚きだった。

 人間より小柄かつ華奢なエルフが日々鍛えている人間の剣士を片手で止めているのは驚きの光景で、第一王子エドワードは掴まれた右下腕に痛みさえ感じていた。自分より小さくて細い者に力づくで抑え込まれている事にもどかしさがあった。

「レヴィスター!離してくれっ!!」

魔王レヴィスターの身体ごと振り回す程の勢いでさらに大きく右腕を振り回してみたが、振り回した右腕の動きを読まれて逆に倒されて、尻もちを着いてしまった。その勢いを利用して魔王レヴィスター第一王子エドワードの腰辺りを身体を彼に付けずに跨いで、上から見下ろすようにして顔を近づけた。

「人間の価値観だけを押し付けるのはやめろ」

その口調は強くはなかったが、その表情は厳しく、その視線は冷たく強烈な威圧感を放っていた。

 第一王子エドワードは彼の言っている意味を理解できなかった。仲間を死に追いやろうとした獣にとどめを刺すことなく、回復させようとしてる少女クウィムの行動を理解できるはずはなかった。そしてそれを『人間の価値観』と言ってしまう魔王レヴィスターの言動も同じくらいに理解できなかった。せっかく切り抜けた危機を再発させようとしている2人に憎悪さえ感じてしまいそうだった。

 少女クウィムの魔法は完成して彼女の手の周りは白い光に包まれ、火炎虎フレイムビーストの子供に向けて発動された。その光は少女クウィムの右手から横たわって上空に向けられた獣の左半身の腹の部分に徐々に移っていった。それはカルドの時よりも光の量と強さが大きく、少女クウィムが獣の体格に合わせて発動させる魔法の強さを強くしていると思われた。治癒キュア回復リカバリーを同時にもたらす奇跡のようなあの魔法が獣に施されたら、彼女は一瞬で襲撃されて殺されかねなかった。

「止めろーーーっっ!!!」

第一王子エドワード魔王レヴィスターに跨がれたままの体勢で力の限りに叫んだ。このままでは彼女が死んでしまう。それだけは避けなければならない。魔王レヴィスターの股の下で仰向けからうつ伏せへ一瞬にして切り替えて、右足で思い切り地面を蹴って飛び出した。しかしその動きは魔王レヴィスターに左足をかけられて阻まれ、ほとんど同じ場所で転んでしまった。魔王レヴィスターに阻まれ続けてどうしても少女クウィムに近付かせてもらえなかった。うつ伏せのまま振り返りながら上空を見上げるようにして魔王レヴィスターを睨んだが、彼は第一王子エドワードの視線を無視するようにして、少女クウィムの方を見ながら

「思想は一つだけではない」

と言ってから第一王子エドワードに右手を差し伸べた。獣の復活を危惧する第一王子エドワードと思想を語る魔王レヴィスターはとても大きかった。差し伸べられた手を無視して顔を正位置に戻してから両手で大地を掴み、もう1度飛び出しながら立ち上がった。

 第一王子エドワードをよそに子獣は動き出した。身体を重たそうに起こして四肢に力を入れて踏ん張り、少女クウィムを睨みつけながら歯を食いしばって唇を震わせながら鋭い牙を剥き出しにした。低い声で喉を鳴らし続けて威嚇した。少女クウィムは獣から距離を取る事なく、魔法をかけていた場所から動かなかった。萎縮して動けないという感じではなく、自らの意志でそこに留まっているようだった。獣を見つめる表情は真剣であったが、柔らかな雰囲気を醸し出していた。

 第一王子エドワードは息を止めてその場を見守るしかなかった。

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