第034話 昨夜

『きっかけは思わぬところにある』


 比較的整備された街道には柔らかな日差しが降り注ぎ、亜熱帯の湿気を多分に含んだまとわりつくような空気の中を、大きな荷馬車が淡々と進んでいた。2頭の馬を御しているのは純白王国フェイティーの第1王子であるエドワードで、隣には宮廷付き魔術師ルーンマスターのティスタが座り、王子の補助をしていた。幌の付いた荷車の中には進行方向と並行の両側に荷台兼用の簡易的な木製ベンチが荷車の欄干部分に沿うように取り付けられていて、王子の後方に僧兵ムンクのカルドが座り、ティスタの後方に魔王レヴィスターとクウィムが座っていた。それ以外の空間には全員の荷物が整然と並べられていて、荷車にはあまり余裕はなかった。

 エドワードは軍馬には慣れていたが、馬車馬を御する経験はほぼなかったので、かなり戸惑いながら御者席に座っていた。王子と比べると馬車馬に慣れているティスタが補佐する事でスムーズな移動になっていた。

 純白王国フェイティーの王族は身の回りの事を自身で行う風習が根付いているが、さすがにエドワードが馬車馬を扱った事はなく、豪華な客車に乗った事しかなかった。軍馬とは走らせる速度が大きく違う為に慣れていない王子にとって一苦労だったが、本人はそれに集中して楽しめている部分があった。

 この移動の開始時にはカルドが馬車を御していたが、レヴィスターの発案でこの馬車に乗る全員が交代で御者席に座る事になった。王子の従者であるカルドはかなり反対したが、エドワード自らがその発案に賛成して全員交代制になった。

 5人の編隊パーティーとなった一行にとって王国までの旅程は運命共同体であり、誰かが特別扱いされるべきではないというのが魔王レヴィスターの主張だった。その考え方に王子が賛同していたのでカルドとティスタも従わざるを得ず、移動初日となった昨日は食事の準備も寝床の設営も全員で手分けして行なっていた。深夜の警備と火守も交代で行い、そこには身分や種族等の差はなかった。一緒に冒険をする以上は協力し合う事が必須で、それを受け入れる事がとても大切だった。自らに王国の命運を課して未開の樹海に飛び込んだ王子はその危機感の強さ故に、知らず知らずのうちに重責を背負っていた。魔王レヴィスターを召喚する事に成功して王国への帰路につけているこの状況に、少し気が楽になっていたのかもしれなかったが、それでも自国の領土に戻れば、怪物モンスターが巣食う樹海を進む旅程とはまた別の、王国の存亡を賭けた戦いが待っているのは明白だった。

 早く王国に戻るという焦る気持ちはあったが、領地の土を踏むまでは深く考え込まないようにしていた。それは昨夜の食事後にクウィムと2人で話す機会があり、自分を追い込み過ぎている事に気付かされたからだった。


 2人で野営地の近くの川で調理道具や食器を洗っていた時の事だった。

「君はいつもドキドキしてるの?」

一緒に皿を洗っている途中で唐突に投げかけられたクウィムの質問の意味が分からず、エドワードは表情が固まって時が止まったようになっていた。王子である彼にそのように話しかける者はいなかったので、その口調にも戸惑っていた。エドワードは首輪傾げて王子を覗き込むように見つめる少女を見返して、

「えっ、ドキドキしてる?」

と質問を返した。少女の質問の意図が分からなかったからだった。少女は傾げていた首を更に傾げて、

「うん、ドキドキして、いつも苦しそうな顔をしてる」

 少女の素朴な回答にエドワードはハッとさせられた。王国の戦況、市民の生活や安全の確保、国王をはじめとした家族の安否などの不明な事の数々が焦燥感として押し寄せ、魔王レヴィスターの召喚が成功するかも分からない不安が精神を圧迫していた。それは表情に出ていた筈で、少女はそれを感じ取っていたのだろう。ドキドキしているというのは独特の表現に思えたが…。

「苦しそうに見えた?」

エドワードは素直にクウィムに尋ねてみた。彼女なら感じた事を正直に答えてくれそうで、自分を冷静に見直すきっかけになると思ったからだった。クウィムはほぼ地面と平行になるまで上半身を傾げたまま、気持ち良い程にニコニコして答えた。

「うん、そう見えたよ。大丈夫?」

それから上半身を通常の体勢に戻して、

「私は昨日ドキドキして苦しくなって倒れちゃったし、その前にも同じ事があったから、君も一緒かなって…」

少女は大きな眼を見開いて強い目力でエドワードを心配している表情を見せた。彼女の持つ独特な柔らかい雰囲気は王子の心を軽くした。

「心配してくれてありがとう。確かに色々と考え込んでしまって、思い詰めた顔をしていたのかもね」

王子は穏やかな笑顔を作り、

「でも、もう大丈夫だよ。自分のやるべき事は分かってるし、レヴィスターも助けてくれるから」

と言って決意に満ちた表情になった。それを見たクウィムは安心したように満面の笑みを浮かべ、

「それなら良かった。君には笑った顔が似合うよ」

と言って、エドワードを和ませた。

 エドワードは皿を洗い終わって、それを乾いた布で拭き始めた。少し遅れてクウィムも続いた。

「クウィムはこの森を初めて出て、冒険も初めてなんだよね?」

エドワードの皿を拭きながらの質問に、

「うん、そうだよ。初めて大陸に行くんだ」

そう答えた彼女の表情はワクワク感を止められないように見えた。

「今までずっと森で生活してきて、行った事のない所ばかりだから、楽しみなんだぁ」

と言って満面の笑みを浮かべた。話している間、彼女の身体は楽しいダンスを踊るようにリズミカルに小さく揺れて、その言葉通りワクワクを抑えきれないようだった。

 戦禍にある大陸を目指している事を理解しているのだろうか。エドワードは自分と彼女の気持ちの差を感じていた。初めて足を踏み入れた魔王の樹海を含む半島に対して彼女のような気持ちをこれっぽっちも持つ事はできず、かなりの数の配下を犠牲にしてしまった後悔ばかりがあった。父王の言葉を預かって何とかその言葉通り魔王レヴィスターを召喚する事に成功したが、何の情報もない母国の現状を思うと胸は苦しくなる事が多かった。同じように初めての土地を目指す少女が戦禍を気にせず、未知との出会いを期待している気持ちとの差がとても大きなものに感じられた。

「大陸を楽しめるといいけど…」

エドワードはほとんど独り言のように呟いたが、それは少女にしっかり聴こえていた。

「楽しめるよ!君が案内してくれるんでしょ⁉︎例え戦争してても、知らない土地に行くだけで何か新しい事に出会えると思うんだよね。それだけでワクワクしない?」

この話をしている間、クウィムは笑顔を絶やす事はなく、前のめりになりがちだった。その笑顔や姿勢は微笑ましくて、王子の荒れかけた心を優しく撫でてくれた。そして前向きな気持ちが乾いた砂に水が染み込むように入り込んで来た。それからエドワードの気持ちは変化をしていった。

「あはっ、そうだね!」

クウィムに負けないくらいの笑顔になって、

「どんな状況でも僕の故郷だから、クウィムが楽しめるように案内するよ」

それから少しだけ真剣な表情を含めた笑顔に変わって、

「そして王国を救ってみせる!!」

と宣言した。それを見た少女は手に持った皿と布を河原の大きめの石の上に置いてから、立ち上がって両腕を目一杯伸ばした状態で拍手をした。

「うんっ!それがいいよ。君の笑顔と気持ちに拍手!」

豊かな感情を十分に発揮した少女の表情や拍手や雰囲気につられてエドワードな感情は高揚していた。今までの後悔や焦りの強い落ち込みそうな気持ちは、何とかなるし何とかするという前向きなものに変わっていた。それは王子が生まれながらに持ち合わせていた特性であり、それを取り戻した瞬間だった。

「あ〜ぁ、悩んでばっかりじゃ時間が勿体無いね。これまでよりこれからだね!」

皿を拭き終わった2人は焚き火をしている野営地に戻る為に歩き出した。


 これまで順調に進んで来た一行の視界に絶壁が入りるようになってきた。それは大陸と半島を分断する果てしなく長くて凄まじく高いとてつもなく巨大な壁で、大陸と半島の移動を非常に困難にしていて、ほぼ全ての行き来を拒絶していた。

 これを越えなければ大陸に辿り着く事は出来なかった。

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