第038話 回復

『生命の営みに種別の貴賤なし』


 突然地震のような地響きが起こり、周辺はしばらく揺れ続いた。木々がカサカサと葉を擦り合わせる音を立てて揺れ、そこに潜んでいた鳥や小さな動物達は一斉に慌てて逃げ惑った。厩舎で寝藁の上で休息していた馬も突然の揺れに動揺して声を上げ、首を大きく上下に振って小さく震えた。

 調理の途中でエドワード王子にクウィムの保護を命じられてロッジに戻っていたティスタは、突然建物が足元から大きく揺れてとても驚いた。思わず地震だと勘違いするほどの揺れだった。近くの厩舎からは馬の騒ぐ音が聞こえ、ロッジを取り囲む木々から多くの動物が飛び出す騒々しい音も聞こえた。何が起きたか分からず、思わずロッジの部屋中をキョロキョロと見回した。揺れが伝わってきた源は仲間達がいる方向からだろう事がかろうじて分かったが、離れたこの場所からは仲間達の状況が分かるはずもなかった。

「行かなきゃっ!」

 その時大きな声を出してそう言ったクウィムはまだ揺れが残る状況でもすっと立ち上がった。そしてワクワクした表情を浮かべて少し微笑みながら、クウィムの行動についていけずに驚いたまま固まっているティスタを尻目に、ロッジの扉を勢い良く開いて飛び出していった。割れたのかと思う程の大きな音を立てて開かれた木扉はその反動で開いた時とほぼ同じ音量で閉まって、強めの振動でロッジを揺らした。

 ティスタはその大音と振動で我に帰って、保護を命じられたクウィムが飛び出した事にハッとした。すぐに魔法杖ルーンスタッフを左手に取って、居なくなった少女の跡を追った。扉を出ると少女のものと思われる走る足音が聞こえた。それはカルドが採水に行った小川の方で、第一王子エドワード魔王レヴィスターが彼を救助に向かった方角だった。足音の方向を目で追うと少女の駆けていく背がやや遠くに見えた。ティスタの感覚ではそのスピードはとても速かった。足の速い男性に匹敵するほどに思えた。魔術師ルーンマスターであるティスタは身体を動かす事は苦手で体力もなかったので、クウィムのスピードについて行く事は出来そうになかったが、進んでいる方向は分かっていたので必死に追いかけた。第一王子エドワードが命じた使命を果たす為には少女クウィムの側にいる事が重要で、離されている時間を少しでも短くする必要があったからだった。「体力系の仕事は苦手なんだけどなぁ」と心の中で叫びながらも今の自分に出来る事を懸命に果たそうとひたすら走った。

 1000歩程走った先にがあった。森の小道を抜けたら小川が流れていて、その河原に向けてなだらかな下り坂となっていた。小川を挟んだ向こう側は、若干の河原を有してはいたが、小高い崖になっていて、人間が乗り越えるのは容易ではなく、崖登りの装備が必要な高さがあった。

 クウィムが既に手前のなだらかな河原に到着しているのを発見して、ティスタは少女を見失わなかった事にホッとした。そして彼女の周辺には男性3人もいた。

 ティスタはエドワードとカルドが無事である事にまずは安心した。そしてその側に悠然と立っているレヴィスターの姿が眼に入った。ただ立っているだけだったが、ティスタには何故か神々しく思えて見惚れてしまい、視線が凍ったように固まってしまった。エルフらしい細身の身体だが、背丈は一般的な人間の男性よりやや高い位でエルフとしてはかなり長身で、それでいて華奢に見える事はなく、おそらくは鍛え抜かれた肉体を持ち合わせていると思われた。ティスタの凝視に気付いた魔王レヴィスターに視線を返されたティスタは気恥ずかしくなって、突然視線を足下に下げて顔を赤らめた。そんな彼女の様子に魔王レヴィスターは無表情のままだった。

 エルフの反応に助けられたと思ったティスタは気を取り直して第一王子エドワードとカルドの元へ駆けつけた。その側には彼女よりも先に駆けつけた少女クウィムがいて、河原に座り込んでうなだれているカルドの横に左膝をついて座り、彼に対して治癒の魔法を施そうとしていた。しかし少女クウィムは精神を集中しているようには見えなかった。魔法の詠唱には高度な精神集中が必要で、精神の一時的な外部遮断トランス状態を作り出さなければならなかったが、ティスタから見たクウィムはには程遠いと思われた。

 クウィムは静かに右手を引き上げて手のひらをカルドの右肘付近にかざし、眼を開いたまま何かを呟いた。それは下位龍レッサードラゴンの襲撃を受けて魔王レヴィスターに助けられた後に少女クウィムが魔法を発動させた時と同じ姿勢で、ティスタには理解できないを呟いた。ティスタには見る事が出来ない何かがカルドの全身を包んでいるようだった。ティスタは下位龍レッサードラゴンとの戦闘後に助けて貰った時の温かい空気に包まれた感覚を思い出していた。おそらくカルドはまたあの不思議な強い幸福感に満たされるような感覚の波にどっぷりと浸かっているのだろうと思われた。治癒キュア回復リカバリーを同時に発動する常識外の魔法はその知識のある者にとって恐怖に近い感情を抱かせた。

 ティスタは「クウィムのこの驚異的な魔法はどんな原理なのだろう?」と考えていた。ティスタが見てきた聖白教エスナウ神官プリースト僧兵ムンク達が顕現させていた神官魔法プリーストマジックでは治癒キュア回復リカバリーを同時に発動する事は不可能で、ティスタの知識内では判別がつかない能力だった。ティスタが得意とする物質魔法ルーンマジックにも複数の効果を同時に発揮する魔法はなく、それは魔法の常識を超越していると思われた。

 ティスタはその事に小さく震えた。

「ありがとう、もう大丈夫だ」

カルドはクウィムにそう言いながら魔法の停止を促すようにそっと右手を上げた。クウィムはそれに応えてすぐに魔法を停止して、満面の笑みをカルドに向けた。

「良かったね〜、カルド」

彼女の明るい口調と素敵な笑顔がカルドやエドワードやティスタの心を少し軽くしていた。

 3人は純白王国フェイティーを出発してこの魔王の樹海に足を踏み入れて、ずっと生命の危機の連続で、精神をすり減らし続けていた。そのために冗談を言うどころか雑談をする事も減り、四六時中生き延びる事に必死だった。首筋にずっと剣の刃を突きつけられ続けるような死と隣り合わせの日々に疲れていた3人にはこの過酷な環境でも明るい雰囲気を振りまいてくれる天真爛漫な少女クウィムが輝いて見えていた。

 ティスタがクウィムの側まで歩み寄ると

「ティスタは遅かったねぇ〜。もしかして走るのは苦手?」

と言いながら両手の人差し指でバツ印を作り、屈託のない笑顔でティスタの微笑を誘った。ティスタは少し照れるようにしながら

「クウィムが速すぎるんだよ。まぁ、私は体力を使うより頭脳で勝負するタイプだから、走るのが苦手ってのは間違ってはいないかもね」

「やっぱり〜。魔法使いの人って身体を鍛えてないみたいだから、予想通りだった」

「もぉ、予想してるなら、もう少しゆっくり走ってほしかったなぁ」

クウィムは照れたような顔で左眼をウインクしたティスタに満面の笑みを返した。

「誰かが大怪我してるかも知れないって思ったから、急いだ方がいいと思ったんだ。着いたらカルドが怪我していてビックリしたけど、私が治せるレベルで良かった〜」

母親が子供を慈しむような表情を浮かべ、噛み締めるようにしてゆっくりと小さく頷いた。

 カルドを回復させた後「じゃあ、次!」と言いながらさっと立ち上がったクウィムは小川の方へ小走りに走り出した。純白王国フェイティーの3人は少女クウィムが何をとして捉えているのかが分からず、彼女の走っていく後ろ姿をただ眺めていた。するとエドワードの側にいたレヴィスターがクウィムの後を追って歩き出した。走っている少女との速度差は歴然なのでその距離感は大きくなっていったが、魔王レヴィスターは少しも急ごうとはしなかった。少女クウィムがどこに向かっているか分かっているように思われた。

 クウィムは小川を小走りのまま走り抜けて渡河した。彼女の進む方向には先程レヴィスターが獣の親子ごと破壊してしまった崖があり、砂埃が戦闘の残り香のようにまだ舞っていた。若干視界が悪かったが、クウィムはそんな事は気にしないでその中へ突っ込んでいった。大きな岩塊を避けつつ、でこぼこになった足場にバランスを崩しながら、クレーターのような窪みの中心部分は辿り着いた。そこにはレヴィスターの強烈な魔法による空気圧で押し潰された火炎虎フレイムビーストの親子が隣り合って倒れていた。クウィムはその側に立ち、子の火炎虎フレイムビーストの真横で片膝を付いて、炎のような色の体毛に包まれた腹をさすった。そして慈しむようで泣きそうに見える独特の表情を浮かべた。

 エドワードをはじめとする純白王国フェイティーの面々はこれから驚愕の場面に遭遇するのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る