第037話 助勢

『圧倒的な暴力の差は埋める事は出来ない』


 傾き出した太陽は時を追うごとに地平線へ降りていく速度を増しているように見うけられ、昼行性の生物は活動の時間を終える前に寝床へ戻るなどの準備に忙しい時間帯に突入していた。毎日繰り返される日常はそれぞれの生物に本能に近い時間感覚として染み込んでいて、一日を無事に終えて生命を繋ぐ事ができる安堵を感じる時間帯でもあった。太陽の光が黄からオレンジへ変わり出し、風景を昼とは違う色に変えようとしていた。


 火炎虎フレイムビーストの2本の左前脚が巻き上げた土煙は獣の周囲の視界を奪ったために、カルドの意識は近くにいる子から遠くにいる親へ移った。カルドが遠ざかろうとしていた方向に子が襲い掛かってきたのでそれ以上進めず、方向を変えるためには親の位置を把握する必要があった。しかしそこで予想外のことが起こった。視線を土煙の辺りから反転させて首を自分の右方向へ向けようとしたが、信じられない速度で猛然と突っ込んでくる親がすぐ側まで迫っていたのだった。カルドの反応速度では到底追いつかないレベルの間合いの詰め方で、カルドは自分の死を覚悟した。火炎虎フレイムビーストの右前脚2本が振りかぶられてカルドの身体をめがけて振り下ろされた。この獣の動きがカルドにはスローモーションに見えていた。そして自分自身を俯瞰の視点から冷静に判断していた。「俺の身体を頭から脚まで一撃で捉えそうな大きな2本の前脚がもうすぐ俺の左側面を叩いて、その威力で即死するんだろうな。人生がこんな辺境の地で突然終わってしまうなんて…あぁ、神よ。我が魂をあなたの元へ導き給え」

 反射的に自分の左側をガードしたカルドに対して飛び上がった獣の凶暴な右前脚2本が叩きつけられたと思った瞬間に、不意に獣の背後から矢のような光が獣の身体を貫いた。その影響で勢いが余って、獣の身体は崖に打ち付けられてから、跳ねるように崖上に打ち上げられたようになった。苦しい悲鳴を上げた獣は右肩あたりを撃ち抜かれて、右前脚2本は動かせそうになかった。カルドは眼前で起こった事をうまく解釈できず、親の獣が崖上に飛ばされた理由が分かっていなかった。「まだ生きてる…」理解不能な現実に目を見開いて驚いて、助かった幸運に感謝した。「白き神々よ。心から感謝します」

少し涙ぐみながら神への感謝を口にした。

 獣が打ち上げられた真下にいた彼には獣の衝突で発生した土煙が降り掛かり出し、視界が悪くなりそうだった。そこで子の獣と真反対となる右前方の小川に向かって急いで移動した。小川を渡ったところで振り返ると火炎虎フレイムビーストの親子はカルドを睨みつけていたが、襲いかかってくる雰囲気はなかった。不意に受けた攻撃に対して慎重になっているようだった。その状況に油断する事なく緊張して2匹の獣と対峙していたカルドの背後から気配があった。

「カルドーッ!大丈夫かー?」

辺りによく通るエドワードの声だった。カルドに振り返る余裕はなかったが、複数の気配があったので仲間が助けに来てくれたのが分かった。次第に後方の気配が足音としてはっきりと聞こえるようになり、2人分のそれだと分かった。エドワードがカルドの右真横まで近付いて、カルドの顔を見ながら、

「無事で良かった」

と言った。王子の助勢に心からほっとしたカルドは

「エドワード様、かたじけない」

と返した。エドワードは勢い良く坂を下って来たので息が荒かったが、すぐに左腰に下げていた鞘から装飾を施されたバスタードソードを抜いて、獣の親子の方向に向かった構えた。

 それからほどなくしてもう1人がカルドの左真横に到着した。全力で坂を駆け下りた王子と比較すると速度は遅く、小走り程度で坂を下りてきたようだった。現れたのは魔王レヴィスターだった。火炎虎フレイムビーストの親に一撃を与えたのは彼の魔法の力だと思われた。剣士である王子は魔法を使えないからだ。それはカルドがこれまで見た事のない魔法で、彼の手に負えない巨大な獣を一撃で動けなくする程の威力だった。「魔王」と呼ばれるエルフの持つ絶大な能力を物語っていた。魔王レヴィスターはカルドに個別に声をかけることはなかったが、隣で細刃剣レイピアを抜いて構え、一緒に戦う意思を示した。

「ここで死んでは無念だろう」

抑揚のない口調で魔王レヴィスターはそう言った。それでもカルドを絶望的な戦闘から救う言葉だった。

「王子。前衛を務めよ」

魔王は呪文の詠唱に入るためにエドワードに詠唱の時間を稼ぐための前衛を命じた。それを聞いてエドワードは2歩ほど前に出て剣を中段に構え、魔王と獣の親子との直線上を邪魔しない位置で対峙した。カルドはそれを見て魔王と獣達との直線上に対してエドワードと左右対称シンメトリーになる位置に立った。火炎虎フレイムビーストの2頭は増強された人類達に戸惑い、親が右肩を負傷していたので動きにくくなり、警戒態勢になっていて、攻撃を仕掛ける雰囲気ではなかった。強力な魔術師の登場に怯えているように見えた。

 魔王レヴィスターは呪文を唱えながら精神を集中していった。

「見えずとも存在する有益な大気よ、我が指示に従いその強大な力を駆使し、我が敵を押し潰せ。圧潰エアプレス

呪文の詠唱が終わると魔王レヴィスターの周囲の大気が彼に吸い込まれるように動き出し、地面には土埃の渦が出来た。その渦はエドワードとカルドも巻き込むほどの大きさで、彼らの脛あたりまで見えなくなっていた。エドワードは一瞬だけ自分の足元に眼をやって、生き物が蠢くように地面を旋回する土埃を気味悪く感じた。魔法の才能を持たない王子にとって魔法自体が得体の知れないものであったが、これまで宮廷魔術師の魔法を戦場や軍事訓練で見てきたので、魔法に関する理解はあるつもりだった。だが大気をこのように自在に操る魔法を見た事はなく、それが自分の足元で展開されている事が信じ難かった。エドワードが認識していた魔法に関する概念や観念が崩れ去っていくような気がしていた。エドワードは足元の大気ののような動きを肌で感じながらも、視線を凶暴な獣の親子は戻した。前衛を務めている以上は獣を魔王レヴィスターに近づけるわけにはいかなかった。それは同じ役割を務めるカルドも同じで、2人とも緊張感を維持したままレヴィスターの魔法が発出されるのを待った。魔王レヴィスターは左手を頭上に目一杯伸ばしてからゆっくりと腰の辺りまで降ろした。すると火炎虎フレイムビースト達の頭上辺りからエドワードとカルドを吹き飛ばしそうなほどの突風が吹き、大量の土煙が噴き上がった。二人とも思わず眼を守る為に掌で眼の前を保護ガードして、眼を細めて顔を正面からやや斜めに向けて吹き付けるような土煙に耐えた。土煙を含んだ突風の先には気圧の激変に巻き込まれて動けなくなっている火炎虎フレイムビーストの親子は地面に身体を縫い付けられたようになり、地面にしがみつくのがやっとの状態だった。そして大気による凄まじい圧力は地面ごと獣の親子を押し潰し、彼らの周囲はクレーターのように窪んでしまった。

 崖も含めて押し潰された為に大量の土煙がモクモクと立ち上って、エドワード達の10倍近い高さの土色の壁が迫ってきたが、エドワードもカルドも眼の前で引き起こされた信じ難い破壊の光景に動く事が出来ず、壁のような土煙に巻き込まれた。エドワードは自分の手足もよく見えないくらいの濃い土煙に巻き込まれて、うずくまるようにして身を守るのがやっとだった。ほとんど視界はなくなり、隣にいるはずのカルドの姿が見えないほどだった。眼をやられないように必死に顔を覆いながら吹き付ける土煙が次第に弱くなるのを感じで、段々と眼を開ける幅を広げると、空気中の土色が少しずつ薄くなってのが分かった。

 その時横からの突風が吹いて土煙が風上へ運ばれた後に現れた景色にエドワードとカルドは思わず大きく口を開けて驚いた。クレーター内に押し潰されて地面に張り付くように寝そべっている獣の親子が倒されていた。2人の位置からは絶命しているのかもしくは気絶しているのかは分からなかったが、人間の手に負えない凶暴な火炎虎フレイムビーストが2体とも倒されていて、それが魔王レヴィスターの魔法の威力がとても強力だったことを物語っていた。2人ともその光景に戦慄を覚え、背筋に氷の汗が流れた。

 カルドは絶体絶命の危機から救い出された事に安心して、その場で膝から崩れ落ちた。

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